2014は27歳ダミアン・コクレの完全独立の年

今、ダミアン・コクレのワインは世界中から引っ張りだこである。
特に、アメリカでは大人気である。
ダミアンは、モルゴン村の自然派の重鎮デコンブの長男である。
お父さんについて子供の頃から葡萄園に行って遊んでいた。 葡萄園が遊び場であった。
葡萄には子供の頃から親しんでいる。葡萄が友達のような感じである。
ワイン学校に行って、ブルゴーニュ自然派の名醸造家フレデリック・コサールのところで修業を積んだ。 フレデリックとは今でも、時々行き来して公私ともに醸造・人生の先生でもある。
そして、もう一人、ローヌ地方のBEAUMES DE VENISEのFERME ST-MARTINギー・ジュリアンのところでも修業した。
ダミアンにはお父さんのデコンブとフレデリック、そしてギー・ジュリアンの3人の先生がいる。どれも自然派の一流の醸造家である。
今、ダミアンは27歳、2007年が初リリースである。 今までは、お父さんの蔵の片隅で醸造していた。
今年から 独自の醸造所を借り自前の醸造蔵を設立した。完全独立を果たした。
2014年が本当の意味でコクレ醸造の出発となる。

 
(尊敬するお父さんのジョルジュと)

モルゴン村の重鎮達より愛されているダミアン

子供の頃より醸造家になる事を決めていたダミアン。 16歳頃には自らすすんでお父さんの農作業を手伝っていた。そんな一生懸命な若きダミアンを見て村の重鎮たちはダミアンのことを親戚の子供のように可愛がった。 2007年にシルーブルの小さな畑を譲ってもらって造ったのが初リリ-スとなった。2009年には何とモルゴン村の誰もが欲しがっているコート・ド・ピィ(旧火山だった丘)の最高の区画、ジャン・フォワヤールとマルセル・ラピエールの隣の畑を4ヘ  クタールも任された。これでダミアンは独立を決意した。
 

ダミアン・コクレ2014年収穫


 

幾多に危機を乗り越えて最良の葡萄を収穫

2014年はダミアンにとっては色んなことがあった。
5月から6月までは完璧な気候だった。このままいけばボジョレーで 世紀の年と云われた2003年の再来か、と思われた。 しかし7月に入ると水不足状態になってきたところに、なんと36度という猛暑が3日間も続いた。 特にモルゴン村の猛暑が厳しかった。ガメイ品種はフランスの北の品種である。36度という熱に耐えられる品種ではない。 葡萄の皮が焼けてしまった。しかし、幸いにも乾燥していた為に 焼けた分部から腐敗することが全くなかった。乾し葡萄のように乾燥していった。
そして、モルゴン村には2度の雹が降った。特に標高が高い区画に降った。ダミアンも僅かにやられたが被害は最小限に抑えられた。
8月の冷夏では葡萄の熟成スピードが驚嘆的に遅くなった。 特に標高が高いところにあるダミアンの畑は、熟成が遅かった。 収穫時期の決定には、特に迷った。モルゴンでは例年最も収穫開始が遅いのはお父さんのデコンブと通例になっている。
今年はお父さんより2日遅い18日よりのスタートとなった。もう周りの蔵は殆ど収穫を終えていた。待ったお蔭で葡萄が良く熟して完璧な状態で収穫できた。

 


 

 

ダミアン・コクレ・ヌーヴォーは最高のバランスに!!

最初に収穫したのは勿論ヌーヴォー用の葡萄である。
待ったお蔭で果実味豊かで酸も残った。
自然派ヌーヴォーらしい透明感のあるスーと入る飲み心地になるだろう。



 

収穫・葡萄園写真