2
Juil

ASAMI – 初めての訪問 – ブルゴーニュ編

今日はまたまた熱い醸造家の元へやってきました。ギー・ビュシエールさんです。もう60歳以上のおじいちゃんだけど若くて元気!25年間かまぼことインゲン豆の工場で働いたあげく、生まれ育った場所へ戻り、40歳からワイン醸造を始めたそうです。 さあ、自慢のブドウ畑へいざ出発!ここは道も無ければここ以外に他のブドウ畑も無い場所です。回りは森かトウモロコシの畑のみ。 ギーさんは、この村、ヴァル・ド・ソーヌで伝説の最後の醸造家なのです。ここでもやはり土壌はフワフワ。『土は生きているのだ !!』と何回も言い繰り返すギーさん・・・ これが樹齢100年のアリゴテ・ヴィエイユ・ヴィーニュ。 長く生きている分、やはり他に比べ幹も太いです! ズッシリしている感じが印象的です。 そしてギーさんの醸造所へ。ここで見たのは本人自慢のアランビック(蒸留器)です。1947年から使われている古〜い道具です。蒸留酒を造るには免許がいるのですが、今はもう誰もこの資格を貰えないのでとても貴重らしいです。 そして瓶詰めされたワインの保存室へ。大量の瓶がギッシリと並べられており、つい« ウワーオ » と言ってしまいそうな場所です。 待ちに待ったお食事タイムです!ギーさんのお奥さんが作ってくれたサラダやメロン、庭で取れたラズベリーなど、暑い季節には嬉しいフレッシュな食事を用意してくれました!皆ギーさんのお話を聞きながら、食べ物にワインにへと夢中になっています・・・  そしてどんどん古いヴィンテージワインが出てきます。醸造家達は気前がいいのか、それとも本当に飲むのが好きなのか、いつもバンバンとワインを出してくれます。でも古いだけあって味は抜群!!ボトルも雰囲気出ています・・・! ここで出して下さったのが、84年のワイン・・・私が生まれた年のヴィンテージです!初めて自分と同じ年のワインを飲み、感動しちゃいました!ギーさんのお父さんが造った大切なワイン、本当に美味しかったです!ご馳走様でした!そして本当に有難うございました! (Pèreとは 父という意味)

