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自然派とは食べて飲んで歌う生活を楽しむことなり…の真髄を覗く!

2月15日 金曜日 午前中はシャスラのフィリップ・ジャンボンを訪問。さすがに寒い、マイナス2度の中、まずは畑を見に。すっかり霜が降りた畑で、説明をしながらフィリップがおもむろに取り出したのは、なぜか袋…。そして、畝に生えている野生のマッシュとクレソンを摘み始め、時々ムシャムシャ…「食べる?」と差し出されたマッシュの味と香りの濃いこと…。普段スーパーで買ってるレタスやサラダは一体何なんだろうと思ってしまうほど。 「しっかりとらないとお昼のサラダはなしだよ」そりゃ、大変、がんばって摘まなきゃ。とはいっても、どれが雑草でどれがマッシュなのか見分けが付かない。何のかんのといっているうちに、袋はいっぱいに、ひと安心。 「ぶどうもマッシュもこの土壌から水を吸い上げることで、土地や環境からのエネルギーとハートと思い出を持って育っていくんだ。だからおいしいし、パワーがある」なるほど。 樽からのティスティングの後は外でサンプル用に瓶詰めしたワインを試飲。この寒いのに外!!「カーヴの中より、太陽の下の方がいいよね」確かに太陽は出てるけど、気温はほぼ0度。畑からトータル3時間はさすがに厳しくて、鼻もきかなくなってきたみたい。 そうこうしながらなんとか終えて、ようやくお昼。野生のサラダのおいしいこと! これだけでもここに住みたくなっちゃうねー。その上マダム・ジャンボンのカトリーヌはレストランで料理を手伝うほどの腕前。優しい味のパイと自家製ヨーグルトにチョコレートタルトにフルーツ、ヴィンテージもののフィリップのワインと合わせて…。最後はフィリップのぶどうで作ったマールでしめて、幸せな完璧ランチは終了したのでした。 食後はオートルートで一路エルミタージュへ。4時過ぎにルネジャン・リボの待つダール・エ・リボに到着。試飲の前にまずは「お疲れ様」のアペリティフに日本未輸入のBLANC DIVERSで乾杯。これまで冬は寒くて大変だったカーヴの作業場になんと、パラプリュイ・ショファンなる暖房器具が入っていて、これにはびっくり! ビッグニュース?! さて、いよいよ樽からの試飲。まずはクローズ・エルミタージュの白2007年。畑違い、樽違いと続き、サンジョセフへ。ルネジャンいわく、レ・シャンは日本女性のようにエレガントで慎み深く、ピトルーはフランス人女性みたいに強くてパワフルなんだと僕はレ・シャンが大好きだけどね」ふーむ、意味深発言…。 まだ、リリースはしていないエルミタージュ・ブランは初めて!「まだ若い畑なので瓶詰めはどうかな。カーヴ・オジェは瓶詰めしてほしいっていってるけど」素敵においしいと思うけど、私は。 赤は樽違いを順に試飲。ひゃんなことから話はルネジャンがもうすぐ髭を短くするという話に。「髭は1年に2回、髪は1年に1回切るだけなんだ」やっぱりナチュラルだわん。 夜の食事の約束をして、いったんホテルへ。自然派ルネジャンは自転車で颯爽と?帰っていったのでした…。 ディナーはタン・エルミタージュの町の「マンジュ・ヴァン」へ。日本人女性とフランス人男性の若いカップルが経営するお店で、シェフは奥さん。ルネジャンとほぼ同じ生まれの赤ちゃんがいるということもあって、仲良しのお店。 エルヴェ・スオー夫妻も合流、アペリティフを飲みながら待っていると、ルネジャンとマダム・ヒデコ、もうすぐ6ヶ月のアンジュマリーが到着。まあ、かわいいこと!  食べたくなっちゃうとひとしきり話が盛り上がり、ダール・エ・リボの秘蔵のトントンやらフンフ—ンやらが空くころには絶頂。 ルネジャンが「おしりかじり虫ぃぃ」と歌えば、我らがムッシュ・イトウも意味深な替え歌で返し、なにやら不思議な真夜中のレストラン。あー、ホテルが向かいで良かった!

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ボーヌの一日はテイスティングも食事もスーパーリッチに過ぎていく…

