12
Mai

フランス産の原木カベルネ・ソーヴィニヨン、フラン、メルローなど貴重な葡萄木を守る戦い

150歳以上を経過している葡萄木達を生存させる為に、ローランスとパスカルは一つ一つの葡萄木とまるで会話をしながら、それぞれの弱っている部分の対応を駆使している。 マルコタージという手法で葡萄木の横に子供のような存在の葡萄木を再生させている箇所が多い。 枝を一旦地中に潜らせて、その潜った枝がもう一つの別の葡萄木のように芽が出てきて葡萄が育つ方法。 世の中には、効率や利益だけを追う生き方をしない人達がずっと存在していて、世に大切なものを守るような生き方をする人達がいるものです。 これを考えただけでも感動してしまう。 とは云っても、醸造元の経営は大切。 ローランスとパスカルは4,5ヘクタールほど、オー・メドック、マルゴーとブライユにビオの畑を栽培・管理していて、いくつかのキュヴェを造っている。 Gisele ジーゼル  ソーヴィニョンとセミヨンで醸したボルドー・ブランも爽やかでとびっきり美味しい Virevolte ヴィールヴォルト ブライユ地区で栽培したメルロー100%、アルコール度数11%と、軽快で果実味が心地よい。 LUQUET リュケット  カベルネソーヴィニヨン100%のオー・メドック アルコール度数が11.5度とカベルネソーヴィニヨンでエレガントさを表現。

4
Mai

ボルドー右岸の“Cassini”カッシーニにて 日曜の昼を共に

飛び切り美味しいナチュール・ワイン。CASSINIカッシーニを造るアルノー・イザベル・カッシニー夫妻。 この二人には、まるで映画のシナリオのような特別な愛の歴史がある。 この二人は、幼馴染でもありお互いに初恋の相手だった。とくに青春時代に熱い熱い恋愛の仲だった。 でも、若い時によくあるちょっとしたすれ違いにより、それぞれの人生を歩むことになった。 そして、数十年後、二人は田舎街の小さなリブルヌ駅で奇跡的な再会をした。 イザベルは、全く違う街に住んでいて、この日だけ所要があってリボルヌの街にきて帰る為にリボルヌ駅にいた。 アルノーも所要があって偶然にもリブルヌ駅に寄っただけだった。 その時、二人とも、それぞれの伴侶と別れてフリーだった。 こんな再会が、二人の心の中に、若き頃の熱い感情がよみがえるのは当然だった。 赤い糸が動き出して、二人とも運命のようなものを心の奥で感じたのに違いない。 それ以来、二人はもう離れることができない仲になっていた。 そして、その二人が若い頃に住んでいたリボルヌの街、そして再会したこの駅の近所に居を構えて、二人でワインを造ることを決意した。 そんな愛情あふれる二人が造ったがナチュール・ワインが “Cassini”! さて、私達は日曜市場から買い物をして奥さんのイザベルが待つアルノー宅に戻る。 買ってきた食材を、キッチンで皆で飲みながら皆で調理した。結局、それがテースティングも兼ねていた。 私は、カキを開けるのが得意なので担当した。 カキには、CHARBONNAYシャルボネを合わせた。アルノーが数年前より北フランスのリールの街の近郊にある元炭鉱の山に植えたシャルドネ、ソーヴィニョンで造ったワインだ。温暖化の中、数人の友人達と始めた北フランス・プロジェクトのワインだった。 大西洋のカキとの相性はまあまあだった。北フランスなので酸もあってフレッシュ感もあり、飲みやすかった。 折角なので、アルノーの近況の葡萄園状況やボルドーワインの全般のことなど、レクチャーをした。 あとは楽しい食事会になった。 あまりにも楽しくて、食べ物のプレーの写真を撮るのを忘れてしまいました。 市場で仕入れたアスパラと、イザベルが湯がいてくれた半熟卵と赤ワインのマリアージがとても美味しかった。 これには、LA BELLE HISTOIREラ・ベル・イストワールをあけた。 メルローを、自生酵母でSO2を使わずに、やさしいカモシ方法で、果実味が全面にあって柔らかく飲みやすいスタイルのワインだった。 アルノーは自転車で葡萄園まで行って、庭の世話をするように丹念に畑仕事をして葡萄を育てている。 小さな小さな葡萄園を、ホントにまるで庭士のような仕事をしている。そして、育った葡萄を、自生酵母で、SO2を使用せずに愛情たっぷりで醸したワインがカッシニーだ。 右岸ですのでメルローが主体となっています。 あまり濃縮させることなく、果実味を中心にして、ビュバビリテー(飲みやすさ)を重要視した造りをしている。 BORDEAUX ボルドー とST-EMILLIONサンテミリオンの二種類のキューヴェがある。 どちらも、アルノーの人柄がそのままワインになったように、やさしいスタイルである。 今日は、若手スタッフのVICTORヴィクトールと二人でお世話になりました。 あまりにも、ホワッと暖かい空気が流れていて、居心地よくてあっという間に時間が過ぎてしまった。 楽しかった日曜日、ありがとう Merci Isabelle et Arnauld ! このやさしいボルドー・ナチュールは、日本ではESPOAグループが輸入している。 (日本での問い合わせはESPOAエスポア社へ) 美味しいよ!!