18
Juin

ドミニク・ドゥラン、飽くなきナチュラルワイン造りの追求

自然派ワイン界切ってのひょうきん物、ドミニク・ドゥラン。 彼のドメーヌを訪問するのはとても楽しい。 生産者の間でももちろん人気者だが、彼を慕って彼のドメーヌを訪問する人たちもたくさんいる。 あいにくこの日は雨だったので、カーヴで説明を聞きながら試飲をした。彼の畑がモンラッシェのすぐ近くとは聞いていたが、今日は図解してくれたのでよく理解できた。→下の写真 もともと“モンラッシェ”とは、「小さい山」という意味だそうで、彼の素晴らしいワイン、サン・トーバン1級“アン・ルミイ”はこのモンラッシェ(小さい山)」の頂上にある。すぐ下には“シヴァリエ・モンラッシェ”、そして高名な“ル・モンラッシェ”、シャサーニュ・モンラッシェ1級、シャサーニュ・モンラッシェと続く。なるほどこのように図解して説明してもらうとよく分る。彼の“アン・ルミイ”がこんなにも上品でエレガントな訳は、この立地に由来するのだろう!納得。 試飲しながらドミニクが面白いことを教えてくれた。“メルキュレイ”を樽から試飲したとき、ピペットから注がれたワインの表面には白いものがたくさんプカプカと浮いていた。何かと思ったら、これはSO2を使用しない自然な醸造をすると出てくるフロール(ヴァン・ジョーヌを樽熟するときに生じるものと同じ)だそうだ。えっ、大丈夫なの?とびっくりしたが、このフロールがワインを酸化や変質から守ってくれるのだという。逆に、SO2を添加するとこのフロールは消えてなくなってしまうのだという。一応私もボルドー大学で醸造学を学んだ身なのでちょっと信じられない気がしたが、なるほどそんなこともあるのか、とドミニクのナチュラルワイン造りの経験の深さに敬服した。 ドミニクは、ドメーヌ・ド・シャトー・ド・ピュリニー・モンラッシェの醸造長を務めるなど、いわゆる普通のブルゴーニュのネゴシアンや複数のドメーヌでワイン造りをしていたが、自然なワイン造りをする使命感に駆られ、20年前に自身のドメーヌを設立した。設立当初はSO2をまだ使用していたこともあり、SO2の影響で従兄弟が病気に掛かってしまった。それを期にドミニクはSO2を使用しないワイン造りをするようになった。以来彼はずっとSO2を使用しないワイン醸造(瓶詰め時には僅かに添加する)を一貫して行っているが、自然なワイン醸造は奥深く、探究を常に続けている。また、いつも新しい試みを行っており、今日も珍しいものを飲ませてくれた。それは、サン・トーバン“アン・ルミイ”2004の遅摘みぶどう(パッスリエ)から造ったワインだ。アルコール度数10.5度で残糖が60gもある。しかし、飲んでみると残糖がそんなに沢山あるとは思えないバランスが取れた味わいだ。何でこのようなワインを造ったかというと、ドミニクは遊びで造ってるんだ、といったようなことを言うが、実はSO2を使用しない自然なワイン造りを常に追及しているのだ!他にもSO2を使用しない貴腐ワインを造ったり、酵母も砂糖も添加しない発泡酒を造ったり、また今度は、ポートワインのような赤の甘口を造るといっていた。本当に彼の探究心はとどまるところを知らない。彼は言っていた。「我々が自然なワイン醸造を始めたのはたかだか20年くらい前のこと。自然なワイン醸造についてまだまだ知らないことは沢山ある。」だから彼はいつも新しい実験をしているのだ。 試飲をしていると、今日ドゥランで仕事を手伝っていた若者たちが合流した。聞くと、1人はニュージーランドでワイン造りをしていて明日パリ経由でニュージーランドに発つ前に、是非ドミクニに会いたいということで、1日ここで仕事をしていたとのこと。もう1人は料理人で、ドミニクがバン・ナチュールを揃えたレストランをオープンする計画があり、もしかしたら彼がその店を手伝ってくれるかもしれない、と言っていた。こういう若手がドミニクの基でヴァン・ナチュールを覚えて、将来のワイン界を担ってくれるのだろう。改めて、ドミニクの偉大さに感服した! お問合せ先:オリゾン事務局 TEL. 03(5565)5884

14
Juin

DOM. GIBOULOT訪問

ドメーヌ・エマニュエル・ジブロ訪問 ブルゴーニュで最も早くから自然なワイン造りを始めたジブロ。彼とは昨年の11月に東京で開催されたニコラ・ジョリーが主催するビオディナミ生産者グループの試飲会“ルネッサンス・デ・ザペラシオン”のために来日したとき以来だ。朝9時半にボーヌの町のすぐ外にあるドメーヌに到着すると、笑顔で迎えてくれた。早速、地下のカーヴに入り彼の話を聞く。 10haの畑を所有し、その内の5haはコート・ド・ボーヌのシャルドネ、赤はコート・ド・ニュイに2.3ha所有する。そのほかに、リュリイ、ボーヌとブルゴーニュに畑がある。 意外と知られていないのが、コート・ド・ボーヌというアペラシオンだ。オート・コート・ド・ボーヌ・ヴィラージュと混同しがちだが、実はまったく別のアペラシオンなのだ。オート・コート・ド・ボーヌ・ヴィラージュはオート・コート・ド・ボーヌに広がる約20の村の2000ha程のブドウ畑のワインをブレンドして造れるアペラシオンで、大概ネゴシアンがこの地域からブドウを買い集めて安価なワインを生産している。それに対して、コート・ド・ボーヌはボーヌのコミューン内のアペラシオンで、地理的にボーヌ・プルミエクリュのすぐ上に位置する僅か50haの畑から造られるワインだ。従って、コート・ド・ボーヌのアペラシオンは、かなり限定された素性の明らかな上級ワインを生み出す地域と言える。 ドメーヌの設立は1970年、エマニュエルのお父さんがワイン造りを始めた。当初よりお父さんはビオによる自然なブドウ栽培を行っており、エマニュエルは自然とその重要性を身に付け、当然のように自然なワイン造りをするようになった。彼がドメーヌを受け継いだ1985年よりビオで、1996年からはビオディナミでワインを造っている。 彼の行うワイン造りはどんな方法かと尋ねると、その答えは明快。いいブドウさえ出来れば、あとはシンプルに醸造するだけという。何も加えずただ野生酵母の働きに任せるだけだ。 彼は約10種類ものワインを造っているが、その味わいは共通している。白はどこまでも透き通った酸が特徴だ。コート・ド・ボーヌの3種の白を試飲する。始めのキュべ“グランド・シャトレーヌ”は、白い花の香りが印象的。ミネラルと爽やかさな酸がキュッと引き締めてくれて野菜を使った前菜に是非合わせたい。次は“ピエール・ブランシュ”、こちらは蜂蜜の香り、厚みもある。ミネラル感はやや少なくなる。これは石灰の細かくなった砂が多い土壌に由来するそうだ。そしてトップキュヴェの“コンヴ・デヴ”。う〜ん、これは凄い!グランド・シャトレーヌに感じた花のような香り、ピエール・ブランシュの熟したニュアンスを足して上品さを増した、複雑でありうまく調和の取れた味わいだ。これは別格。実は“コンヴ・デヴ”の区画はピエール・ブランシュの中にある小区画なのだが、昔ここに小川が流れており、その影響でこの畑はとても自然治癒力が強いブドウが力強く育つことが出来るという。これこそジブロを象徴するワインだ! お問い合わせ:オリゾン事務局 TEL. 03(5565)5884

