1976年に渡仏して、34年間のフランスとの付き合い。ワインの仕事について28年の歳月が過ぎました。特に1998年にワイン商として現地法人をパリ設立して以来、12年間フランス中の葡萄園を飛び周るのが私の仕事です。この1990年からの20年間の変化はすさまじく大きかったと思います。過去から現在、そして未来へとワイン業界の流れを総括する時期に来ているのではと感じています。 フランスでは、10月11日に自然派ワインの父と云われたマルセル・ラピエールの死という大きな出来事がありました。師は醸造元として、一人間として、地球人として自然派ワインの尊さ、ワインのあるべき姿を多くの若き醸造家達に示してきた偉大なる人物でした。人間的にも偉大なる人物でした。 そのマルセルの死を契機にもう一度、マルセルの遺志を引き継いで自然派ワインの重要性を皆さんと共に再確認すると共に、我々ワインに携わる人間として、胡麻化しのない本物ワインとしての“自然派ワイン”の重要性を認識し合いたいと思います。 現場のフランスの状況、不況に悩む日本のレストラン業界、小売業界の状況を考慮しながら、どのように色んな問題を解決することが出来るかを、皆さんと共に考えていきたいと思います。 自然派ワインが誤解されている 1) ビオワインと自然派ワイン(VIN NATURE) について 1-1)多くの人がビオ・ワイン=自然派ワインと思っている間違い。 1-2)ビオ・ワインはすべて美味しいか?残念ながら90%は美味しくない。     普通の栽培ワインとほぼ同じ比率で美味しくない。 ビオ栽培はスポ-ツをやる為の基礎体力・筋肉を鍛えること、筋肉を付けて外見だけはイチロ選手と同じになること。でもイチローのような野球の技はできない。ビオ栽培は、スポーツをやる為の基礎体力を作ることに似ている。つまり美味しいワインを造る為の土台ができましたよ、というに過ぎない。 2) 美味しいワインを造る為の3つのポイント 2-1)収穫量を押さえること 2-2)発酵槽に入れる葡萄が健全なこと 2-3)収穫、醸造を慎重に細部まで気を配ること     清潔度、温度管理、ポンプなど荒々しいワイン器具を使用しない。(重力を使うワイン移動) その年の葡萄状態に合わせた醸造の選択 3) 自然派ワインについて 3-1)普通に自然なワインの第一号  フコー家のクロ・ルジャールのような 人びと、人間国宝級の人達 3-2)自然派ワイン(VIN NATURE)の発祥、マルセル・ラピールの登場、 どんな経緯で? ラピエール系自然派の3大特徴 1-土壌に微生物が生きていること 2-仕込み直後のSO2は無添加(酸化防止剤としての亜流酸) 3-自生酵母で発酵 *グラップ・アンティエール(除梗なし)のセミ・マセラッション・カ ル ボニック醸造 4)自然派ワインの伝播について   (フランスの自然派ワインの伝播の歴史から学ぶこと)   開発者  ジュル・ショーヴェ   実践者  マルセル・ラピエール   販売者  ジャン・ピエール・ロビノ 以後多くの若手が誕生して、各地方に伝播、組織が出来ていった。 醸造家からワイン商 ― 輸入者 ― 小売店 ― レストランから消費者まで繋がる重要性 5) 宇宙的規模の本物志向の時流 この宇宙の中で、人間だけが独立して存在している訳ではない。すべての事象が関わりあって繋がって、物や生き物が存在しているという事実。ワインは多くの事を教えてくれる。何故なら宇宙とも地球とも人間とも関わって一本ワインが成り立っているからです。 6) CLUB PASSION DU VINの2011年の具体的活動について  (販売者への全面的な援助運動の強化) 日本における多くのジャンピエ-ル・ロビノ的な販売者を強力に遠方援助を実施(チラシ作成など) フランス醸造元見学、  醸造家を日本に呼んでの交流(販売援助) などを強力に進めていく。 セミナーの核心の部分レポート記事を次ページより記載します。