4
Mai

Cassiniのアルノーとボルドー右岸のLibourneリブルヌの街の日曜市場へ

ボルドー右岸には、サンテミリオン、ポムロルの銘醸産地がある。歴史的にそれらのワインを世界に流す切っ掛けとなった役割を演じたドルドーニュ河の港があった街だ。 今でも、右岸ボルドーの有数のワインネゴアン(ワイン商)の本社がある街でもある。 この街には、宇宙学者のCassiniカッシニー家の子孫であるアルノー・カッシニーが、居を構えてとびっきり美味しいワインを自然な手法で造っている。 日曜日にも関わらず、訪問を受け入れてくれたアルノーと、日曜市場へ出かけた。フランスでは、いたるところで日曜市場が開かれている。日曜市場は、フランスの深い日常文化の一つ。 日曜は、市場に家族や友と出かけて、素材を仕入れて家に持ちかえってゆっくりと昼食を皆で楽しむ。市場に行けば知り合いや、行きつけの店でアペリティフをやりながら、あることないこと話して時を楽しむ。これって、フランス日常文化の深いところ。 当然、陽気なアルノーには、毎日曜日に逢う知り合いが多く、至るところでとめられてアペロになる。買い物がなかなか進まない。 市場に隣接しているワイン屋・ビストロはアルノーの知り合いが居て危険なところ。もうワインを何本もあけてアルノーを待っていた。 市場から新鮮なカキをあけて、ツマミにしていた。 アルノーは醸造所をもっていないので、友人の蔵の一部を借りてワイン造りをしている。その友人と一緒にアペロをしながら、今後のワイン造りの話をしていて、面白い話になった。彼も、今年から自然な造りに挑戦するとのことになった。楽しみだ。 もう一人、若手のフレドにあった。今は地ビールを造って、この市場で試飲販売していた人だ。フレドもアルノーのワインのファンでもあり、近年中に自然派ワインを造ると豪語していた。ボルドーもホントに変化の時期に来ているな、と感じる。 アルノーと歩いていると実に楽しい。Libourne リブルヌの街の日曜市場を満喫した。

