~~ デュボスト家のCHATEAU BOSSUET  AOC BORDEAUX SUP ~~

最近、私はこのシャトー・ボスエのボルドーワインとしての純な美味しさを再発見して驚いている。
私の好みも大きく変遷していることは事実だ。


長いことボルドーと離れていた気がする。今回の6月VINEXPO時にボルドー滞在中、ボルドーワインのメルロー、カベルネの美味しさに触れて再発見したような心境に至っている。私は1976年から1982年までの6年間ボルドーに滞在した。その間、DUBOST家でワイン造りの修行をした。

自分の原点であるボスエやPOMEROLのラ・フルール・ド・ロワの控え目なメルローの美味しさを再発見したことにある種の喜びを感じている。

自然派ワインガイドブック“GUIDE DE L’AMATEUR DES VINS NATURELS” にDUBOST家が紹介されている。
ボルドーの大逆襲もありかな、とも思っている。これにはいろんな意味がある。レポートしたい。
  土壌 × 風土 × 人     
————————————– = 美味しいワインの方程式は                            葡萄木                

~~ 1-葡萄木について ~~


天才醸造家フィリップ・パカレは自然派ワインの父と云われるジュル・ショーヴェ先生より上記の方程式を伝授された。ワイン造りでやはり基礎となるのは、何といっても“葡萄木”のDNAなのである。
原点である素性の乱れている葡萄木ではいくら栽培努力してもなかなかおいしい葡萄はとれない。つまり美味しいワインは造れない。

DUBOST家の父、イーヴォンはCH-LA FLEUR DU ROYと同時に1949より1989年まで葡萄の苗木栽培屋をやっていた。そのお陰でボルドー品種の各品種の原木を所有していたのである。

当時、イーヴォンがよく言っていたのを覚えている。『俺の葡萄園の木は葡萄収穫が終わっても、まだ売れるんだ。』 つまりメルロー品種やカベルネ品種の原木の枝を買いにくるのである。40年間に苗木を売った先は、ムートン・ロッチルド、ラフィット・ロッチルド、ペトリュス、オゾンなど超特級をはじめラスコンブ、ジスクール、コンセイヤント、など数数えきれないほどのボルドー醸造元の苗木がここから提供されているのである。


人間も同じで努力だけでは、補えないセンス、才能のようなものが存在する。ただ人間の場合は、才のある人ほど“驕り”に陥りやすい。せっかくのセンスを潰してしまっている例が多々ある。私のような才のない人間でも努力とパッションでカバーできるのが人生の面白いところ。葡萄木に驕りはない。それだけに、葡萄素性の大切さは図り知れないものがある。

CH-ボスエの葡萄木は第一級のDNAを持っているのである。
それが今は樹齢が30歳を超えて、これからが最も繊細なワインを造ってくれる時期に突入するのである。これがクローンの葡萄木だったら、その上、無理やり化学肥料で成長させられて30年も経つと疲れてすでに限界、人間で云えば心筋梗塞直前の状態、つまり植え変えの時期に突入する。

ボスエの葡萄木はこれからが、練れた味を出してくれる。子供の時代からやっと大人の味を醸してくれる。益々洗練されてくる。これが素性なのだ。

~~ 2-土壌について ~~


何故イーヴォンがこのボスエの土地を選択したか?
ここを買い取ったのは1973年から少しづつ買い足していった。今は10ヘクタールになる。
当時、イーヴォンはポムロルの村長として活躍していた。精力全開の時期である。頭からは蒸気機関車のような熱気が出ていた時期である。
AOCボルドーのワインを造りたかった。村の文献を調べていたところ格好の土地があったのである。
ポムロールとモンターニュ ・サンテミリオンとラランド・ポムロルの境界線に位置している畑である。


20年間も休んでいた土地

当時は放地されていた雑草地帯だった。それには理由があった。
1956年にボルドーが大寒波に襲われ多くの葡萄園が壊滅的被害に遭った年である。ここの土地はその年に全滅して、それ以来約20年間も休んでいた畑だった。