長い文になりますがお許しください。 BIOワインとVIN NATURE(自然派ワイン)について ビオワイン=自然派ワイン、これは大きな間違いで大きな誤解を招いてる元凶となっている。 今、日本でBIOワインとVIN NATURE(自然派ワイン)が同意語のように使われている。 どうも腑に落ちないところが多々あって困っている人達が多いと思う。 フランス醸造界ではまだ少数派ではあるがビオ栽培が着実に増えている。地球環境の面からみても、栽培者自身の健康にとっても好ましく当然の傾向だと思う。売る立場の人間や飲む立場の人間にとってビオワイン=自然派ワインなのか?という疑問が膨らんで、誤解が誤解を生んで自然派ワインとはこんなものなのか!?とこの2つを混同して判断している人が多くなってきた。何の世界も同じでその分野が広がってくれば、本物とニセもの、そこまでいかなくてもピンからキリまで色んなものが混在としてくる。一般の人から販売する人までも訳がわからなくなってきているのを感じる。 このあたりで、BIOワインと自然派ワインの流れを整理してみたい。 公的機関のBIO,BIODYNAMIEワインについては説明するまでもなく各機関が認めた栽培方法を採用すればビオワインになる。 ここまでは誰でも理解し納得している。しかし、自然派ワインというと公的機関もなくそれぞれの考え方しだいで、それぞれが自然派ワインの概念をもっている。 ビオ栽培は、美味しいワインが造れる準備完了にすぎない! 今、日本で起きている一番の誤解は、ビオワイン=自然派ワイン、と思っている人がほとんどだということである。 ビオワインは栽培を公的機関が認めた範囲の栽培方法を守れば、ある程度畑も健全になる。畑が健全になれば、それだけで美味しいワインが造れるか?といえば、NOである。 ビオ栽培は、スポーツで例えれば、何かスポーツをやる為の基礎体力を付けること、筋肉も鍛えてどんなスポーツにも耐えられる健全な体を造り上げることなのである。 基礎体力や筋肉さえ付ければ野球が上手いか?剣道は上手いか?ゴルフはプロ級になるか? 当然、答えはNOである。 いくら筋肉隆々でも、野球なら野球独特の動きを学ばなければ単なる素人だ。当然のことだ。 ビオ栽培も同じことだ、ワインを美味しく造る為の基礎体力はしっかりできた。どんなスポーツでも耐えうる筋肉を付けましたよ、という意味でしかない。 美味しいワインを造るには別の事を学ばなければならない。 だから、ビオのワインは自然派ですべて美味いワインだ、という訳にはいかない。 ビオワインでも恐ろしく不味いワインが沢山ある。 皆さんも大いに経験があると思うが、ビオワインで恐ろしく不味いワインを飲んだことがあると思う。ただ筋肉隆々で基礎体力がある人達のチームがプロ野球チームと試合をしたらコテンパンにやられるのは当たり前だ。 それで、あー自然派ワインってやっぱりこんなものだろう!と決めつけて批判してしまう人が多い。 本当に残念なことだと思う。 特に、最近、売らんが為にビオ栽培に転向して、『私はビオだ!ビオだ!』と叫んでいる醸造家が急増している。 そんなところのワインにひどいワインが多い。 ただ地球環境の面からみれば素晴らしいことだと思う。でも、ワインはやっぱり美味しく造って欲しい。 美味しいワインを造るための“三つ基本的な事 1-まず第一に生産量を減らす事(一本の木に対する葡萄数) 美味しいワイン造りには、本当に美味しい葡萄が必要だ。 ビオ栽培をやれば葡萄造りの基礎体力の土壌は立派にできている。土中の微生物も元気で土壌が生きているのだから、美味しい葡萄を造る条件が整っていると云える。しかし、それだけでは美味しい葡萄はできない。美味しい葡萄を造るには、まず、第一に生産量を減らすこと、一本の木から多くの葡萄を収穫してしまったのでは水っぽく内容のある美味しい葡萄はできない。如何にビオ栽培といえども残念ながらあり得ない。 これはビオか否か?以前の問題だ。 