1
Mai

モトックス社のスタッフがPOUPILLEへ

プピーユを日本へ輸入してもう何年もたっているけど、毎年、醸造現場を訪問して情報収集するモトックス社。 ネットでも、メールでも豊富な情報が入手できるけど、やっぱり現場に来ないとホントに大切なことは見えてこない。 畑の微妙な変化、近年の天候事情によって明らかに葡萄木の状態が違ったり、フィリップの考え方の進化で栽培方法も微妙に変化している。実際に来て自分の目でみて、質問して確認する作業は超大切。 この中には、もう10回以上訪問しているメンバーもいる。 蔵元の家族と触れ合って、子供達の成長によってフィリップの思考も、生き方も微妙に変化していく。 醸造所もまた新設した部分もあり、発酵槽も新しくなった、樽塾の場所も変化したり、垂直式圧搾機も新たに増やしている。 フィリップは常により良い品質を追求しながら、ベストを狙って進化している。 このレベルからの進化は、小さなコトの積み重ねが、少しずつフィネス、上品さへの進化に繋がっていく。 こんな小さな積み重ねの一つ一つは、実際に現場にこないと気付かないことが多い。 特に、フィリップは熟成のやり方、期間の長さを大切にしている。特に樽の使い方は天性のセンスがある。 こんな微妙は変化に気づき、即、質問攻めするモトックスメンバーの熱心さは凄いものがある。 フィリップもメンバーの熱心さに、感謝、感動していた。 ☆ボルドーのワインは、テーブルでその威力がわかる。CHEZ POUPILLEにて☆ ボルドーワインは大人のワイン。 造りたてのワインを飲んで、スイスイと体に入っていくスタイルではない。 濃縮感の中にある旨味がジワリとでてくるには、熟成が必要になる。

1
Mai

30年来の付き合いPoupille Atypiqueプピーユ・アティピックを醸すフィリップ

知り合ったのは、フィリップが20歳の時だった。 子供の心を持ちながら、自分の決めたことに突き進むPassionは今も変わらない。 30年前からワインを造らせたら、自分を転写したようなワインを造る。 ボルドーでSO2ゼロのワインを誰よりもはやく造った男だ。 “Atypique アティピック” ボルドースタイルのワインを理解するには、時間と文化が必要。 最近の若いワイン愛好家の皆さんは、造りたてで直ぐスイスイ入っていくワインを求めている人が多い。 ボルドーワインには、チョット時間的なものと、テーブルで飲まれる食との融合を考慮する“ゆとり”のようなものがあると評価しやすくなる。 Atypique アティピック、この濃縮感の奥にある透明なテロワールを感じさせてくれる美味しさに、感動させられる。。 これがボルドーのワインなのだ。ウーン、やっぱりボルドーだ! 特に、このAtypique アティピックはSO2ゼロゼロで醸造されている。 常に完璧を求めるフィップは、細心の注意力でこのワインを醸している。 ホントに完璧な葡萄を収穫した年しか造っていない。 何故?  自然な造りだからと云って、“欠点”のあるワインを絶対に許さないからである。 Atypique アティピック、なんて美味しいんだろう。 ボルドーでワインを始めた私の根底には、やっぱりこのボルドーが流れている。 フィリップは、カスティヨンでも早くビオ栽培に転換して、カスティヨンのエリアをすべてBIOにするために運動している。 プピーユの葡萄木は、サンテミリヨンから続いている同様な石灰質土壌の地中深くに根が入り込んでいる。 微生物がイキイキしている土壌は素晴らしい。 やっぱり、美味しいワインは、畑、土壌が命です。 ボルドーの本物ナチュール“Poupille Atypique プピーユ・アティピック”美味しいですよ! まだ、日本にも在庫が僅かにあるようです。 (Poupilleのワイン、日本での問い合わせはモトックス社です。)