その間、除草剤も化学物質も入ることもなく、雑草と共に多くの昆虫や微生物が住んで自然循環されて土壌が発酵して生きていたのである。

小石層が地下5メートルまで続いている⇒ 

 
イーヴォンは即、畑を見に行った。土壌構成の複雑・多様性に驚いた。ポムロールのクラス・フェールと呼ばれる鉄分の含んだ部分もポムロル境界線近くに存在していた。一部はサンテ・ミリオンのグラーヴと云われる石英石や火打石の小石がびっしりと詰まった土壌もあり、その多様性に驚き、この土地の潜在能力の偉大さに驚いた。

← 偉大な潜在能力を備えた土壌構成 


自然な湧水の存在

しかも、湧水の源泉があることも分かった。葡萄地の地下水の流れは実に大切だ。土地のエネルギーに大きく影響を与えるからである。ブルゴーニュのクロと云われる壁は、この地下水の流れに沿って、当時のキリスト教修道院の坊さんが造ったものである。それが今のクロ・ヴージョなど、クロと呼ばれている畑である。
イーヴォンは地下水の水脈の重要さを知っていた。

この畑はほぼ10ヘクタールも一か所の一区画にまとまっていた。これも畑仕事を考えると大切なことだった。他の所有者の畑と隣接していないことは大きなメリットになる。隣が化学剤を多量使用すれば影響されるからである。ここではその心配はない。

ブルゴーニュ風に表現すればボスエ区画のモノポールである。

イーヴォンは既に決意していた。村役場に戻って土地台帳を調べた。
何と20人もの所有者に分割されていたのである。翌日から一軒一軒の所有者を回っての説得を開始した。約2年間の時間を要した。最初は5ヘクタールから始めた。最初の植え付けが1975年だった。

私は1976年に渡仏して、2年目の植え付けから手伝ったことになる。                          

~~ 3-風土について ~~

風土とは、その土地の湿気だとか、温度だとか、降雨量や風の当たり具合だったり、毎年の天候によって変化するものと、大きく見れば大西洋気候の比較的温暖な気候という大くくりや、標高とか傾斜度とかの影響からくる不動的な変化しないものがある。この風土だけを個別に語ることはナンセンスだ。
葡萄木、土壌、人との関連のなかで語られるべきものである。
例えば、湿気のある年はそこに生息する昆虫の種類や微生物の種類も変わる。当然、自然酵母の種類構成も変わってくる。葡萄木も、土壌も、人も全体が生き物のように関連しあって、一つの年代ができあがっている。乾燥した年と湿気が多い年とは栽培の仕方を変えなければならない。それを判断、実行するのは人間だ。

その人間が何を考えているか、一つの事象から何を連想できるかのセンスも大切なことである。熟練者と新人とでは対応の仕方が全く違ってくる。ワイン・葡萄造りは一年に一度しか経験できない。30年やってもたった30回しか経験できないことなのである。しかも風土は毎年変化しているのである。
だから、ワイン造りは伝統とか家族の歴史が大変重要になってくる。
イーヴォンおやじの苗木栽培者としての40年の歴史はそのまま、この醸造元の財産であり、それを継承するローランの大きな財産でもある。何故なら、苗木は最も繊細で壊れやすい。それを育てるには何倍もの注意力と観察力と想像力がないと成功しないからである。

~~ 4-人について ~~                

最も重要な部分である。イーヴォンお父さんのことはすでに述べたのでここでは別のことを書きたい。その人の人間としての価値のようなものと、それがワインに与える影響の関係の深さに最近益々驚かされている。

例えばマーク・ペノが極低温でしか働かない酵母菌があるとイメージして、いや信じてニュイタージをすれば、誰も造れないマークのムスカデができあがる。醸造学者に話してマークの薄汚れた醸造元を一目みれば、薄ら笑って馬鹿にするだろう。でも現実に誰にも真似できない人を魅了するワインができてしまう。
こんな例は山ほどある。ワインは多くのものと関連し合ってひとつのワインができあがっている。
分析や分化現象をどんなに研究しても自然のほんの一部の側面しか理解されていないのが現実なのだろう。

ムスカデのマーク・ペノ氏

勿論、ここで誤解してもらっては困るのは、私は科学を否定や批判するつもりは全くないことである。
ただ物知り顔で自然派を批判したり、一つの欠点をとらえてそのワインのすべてを否定してしまうような醸造学者や専門家には徹底的反発したい。『君の知っているのはほんの一部の切り口だけだよ』と。
ワインは生き物であり、ワインを物質とみなして、その構成物質どんなに分化させて、どんなに分析しても、生き物としてのワインの本質全体を理解することはできない。