一本の木とその下の土壌の能力は限りがある。生産量を落とさないかぎり濃縮した美味しい葡萄はできない。 ビオ栽培家の多くは、ビオ栽培することで満足している。 意外とビオ栽培家は、この基本的なことをクリアしていない人が多いのが事実だ。 ビオ栽培は、あまりにも過酷な労働を必要としている。そこまで手間と考えが追いつかない人達が多い。 残念ながら美味しワインを造る為にビオをしている訳でもなく、ビオ栽培することそのものに価値感を置いている栽培家が多い。醸造用としての美味しい葡萄がなければ美味しいワインはできない。 ビオ栽培=美味しいワインではない理由の一つに生産量管理が出来ていない点がまず挙げられる。 ワイン醸造用の葡萄として美味しくないのであって、食用としては土壌の風味が反映されてそれなりに美味しい葡萄ではある。単なる農産物の果物として食べる場合とは訳が違う。 2)第二に醗酵槽に入れる葡萄を健全なものに選別すること、 収穫する葡萄がバランス良く熟しているか?この収穫の決断は美味しいワインを造る超重要ポイントである。熟し過ぎても酸が欠けて美味しくない。熟度が欠けると果実味やボリューム感の貧弱なワインになってしまう。収穫する葡萄の選別をキッチリやること。如何にビオ栽培でも、熟していない葡萄や、腐った葡萄、傷んだ葡萄を仕込んだのでは、美味しいワインができない。これも当たり前のことである。 これらの基本ができていなければ例えビオ栽培でも美味しいワインはできない。 3)第三番目に収穫方法や醸造方法の洗練が必要。 収穫・醸造作業を荒々しくやったり、不清潔な状態でやってしまっては雑菌の餌食になって酸化してしまったり、異様な風味が付いてしまって美味しいワインはできない。収穫時の葡萄の温度管理や醗酵時の温度など、また葡萄のカモシ(マセラッション)期間や、ワインを移動する時の気の配り方など収穫した葡萄の能力(カパシティー)に合わせた繊細な作業が必要になる。 基礎作業をマスタ-していないビオ栽培家が多い! (スポ-ツの基本運動のようなもの) 上記の基本的な3点は、筋肉を鍛えて色んなスポーツの運動に耐えうる基礎体力を造った後、野球をやる為の基本中の基本キャッチボールやバット素振りの動作を身につける基本運動のようなものだ。 逆を云えば、ビオ栽培でなくとも、この基本作業をマスターするだけでもある程度美味しいワインはできあがる。 残念ながら、上記3点すらクリアしていない醸造家が普通栽培でもビオ栽培でも関係なく実に多い。 当然美味しくないワインが世に氾濫している。 不味いビオワインが多く、自然派ワインも同類と誤解! しかし、ビオ栽培でない醸造家のワインだったら誰も文句は云わないし、相手にもしない。ただ、ビオワインを名乗っている場合は、ビオワインが何故こんな味なの?と期待を裏切られて落胆する人達や疑問に思う人達が今実に多い。また心ない人達に自然派ワインを攻撃する恰好のサンプルにされてしまったり、挙句の果てには自然派ワインの本物を造る醸造家のワインですら批判の対象にされてしまっていることが昨今起きていることだ。 普通栽培のワインでも、美味しいワインが存在する理由 ビオ栽培でない普通の栽培している醸造家でも、美味しいワインを造っている人達が多くいるのは、この上記の3点レベルの作業をマスタ-しているからだ。 最近、ブルゴーニュでは今まで除草剤や殺虫剤を撒いていた人達が、除草剤をやめたり、ビオ的な栽培に転換する人達が増えている。しかも上記の3つの作業をクリアしている醸造家がブルゴーニュでは多い。だからビオ栽培に転換した彼らのワインがグンを抜いて美味しくなっているのを最近よくみかけることがある。 そのはずだ。野球の技術は子供の頃から教わっていて、ただ体力がなかった少年が、基礎体力や筋肉が備わればプロ級までいかなくても甲子園球児のレベルまですぐになってしまう人達がいるのは理解できるだろう。 