30
Juil

ビックリ!葡萄園!フィロキセラの害虫に侵されなかった150歳の葡萄木達

フィロキセラに侵されていない葡萄木が約0.7ヘクタールも残って生存して、純粋フランス葡萄が育っている。 つまり、アメリカ産の台木なしで、ダイレクトにフランス産葡萄木が植えられている。これはもう奇跡! しかも、世界のボルドー有名グランクリュ・シャトーが立ち並ぶHaut Medocオー・メドック地区のど真ん中である。 栽培は草を倒して藁のようにして土に混ぜこんで土壌を作る超自然な栽培。 微生物を育て、ミミズが生存しやすい環境をつくっている。 耕すのはすべて馬でやる。何故なら、150年前は葡萄木と葡萄木の間隔が狭すぎてトラクターが入れない。 こんな世界遺産級の葡萄園がオー・メドックに残っていたこと自体が奇跡的出来事だし、過去から我々に何かメッセージを送っているのに違いないと思ってしまう。 そんな畑を耕して我々に貴重な数百本のワインを提供してくれるのは、二人の女性です。 Pascale Choimeパスカル・ショワメさん、 Laurence Alias ローランス・アリアスさんの二人。 年間800本も取れないこの畑。周りの人達は忠告してくれる。 『古木過ぎて生産性が悪いから、引き抜いて若い木に植え替えた方がいい!!』 でも、この二人は、150年間のフィロキセラ虫にも耐え抜いてきた葡萄達を尊敬している。だから、植え替えない。 そして、150年間もこのお金が流れるメドックの中心でこの畑を守り抜いてきた先人達も尊敬している。 間違いなく、大金を積んでこの畑を買収しようとした企業があったに違いない。 お金に動かない心を持った農家が何代も続けてきた貴重な畑。 色んな誘惑に耐えてこの世界遺産級の葡萄園が存在している。 Closeries des Moussisクロスリ・デ・ムシス醸造 この奇跡の葡萄園から造られるワインはこれです。 ★Baragane バラガン 150歳の13種類の品種が混植されている畑からとれた葡萄を仕込んだもの。 150年前はメドックと云えども色んな品種の混植だったんです。これがメドック・ワインの原型です。 何事も原点、原型を知ることは大切です。この原型からどうして今のようなメドックになっていったか? 過去からのメッセージを想像しながら飲むだけでも、楽しい。メドックの150年の歴史が映し出される。 クロスリ・デ・ムシス醸造では、他にもメドックで数少ない希少な自然派ワインを造っています。 巨大有名シャトーの中で、小さな小さな蔵で魂を込めて造っています。 (問合せはサンフォニー社)

3
Nov

福岡・久留米のトーハン酒販の石橋さんが美女軍団と               来パリ -No2

Mr Ishibashi, une caviste de Kurumé (Sud Japon), est venu à Paris avec ses clientes, mateurs du vin. 今夜は福岡・久留米市のトーハン酒販の石橋さんが美女ばかりのお客さんとパリにやって来た。 幸運にもお供させて頂きました。   石橋さんは久留米駅の近所に店を構えている。 もう何十年も前からワインスクール “和飲学園” をやっている。 ワインスクールのお客さんと時々フランスまでやって来る。 今回はボルドーのみを深く飲み尽すというボルドーに5日間も滞在して来た。 最後にパリに来て、ブルゴーニュの真髄とキャヴィアを楽しんだ。 一般のお客さんがボルドーだけのワインツアーを組んでしまうとは、凄い時代になったものだ。 お話を聞くと、『久留米でワインスクールの後の飲み会で、ボルドーのワインを飲んでいて、皆でボルドーに行こう!』 と決定してしまったようです。 フルマラソンに出場する人もいたり、皆さんの元気ぶりには驚かされました。 ワインは毎日、欠かさずに飲んでいるとの、ことでした。 流石、九州の女性は凄い!! ご一緒させていただき有難うございました。 石橋さん、有難うございました。 店をでるとシャンゼリゼ通り、凱旋門が美しくライトアップされていました。     

2
Nov

90年台一世を風靡した幻の MEDOC ワイン、                    HAUT BRUGAS オー・ブリュガス

弊社、若手がカーヴを整理していて見つけたワイン。 90年台前半、まだ自然派ワインが極小だった頃、ボルドーで、しかもメドックで自分のアペラッションを勝手に作って自然なワインを造っていた凄いお父さんがいた。 そう、Monsieur Bispalie ムッシュ・ビスパリさん。 元パイロットでもあり、ジャズ、クラリネットの演奏者でもあり、多彩な能力を持っていた人気者。 行くと、庭で牛肉アントルコットを焼いてくれて、オー・ブリュガスを飲みながらクラリネットを聞かせてくれた。 懐かしい!でももう造っていない。幻のワインになってしまった。 まだ、数本残っている。思い切って開けました。 当時、メドックで補糖を全くしないと、11.5度ぐらいしかならなかった。 酸もタップリあり、まだ若々しさがある。 チョット、開くまで時間がかかりそう。