2月14日 木曜日 本日は生産者訪問。まずは、午前中にボーヌの町にあるフィリップ・パカレのカーヴへ。今や世界的スターのフィリップなのに、普段は気さくで楽しいムッシュ。ところがいざワインのティスティングとなると、プロの顔にがらりと変身。樽からの試飲は、シャブリから始まってポマールまで、2007年から2006年へとフルスピードで30アイテムを駆け抜けます。いつ飲んでもフィリップのワインはそれぞれの土壌の個性がしっかり出ていて、きれいで、大感動…。おまけに2007年はフィリップにとって彼のワイン人生で1988年、1998年に次ぐ素晴らしい年とあって、まだ樽の中というのに早くもその頭角を現していることにまたまた感動…。 そうこうするうちにあっという間に午後。フィリップと彼の長男14歳のレノとボーヌの町の「グルマンダン」へ。もちろん、ブレスの鶏もおいしかったけど、ワインのラインナップ、パカレ→ラ・ターシュ2001→オー・ブリオン1986でノックアウト! いやあ、うまかったあ! 午後はボーヌ・ロマネのジャンイヴ・ビゾを訪ねるというのに、こんなにお腹いっぱいじゃあ…。そこで名案、フィリップと彼の畑を歩いて腹ごなし&剪定や耕作などこの時期の畑の状態を見学、そのままフィリップと一緒にジャン・イヴのところを訪問することに。 一見哲学者風のジャンイヴは実はシャイ。真剣な表情で10アイテムの試飲は粛々と進行…と思いきや、珍しいツーショットのジャンイヴとフィリップは作柄やら醸造の話にひとしきり花が咲いて…。あっという間に7時。時間が超高速で過ぎていく…。 さてさて夜。パリから合流した我らがボスのムッシュ・イトウとフィリップの待つボーヌの町の新名所、超シックでエレガントなレストラン「BISTRO DE L‘HOTEL」へ。ここは今や生産者はもちろん、ありとあらゆるリッチな町の有名人が毎晩集う社交場の感。これまでボーヌにはなかった洗練された料理と空間で、「素晴らしいワインと文化のあるボーヌにぴったり」とフィリップも絶賛! 目にも口にも超美しい料理の数々…、たっぷりのトリュフはそちらこちらにアレンジされているし、中でも牡蠣を一個ずつ全て別の風味にした一皿は絶品。 旨さと感動で倒れる寸前になりながらも、そこはやっぱりワインとの「マリアージュ」でしょ。だって、パカレは当然として1978年のラスカーズやら1959年のラヤスやらとくれば、おめめキラキラも当然。あーあ、今夜もまた夢のよう…といいつつ、MAXまでワインにはまってしまった…。 すでに12時はとっくに過ぎてる!

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シャブリに彗星のごとく現れた大型新人はシャイでキュートな26歳!

2月13日 水曜日  昨日は3時までDIVE での試飲に励んだ後、一路シャブリへと移動。本日はシャブリの新進の自然派生産者トーマ・ピコを訪問です。26歳のトーマはドミニク・ドゥランのもとで2年間の研修の後、2004年から父のドメーヌで働き始め、2006年に自分自身の初ヴィンテージをリリースした注目の新星!   朝9時。シャブリの朝はマイナス4度。生産者にとってはこの時期の寒さはぶどうにとって最高のシュチュエーションとあってニコニコのトーマ。世界的に有名ですでに販売力のあるシャブリで、何倍もの労力をかけて畑を改革、ビオやビオディナミを始めるのは大変なこと。でも、トーマは純粋に「よりピュアでおいしいワインを造りたいだけ」のために頑張りたいのだとか。今のところ、彼の畑は0.4haの1級モンマンと1.7haのシャブリだけ。ごく少量だけど、その味は半端じゃなくおいしい! 溢れるような果実味と土地の特徴のミネラル、きれいな酸がしっかり調和してお見事! その上イケメン! 彼は間違いなく二重丸のルーキーといえる…! そーいえば、ティスティングの時出してくれたグジェール、美味しかったなあ。やっぱり、ルーキーはセンス良いのだ、ねっ。

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ここはドーヴィル、リゾートのメッカでテイスティングの幕が開く…

2月11日 月曜日 AM7:30、いよいよパリを出発、映画祭やリゾートとしても有名なドーヴィルで開かれるDIVE IN OMUNIVOREに向けて出発です。いつも畑めぐりでフランス中の高速道路は把握しているはずなのに、A13に乗るためのパリの出口がわからない。あーだ、こーだの末、ようやく標識を見つけて一安心。「だって、北にはぶどう畑がないからさ、車でなんていったことないもん」そりゃ、そうだよね。そして走ること2時間、ここでちょっとコーヒータイムと寄ったサービスエリアでミネルヴォアのジャンバティスト・セナ夫妻とバッタリ。カメラの話でひとしきり盛り上がったところで、やばいやばい、急がなきゃとバタバタしながら出発。そして会場に着いたのは10時過ぎ、カジノはあるは、タラソはあるは、高級クルーザーはわんさか停泊してるはのゴージャスなドーヴィルを眺めることしばし…。 ついに会場内へ。120件ほどのワインの蔵元が出展する会場では有名シェフの料理のデモストレーションやレストランコーナー、コーヒーメーカー協賛のコーヒースタンド、書籍販売スタンドに食品メーカーの試食などなど、にぎやかな設定の中、おなじみ生産者のニューヴィンテージ、初めて出会う生産者のワインと試飲は夜7時まで続いたのでした。 まさしく体力勝負のティステイング!  肉食人種はパワフルだあ。 夜8時、会場にいた関係者、来場者が集まって港に面したレストラン「レ・ヴァプール」で食事。パリからはおなじみレストランやワインショップのオーナー、シェフ、ソムリエと有名な顔も揃って、店の外から1階、2階と満席。200人は下らない一大ディナー大会となりました! 生産者も各自が自分のワインを持ち込んであっちこっちにスーパー自然派ワインがごろごろ、どれでも飲み放題の夢のような時間は、大騒ぎとともに過ぎていったのでした。それにしても夜景がきれい…。

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カスティヨンの暴れん坊プピーユ参上!