ここまでの段階で、今日本で起きている誤解、 ビオワイン=自然派ワイン、そして、それらは美味しいのか? の疑問と現状の誤解度がある程度鮮明になってきたのではないでしょうか? 栽培方法に関係なく不味いワインが存在する現実 ビオ・ワインだから=美味しいワインではないということ。 ビオ栽培ワインでも、普通に栽培されたワイン達と同じように、美味しいワインと美味しくないワインが存在する。これが現実である。逆にビオ・ワインだから不味い訳でもないのである。 ビオ栽培だからといってあまり期待しないでください! フランスでBIOワイン見本市に行くと、普通の見本市と同じくらい殆どのワインは語るに足りないものが多い。 決して美味しいワインとは云えないワインが殆どである。 残念ながらこれが事実だ。 体格が良く筋肉質の人をみて、その人にプロ野球のイチロー選手の技を期待するようなものだ。 全く別の作業の熟練が必要なのである。だから、ビオ見本市にいくとガッカリ落胆する人達が多い。 自然派ワインの原点!自然派第一号の人達について さて、本題のビオワインと自然派ワインの話に入っていきたい。 ビオワインは先ほども説明したように、公的機関が認めた栽培方法をとっていればビオワインの名称はもらえる。 自然派ワインには公的機関がない。 でもフランスには昔から先祖代々ずっとビオ的栽培を実行してきた醸造家が各地に多数存在している。 何故ここでビオ的栽培と云ったかといえば、彼らはビオ公的機関ができる前からずっと、ビオ的栽培をやってきていて、自分達にとっては普通の栽培なのである。あえて、今お金を払って公的機関に加入してビオを認めてもらう必要がないだけなのである。 先祖代々ずっと何百年に渡って自然栽培、自然醸造 例えば、ソミュール・シャンピニーのクロ・ルジャールのフコー一家のような醸造家ファミリーが各地に存在している。 彼らは別にビオ公的機関に登録するまでもなく当たり前にビオ的栽培を代々続けてきたファミリーだ。 60年代、70年代の除草剤、殺虫剤、化学肥料がフランス全土に広まった時期でも目もくれずモクモクと自然栽培を実行してきたのである。 彼らは美味しいワインを造るには美味しい葡萄を栽培しなければ出来ないことを良く理解している。その為には土壌が生きていなければならないことを最初から知っていた人達だ。世の流れに流されることなくかたくなに土壌の仕事を続けてきた人達だ。 その上、先ほど述べた美味しいワインを造る3点の基本作業を熟練していて、それ以上に繊細な気配りをもってワインを造ってきた人達だ。彼らが自然派ワインの第一号だ。というより自然派の原点の人達である。 普通に本物ワインを造ってきた別格の存在、幸いにもフランスには各地方に本物醸造家がいる! 彼らにとっては、自然派でもなんでもない。自分達が普通のワインであって、敢えてビオだとか、自然派なんて名乗る必要もない人達である。フランス全土にはこんな醸造家ファミリーが存在している。 だから、自然派の組織にも入らないし、勿論ビオ公的機関に登録する必要もないし、独立独歩の人達だ。 少数ではあるが存在しているのである。 彼らは先祖代々に渡って基礎体力や筋肉を鍛えてきたから筋金入りだ。その上、美味しいワインを造るノウハウも先祖代々に渡って熟練を積み蓄積してきたから半端ではない。 時々イチロー級の技を見せてくれる。 クロ・ルジャール醸造所には20年前より時々訪問しているが、昔からボルドーのグランクリュのオノログなどがよく見学勉強に来ている。今でもロワールではクロ・ルジャールは全くの別格的存在として尊敬されている。彼らが自然派第一号である。いや自然派とは呼べない本物ワインと云った方が妥当かもしれない。 後で話に出てくる、醸造段階での化学物質や人工酵母なども使用することなく、勿論、濃縮機械で果汁を濃縮させることなど言語道断で、SO2も当然最小限の添加で、全くの自然な造りである。 だから、今風に云えば自然派ワインに属する。彼らは自然派ワインと呼ばれることを良しとしていない。 