30
Oct

フラコンの2号店Flacon St Michel (Bordeaux)

懐かしいボルドーの夜の街を歩きながらホテルに向かった。 ガロンヌ河沿いを歩くと美しいボルドーの夜景を楽しめる。このまま帰るにはチョットさみしい。 もう一軒だけ寄ることにした。サン・ミシェル教会の塔が輝いていた。 教会の広場の近所にフラコンの2号店がある。    店に入ると、以前1号で働いていたThomasトマとValérieヴァレリが頑張っていた。 こちらの方は店が大きくてワイン屋も兼ねたBistroになっている。 壁には知っている美味しそうなワインがズラリと並んでいる。勿論フランス中のワイン、スペインも置いてある。 スペースがあるのでより解放感がある。 トマはずっとパリのヴェール・ヴォーレVerre Voléで働いていたから顔見知り。 ここでの再会が嬉しい。 ここではビストロ料理もメニューに揃っている。 店内に元気にグイグイ飲んでいる若者のグループがいた。その中の一人がどこかで見たことがある。 お互いに顔を見合わせて、笑った。顔は知っているけど名前がでてこない。 パリのビストロで会った顔だ。 ブラインドテースティングをやっていたので参加した。 見事に外した。 強烈なミネラルのJulien Guillotのワインだった。 ミネラルが旨味をカバーしてしまう程の強さだった。出方が石灰っぽくなかった。 ウーン、残念。でも本当に美味しいワインだ!    後のメンバーは、ボルドーに数カ月前にBistro Soifというワイン・ビストロをオープンしたとのこと。 次回、行ってみよう。 気持ちのいい若者達だった。Merci ,Equipes de Soif. 壁に美味しそうなワインがズラリと並んでいた。勿論、ボルドーワインもありました。また来よう。   

25
Oct

ボルドーでこのシャンパーニュが飲めるとは!!-no3

Bistro Flaconのワイン・ダイナマイト・パショネールのGillesジルが最も好きなシャンパーニュは? ちょっと、飲み疲れてきた。最後にチョットシャンパーニュを飲みたい! と云うと、 スーッと出てきたのがこれだった。 Jacques Lassaigneジャンク・ラセーニュのLes Vignes de Montgueuxレ・ヴィーニュ・ドゥ・モンギュ これには、飛びあがるほど嬉しかった。丁度、私が頭に浮かんでいたシャンパーニュだったからだ。 このモンギュの畑区画には、明治時代に山梨からワイン醸造勉強の為に日本人が数年滞在して いたところ。 今は、同じ村にいるエマニュエル・ラセーニュがその畑を任されてシャンパーニュを醸している。 ラセーニュ独特のスカットしたピュアーなミネラル感が素晴らしい!! 濁り、雑味、シャンパーニュによくある泡のつっかかりが全くない。   ほぼ仕事が落ち着いてきたので、ジルもジュリアちゃんも時々私のところに来て一緒に飲んだ。 ジュリアちゃん、余程気に入ったのだろう写真をとっていた。    ジルはこの夏、日本に行った。林さんのピオッシュにも行って感激していた。本当に世が狭くなった ものだ。 ジルはお勧めのワインを色々飲ませてくれた。シノンLenoirの89年は最高に美味しかった。 Merci Gilles. その他にも、サヴォワの新人のモンドゥーズも特別だった、ボルドーの新人のワインも良かった。 また、皆さんにも紹介したい。 本当にFlaconフラコンは本当にフレンドリーな雰囲気にあるので、隣の人とか直ぐ話せて友達に なってしまう。 ちょっと、話したら、私のボルドー時代に懇親にしていたシュードル家族の友達だった。 世が狭いのに驚く。 その女性が近々ワイン・レストランを開くとのこと。 ワインを通じて本当に人と人が繋がっていく。   

