アミロ家とESPOAグループの付き合いは長い。ゆうに20年は過ぎている。

ESPOAグループは25年前より、毎年、日本全国の15名ほどのメンバーがフランスにやって来る。
当初の20年前のESPOAツアーで訪問した時は、右にいる息子ブノワ<がまだ小学生だった時代だ。 ブノワは小学校の時に既にお父さんの後を継ぐ決意をしていた。 小さなバケツのような容器で自分で造ったワインを我々に飲ませてくれたことがあった。 あのブノワが今は、お父さんの右腕となって支えている。 アミロ家も順調に次世代への準備をすすめている。
小学校の時からワイン造りに興味を持っていたブノワ。
素直な性格でお父さんんと一緒に働いている。
土壌の人であるヤニックの畑仕事を横でキッチリと学びとっている。
お父さんも醸造の方をブノワに任せようと指導している。
ブノワもお父さんの感性をフィーリングを学びとろうと一生懸命だ。
お父さんを尊敬している。

 
頼もしい次世代が育ちつつある。

 
醸造所

樽熟成庫

地表は砂状、まるで浜辺のよう。その下は元海底だった時代の石灰岩盤土壌。
自然栽培をやっているアミロの葡萄は真っ直ぐ下に伸びて、石灰岩盤に入り込んでいる。
だから、潮っぽい旨味がある。
魚料理にも合わされる赤となっている。イオーデと呼ばれる浜っぽさがある。


ESPOAグループでは、毎年1月にニューイヤーコンベンションと称して全国のESPOA店が集まる会を行っている。
独自の良い商品、直輸入ワインを販売しようと、同じ方向に進んでいる仲間達が集まってくる。
その前年のやったこと、今年からの取り組みについて話し合う。



そして、直輸入ワインのテースティングをやって新入荷ワイン、話題のワインなどをテースティングする。
そこに毎年、醸造元を招待する。

このヤニック・アミロも2008年に来日した。
2008年はラングドックのフォジェールのドメーヌ・アルキエ夫妻と同時に来日してくれました。


2008年はエスポアを代表する二つの蔵が同時来日という豪華なニューイヤーコンベンションでした。


ESPOAニューイヤーコンベンションは、地方の温泉旅館でやることが多い。
夕食は全員で大宴会となる。勿論、直輸入ワインを飲みながら。
同じ方向に向かっている酒販店同士、昨年一年間の失敗したこと、成功したことなどを飲みながら話し合う。
一年に一度しか会わないメンバー同士もいる。積もる話しも多い。


夜は小部屋を借り切って、2次会懇親会をやる。
2008年は両夫妻を囲んでの豪華な楽しい懇親会でした。


普段、畑で一日中を過ごす醸造家にとっては、自分のワインを売ってくれているメンバーとこんな形で話し合えるのは、本当に特別な機会なのである。
造る人、売る人が一緒になって同じ船に乗っていることを確認し合うことは本当にお互いに大切なことなのだ。
畑のエネルギー、天のエネルギーの詰まったワインに、多くの人のエネルギーが掛け合わされて、物凄いエネルギーが創造されてくる。
本当のところは、この人の部分が最も大切で重要な部分なのである。
皆、単なるお金を稼ぐ仕事ではない。何か大切なものを共同で造りあげていることを確認し合える瞬間でもある。
ESPOAは素晴らしいグループだ。


ヤニック夫妻にとっては初めての日本食。でも箸の使い方はバッチリでした。
初めて畳の上に座っての食事。やや足が痛いヤニック。


東京では銀座のオザミ・デ・ヴァンにてESPOA しんかわやの竹ノ内さんが夕食会を開催。


気さくで飾らないヤニックはお客さんのテーブルをまわっていた。
自分のワインを楽しんでくれている人達と触れ合うことができる貴重な瞬間。
ヤニックは自分のワインで多くの人達に“幸せ”を感じてもらえる為に日々の畑仕事をやっている。
ヤニックにとっては本当に特別な瞬間なのである。


ロワールの片田舎のブルグイユでワイン造りにかけるヤニックが銀座にいるのが不思議な感じがする。


パッションあるエネルギーの詰まったワインを飲ませてくれるオザミ・グループの社長、丸山さんと。


ヤニック・アミロのワインの食事との偉大なるマリアージは特別だ。


ヤニックは日本で飲む自分のワインの状態が素ばらしいので感激していた。
自分が丹精込めて造りあげたワイン、こだわったワインのスタイル、タンニンの質にこだわっている。(ジャーナリストは硬いという)
そのタンニンの酒質が自分が狙った以上に発揮できている食事とのマリアージに自分でも感動。
この感動をその場でお客さん達と共有できることにまた感動していたアミロ夫妻だった。


オザミの名シャフと共に。 最後にオザミの濃いワインファンと共に。


造り手と売り手、飲み手の三者が一緒のテーブルを囲んでの素晴らしいひと時は忘れられない一期一会だった。
ワインは偉大だ。