自分達のワインが普通だと思っている。 LES GENS DE METIERS レ・ジャン・ド・メチィエという組織に入っている醸造家にこのタイプが多い。 Vin natureヴァン・ナチュールという自然派の台頭 そして、今、一般的に自然派ワインと云えば、ジュル・ショーヴェ博士の系列からでたマルセル・ラピエールの存在が象徴的である。アソシアッション・ヴァン・ナチュールとういう組織を造っている。そこから、カトリーヌ・ブルトンやワインジャーナリストのシルビー・オジュロなどが旗を振って最大の自然派ワイン組織となったディーヴ・ブテイユがある。 それとはまったく別発想で出来た、ビオ・ディナミの醸造家、ニコラ・ジョリーなどが主体となって造り上げたルネッサンス・デ・アペラッション組織がある。 醸造家の中にはこの二つの組織に重なり合って参加している人達もいる。二つ目のルネサンス・デ・アペラッション組織はどちらかと云えば、グループで各国に行って売るための宣伝組織と云った方が妥当かもしれない。 これらのグループが何故発生したか?その理由には歴史的に共通した点がある。その共通点を説明することで自然派ワインの概念を浮き彫りにできる。 何故?自然派が出現したか? 除草剤の使用開始 60年台より、除草剤の使用が始まって、70年台では化学肥料、殺虫剤など諸々の化学物質がフランス中の畑に撒かれた。土壌はそれらの化学物資を消化できず疲労している。土壌中のミミズや微生物も死にたえてしまっている。葡萄木はそんな土壌でも天の恵みを受けて葡萄を造り続けている。しかし土壌や葡萄木は化学物質に汚染されて、今までのような糖と果実味、酸のバランスをもった健全な葡萄を収穫できなくなってきてしまった。 土壌の微生物が死に絶えて、土壌活力が無くなった。 もっと、決定的なのは葡萄園に住む微生物の一つでもある自生酵母が存在しなくなってしまったことだ。 例え生き残っていても、除草剤や殺虫剤で弱りきっていて、収穫した葡萄を醗酵槽に入れても醗酵が思うように進まないという状況になってしまった。 工業的な画一的なワイン造りと化してしまった。 80年台に入って醸造学の発達によって、上記のマイナス部分を補うような対応策が色々開発された。 酵母は人工酵母が開発されて、香り付け酵母まで誕生した。また、果汁を濃縮する機械まで開発された。 酸がなければ酸を足し、糖度が足りなければ糖を足し、まるでコーラーを造るようにワインを造れるようになった。 そんな、工業製品のようなワインが氾濫した80年台の後半ごろから、こんな状況を良しとしない醸造家たちが出現してきた。 ジュル・ショーヴェとマルセル・ラピエールの遭遇 丁度、その頃マルセル・ラピエールがジュル・ショーヴェ博士と知りあった。ジュル・ショーヴェはパストゥール研究所のブラション博士(ノーヴェル賞受賞者)と微生物の共同研究をやっていた人物だ。 ジュル・ショーヴェの実家はボジョレのワイン商、ワイン造りにも携わっていた。微生物の科学者でもあった彼は、今の化学物質漬けになったワインをもっと自然に造れないものか?と研究をしていたのである。 そんな時期に、若きマルセル・ラピエールがジュル・ショーヴェに巡り合った。 マルセル・ラピールはお父さんから葡萄園を引き継いで、醸造学校で習ったとうりに除草剤を撒いて、肥料も使って、当時の最先端農業技術を駆使してやり始めたけど、どうも畑の状態も良くないし、ワインも思うように美味しくならないので悩んでいた時期だった。 ジュル・ショヴェの話を聞いて、自分の疑問が解けた。ジュル・ショヴェは微生物の科学者だ。 微生物、自生酵母を生かすための自然栽培の重要性 ジュル・ショヴェは微生物の科学者だ。 ワインを造る自生酵母の重要さを良く知っていた。ワインのその土地独特の微妙な風味を出すのはその土地に住む自生酵母であると説いた。その自生酵母を生かす為には、その土壌の微生物を活発にさせなければならない。