〜1979年世界遺産認定〜

〜丘の斜面には葡萄園が復活〜

ブルゴ−ニュ最北端のシャブリやトネ−ルに近い歴史ある敬虔なる教会の街ヴェズレ−である。小高い丘の頂上にバジリック・サント・マドレ−ヌ大聖堂がある。丘の斜面には葡萄園がある。

1800年初期まではディジョンからパリまで葡萄園で埋め尽くされていた。特にヴェズレ−近辺は見渡す限りの葡萄園が広がっていた。1860年ごろヨ−ロッパに広がったフィロキセラ害虫によってヨ−ロッパ中の葡萄園が全滅した。

その後、アメリカ産の台木にヨ−ロッパ産の葡萄木を節木することで多くの葡萄園は復活したが、ここヴェズレ−の葡萄園は復活することなく他の農産物が栽培されていた。やっと最近、M. MONTANET 〜 モンタネ氏の努力によって葡萄園が少しづつ復活されて、AOCが認められることになった。

〜歴史の街〜

最初に教会が造られたのは861年 。ジェラ−ル伯によって修道院がつくられ、以後、ベネディクト派によって丘の上にセント・マドレ−ヌ聖堂が造られた。マグダラ・マリア聖遺物があるということで、さまざまな奇跡を起こしたとされて、以後中世ヨ−ロッパにおける重要な役割を演じることになった。多くの巡礼者が訪れることになり、サンティアゴ・デ・コンポステ−ラの巡礼路に組み込まれた。

〜十字軍の出発地〜

第2回十字軍(1147-1149)の遠征ヴェズレから聖地エルサレムまでの出発点ともなった。また第3回十字軍(1189-1192)にはフランス王フィリップ2世、イギリス王リチャ−ド1世などが出発したのもここヴェズレ−からだった。

〜美しい中世に街がそのまま〜

メイン通りサン・テチェン通り


丘の下からセント・マドレ−ヌ聖堂に向う小道がこの街のメイン道路だ。道の両サイドにレストラン、みやげ物店、パン屋、ワイン屋など面白い店が立ち並んでいる。

お勧めレストラン

 

道行く修道僧

〜フィリップ2世が、リチャ−ド1世が、数々の歴史的人物を見てきた大聖堂〜

小道を登りつめるとマドレ−ヌ大聖堂がある。  

聖堂の内部ではミサが行われていた。

サンチャゴ・デ・コンポステレへ向かう巡礼の旅

この日、若者のグル−プが巡礼の旅に出発するセレモニ−をやっていた。ここヴェズレ−が巡礼の旅の出発点であるからだ。ヴェズレ−から全長約1690KM。約2ヶ月半は掛かる。フランス語では、サン・ジャック・ドゥ・コンポステルと云いサンジャックは帆立貝を意味する。巡礼者は帆立貝の貝殻を首から吊るしている。巡礼者の証明の一つだ。
民宿も特別扱いしてくれる、との事。

〜丘の頂上から見渡す景色は素晴らしい!〜

〜幾つかのお勧めスナップ〜

〜歴史と人、現在と人、宗教と人、自然と人、ワインと人〜

半日この中世の街を探索した。色んな事を考えながら歩いた。
『あの十字軍がここから出発したんだ』
『フランス王ルイ17世もこの道をある歩いたんだ』
『ノルマン族に壊されたこともあるんだ』
教会と云えども権力と戦争に明け暮れたヨ−ロッパの歴史と人間模様を想像した。そして当時のワインの事を。
天気も晴天とあって実に美しかった。

〜ヴェズレ−のお勧めワイン〜

ドメ−ヌ・ド・ラ・カデット DOMAINE DE LA CADETTE

ロマン派 !! モンタネ氏  世界遺産のヴェウレを葡萄園で覆い、ワイン有名産地への復活 !!

なかなかの苦労人である。モンタネ氏はジュラ地方出身であり、地元の人ではなかった。いわゆる、よそ者のモンタネ氏が18年目前に地元の農民を説得して農業組合カーヴ・ドゥ・ヴェズレを立ち上げた。若い頃、葡萄収穫に時々やってきていた彼はこの風光明媚な土地を限りなく愛していた。愛したのは土地だけではなかった。この地に育った女性カトリ−ヌさんと結婚した。
この地の古文書を調べたモンタネさんは、ある事実を発見した。それは1800年代の中頃までは、この地は葡萄園で覆われていたのである。ブルゴ−ニュワインの一大有名産地の一つだたのである。つまり、フィロキセラ害虫で葡萄園がほぼ全滅という被害の前は、ワインの産地としてのヴェズレが有名だった、事実を発見したのだ。30歳になったばかりの若きモンタネ氏は、ここに我が人生を賭けるロマンを発見したのである。再びこの地をワインの名産地に復活させる ! そして、近隣の酪農農家や昔葡萄園だった地を所有している農民への説得に駈けずりまわった。よそ者のモンタネ氏の事を素直に聞く人はなかなかいなかった。 モンタネ氏は決意した。銀行を説得して借金をしてまず農協を立ち上げてしまうこと。

彼の熱意に負けて賛同する農民が数人現れた。1991年正式に農協カ−ヴ・ヴェズレは成立した。
当時、必死の形相でPARISのレストランやワイン屋に売り込みに来ていたのを知っている。失敗は許されなかったのである。私はその当時からの付き合いだ。

モンタネ氏 第2の転機

追求心の強いモンタネ氏はやはり、本物のワインを造らなければ、真のヴェズレワインの復活はありえない
と確信する。ブルゴ−ニュのプリュ−レロックやパカレそしてマルセル・ラ・ピエ−ルの存在を知り、将来はこれだ、と悟る。農協の葡萄園をビオに改善し、造りも自然な造りに改良していこうとした。ところが農協の組合員から反対案が提出された。やはり自分が“よそ者”であることを再認識させられた出来事だった。しかし、もう彼は後に戻る気は無かった。組合長でもあり、自分で立ち上げた農協を出なければならない状況になってしまった。この10年間の努力は何だったのだろう ? 悩んでいる時期に、ロックからの独立を考えていたフィリップ・パカレと出会う。パカレの独立に合わせて自分も独立する決意意を固めた。
そして、パカレに自然なワイン造りの指導をしてもらうことにした。ドメ−ヌ・カデットの誕生である。
パカレ独立が、挫折感のあった農協の事を気持ちよく将来に向けて割り切る切っ掛けになってくれた。僅かな自社畑と借り畑を持ってカデットが立ち上がった。それからも紆余曲折があったが多くの協力者や仲間を得てやっと現在がある。

ブルゴ−ニュでは自然派はたった2%しか存在しない。

その中でも、人物、ワインの品格は素晴らしい。
中世の教会のある場所は、土地の力がる。エネルギ−がある。

* Les Saulniers,レ・ソニエ−ル 白 AOC Burgogne blanc 06 sans so2
*Claudius 07,クロディウス  白 AOC Bourgogne blanc
*La Chatelaine 06,ラ・シャトレ−ヌ   AOC Bourgogne Vezelay
*L’Hermitage  レルミタ−ジ 赤 pinot noir 05, AOC Bourgogne

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