<フィリップ・カリーユとは> この男、日本では特に有名である。 1990年に彗星のごとく現れ、専門家によるブラインド・コンテストでシャトー・ぺトリュスと最後まで選考に残り、一躍、グラン・ヴァンだけでない、プティ・シャトーブームの先駆けとなった。 最近では、週間モーニング「神の雫」にも取り上げられ、その勢いは留まることを知らない。 彼は、18歳でボルドーを離れ、南アフリカで3年ギリシャで8年ワイン造りを行っている。 その他にも、アメリカ、チリ、ドイツ、オーストリア、世界各地を訪問してワイン造りを経験している。 その当時の彼のことを自分で「フライング・ワインメーカー」と呼んでいる。 まさに。 現在、フィリップ・カリーユ氏は今年41歳になる、6歳の娘アリス、2歳の男の子ピエールと奥さんの4人家族。だいぶ人間も身体も丸くなってきた。 彼のワインが日本に紹介されて15年以上、もう20回は日本に来ているだろうか、私自身もフィリップとの付き合いは10年近くなる。彼の性格を一言で言うと、とにかく無茶苦茶。超負けず嫌い。 ボルドーの星付きのレストランで、周りの人間が冗談でさすがのお前もこのテーブルの上には立てないだろうと言ったら、すぐに立った、しかも靴のままで。。。 また、この15年間の間に、彼との一気飲み勝負で潰された人間もかなり存在する思う。 そんな彼に付いたあだ名は「ナポレオン」、まさに傍若無人なその振る舞いから来ていることは 間違いない。 <フィリップの考える自然なワイン造り>  さて、その彼が、今回、輸入元の株式会社MOTTOXのオーガナイズのもと、東京、名古屋、京都、神戸と走り廻った。プピーユのぶどう畑は、昔から極力自然な栽培を行ってきたが、2004年より全ての区画にて有機栽培をスタート、2006年ヴィンテージからは、有機栽培の認証も取得する。 有機栽培を始めた理由は、哲学的やイデオロギー的な理由ではなく、環境問題。 自然なぶどう畑、土壌、すべての環境を汚すことなく次の世代に渡したいと考えてとのことである。 自分に子供、家族、守るべきものが出来て、この環境の大切さを実感したのである。  そこで、土壌を汚染する、農薬、化学物質の使用を一切やめたのである。また、川など水源を 汚さぬよう、ワインの醸造や、洗浄に使用した排水は全て、浄水設備でろ過してから川に流している。  また、剪定のぶどうの枝を燃やした熱を循環させ、シャトー全体を暖める設備を造り、年間13トンのCo2の排出量を減らすシステムにも設備投資している。また、有機栽培で認められているボルドー液などの散布も極力抑えるように、各ぶどう畑の区画に、センサーを設置し、ぶどうの状態(気温、湿度)などが一瞬にして、パソコンで見れるようにし、ぶどうの状態をいつでも監視できるようにし、病気などの問題が起きた場合、初期の段階で対処できるようにしている。そして、ソーラー・システムも設置の予定。 この男は、なんでもやりだすととことん突き詰めていく。遊びも、仕事も、なんでも中途半端ということができなのであろう。  このような考えのフィリップが造り出した、スペシャルキュべが、プピーユ・アティピック。 更に、醸造において酸化防止剤の使用ゼロ、ビン詰め前も無添加のワインである。樹齢70年以上 メルロー100%で、新樽100%使用、その味わいはというと、まさにピュアな果実味の凝縮! 樽のニュアンスは、きれいにワインに溶け込み、エレガントかつ、しっかりとした骨格を持つワインに 仕上がっている。まさに、ボルドー、フランスという枠も超えた、他に比べ用のないスペシャルキュべである。シャトー・オーゾンヌのオーナーが、このプピーユ・アティピックの大ファン、このワインには、ファンタジーがあると絶賛している。 <フィリップの更なる挑戦> 現在、ボルドーのワインは、一部のグラン・ヴァンを除き、かなり厳しい状況にある。 ここしばらくの画一的な個性のないシステマテッィクなワイン造りが原因であろう。 そんななか、「自然」というキーワードが未来を切り開くと考え、同じ、コート・ド・カスティヨンの 生産者にこの有機栽培を勧めている。この地区には、3500haのぶどう畑があり、約300の蔵元がある、 それらを全て有機栽培にし、フランスで初めて、いや世界で初めて、唯一の有機栽培のアペラシオンを 育てようというのだ。まだまだ時間は、かかるであろうが、この男ならやりそうだ。 <プピーユ旨さの秘密は樽にあり???>   彼はワイン造りにおいて、樽の木の原産地を毎年のぶどうの出来によって変えている。樽にぶどうを合わせるのではなく、ぶどうに樽を合わせるのである。  年のぶどうの出来により、リムーザン、トロンソー、アリエ、ヌベールなどの樫の木から造られた 樽を選ぶ。それぞれの産地のより、木の持つタンニンの量も違うわけである。  そして、最大の彼の秘密というか秘密兵器「オクソライン」。 これは、写真を見ていただくほうが、分かり易いと思うが、彼の熟成庫では、樽をスチールの丸い枠にいれて、縦に保存する。 このスチールは、くるくる廻るもので、これを手でグルグル定期的に回すことによって,樽のなかのジュースと澱がよく混ざり合い、ぶどうの皮からくる旨みが抽出できるわけだ。  通常は、樽のふたを開けて、器具を入れて攪拌するのだが、そうすると、酸化が進むし、バクテリアなどの混入のリスクもあるため、酸化防止剤の使用が必要となるわけである。  この「オクソライン」を使用することにより、酸化の心配なく澱の旨みを抽出できるのである。 この樽の使い方が、プピーユにおいては樽100%熟成(新樽80%)させても、樽臭くなく、また、ぶどうの果実のピュアな凝縮を感じる秘密である。 <日本食大好き>  フィリップは日本食大好き。普通のフランス人なら口にできない、蛸の刺身をお替りし、納豆も食べられるとのことである。 こちらが「何食べる?」と聞くと「日本食」という返事が速攻で返ってくる。帰国前の夜は、山本益博さんご家族と、「てんぷらみかわ」で美味しいてんぷらを堪能して帰った。 この1週間、フィリップとともにいて精も根も尽きたような気もしたが、いなくなるとなったで急に静かになってしまい、なんだかぽかっと空間に穴が開いたような気がした。  フィリップ・カリーユ、不思議な魅力の持ち主である。時として繊細で、時として冷静で、多くの部分でクレイジーである。とにかく存在感は人一倍である。  まだまだ進化する男である。