だから、除草剤や殺虫剤など化学物質を畑に撒くことは、ワイン造りに最も重要な自生酵母を殺してしまうことである、と説いた。 こんな話を聞いたマルセルは開眼した。醸造学校で習った最先端農業技術を放棄した。除草剤を辞めて再び畑を耕し始めた。よく考えてみると、自分のお父さんがやっていた方法に戻しただけだったのだ。 自生酵母を生かすためのSO2(亜硫酸)の無添加 ジュル・ショーヴェは単なる学者ではなかった。自分でワイン造りも実践していた。自然な自生酵母で造るには何が必要か? を研究してた。 当時、醸造学校では、収穫した葡萄を醗酵槽に入れた直後にS02(亜硫酸)を大量に入れることを薦めていた。雑菌を殺すことと、弱った自生酵母を殺してニュートラルにする為だった。 そしてその上にバナナ香の“香付け人工酵母”を入れて醗酵させていたのである。 当時、ボジョレの醸造家は毎年、発酵中にワインが酸敗してお酢になってしまたり、揮発酸が繁殖してしまってタンクごと捨てなければならない事態がよくあったからだ。SO2大量混入はそれを防ぐ為の安全対策だったのである。 しかし、微生物学者のジュル・ショーヴェの解決策は違っていた。 ジュル・ショーヴェは自然な方法でワインを造る方法を開発 まず、自然な栽培によって健全で力強い葡萄を造ることに専念。そして腐ったり、弱った葡萄を選果することで排除すること。醗酵槽に入る葡萄を健全なものだけにすることにした。 そして、収穫した葡萄の温度を下げること。朝の涼しい時に収穫するか、もしくは収穫した葡萄を冷すことだった。それによって雑菌の繁殖を回避ししながら、SO2の添加避けて、自生酵母を生かす事が可能になった。しかし、それは栽培・醸造家に多大の労力と負担を要求する造りだったのである。 だから、そう簡単に広まらなかった。 マルセル・ラピエールが実践者として伝播に努めた その伝播に献身的に貢献したのが、マルセル・ラピエールだったのである。 村の醸造家の幼馴染や若手に説明して、この本物ワインの造りの重要性を説いて回ったのである。 SO2無添加のワインを自分で造って皆に試飲させた。そのワインに感動して自然な造りを始めたのが モルゴン村のジョウルジュ・デコンブやジャン・フォワラールなどである。 パリで自然派ワインを伝播させたランジュヴァンのジャンピーエール・ロビノの存在は大である。 そして、そんな彼のワインを世に広める役割を演じたのが、パリでワインビストロ“ランジュ・ヴァン”をやっていたジャンピエール・ロビノだった。ロビノのビストロには、文化人、芸術家、企業家、ジャーナリストなど多くの著名人が出入りしていた。彼らはグランクリュも含めて有名ワインを飲みつくしたワイン愛好家だった。彼らは自然派ワインを飲んでその自然な風味に驚いた。パリを中心に自然派ワインのファンが増えていった。そしてランジュヴァンでロビノの話を聞いて、マルセル・ラピエールのワインを飲んだ若き醸造家達が次々と自然派ワインの世界に入って来たのであった。 開発者のジュル・ショーヴェ、造り手のマルセル・ラピエール、売り手のジェンピエール・ロビノ、この3者の核が揃って現在のVIN NATURE(自然派ワイン)が誕生、そして伝播して現在に至っているのである。 マルセル・ラピエール系自然派の三大特徴 これらの典型的な自然派の最低条件や特徴をまとめたい。 1-土壌に微生物が生きていること。(正式なビオ公的機関に登録している否か、は問題でない。) 2-収穫直後のSO2添加をしない。(もしくは極小) 3-自生酵母で発酵する。 4– 傾向としてグラップ・アンティエール(房ごと醸造) 除梗をしない醸造。 しかし、このグラップ・アンティエール(除梗なし)は地方によって異なるので重要ではない。 後にマルセル・ラピエールはASSOCIATION VIN NATUREアソシアション・ヴァン・ナチュールという組織を創設した。この中にピエール・オヴェルノワとかプリウーレ・ロック、フィリップ・パカレなどピエール・カトリーヌ・ブルトン、プゼラなどが中心的存在となっている。 