23
Oct

ボルドーでジュラ地方のボルドを飲む!                     Chez Flaconにて-no2

Bistro Flaconのワイン・ダイナマイト・パショネールのGillesジルが黙って出してきたBlanc一本。 Domaine de la Bordeドメーヌ・ド・ラ・ボルド醸造のワインChardonney 16。 オヴェルノワと同じArbois Pupillinアルボワ・ピュピラン村に醸造所を構えるJulien Mareschal  ジュリアン・マレシャル。 ウーン、この透き通るようなミネラル感、強すぎることなくスーッと伸びてくる。そのミネラルの周りをどこまでもやさしい上品な果実味が包み込んでいる。絶品なボルドのワイン。 3億年前のジュラ期地質リアスのマルヌ土壌に育つシャルドネ。何という、土壌と品種のマリアージだ! 石灰土壌のシャルドネでは絶対にないミネラル感。 心まで洗われてしまいそうな透明感。 素晴らしい!! 大西洋のマグロの活〆マリネに合わせた。 最高!!女性シェフのジュリアちゃんの作。 ジルのお父さんがやって来た。元ラグビーの選手、このお父さんが滅茶苦茶Vin natureに詳しい。 一緒にワイン談義!        この夏、日本のパッションBistroの皆さんがJulienのところに来た時の写真、急斜面の畑の写真を 添付しておきます。   

23
Oct

やっぱりボルドー!左岸のあのMédocマルゴーに驚愕の美味しいワインが!-no1

Closeries des Moussis クロズリ・デ・ムシ醸造 世界の銘醸地マルゴー村にフィロキセラ以前の150歳を超えるフランス原木の葡萄木が0.5hも存在している。 マルゴーに近代醸造技法が入る前の100年前の造りをやっている蔵がある。 流石!メドック、マルゴーだ。 パスカルさんとフローランスさんの二人の女性がいる。 馬で耕し、手で収穫、自生酵母のみで、醸造中のSO2なし。まったくの自然な造りをやっている女性がいる。 ウーン、なんていう深み、複雑なパッファン、芳醇でありながらフレッシュな酸! 1855年の頃、まだ今のような醸造テクニックが存在しなかった時代のマルゴー、メドックワインは こんなスタイルではなかっただろうか。 ボルドーで、こんな特別な美味しいマルゴーを飲ませてくれるのは、Gillesジルしかいない。 ボルドー中心街でBistro Flaconビストロ・フラコンを経営している。 ジルのワインに対するPassionはダイナマイト級! やっぱりボルドーには凄いヤツがいる!! こんな驚愕のワインの造るパスカル・ショワムさんとロランス・アリアスさんの写真と畑の写真を添付しておきます。   