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Fév

ヤズ と ルネ・ジャン IN PARIS

2月8日ダ−ル・エ・リボのルネ・ジャンから電話が入った。 ルネ・ジャン『どうだい、元気かい』 伊藤『最高だよ』 ルネ・ジャン『明日、パリに行くよ、一緒に飯でも食べないかい ?ヤズが来るんだよ ! 』 伊藤『ああ、ドーヴィルの自然派ワイン見本市の為に来るのは知っているけど、今夜着くのか?』 ルネ・ジャン『そうだよ、ルドルフの所で一緒にどうだい?』 ルドルフとはパリにおける自然派ワインの先駆者である。ル・ペ−ル・ド・カルトゥッシュというビストロをやっているオ−ナ−シェフであある。身長200mという大男である。 ルネ・ジャンをはじめ古参自然派ワインの醸造元の“たまり場”的な存在だ。パリでまだ自然派ワインが全く出回っていない頃から、ワインリストは100%と自然派だった。 ルネ・ジャンとは兄弟のようなファミリ−な関係である。ルドルフがルネ・ジャンを強烈に慕っている。 ルネ・ジャンが店に来るといつもハイ・テンションになって朝まで飲み会が続いてしまう。  ヤズとは東京の自然派ワイン・ビストロ、メリメロのオーナ−・シェフの宗像さんのことである。 ヤズさんとルドルフは修行時代、三ツ星レストランで一緒に働いていたころかからの付き合いだ。 ルドルフ『ヤズは俺が知ってる日本人料理人ではもっとも忍耐と体力があって頑張屋の男だ。』と言い切る。絶対の親友関係がこの二人には存在している。その当時からルネジャンも一枚関わっている3人トリオの友情関係である。 ルネ・ジャン『とにかく、ヤズは凄い』と言っている。 そんな3人がそろったパリの一夜でした。

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Fév

フィリップ・パカレ訪問記

2007年産ワインの利き酒 野村ユニソン社の竹沢氏と土曜日午後のTGVにてパリを出て、ディジョン経由にて17時にボーヌの駅に着いた。駅までパカレ氏が迎えにきてくれた。 駅から徒歩で3分のところにパカレ氏の醸造所がある。2年前にここに引っ越してきた。それまでは、醸造をニュイ・サンジョルジュのネゴシアンに間借りして、樽熟成をボーヌの山の麓にある洞窟に間借りをしていた。その2か所を行ったり来たりで、無用な時間を費やして大変な作業をしていた。  ここに越してきてからは、醸造も熟成もすべて一か所にてできる。  彼にとっては長年の夢が叶って、ますますワイン造りに集中できるようになった。  元ネゴシアンの建物をそのまま買い取った。地下に理想的な樽熟成所があり1階       に醸造所がある。  2階は事務所と従業員の宿舎になっている。  パカレ『先週は2006年産の瓶詰作業をやっていたんだ。今年の樽熟成は自然な清澄作用が上手くいったよ、オリがワインの中に自然によく溶け込んでいた。捨てるオリの量が少なくて済んだよ。例年は1樽につき5kgのオリを捨てるけど今年は3kgですんだ。(自然派の熟成はオリ引き作業をやらないので、熟成最終段階でもオリが残ることが多い) 2007年産ワインの方はマロも終わってやっと落ち着いてきたところだよ、試飲するには良い時期になった。早速試飲を開始しよう。』 ピペットと呼ばれるガラス製の器具(樽からワインを吸い上げる器具)もって地下に降りた。 いつもより熟成中の樽の数が少ないのに驚いた。  パカレ『2007はトリアージ“選別”の年だった。(良い健全な葡萄のみを収穫すること、つまり少しでも痛んでいた葡萄を切り捨ててしまうこと)だらか収穫量が少ないいんだ。』 トリア−ジの年の収穫に筆者も手伝ったことがあるが、収穫が終わった葡萄園を振り返ると、切り捨てた葡萄の房が多くて、まるで絨毯のようで土が見えないほどであった。 ここまで徹底して健全な葡萄だけを発酵槽にいれるからSO2を入れないで醸造ができるのだ、と感激したことがある。 当然のこと生産量が極端に少なくなる。だからと言って価格を急激に上げられないので経営上厳しい年となる。それでも品質を重視する造りを優先するところに、自然派ワイン造りの“人物”を最重要にあげる理由の一つである。 この醸造元の“選択”の精神力に触れるたびに、私は感動してしまう。自然派ワイン造りは、日本に居ては想像も出来ないほどのリスクを冒して挑戦しているのである。    さて、2007年産をアペラションの樽ごとに試飲を始めた。今日は赤のみの試飲だ。 シャンボ−ル・ミュ−ジニから始まってシャルム・シャンベルタンまで12種類を一機に樽から直接試飲した。マロラクティック発酵が終わって冬に入りやっと普通の試飲ができるようになって初めての試飲だ。 パカレ『3週間前はまだ試飲できる状態ではなかったよ、やっと落ち着いてきた。』 2007年は、予想していたよりもグット男性的な仕上がりとなっていて驚いた。  パカレ『ピノノワ−ルは実際のところそんなに太陽を必要としていないんだ。2007年の7月、 8月の天候は酷いもんだった。でも8月の後半から太陽に恵まれたんだ。ピノを熟すにはそれで 充分なんだ。ジャーナリストが天候の一面だけをみて、色々評価を出してしまうのは困ったもんだ。 ピノは緩やかな温度でゆっくり熟して、後半に太陽が出てくれれば本当にピノらしい風味に出来上がるんだ。』 ここでチョット時間をとって。   パカレ『2007年は皆さんにチョット新キュ−ヴェがあるんだ』   伊藤 『新商品て何ですか』   パカレ『単純なAOCブルゴ−ニュ・ル−ジュだよ』   『え!』竹沢氏も声を失うほど驚いた。 最後にブルゴ−ニュ・ル−ジュを樽から試飲した。 ピノ独特の果実味が豊かで、程ほどのボリュ−ム感で軽やかさがあって何と素晴らしいグイグイ飲めてしまうパカレ・ピノだ。 ご期待ください。  夜は、ボ−ヌで自然派ワインを飲める美味しいレストラン『トントン,tontons』で 共に夕食を楽しんだ。 そこで、パカレ氏が持参したワインをブラインドで楽しんだ。 2001産、瓶詰め時に樽の底にオリの部分だけを集めて個人消費用に瓶詰めしておいたものだ。 竹沢氏『エッシェゾでは』 パカレそう思いますか?私も近いと思います。』 トントンのおやじ『ほんとだ!』 美味しい料理に美味しいワインで幸せなひと時を過ごした素晴らしい夜だった。 3人で4本を飲んだ。      コルトン・シャルルマ−ニュを4次元カラフで楽しむ 翌朝は、一番の電車でパリへ帰った 美味しい自然派ワインが飲める店 LE COMTOIR DES TONTONS ル・コントワ−ル・デ・トントン PEPITAさん & Richardさん 住所 22.Fbg […]

