アンジェの町を探検していたらライトアップされた可愛い教会を発見しました!
12世紀に建てられたシンプルで神秘的な教会です。
サン・マルタンの噴水
この噴水はSaint Martin de Vertou(サン・マルタン・ドゥ・ヴェルトゥ)の為に造られました。その後、共同洗濯場となり、現在はこの周りでピクニックなど行っています。
そして少し歩いた所に見つけたのは3世紀に建てられたアンジェ城!この土地独特のシストの岩で建てられただけあってとても印象的です。
アンジュー公が住居として使い出してからアンジェ城はフランスの王権争いの中心地となりました。1154年にイングランド王のヘンリ2世がロンドンと同じ頻度でアンジェに宮廷を開催し、彼やRichard Coeur de Lion(リチャード獅子王)の治世の下、アンジェはイングランド王国の首都になったり、12世紀にはPhilippe Auguste(フィリップ・オーギュスト) がアンジュー伯の領地を奪い取りフランスの王権を巡る争いが続きました。
約40メートルにも渡る広さの部屋や、最も小さい射撃用の部屋、Saint-Laud(サン・ラウド)を守護聖人と仰ぐチャペル、l’abbaye de Fontevraud(フォントブロー大聖堂)と同じタイプの台所などの跡も見ることができます。 アンジュー伯の要塞は5万平方メートルにも及んでいたものでした。
Saint Louis(ルイ9世)は1232年に大規模な工事を行い、壁は約3メートルの厚さ、延長952メートル、面積25000平方の広さに変え、北西側はメール河に垂直に落ちており襲撃を防ぐことができるアンジュー帝国でも最高の要塞となりました。直径18mの17の円塔はこの時代に建てられたものです。
1402年にはLouis II(ルイ2世) と Yolande d’Aragon(ヨーランド・ダラゴン)が城に住居を構え、サン・ラウドの礼拝堂の代わりにヴォールト天井の3つの柱から構成される新しい礼拝堂を建てさせました。その後アンジュー家の3台目となる、René(ルネ)の時代には特に芸術分野において最盛期でした。
16世紀の終わり頃ヘンリ3世はアンジェ城の要塞を取り壊すように命令を下しましたが最高司令官の Donadieu de Puycharic(ドナデュー・デュ・ピュイシャリック)は取り壊すように見せかけて17の塔の高さを12mほど削り、大砲台を構え削った石で城壁の下部を強化することで、更に強固な城へと作り変えました。
けれども夜言ったせいか、少し怖い印象が・・・
王の住居であった建物内では、15,16世紀時代のタピスリーコレクションをみることができます。4枚から構成され、宗教画をモデルにした「Teinture de la Passion 〜情熱のタピスリー」、 「Tapisseries Mille-fleurs 〜 千の花々のタピスリー」はコレクションの中でも特に有名なものです。
また、聖ヨハネの神秘的な書物を物語っている高さ6m、長さ133m、という中世期最大の有名なタピスリー 「Teinture de l’Apocalypse 〜 黙示録のタピスリー」も見られます。