9
Juin

DOM. SABLE 訪問

ドメーヌ・サーブルは従来、最高のとも言ってもよい自然派生産者であるフィリップ・パカレがコンサルティングをしており、ワイン造りもパカレが担当していた。ところが2006年からはパカレのコンサル契約を終了し、独自でワイン造りをするようになった。それを知ったとき、実はというと“大丈夫かな”と少々心配になった。というのも、マダム・サーブルに以前お会いしたとき陽気でいい人だと思ったが、反面、ボーヌの街の中心地にブティックを作るなどして商売人だなと感じたからだ。 ところが今回の訪問で、それは取り越し苦労だということが分った。 現在、ワイン造りを担当しているのは、マダム・サーブルの娘のファニー・サーブルさん。何とまだ若干23歳だ!学校を卒業してから2001〜2005年の5年間、パカレにぴったりくっついて、このドメーヌでナチュラルなワイン造りを栽培から瓶詰めまでみっちり仕込まれた。 畑の見学からカーヴでの試飲まで、ファニーに案内してもらったが、スラリと背が高く、浮付いたところのないしっかりした語り口からは、23歳とはとても思えないしっかりとした個性を感じる。 同行した日本酒の蔵人の方の「ひとりでワイン造りをしていて不安はないのか?」との問いにも、きっぱり「ない!」とのこと。パカレと一緒にやってきたワイン造りの経験が、自信に繋がっているようだ。また、2004年に発酵がうまく進まず1樽だめにしたことも、大きな経験になったという。 一通り試飲をしたが、どれもパカレのワインにとても似ていると同時に、各アペラシオンの個性がよく表れている素晴らしい品質だ! ドメーヌ・サーブルに対する心配は、これで一切晴れた! しかし恵まれているのは素晴らしいアペラシオンの畑をこれだけ多種持っていることだ。列挙すると、ボーヌ・ブラン、ボーヌ1級“シュアシュー”、ムルソー“スー・ラ・ベル”、ムルソー1級“レ・シャルム”、サヴィニー・レ・ボーヌ、ポマール、ポマール1級“レ・シャポニエール”、アロース・コルトンなど。

14
Mai

DUPONT FAHN-RAYMOND 訪問

〜5月13日 MEURSAULT DUPONT FAHN RAY MOND訪問〜 2006年が初リリ−スのデュポン・ファン・レイモン若手ブルゴ−ニュの期待のホ−プだ。既に、クロス・ロ−ド経由で日本に紹介されている。驚愕のレヴェルの高さに人気高騰。 今日は2007産を試飲すべく訪問。 2007年は既に樽から出して樹脂のタンクに移動されていた。 RM『あまり長く樽熟をしない方が良い、果実とミネラルが真直ぐに表現される。』 確りした自分の造りたいスタイルをイメ−ジしている。実に大切なことだ。 醸造所はまだ完成していない。1年前より建設中である。 RM『何とか、夏までは完成させたい。』 樽から出したばかりなので、樽もまだ立てて置きっぱなしになっていた。 RM『ムッシュ・ITO、先週ワインを樽からタンクに移動したばかりだよ。 まだアルコ−ル発酵も続いているし、中にはマロ発酵も終わっていないものもある。この段階でのテ−スティングはチョット難しい』 ITO『でも07年のポテンシャルを知りたいんだ。それなら判断できるだろ 。』 RM『OK, じゃ、はじめよう』 レ−モンはピペットを取り出して樹脂タンクに登りワインを取り出した。