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2007年のボジョレー・ヌーボー収穫開始!

ドメーヌ・ラパリュ ボジョレー・ヌーボー収穫開始 去年「神の雫」に登場して、その美味しさと、ボジョレーの多様性を大勢の人々に広げてくれた「ドメーヌ・ラパリュ」が、8月29日、待ちに待ったぶどうの収穫を始めました。 そこで今年のぶどうの作柄についてレポートします。 ●晴天の中、いよいよ収穫スタート! 予想を上回る品質に期待! フランスは スカッーと晴れ渡った晴天 になりました。 いつもなら夏の終わりを告げる夕立がやってくる8月末のこの時期になって、やっとみんなが待ち焦がれていた青空がやってきました。 8月29日の穫開始日というのは、平年に比べ約2週間早くなります。 「収穫直前は、ぶどうの熟度の上がり方が特に大きいため、当初の予想よりギュッと果実味が強くなって、品質が上がることは間違いありません。」 ●収穫までの様子 8月19日(日)の午後、ラパリュでは2週間ぶりに畑に出て全区画の生育状態を細かくチェックしました。 「その時点では、8月中旬までの涼しさと雨がちだった天気のせいで、 『凝縮感というよりガメイ特有のフルーティーな香り』 を想像していました。 でもこの期待以上の晴天なら、去年のような凝縮感に近づくかもしれません。」 とジャン=クロード・ラパリュ氏。 なぜ2週間放っていたかと言うと・・・ 「ぶどうが色付き始めると、そこから先は自然にゆだねるしかありません。4月から8月上旬まで精一杯のことをしてきたのです。いま心配しても取り越し苦労。」とのこと。 全力投球って感じです。思いっきり働いたんですね。気持がさっぱりしていて、結果が楽しみな感じが強く伝わってきました。 ●今年の収穫スタッフはパワフル! 7月10日ごろ、この地区の西に面したぶどう畑に起きた雹害で、若干ぶどうが傷みました。 痛んだぶどうが混ざると味を損ないます。 そこで 選果作業を徹底 するようにと、平年より5人多く収穫スタッフを雇っています。 東側の区画は健全ですし、ぐずついた天気でもカビが発生しなかったのが何よりも幸いです。 「ドラマティック! こんな良い天気になって、今はどんなヌーヴォーになるか判断できません。傷んだ果実を丹念に取り除けば、ポテンシャルはかなりある。」 「醸造最初の2、3日間様子をみれば、どんな年になるか見えてくるでしょう。」 「収穫が早くなりそうだったから、夏休みを取らずに頑張った甲斐があった。ホッとするね。うれしいです。」:lol: 素晴らしいで出足となった2007年ヌーヴォー。 8月25日の週末以降、劇的に変わった晴天は、今週いっぱいは続く予報です。 ヌーヴォーの後の収穫にもグーッと期待が高まります。 この記事は2007-8-30にNishiさんによって投稿されたものです。