23
Oct

世界遺産の街 Nuit Bordeaux ボルドー・ナイト

  夜のボルドーは美しい。 街の至る所に、違った時代に造られた歴史的建造物が散らばっている。 それぞれがライトアップされていて、トビッキリ美しい。 長年に渡ってイギリス領だったボルドーは、他のフランスの都市とは違った雰囲気を醸している。 街の真ん中にガロンヌ河が流れていて、昔は大型船が大西洋からジロンド河を登ってガロンヌ河に入ってボルドーの街まで入って来れたのである。 昔はこのガロンヌ河沿いに、多くのワイン商の倉庫、館が並んでいたのである。そうボルドーワインはイギリスに運ばれてイギリス人が飲んでいたのである。 ボルドーワインが他の地方よりいち早く世界に出回ったのは、このガロンヌ河とイギリス領だったことに由来する。 売れればワイン造りが盛んになる。より美味しいものを造ろうと切磋琢磨する。醸造技術・ノウハウが向上する。 手間暇かけて美味しいものを造れば売れる可能性が大きかった。 他の地方では、そこまで手間暇かけても売れる術はなかった。 土壌が優れていたということよりも、このメカニズムがボルドーワインを造りあげたと言ってよいと思う。 土壌だけみれば、フランス中に優れた土壌は存在している。 でも、その土壌を生かすために、手間暇かけて造っても売れない、だから、まだ手間暇かけて造ったことがないところが多い。 つまり、今現在マイナーな地方でも優れた土壌がまだ眠っているよいってよい。 まだ、まだ、とんでもないワインが誕生する可能性がフランス中に存在している。 そう、まだ宝探しの時代が続いている。 Pont de Pierre ガロンヌ河にかかるピエール橋、1810年から1822年にナポレオンが命じて造った橋。 全長487m, 4000人を投じて造った。 敵が海からジロンド河を通じてフランスの奥地まで侵入できる可能性をこの橋を造ることで阻止した。 サンピエール教会の塔、紫の門は、ボルドーなのに、ブルゴーニュ門 Porte de Bourgogne とよばれている。   

23
Oct

Poupilleプピーユの凄いところ:                          長期の熟成後、飲み頃になって出荷する!! -no4

やっぱりボルドーというか、歴史とゆとりがある。 フィリップ自身も飲み頃でないワインを飲むのが好きではない。 熟成を長くとって、飲み頃にさしかかったところで出荷する。 だからボルドーワインでよく言われる、あと3年ぐらい待つと飲めるワインになるね、というのがプピーユではない。 出荷と同時に飲み頃にさしかかっている。 例えば、Poupilleでもっとも普通のCuvéeであるCh.Poupilleでは今販売しているのが2014年。 もうじき、2015年が出荷されるところである。 ★Chateau Poupille 2015 2015年はいかにもボルドーらしい気候だった。 太陽が強すぎこともなく、少なすぎることもなかった。 病気も少なく実に健全に熟した葡萄が多かった年。 色付き後の晴天が続き、暑過ぎない太陽でゆっくり熟したために、タンニンの質が細やかで上品に仕上がっている。 収量は45hl 葡萄の平均樹齢は20歳 殆どはメルロー品種、僅かに数%カベルネ・フランがあり。 色合いは深いルビー色で濃い目の色、外観を見ただけでもゆったり感がある。 香りは、まさによく熟したカシス。香りの中に涼しさも感じる。 色合いから想像した濃縮感はそのままゆったりした舌ざわり、タンニンが優しくて解け初めている感じ。 濃縮感の中にも爽やかな酸もキッチリとあり、タレルことがない。 飲み頃を迎えた典型的な良質ボルドーワインのスタイル。 素晴らしいバランス感覚、ウーン、美味しい!やっぱりボルドーだ。 その他に、    ★Château Poupille Côtes de Castillon ★Poupille Castillon ★Poupille Atypique(SO2無添加) がある。 (ラベル上の年代は現販売のものではない、参考のみ)

23
Oct

よきパパとしてのフィリップ・カリーユの一面に感心 -no3

今日は、フィリップと息子のピエールと食事した。 ピエールももう13歳になる。 子供ってチョット見てないと直ぐ大きくなっている。 ピエールの成長に驚いた。 よき後継者に育ってほしいい。 フィリップ親子は生肉のステーキ・タルタル、私はやっぱりPoupille 2008をステーキと合わせたかったので、entrecôte 脂ののったリブステーキを注文。 Poupille 2008は抜栓してから少しでドンドン風味が広がっていた。 正にカシスの風味、ゆったりした芳醇な果実味に、メルロー品種独特の肉々しさがでてきて、このentrecôteリブステーキにピッタリの相性だった。 フィリップのお父さんらしい態度にも感心。 私があまり見たことがないお父さんとしてのフィリップがいた。 偶然に隣の席にいたワインインポーターアメリカ人と話し、キッチリPoupilleを売り込んでいた。 即、息子に、『英語を確りと勉強しておくように』と諭していた。   

