蔵元名:Gerard SCHEULLER et Fils
産地:アルザス地方
品種:ピノ・ブラン、リースリング、ピノ・グリ、トケイ・ピノ・グリ、ゲブルツトラミネール、ピノ・ノワール

 コルマール市周辺には美しい街が点在していて、春から夏にかけて多くの観光客で賑わいを見せる。歴史的にドイツとの領土争いの渦中にあったこともあり、木材を部分的に使用した建築様式も色の使い方も生粋のフランス製ではなく、何処と無くロマンチックなメルヘンを感じさせてくれる。Husseren-les-Chateaux はコルマール市からほんの少し南にある村であるが、そんな観光地とは違いワイン畑に囲まれた小さな農村である。ブルーノはワイン蔵元を経営する父ジェラールの一人息子としてこの村に生まれ育ったが、少年時代のブルーノの頭の中はサッカーのことで一杯だった。ぶどうやワインは最も身近な物ではあったが、大した興味は持っていなかった。それは、ぶどう栽培への異常とも言える父親の拘りに戸惑いを感じていたからであった。ジェラールは朝早くから日が暮れるまで、一日中畑で作業をするのが日課であった。周囲の畑ではそんな者は誰一人居なかった。1970年代に入りフランスは農業の近代化を迎え、作業が高効率化され生産量の確保が約束されるようになったからだ。昔ながらのやり方を続けるのはジェラールだけだった。ブルーノは父親を尊敬していたが、明らかにジェラールより努力が少ない近所の蔵元たちが順調に企業として成長しているのに、我が家はそれ程でもないことに歯痒い空周りを感じていた。

 ブルーノは勉強が苦手であった。幼い頃からサッカーや昆虫採集など、やり始めたら時間の経つのも忘れるほど没頭してしまう集中力があった割に、学校へ行くと何故か集中出来ないのだった。どうもブルーノは教科書で勉強するタイプの学者肌ではなく、自分で課題を見つけて研究する独創派のようだった。高校進学を考える際、ブルーノは漠然と農業学校進学を決断している。それは、一つの蔵元オーナーの一人息子として当然将来跡継ぎになるという程度の気持ちであった。しかし漠然と選択した農業学校が、ブルーノの人生を大きく飛躍させることになるのである。農業学校で学んだことの多くは、効率化と安定した量産を確保するための近代農業であった。それは、まさに父ジェラールが背中を向けてきたことであった。ブルーノはしかし、それに対して愛情も憎しみもなかった。ただ、事実として教科書と父親は全く別なものであった。ブルーノを考えこませたのは、どうして父親はそこまでして昔ながらの造り方に拘るのかということであった。少年時代、日が暮れてボールが見えなくなる寸前までサッカーをした後の帰り路、自宅へ急ぐブルーノは近所の蔵元たちが立ち話で父親の噂をしているのを聞いたことがあった。
「それにしても、あれだけ拘ったところで儲からなければ何にもならないじゃないか。」
「しかし、あの男が栽培するぶどうは確かに違う。俺の畑なんか同じ区画で奴の隣だというのにさ、収穫するぶどうの艶まで違うんだぜ。あっちは完全に熟してやがるんだ。」
「まあ、いいさ。俺たちは金儲けのために事業としてやってるんだ。近代農業になって以来、農作業はうんと楽になったし、収穫量もある程度見込めるようになった。ぶどうの出来、不出来で味も左右されにくくなった。まさに文明の力ってやつだよ。それに乗らない奴さんが変人なのさ。」
ブルーノは農業学校卒業の年の春休み、子供の頃偶然聞いたその話をふと鮮明に思い出した。そして普段は道から見るだけであった父親の畑を見に行った。思えば、父親の職場である畑へはそんなに足を踏み入れたことがなかった。そこは父親の聖域であったし、ブルーノを強要して連れ出したこともなかった。ただ、毎年収穫の時期にぶどうを担いでトラックまで往復する位であった。かくしてブルーノは父親の畑の前に立ち、愕然とした。目の前に広がる雄大なぶどう畑。その中には沢山の蔵元が所有する畑が混在し、一見は見渡す限り一枚のぶどう畑のように見える。しかし実は何十何百という所有者によって細分されていて、それぞれの境界線にはワイヤーや杭で印がつけられているのである。ジェラールの畑、そこは明らかに周囲のそれとは違っていた。いや、素人なら違いに気がつかないかもしれない。自分は農業学校で一通りぶどうの栽培からワイン醸造までを学習したから分かるのだろう。ブルーノはそう思った。しかしそれにしても・・。彼は勿論父親を尊敬していたが、それは父親としてであった。しかし男として、仕事人として父親がここまで凄いとはその時まで気がつかなかった。先ず剪定の短さが目に付いた。周りの畑では、一房でも多く収穫しようとして、剪定は出来るだけ長く残しているのに対し、ジェラールの畑では一本の枝に多くても二つしか芽が残っていなかった。これだけで収穫量は周辺の畑の三分の一から四分の一になってしまう。次は土壌である。綺麗に雑草が抜かれているその土壌は、まさにジェラールが毎日朝から晩までかけて手入れしたものである。隣の畑を見てみれば、除草剤を撒いて少し経った頃なのだろう、雑草が農薬によって枯れ果てて一面がきつね色に蔽われていた。雑草は死ぬが、ぶどうの木は死なない程度の農薬というわけだが、そんな土壌で栽培されたぶどうがテロワールを健全に再現するはずがないと確信した。さらに細かい所を見れば、根っ子の太さが周囲に比べて太い。樹齢だけではない、生命力の違いが感じ取れた。専門家であれば、一目瞭然で地中に伸びる根っ子の長さが格段に違うことが分かる。ブルーノは、身体に電流が流れるような感覚を覚えた。それは、父親への尊敬の念や周囲への軽蔑から来るのではなかった。正誤の問題ではなく、純粋に「最高の素材」を使って「至福のワイン」を自分が仕立ててやろうという野心に駆られたのだった。ふと見ると、ジェラールが畑の真ん中付近からこちらを不思議そうに見つめていた。畑の中にしゃがみ込んで作業していたようで、ブルーノも気付かなかったのである。