7
Mai

フィリップ・パカレ「クエスチョン34???」

1.パカレさんの選別基準(葡萄供給者、葡萄の品質)? 葡萄は次の基準によって購入しています : 樹齢45年以上の葡萄 ピノ・ノワールとシャルドネに関しては、素性の良いものを選別。(クローンなどではなく、マサル式選別によって植樹されたもの) 化学物質などが使用されていない葡萄畑であること。 私達考える自然栽培方法(有機栽培)に賛同、理解してくれると。 2.醸造において一番気をつけていること? 全てが重要でありますが、毎年変わるヴィンテージを正確に表現するために、そのヴィンテージに対応した醸造を行うことが大切です。 3.地球温暖化の影響? 気候:1988年以降収穫日は温暖化の影響で年々早摘みとなっています。例えば、20年前は10月が収穫時期だったのが、今では10月に収穫が行われることはありません。又2003年から更に温暖化が加速、一段と収穫日が早まっています。2007年の収穫などは8月に行われてもおかしくはなかったでしょう。 葡萄の木:重要な問題です。例えば、ピノ・ノワールはそのテロワールを十分表現する為には冷涼な気候が必要です。ですから、この温暖化の影響で、私達の知っているピノ・ノワールの特徴が変化していく可能性があります。 土壌の中の生命:とても暑い春の終わりから夏は土壌を肥沃にする。ただし気温が暑すぎると、ぶどうを育て、ワインを発酵させる、自然酵母や微生物が脱水症状になってしまい、土壌の生命が弱ってしまうので、土壌を耕すことはしない。(ぶどう畑の草を取り除かない)

26
Fév

ボーヌの一日はテイスティングも食事もスーパーリッチに過ぎていく…

2月14日 木曜日 本日は生産者訪問。まずは、午前中にボーヌの町にあるフィリップ・パカレのカーヴへ。今や世界的スターのフィリップなのに、普段は気さくで楽しいムッシュ。ところがいざワインのティスティングとなると、プロの顔にがらりと変身。樽からの試飲は、シャブリから始まってポマールまで、2007年から2006年へとフルスピードで30アイテムを駆け抜けます。いつ飲んでもフィリップのワインはそれぞれの土壌の個性がしっかり出ていて、きれいで、大感動…。おまけに2007年はフィリップにとって彼のワイン人生で1988年、1998年に次ぐ素晴らしい年とあって、まだ樽の中というのに早くもその頭角を現していることにまたまた感動…。 そうこうするうちにあっという間に午後。フィリップと彼の長男14歳のレノとボーヌの町の「グルマンダン」へ。もちろん、ブレスの鶏もおいしかったけど、ワインのラインナップ、パカレ→ラ・ターシュ2001→オー・ブリオン1986でノックアウト! いやあ、うまかったあ! 午後はボーヌ・ロマネのジャンイヴ・ビゾを訪ねるというのに、こんなにお腹いっぱいじゃあ…。そこで名案、フィリップと彼の畑を歩いて腹ごなし&剪定や耕作などこの時期の畑の状態を見学、そのままフィリップと一緒にジャン・イヴのところを訪問することに。 一見哲学者風のジャンイヴは実はシャイ。真剣な表情で10アイテムの試飲は粛々と進行…と思いきや、珍しいツーショットのジャンイヴとフィリップは作柄やら醸造の話にひとしきり花が咲いて…。あっという間に7時。時間が超高速で過ぎていく…。 さてさて夜。パリから合流した我らがボスのムッシュ・イトウとフィリップの待つボーヌの町の新名所、超シックでエレガントなレストラン「BISTRO DE L‘HOTEL」へ。ここは今や生産者はもちろん、ありとあらゆるリッチな町の有名人が毎晩集う社交場の感。これまでボーヌにはなかった洗練された料理と空間で、「素晴らしいワインと文化のあるボーヌにぴったり」とフィリップも絶賛! 目にも口にも超美しい料理の数々…、たっぷりのトリュフはそちらこちらにアレンジされているし、中でも牡蠣を一個ずつ全て別の風味にした一皿は絶品。 旨さと感動で倒れる寸前になりながらも、そこはやっぱりワインとの「マリアージュ」でしょ。だって、パカレは当然として1978年のラスカーズやら1959年のラヤスやらとくれば、おめめキラキラも当然。あーあ、今夜もまた夢のよう…といいつつ、MAXまでワインにはまってしまった…。 すでに12時はとっくに過ぎてる!