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Fév

ドメーヌ・プリウレ・ロック Dom Prieure’ Roch

体中の血が騒いだ不思議な畑『ゴワイヨット』 今回はブルゴーニュのぶどう畑の写真をお送りします。それもトップ中のトップ、ドメーヌ・プリウレ・ロックが単独所有する「クロ・ゴワイヨット」です。 《最初の写真の中央部分にある、並木の下の囲いがあるところ》 4月14日撮影。今の時期は1日に5−7cmくらい伸びます。 『プリウレ・ロックは、アンリ・ルロワ氏の孫、アンリ・フレデリック・ロック氏が1988年に創立した蔵です。 彼がまだワインの世界に入っていなかったある日、ヴォーヌ・ロマネ村の中心にあるぶどう園に足を踏み入れた瞬間、「体中の血が騒ぎ始めて、何か熱い思いが込み上げてきて、『これだ!!』と感じた」という。この畑こそ、尊敬する祖父が所有していた“CLOS GOILLOTTE(クロ・ゴワイヨット)”であった。 ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティの共同所有者だった母親のポリーヌ・ルロワさんもこの話を聞いて、「独自のドメーヌを設立する」という彼の夢に賛成してくれた。』 という、ロック氏をワインへ引き込んだ不思議で特別な畑なのです。 そしておまけの写真は、DRCロマネ・コンティの畑の発芽の様子です。 この記事は2007-4-20にNishiさんによって投稿されたものです。

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Fév

「ビオディナミスト」88名勢ぞろい!

圧巻!フランスのトップ「ビオディナミスト」88名勢ぞろい! 自然の恵みと大地のパワーをワインに変える 「ビオディナミ」 2月4〜7日にロワール地方の街アンジェールで、「自派」のワイナリー集まるが大きな試飲会がありました。その時の様子をお知らせします。 このグループは、「自然派」の中でも「ビオロジック」農法に加え、宇宙の天体の動きや大地のエネルギーを取り込んだ農業「ビオディナミ」でぶどう栽培をする「ルネッサンス」の人たちです。参加した蔵元はなんと88人。ドメーヌ・ド・ヴィレーヌ、マーク・アンジェリ・・・この手の試飲会としては、他を大きく気引き離して断トツの人気蔵が集結しました。 その中には「クラブ・パッション・ド・ヴァン」で紹介している蔵元のジョ・ピトン(ロワール)、ピエール・ブルトン(ロワール)、ドメーヌ・ヴィレ(コート・デュ・ローヌ)、ドミニック・ドゥラン(ブルゴーニュ)などなどたくさんいます。 一つの蔵で何種類ものワインを試飲するのですから、88蔵ともなれば1日では到底全部のワインを飲むことはできません。新しく加わったワイナリーはじっくり試飲したいから、既に知っている蔵は新しいビンテージだけ、と時間を工夫しても、1日かけて回れたのは約25蔵。(最後は口の中が真っ黒の状態です) 彼らが用意したワインは、ビン詰めを終えてできあがった2005年や、発酵・熟成中の2006年が中心です。フランス全体が素晴らしい作柄に恵まれた2005年は、みんなとっても美味しくて、ついついゴクッと飲んでしまったのもありました。2006年の新酒は、はつらつ&ジューシーです。「収穫を急がないといけなかった」、という話を何度か耳にしましたが、丹念に栽培する「ビオディナミスト」のワインはどれもバランスがとても良かったです。あと数ヶ月熟成させますが、かなり期待できる年ですね。 グルグルグルッ・・・スイスイじゃいます。 試飲会が終わる頃になると、蔵元らが互いに気になる蔵や、知り合いの蔵のブースに行って情報交換します。当然、飲みながら。彼らの試飲って、グラスに注いだワインを一口でクイッーと飲み干したかと思うと、平気な顔でまた注ぎ合います。いやー、飲みっぷりが違う!一緒にいるとついついペースが上がって、最後はいい感じに酔いがまわって試飲会を終えました。 「ビオディナミ」とは? 天体の運行が植物に及ぼす影響を考慮しながら、農薬や除草剤などの化学薬品を使用せずにぶどう栽培する有機農法の一種。オーストリアの農学者ルドルフ・シュタイナーの哲学を発展させて活用。 ロワールの西郷さん、  ジョ・ビトン(左) ローヌのドメーヌ・ヴィレ(右) この記事は2007-2-11にNishiさんによって投稿されたものです。

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Fév

天才醸造家フィリップ・パカレがパリに来た!