 その年の夏、農業学校を卒業したブルーノの挑戦が始まった。先ず最高級品質のぶどうが何故今まで特別なワインならなかったのかを研究することにした。そしてそれは存外容易に解明出来た。ジェラールのワイン醸造は、工夫というものが一切無かったのだ。それは喩えて言うなら、最高の素材で料理を作る際、そのままの姿で焼くか煮るだけのようなものであった。切り方を工夫したり、香草や調味料を凝ってみたり、燻製にしてみたりといった工夫がなかった。ブルーノの試行錯誤の日々は続いた。兎に角独創的なワイン造りを心がけた。例えばリースリングを亜硫酸無しで五年間熟成させたり、品種毎にノン・フィルターの実験をしたり、普通ならやらないことを試みた。当然失敗したワインは売り物にならない。陶器職人のように、納得の行かない作品は次々に捨てられた。何とか納得出来るワインが出来始めたのは、彼が醸造を手伝い始めて約10年が経過した1990年頃であった。手前味噌ではない、明らかに周囲の蔵元とは段違いのワインであった。やっと光明が射してきたシュラー家だったが、そこで大きな壁が立ちはだかったのであった。AOC協会である。AOCとしての認定を受けるため、全ての蔵元は毎年試飲検査に認められなければならない。その頃のシュラーのワインは何処よりも素材が優れている上に、その素材を何倍にも増幅させた膨らみが味にあった。AOCの意味は、地域色(テロワール)を忠実に表現することであるから、シュラーこそアルザスAOCの横綱といえるはずなのに、いくつかの品種で格下げされてしまうという屈辱を味わわされたのだった。明らかに卓越したワインを造っているのに、何故そんなことになってしまうのか。自暴自棄になりかけたブルーノを救ったのは、古くから付き合いのあるネゴシアン(ワイン買付業者)たちであった。通常格下げされたワインはその価格も著しく下がってしまう。しかしシュラーのワインの価値を知るネゴシアンたちは、AOCの等級に左右されることなく安定した価格でワインを買ってくれたのだった。そしてそういった気概のあるネゴシアンたちは、確実に販路を伸ばしてくれた。そういったネゴシアンたちは、AOC協会が農業改革以降、随分と変わってしまったと常に嘆いた。つまり、昔のAOCがテロワールを忠実に表現することを査定の条件にしていたのに対し、技術による品質と味の安定、つまり人の手によって調整された味を査定の条件に変えてしまったのである。行政がそうなると、自然的に蔵元たちは市民権を得るための最短行程を歩むようになり、如何にしてAOC協会に気に入られるか、すんなりパスするかという邪心ばかりが先行するようになり、その土地独特の味わいというものが薄れ、AOC毎に金太郎飴のような同じような顔(味)をしたワインが増える結果になった。ブルーノは、父ジェラールの生き様を思い、何があっても世間の流れに屈することなくアルザスで一番のワインを造り続けようと意を決した。

 90年代の終わり頃になり、あるネゴシアンがシュラーのピノ・ノワール(LN012)の記事を地方雑誌に掲載したことがあった。「ロマネ・コンティより旨い」当時一本千円程度だったワインが、何十万円もするワインより旨いなんて、プロのネゴシアンが口にすること自体正気の沙汰ではなかった。それ以降、日本でも知る人ぞ知るワインになり、愛好家たちの間で取り囃されるようになった。昨今では瓶詰めと同時に完売してしまい、シュラー一家が飲む分さえ残らない始末である。喜びに浸るシュラー父子かと思いきや、意外にも彼らは落ち着いている。寧ろ、ブルーノは言う。「アルザスのテロワールは、リースリングやムスカ、ピノ・グリやゲブルツトラミネールなどの白ワインが主流。何故ピノ・ノワールだけが持て囃されるのか、理解出来ない。シュラーの一番の持ち味は白ワインなのに。」そんなブルーノがジェラールは誇らしくて堪らない。父子二人三脚の挑戦は、終わりが無い。算盤勘定の無い彼らの蔵元にだけ、アルザスの太陽が照っているような錯覚にさえ襲われる。