26
Fév

シャブリに彗星のごとく現れた大型新人はシャイでキュートな26歳!

2月13日 水曜日  昨日は3時までDIVE での試飲に励んだ後、一路シャブリへと移動。本日はシャブリの新進の自然派生産者トーマ・ピコを訪問です。26歳のトーマはドミニク・ドゥランのもとで2年間の研修の後、2004年から父のドメーヌで働き始め、2006年に自分自身の初ヴィンテージをリリースした注目の新星!   朝9時。シャブリの朝はマイナス4度。生産者にとってはこの時期の寒さはぶどうにとって最高のシュチュエーションとあってニコニコのトーマ。世界的に有名ですでに販売力のあるシャブリで、何倍もの労力をかけて畑を改革、ビオやビオディナミを始めるのは大変なこと。でも、トーマは純粋に「よりピュアでおいしいワインを造りたいだけ」のために頑張りたいのだとか。今のところ、彼の畑は0.4haの1級モンマンと1.7haのシャブリだけ。ごく少量だけど、その味は半端じゃなくおいしい! 溢れるような果実味と土地の特徴のミネラル、きれいな酸がしっかり調和してお見事! その上イケメン! 彼は間違いなく二重丸のルーキーといえる…! そーいえば、ティスティングの時出してくれたグジェール、美味しかったなあ。やっぱり、ルーキーはセンス良いのだ、ねっ。