3日前、フィリップ・パカレから電話が入った。 パカレ『今度の木曜日の1月11日にパリに出るけど、一緒に食べようか?』 伊藤『いいね、どこで食べる?』 フィリップ『ヴァラタンに行こう』 という訳で昨日は、パリで最高に美味しくて、最高に居心地が良い自然派ワインビストロのヴァラタンに行っきた。兎も角、連日連夜の満員お礼のビストロだ。木曜日だというのに満員だった。 奥さんが料理を作って、主人がサービスする。勿論ワインはすべて自然派のテロワ−ルワインだ。 私が行くとワインはすべてお任せで、ブラインドで出される。ついつい飲みすぎてしまう。自然派のワインリストもすごい。奥さんの料理も3星並だ。特に魚料理の新鮮度と火入れ具合が絶妙だ。魚にうるさい日本人も唸るほどである。 私はやや早く着いた。入ると顔馴染みの主人(彼もフィリップ)が、本日のメニュ−を黒板にチョ−クで書いていた。 この店のメニュ−はこの一枚の黒板だけだ。客が来る度にこの黒板をそのテ−ブルまで移動する。 チョット、早く着きすぎたかな。主人のフィリップとはワイン見本市でよく見かける間柄である。自然派ワイン同業者というか、同僚的というか、仲間のような存在だ。ニコッと笑いながらロワ−ルの微発泡ワイン06を出してきた。『ボンナネ!新年おめでとう!』 ルネ・モスの白だった。美味しい!と唸りたくなるほどだ。シュナン・ブランの柔らかな微発泡が爽やかに広がる。カンタ−前のテ−ブル席を用意してくれていた。 元気な男が入ってきた。自然派ワイン同僚のマークシバ−だった。彼はパリ一番のワイン専門店カーヴ・オジェをやっている。また、ラヴィ−ニャの仕入にも関わっている男だ。パリの自然派業界では外せない人物である。面白い躍動感ある人間だ。しかし、やり手と同時に相当クセ、アクがあるので人から嫌われている部分もある。ルネ・モスのペッティアンを手に持って私のテ−ブルに座った。 伊藤『ボンナネ!』 マーク『乾杯!どうだい商売の方は?』流石商売人だ、日本人的な挨拶の仕方だ。 伊藤『2006年はマアマアだったよ』 マ−ク『俺の方は、うなぎ登りだよ!』と言いながらジェスチャ−を大げさに手を上に伸ばした。 マ−ク『ロシア人と中国人が、グランクリュワインを買いあさっている。しかも特級ものお高いものばかりだ。オファ-すればするだけ買ってしまう。テリ−ブルだよ(すさましいよ)。』 伊藤『カーヴ・オジェでは、自然派ワインとグランクリュとどのくらいの比率なの?』 マ−ク『店の中を占める量は自然派が圧倒的に多いけど、金額はグランクリュの方が多い。』 こんな会話をしているところへフィリップ・パカレが着いた。 マ−クはしばらくは一緒にアペリティフを飲んで自分の席にも戻った。 伊藤『ボンナネ!チョット太ったんでは?』 パカレ『ああ、大分太ったよ。最近ストレスが多くてね、僕はストレスがあると太るタイプなんだ。殆んど食べてないんだよ、でもストレスが体を膨らませる。』 伊藤『珍しいじゃないか?君の口からストレスの話は初めてだ。』 パカレ『ああ、実はね、僕は造っているシャブリがAOCを落とされかかっているんだ。その理由が“ムルソ−に似ているから”と書いてある。あの連中頭と味覚がマヒしているんじゃないか!』 ここで読者には説明が必要になる。 今、自然派ワインを造る醸造元は、それぞれの村で嫉妬からくる感情で邪魔されている、現状がある。何の特徴もないワインを造っている醸造元の方が圧倒的に多い、ブルゴ−ニュでは2%しか自然派がいない。しかも、その自然派ワインが良く人気があって売れているのを嫉妬しているのである、自分達のワインはあまり売れていない。面白くないのだろう。 AOCを名乗るのに、各村のAOC協会のテースティング試験に通らなければならない。 そのテ−スティングのメンバ−が酷い。農協系メンバ−とか、地元の有力者系のメンバ−ばかりで構成されている。テ−スティング能力も酷く低い上に、自分達が造っているワインが味覚の基本になっているから、タイプの違うワインがあると反対する訳です。しかも嫉妬心も入っている。 公正であるはずが全く公正でないのが現状です。この試験は3回挑戦できる。3回とも落とされると、即、蒸留所へもっていかなければならない。つまりワインとしては売れなくなってしまうのです。しかし、例外的に補糖をしてないワインの場合は、テ−ブル・ワインとして販売できる。 自然派ワインの場合は補糖をしてないので、テ−ブル・ワインとして販売できる訳です。 パカレのシャブリは2回目を落とされた。3回目も落とされると、ヴァン・ド・タ−ブルで売らなければならない。本当に怪しからん人間達だ。自分達は農薬、化学肥料、補糖、人工酵母と 化学物質を使って、土壌とは全く掛け離れた工業的ワインを造っているくせに。 パカレ達の様に土壌を生かす為、3倍もの労力を必要とする自然栽培をして、自然酵母のみで本来の其処の土地、土壌の風味を出しているワインを造っているワインを、嫉妬心で落すゴロツキ連中は許せない存在である。残念ながら、このような事は現在フランス中に起きている。 この落とされたワインを救わなければ、本物ワインがフランスから消えてしまう。 これらを黒船として、外部から応援する為に、このクラブ・パッション・デュ・ヴァンを造りました。例え、AOCを落とされても、売れる状況を我々が造ってやれば、彼らも自信を持って本物ワインを造り続けてくれる。本来のフランスワインの風味を残さなければならない。 本当に土壌に根ざした風味を備え、まず文句なしに美味しく、体にも優しく、地球環境にも良い こんなワインを発展させたい。 本当にこの問題は、彼らにとっては死活問題なのである。日本のインポ−タ−さん、酒屋さん、 ソムリエさん、ワイン愛好家の皆さんに、こんな現状をタイムリ−に知ってほしかった。 世の中、本物が評価される時代に戻さなければ! ーーーーーーーー ストレスが溜まっているパカレはグイグイ飲みはじめた。 2本目はピエ−ル・オヴェルノワのシャルドネ04だった。 3本目にパカレのシャンボ−ル・ミュ−ジニ02 4本目にパカレのジヴリ・シャンベルタンの1級03 5本目 はもう覚えていない。メモしたがその文字が読めないほど酔っていた。 最後はカウンタ−に立って、主人とパカレ、料理の奥さんも含めて飲み会になった。 楽しい、楽しい夕食でした。 会話集 覚えている範囲でランダムに列挙 ーーーーーーーー パカレ『来週、おじさんのマルセル・ラ・ピエ−ルとフリストフ・パカレが瓶詰めの手伝いに来てくれる。うれしいよ!来週は飲むぞ!』  彼らはお互いに瓶詰め時期は手伝いにいき協力しあっている。去年のこの時期は私もボ−ヌに居たので、夜は合流してボ−ヌの日本食ビソ−で宴会をした。 クルストフも;マルセル・ラ・ピエ−ルもベロベロに酔っ払っていた。この夜も楽しかった。 ーーーーーーーー […]