23
Oct

POUPILLE プピーユのPhilippe Carrilleの進化 -no2

(ボルドー、カスティヨン) ワイン造りを始めて33年の歳月が過ぎた。 18歳ではじめて、あのヤンチャなフィリップも51歳になった。 私が初めてフィリップに会ったのは、1992年だった。 まだ、自然派だとか、ビオだとかの言葉さえあまり聞かなかった時代の話し。 フィリップがまだ25歳、7年目頃だった。美味しいワインを造る為に、全身全霊をかけてガムシャラに 動き周っていた。 美味しくするために、何が必要か、血眼になって吸収していた時代だった。 7年目にして、既にベルギーで強烈な評価をもらっており、当時、ポスト・グランクリュ・ワインの一つ として濃厚なワイン愛好家の世界ではシンデレラ・ワインのような存在だった。 当時のボルドーワインの熱狂的なワイン愛好家の国はベルギーだった。 ベルギーのブラインド・テースティングで凄い評価をされていたのである。 2008年に正式にビオ協会に登録。それまでも殆どビオ栽培をやっていた。 それ以来、地球環境の保護栽培に熱烈な活動をしている。 例えば、Côte de Castillonカスティヨンの農家はすべてビオにすべきだ、という積極的な運動 をしている。 今では、25%がビオ栽培に転向している。   3年連続で天からメッセージをもらっているフィリップ 16年、17年、18年と3年連続の天候不良で極端に収穫量が少ない。 33年間の歴史の中で、フィリップにとって初めての試練の年が続きている。 自然状況の中で穫量が少なかっただけに、品質は素晴らしい状態になっているのが救われる。 でも3年連続という自分の力ではどうにもならないことが、目の前に壁としてやって来ている。 この試練をどう乗り越えていくか、フィリップの人間として成長・進化の絶好のチャンスの時を 迎えている。

23
Oct

やっぱりボルドー!右岸のメルローが熟して溶けだした          柔らかな美味しさ!! -no1

いいな! このバランス。ボルドーが何世紀にも渡って世界中から愛されている事実。 粘土と石灰石の微妙な混じり具合とロッシュ・メールと呼ばれる元海底だった時代の地下にある 岩盤まで土壌の深さによって違うスタイルのワインになる。 ここカスティヨンの土壌はサンテミリオンから続く土壌構成になっている。 特にカスティヨンの高台はサンテミリオンの銘醸を醸す土壌構成に似ている。 Poupilleプピーユのあるテロワールはサンテミリオンの高台から続くいていて同質のもの。 メルロー品種が最もバランスよく熟すミクロクリマを備えている。 やっぱり、ボルドー! ボルドーを満喫!!

23
Oct

今日は久々に我が故郷Bordeauxボルドーへ

ボルドーは私の第二の故郷。 24才から30才まで6年間滞在した街。 ボルドーに電車が近づくと、旧ボルドーの街並みサン・ミッシェル教会の塔がガロンヌ河に 浮かんで見える。 30才の時、6年間過ごしたボルドーを去る時、列車の窓から振り返ると、この景色が見えた。 胸がギューとさみしくなったのを覚えている。 『ひょっとしたら、2度と戻らないかもしれない。』 あのサン・ミッシェルの教会の塔が見えなくなるまで追っていた自分を思い出す。 こんな風に、時々ボルドーを訪れることになるなんて、あの時は想像すらしなかった。 あの塔を見る度に、あの時のエモーションがよみがえってくる。 武道を教えながら葡萄を学んだ6年間のボルドーは、私にとっては故郷なんだ。 皆さん、エッと思うかもしれませんが、私の基本はボルドーなんです。 私の心の奥底にはボルドーが流れている。 “やっぱりボルドー”という時代がまたやって来るでしょう。 時代は進化してまわってきまきます。