宇宙とも関係している、太陽、月、星、空気、ミネラル、動物、微生物、勿論、人ともすべてに関連された中で一つのワインができ上がっている。全体の中のバランス、調和、色んなもののシンフォニーがワインなのだ。特に人がワインに与える影響の大きさには最近驚いている。
人間としての人物の度合がワインの中に見ることができる。
勿論、性格は簡単にワインの中に表現されている。  

Ch-Vieille julienneの緻密な性格のドーマンさんは緻密なシャトー・ヌフ・ド・パップを造るし、元気なランガランは明るく元気なワインができあがる。実直で地に足の着いた性格のジャン・ダヴィドさんは芯のある実直なワインになっている。

Rhoneのジャンダヴィド氏↓


ビオ=自然派ではない
もう一つ、最近ビオ、ビオディナミがもてはやされているけど、すでに“驕り”が全面に出たり、物知り博士的存在になって、いい気になっている連中が増えている。自分の頭と心をビオにせよ!と云いたくなる連中が増えている。残念なことだ。私の云う自然派には属さない。どちらかというと利益第一の商業主義的ワインに最も近い存在と判断してもよいものが多い。実に残念なことだ。ビオ仲間内で『日本向けは特別高く売ろう!』なんて云い合っている輩もいる。一部の連中はギラギラのテクニック派と同じ範疇に入る。何故なら、人間としての人物の在り方がワインに与える影響は大であり、ワインの重要な部分を決定しているからである。妙なビオディナミのワインより、田舎の純真で、ビオなど意識もせずもくもくと栽培、醸造をやっている佳き人たちのワインの方がより健全で美味しいものが多いのに驚く昨今である。
“驕り”とある意味の“邪念”が詰まったワインは例えビオでも、おいしくないし体に入っていかない。

今回のVINEXPO時に感じたことが一つある。
あるビオグループの試飲会で感じたことは、その会場に入っただけで、何か居心地が悪く、ワインも美味しく感じないし、何か違和感を感じた。早々と退場した。はじめての経験だった。
なんか“俺はビオだぞ!”とまるで威張っているかのような姿勢に嫌悪感すら感じた。
まるで自然という言葉とはかけ離れた空気が漂っていた。ビオの一部の人間たちの醸し出す最近の空気だ。
私は驕る奴と威張る奴が超大嫌いだ。この連中は私の自然派の定義には入らない遠い存在の連中だ。

ビオよりまず第一に人間ありき

フランスには、別に本人達はビオなどと全く意識していなくても、昔から自然に除草化学剤も使用することもなく、ごく普通に、健全にワイン造りをしている醸造元が沢山いる。
しかも人間として尊敬できる立派な人物が多くいる。
高慢ちきになって、人間として大切なものを欠けている人物のビオワインより、よほど健全である。


ビオ、自然云々よりまず人間ありきである。大切なことだ!
そんなことを感じてる時に、デュボスト親子に会った。
昔からポムロルでもくもくと親子で同じスタイルでワイン造りを続けている。濃縮、新樽200%のボルドーワインがもてはやされた90年代後半の流行の時も、流されることもなく必要以上濃縮させることもなく、そのくせ長期熟成にも耐えられて、メルローの果実味を控えめに表現し続けてるDUBOST家のワイン、CHボスエ、CHラフルール・デュ・ロワに美味しさを再発見した。イーヴォンお父さんの熱気とローランの繊細で緻密さが詰まっている。特にシャトー・ボスエのカリテ・プリ(品質・価格)のバランスは最高だ。
ボルドーの再発見と、ボルドーの大逆襲もありか!


← CHボスエの熟成樽 AOC BORDEAUX SUP

ポムロルと同様に手間をかけてやっている。ローランは熟成中オリと共に樽熟成、オリびきは一回しかやらない。その上で清澄作用もフィルターもなし。

→ ポムロルの熟成庫 CH-LA FLEUR DU ROY AOC POMEROL

最後にもう一度、
こんな小石が敷き詰めら れた土壌は ボルドーでは珍しい。⇒
           

燃やせ!!PASSION!!燃えろ!!PASSION!! 

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