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世界で最も幸せな、醸造元ジャンピエ−ル・ロビノがPARISに

1月8日 ジャンピエール・ロビノがパリに出てきた。 昼食を一緒に食べた。 彼を見る度に“世界で一番幸せな醸造元”と呟いてしまう。 躍動感を体の芯からかもし出している。頭から湯気が出てるのでは、と感じるほどである。 フランスで自然派ワインを語る時、彼を抜きでは語れないほど重要な役割を演じてきた人物でもある。 数年前までは、パリで自然派ワイン専門ビストロを経営していた。 フランス第一号の自然派ワインビストロを始めた男である。 自然派ワインの歴史を最初から見てきた男である。と言うよりも自然派ワインを初期の段階から支えてきた人物と云った方がよいかも知れない。 つまり、マルセル・ラピエールなど自然派第一世代の人達がまだ全くの無名だった頃から、 せっせとパリで自然派ワインの啓蒙活動と販売をして彼らを支えてきたのである。 自然派ワインの生き字引みたいな男である。 だから、彼と食事を共にするのは、色んな話が飛び出してくるから大変な楽しみなのである。 そんな彼は、数年前にビストロを閉めてワイン造屋に転職してしまった。 場所はロワールのジャスニエールである。 自然派を知り尽くしたロビノが選んだ土地である、偶然に選択する訳がない。 ロワール地方でもさらに北に位置するにも関わらず、物凄いパワーを感じさせてくれるワインを造りだしている。 最初はフィリップ・パカレにアドバイスをしてもらいながら始めた。 流石がジャンピエ−ル・ロビノ!!と云いたくなるようなワイン素晴らしくミネラルなパワーと果実味を備えたワインである。 クリスマスが終わった翌日26日に、ロビノから電話が入った。 『ヨシオ、28日にパリに出るけど一緒に昼食でも食べないか?』と元気な声が飛び出してきた。 『樽で寝かしていたワインが出来上がって瓶詰めしたからもって行くよ』 そんな訳で本日28日、一緒に昼食をとった。 流石に自然派の生き字引、面白い話がポンポン出てくる。 記憶に残っている語録を、脈絡なくランダムに列挙しよう。 会話集 ロビノ『今の自然派を造り上げた人物は、第一にはやっぱりジルショ−ヴェ氏だな、でもショ−ヴェ氏には二人の弟子いるんだ。一人はフィリップ・パカレだ。これは皆知っているな。二人目はジャック・ネオポ−ルなんだ。80年代の後半は、彼がボージョレの醸造元に行ってジルショ−ヴェの教えを実践指導していったのだ。だからジャックの功績は絶大だ。 オ−、勿論、フィリップは素晴らしい。』 伊藤『ジャック・ネオポ−ルってどんな人物だったの?』 ロビノ『行動的な人間だ!でもジャ−ナリストが大嫌いだ!ジャ−ナリストが来ると裏口から逃げてしまう!だから表にでることがなかったんだ。ジャックがボ−ジョレを去った96年からボ−ジョレが変わってしまった、と感じるほどの人間だよ。』 伊藤『今度紹介してよ!一緒に飯でも食べよう!』 オビノ『それはいいね!』 ーーーーーーーー ロビノ『今のAOCはタダの紙切れだ!あんまり価値がない。コミニケ−ションが全く無い。ビオロジック認定協会もだんだん似てきた。あまり価値が無くなってきた。』 ーーーーーーーー ロビノ『自然派のワインは、変化が激しくよい時、と閉まってしまう時の差が大きいと言う欠点がある。ただそこを揚げ足をとって批判する奴がいる!アホだよ!人生のたった15%の部分だけを見て、その人生を判断してしまうようなものだ!』 ーーーーーーーー ロビノ『ワイン造りってのは、自分で造ってはじめて分かったけど、誰一人同じワインは造れない!ってこと。サインみたいものだな!年代も変わるとこれも同じワインがつくれない!年代が変わっても一緒だったら、その方が問題だな!どこかに誤魔化しがある。』 ーーーーーーーー ロビノ『ヨシオ!“RECREATION”という動きはグットアイデアだな!3月には自然派の仲間が20人ほど日本に結集して自然派試飲会をやるそうじゃないか!俺もいくよ!』 伊藤『それは素晴らしいことだ!』 by ITO