15
Fév

フィリップ・パカレ訪問記

2007年産ワインの利き酒 野村ユニソン社の竹沢氏と土曜日午後のTGVにてパリを出て、ディジョン経由にて17時にボーヌの駅に着いた。駅までパカレ氏が迎えにきてくれた。 駅から徒歩で3分のところにパカレ氏の醸造所がある。2年前にここに引っ越してきた。それまでは、醸造をニュイ・サンジョルジュのネゴシアンに間借りして、樽熟成をボーヌの山の麓にある洞窟に間借りをしていた。その2か所を行ったり来たりで、無用な時間を費やして大変な作業をしていた。  ここに越してきてからは、醸造も熟成もすべて一か所にてできる。  彼にとっては長年の夢が叶って、ますますワイン造りに集中できるようになった。  元ネゴシアンの建物をそのまま買い取った。地下に理想的な樽熟成所があり1階       に醸造所がある。  2階は事務所と従業員の宿舎になっている。  パカレ『先週は2006年産の瓶詰作業をやっていたんだ。今年の樽熟成は自然な清澄作用が上手くいったよ、オリがワインの中に自然によく溶け込んでいた。捨てるオリの量が少なくて済んだよ。例年は1樽につき5kgのオリを捨てるけど今年は3kgですんだ。(自然派の熟成はオリ引き作業をやらないので、熟成最終段階でもオリが残ることが多い) 2007年産ワインの方はマロも終わってやっと落ち着いてきたところだよ、試飲するには良い時期になった。早速試飲を開始しよう。』 ピペットと呼ばれるガラス製の器具(樽からワインを吸い上げる器具)もって地下に降りた。 いつもより熟成中の樽の数が少ないのに驚いた。  パカレ『2007はトリアージ“選別”の年だった。(良い健全な葡萄のみを収穫すること、つまり少しでも痛んでいた葡萄を切り捨ててしまうこと)だらか収穫量が少ないいんだ。』 トリア−ジの年の収穫に筆者も手伝ったことがあるが、収穫が終わった葡萄園を振り返ると、切り捨てた葡萄の房が多くて、まるで絨毯のようで土が見えないほどであった。 ここまで徹底して健全な葡萄だけを発酵槽にいれるからSO2を入れないで醸造ができるのだ、と感激したことがある。 当然のこと生産量が極端に少なくなる。だからと言って価格を急激に上げられないので経営上厳しい年となる。それでも品質を重視する造りを優先するところに、自然派ワイン造りの“人物”を最重要にあげる理由の一つである。 この醸造元の“選択”の精神力に触れるたびに、私は感動してしまう。自然派ワイン造りは、日本に居ては想像も出来ないほどのリスクを冒して挑戦しているのである。    さて、2007年産をアペラションの樽ごとに試飲を始めた。今日は赤のみの試飲だ。 シャンボ−ル・ミュ−ジニから始まってシャルム・シャンベルタンまで12種類を一機に樽から直接試飲した。マロラクティック発酵が終わって冬に入りやっと普通の試飲ができるようになって初めての試飲だ。 パカレ『3週間前はまだ試飲できる状態ではなかったよ、やっと落ち着いてきた。』 2007年は、予想していたよりもグット男性的な仕上がりとなっていて驚いた。  パカレ『ピノノワ−ルは実際のところそんなに太陽を必要としていないんだ。2007年の7月、 8月の天候は酷いもんだった。でも8月の後半から太陽に恵まれたんだ。ピノを熟すにはそれで 充分なんだ。ジャーナリストが天候の一面だけをみて、色々評価を出してしまうのは困ったもんだ。 ピノは緩やかな温度でゆっくり熟して、後半に太陽が出てくれれば本当にピノらしい風味に出来上がるんだ。』 ここでチョット時間をとって。   パカレ『2007年は皆さんにチョット新キュ−ヴェがあるんだ』   伊藤 『新商品て何ですか』   パカレ『単純なAOCブルゴ−ニュ・ル−ジュだよ』   『え!』竹沢氏も声を失うほど驚いた。 最後にブルゴ−ニュ・ル−ジュを樽から試飲した。 ピノ独特の果実味が豊かで、程ほどのボリュ−ム感で軽やかさがあって何と素晴らしいグイグイ飲めてしまうパカレ・ピノだ。 ご期待ください。  夜は、ボ−ヌで自然派ワインを飲める美味しいレストラン『トントン,tontons』で 共に夕食を楽しんだ。 そこで、パカレ氏が持参したワインをブラインドで楽しんだ。 2001産、瓶詰め時に樽の底にオリの部分だけを集めて個人消費用に瓶詰めしておいたものだ。 竹沢氏『エッシェゾでは』 パカレそう思いますか?私も近いと思います。』 トントンのおやじ『ほんとだ!』 美味しい料理に美味しいワインで幸せなひと時を過ごした素晴らしい夜だった。 3人で4本を飲んだ。      コルトン・シャルルマ−ニュを4次元カラフで楽しむ 翌朝は、一番の電車でパリへ帰った 美味しい自然派ワインが飲める店 LE COMTOIR DES TONTONS ル・コントワ−ル・デ・トントン PEPITAさん & Richardさん 住所 22.Fbg […]

15
Fév

ドメーヌ・プリウレ・ロック Dom Prieure’ Roch

体中の血が騒いだ不思議な畑『ゴワイヨット』 今回はブルゴーニュのぶどう畑の写真をお送りします。それもトップ中のトップ、ドメーヌ・プリウレ・ロックが単独所有する「クロ・ゴワイヨット」です。 《最初の写真の中央部分にある、並木の下の囲いがあるところ》 4月14日撮影。今の時期は1日に5−7cmくらい伸びます。 『プリウレ・ロックは、アンリ・ルロワ氏の孫、アンリ・フレデリック・ロック氏が1988年に創立した蔵です。 彼がまだワインの世界に入っていなかったある日、ヴォーヌ・ロマネ村の中心にあるぶどう園に足を踏み入れた瞬間、「体中の血が騒ぎ始めて、何か熱い思いが込み上げてきて、『これだ!!』と感じた」という。この畑こそ、尊敬する祖父が所有していた“CLOS GOILLOTTE(クロ・ゴワイヨット)”であった。 ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティの共同所有者だった母親のポリーヌ・ルロワさんもこの話を聞いて、「独自のドメーヌを設立する」という彼の夢に賛成してくれた。』 という、ロック氏をワインへ引き込んだ不思議で特別な畑なのです。 そしておまけの写真は、DRCロマネ・コンティの畑の発芽の様子です。 この記事は2007-4-20にNishiさんによって投稿されたものです。