自然派は、ドーピングなしのワイン造りと云える。 もう一度、整理すると、除草剤、殺虫剤などの使用し過ぎによる土壌の空洞化、葡萄の品質の低下をカバーする醸造テクニックによるワイン造り、そんな化学物質や過度なテクニックできた画一的なワインからの脱却をめざした。本来の土壌の風味を備えたワインへの回帰を目指した。微生物科学の実験実証された自然的手法で昔風のワインの味わいに戻したのが自然派ワインの歴史的な出現の流れだったのである。 野球を例にとると、基礎体力や筋肉を鍛えるのに、筋肉造りのドーピング的薬物を使用し過ぎていた現状を辞めることから始まった。ビオ的栽培(公的機関に属す否かは問題でない)することは、正統な運動で筋肉と体を鍛えることだったのである。そして、基礎体力を付けた後も、ドーピング的薬物を飲みながら野球を続けて胡麻化して野球をやっていた事実。果汁を濃縮したり、人工酵母を使用したりして表面を取り繕っていた。それも辞めて、純粋な筋肉や体力のみで野球の技を鍛えて試合で披露しだしたのが、マルセル・ラピエールの提唱する活動だったのだ。つまり、栽培上のドーピング的なもの、醸造上のドーピング的なもの両方を辞めて、美味しいワイン造りの技を磨いてきたのが、自然派ワインの歴史的流れだったのである。 すべての自然派ワインが美味しいか? しかし、すべての自然派ワインの醸造家のワインが美味しいとは限らない。プロ野球選手が皆、イチローのようにはできないのと同じように、“技”の洗練度にはかなり差があるのは、何の世界も同じことである。 一つの自然派ワインを飲んで、すべての自然派ワインを批判するワイン評論家が世には存在する。 世の中の人間社会の仕組みを知らない浅はかな人間のやることだ。ワインの勉強より人間としての社会勉強をもう一度やるべきだろう。 普通栽培でも美味しいワインが出来る。 除草剤や殺虫剤を使った畑でも最新醸造テクニックを使えば美味しいワインが出来る。 だから、美味しいワインを飲みたいだけなら、別に自然派ワインにこだわる必要はない。ドーピング使用の少ない造り手 で、そこそこ美味しいものを選べばよい。 逆に現在のところ世界中のワイン造りを自然派にするのは不可能だ。 大量に製造しなければならない立場にある企業では不可能である。また、株式会社化したボルドーやシャンパーニュの企業化した有名ブランド蔵などでは失敗は許されない。自然派のような危険が多い栽培や醸造は不可能なことは理解できる。 ワインはそれぞれの造りがあって、それぞれの客層をもって成り立っている。 それぞれのワインには、それぞれの存在理由が存在する。 私は自然派ワインだけがワインだとは思っていない。 それぞれ存在理由があって存在している。 私はすべてのワインを尊重している。何故なら、太陽の光は均等に分配されている。どの土壌にもミネラルが存在している。天と地は平等にエネルギーを与えている。 ただ、平等なエネルギーを、栽培・醸造する人間がどういう方法で受け入れて、どういう方法で一本のワインの中に移入したか、の違いだけだ。 グローヴァル化と細分化の両極化 今の世相を反映しているように、一方ではグローバル化した味わいにますますなっていき、もう一方ではますます細分化、つまりその土地でしかでない風味、旨味を備えたワインになっている。 これは飲む方の選択の問題だ。 私は後者の自然派ワインが好きだ。 造る人間の感情まで伝わってくるようなワイン 太陽と土壌のエネルギーをピュアーに受け入れて、手造りでしかできないピュアーな味わいがそこにはある。まるで造り手の感情までが伝わってくるようなワインが存在する。 そんな希少性が好きでたまらない。今の地球環境などを考えると栽培だけは、極力自然な方向でやってもらいたいと願っている。 飲む人間に勇気と暖かい感情をもたらすワインが大好きだ。 たかがワイン、 されどワイン。 伊藤與志男  PARIS