George Descombes

自然派ワイン発祥のモルゴン村の存在感抜群の男George Descombesジョルジュ・デコンブ。

ボジョレの皆からはヌーンと呼ばれて愛されている。

多くは語らずドッシリしていて強面の“熊”のような存在。でも人間としての“心”の中がとてもやさしい男。

ヌーンの愛称は大きな“縫いぐるみの熊”という意味あいで皆から愛されている。

自然派ワインの初期、モルゴンのマルセル・ラピエールが頑張って広めている時代から、マルセルの元で学び共に戦ってきた貴重な人。私もジョルジュとの付き合いはもう30年ほど経っている。

1995年11月、デコンブのボジョレ・ヌーヴォを空輸で明後日の飛行機で日本に運ぶという時に、ボジョレのAOC協会がこのジョルジュ・デコンブ・ヌーヴォに対して難癖をつけてAOCヌーヴォの認可を拒否していた。

当時は、まだボジョレの有力者達が自然なワイン造りに偏見を持っていて、自然派のワインに嫌がらせをしていた時代だった。

 

今でこそは、笑って話せますが。もう飛行機は予約済だし、日本のインポーターも、飲食店様も皆、到着を待ってヌーヴォーを盛り上げようとしていた。

ヌーヴォが着きませんでした、なんてことが許される時代ではなかった。

私とジョルジュはお互いに顔を見合わせて、“どうしよう?!”無言の???を繰り返していました。

ジョルジュは突然に立ち上がって、

『ITO心配するな!俺はこれからAOCオフィスに行ってサインをもらうまで動かない!』

その顔は、もう真剣そのもの、静かなジョルジュも心の奥で燃えたぎっている怒りを抑えているのがわかった。

当時の若きジョルジュの熊のような体から“凛とした”湯気のようなもの立っていた。

相当な覚悟・決意を持ていたに違いない。

数時間後、許可のサインをもらって、帰ってきた。

もう私は、安心するとい同時に、“この男の気迫の凄さ”に関心した次第だった。

その後、マルセル・ラピエールと共に、ジョルジュ・デコンブの備えつきバーで、祝杯を挙げた夜のことを思い出す。

今では、ここボジョレのAOC協会は非常に協力的に動いてくれている。

今のように、美味しい自然派ワインが無事に日本までたどり着くようになったのは、マルセルやデコンブのような古参の造り手達が頑張って努力してくれたお陰なんです。もう感謝しかないですよね!!

そんな自然派ワインの初期の頃の話を、体験してきた貴重な存在の一人がこのジョルジュ・デコンブなんです。

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ジョルジュ・デコンブのワインのスタイルは、独特の“酸”にある。

ビシっと締まった酸は、たまらない魅力である。

そして、背骨が真っ直ぐなるミネラルとしっかりした酒質(ワイン質)だ。

まるでジョルジュ・デコンブの精神、あの時の“動かない“凛とした”精神力が表現されている。

でも当然ながら精神力だけでは酸とミネラルはできない。当たり前のこと。

ジョルジュ・デコンブの畑はすべて標高の高いところばかり。

どの区画も、ボジョレ中を見渡せるほど標高が高いところばかりだ。

あの心地よく、料理にピッタリと寄り添ってくれる酸はこの標高なのである。

標高が高いから、葡萄が熟すのにチョット時間がかかる。だからジョルジュ・デコンブの収穫の開始はボジョレ中で最も遅い。

仲間の醸造家達が終わった頃に収穫を始めるくらいである。

今年も皆の収穫が終わった頃の9月15日に収穫開始した。

勿論、私も立ち会った。

夜明け前に収穫人達が集まって来て、小型のバスで葡萄園に向かい、ちょうど到着する頃に太陽な昇る。

日の出と共に収穫か開始する。

葡萄園での日の出は美しい!

葡萄園はシーンと静かで、まだチョット薄暗く、チャキチャキと葡萄を切るハサミの音だけが響いてくる。

何とも異次元の世界だ。

23年の収穫が次々と運び込まれてくる。

今年の葡萄の状態を見て思わず笑顔が飛び出すジョルジュ・デコンブ。

狙ったとおりの熟度と酸が感じられる葡萄だった。

2023年デコンブ・ヌーヴォーは?

もう30年以上ワインを造り続けてきたベテランの技は、一朝一夕には出せない深味を備えている。

そして、目の前がパァーと開けて明るくなるような“酸”がヌーヴォーに常に表現されている。

デコンブ・ヌーヴォーを飲む度に、1995年の出荷時のことが私の頭を良き思い出として通り過ぎていく。

デコンブ・ヌーヴォも美味しいよ!外せませんよ!