18
Déc

ボジョレ・ヌーヴォー解禁日のMARUGO                クリストフ・パカレ訪問 マルゴーNO2

新宿マルゴグループには4年ぶりの訪問のクリストフ。 2013年にマルゴ店でボジョレ・ヌーヴォーのカウントダウン祭りに参加した。 その時も店から店へと歴訪した。 今回は店数が倍に増えていて、全店訪問は無理なほどになっていた。 それでも可能な限り訪問した。 MARUGO一号店では4年ぶりの店長さんと再会を喜んだ。      流石の第一号店、今でもエネルギーに満ちている。 活気がある。超満員状態。    ボジョレ・ヌーヴォーの品揃えも半端ではない。 自然派ヌーヴォーを中心に何と12種類を揃えて、比較試飲ができる。やっぱり流行っている店が勢いが違う。 自分の仲間達のワインがリストされているのを見て喜んでいるクリストフ。    解禁日に造り手のクリストフ・パカレが店に来ているので驚いているお客さんにサービスするクリストフ。 どこまでも、気さくで柔らかな対応力、一切格好をつけない。これがマルセル・ラピエール仕込みのボジョレの哲学の神髄。

6
Oct

30年目の収穫!超べテランのヌヌーン、                   ジョルジュ・デコンブ!! -No2

ここの葡萄園はお祖父さんの時代に始めた。当時は、ボジョレでは皆兼業農家だった。 家畜、酪農、チーズ造り、色んなものを栽培していた時代だった。ヌヌーンは農業学校で葡萄栽培・ワイン醸造を学んだ。 その後、お兄さんと一緒に瓶詰業者の会社を設立して一緒に働いていた。 つまり、大型トラックの上に、瓶詰機械を設置して醸造元を移動しながら瓶詰をする専門会社をやっていた。 ある時、マルセル・ラピエールの蔵に瓶詰をしに行った。 マルセルのワインを飲んで驚いた。こんなワインがあるんだ。今まで飲んだことがないスタイルだった。 あまりにもの美味しさに感動したデコンブは、こんなワインを自分で造ってみたいと思った。 マルセルに教わりながら初リリースをしたのが1988年だった。 かれこれ30年の歳月がたっている。 マルセルはヌヌーンのことが好きで、よくデコンブ醸造に来ていた。 独り立ちしたデコンブを常に応援・指導していたのである。 私もマルセルとよくデコンブの自家製ビストロにきてベロベロに酔っ払うまでのんだものだ。 時代は流れて、今はもう次世代の世界が始まっている。息子達も独立した醸造元を立ち上げて頑張っている。 長男のDamien Coqquelet ダミアン・コクレ、次男のKevinケビンも独立して世界中にファンを持っている。 今、ボジョレで最も勢いのあるファミリーの一つがこのコンブ一家である。

25
Sep

Morgonモルゴンの銘醸地Côte de Py コート・ド・ピィ

BEAUJOLAIS –ボジョレ この山の若き頃、太古の昔は激しく活動した活火山だった。 今はすっかり落ち着いて、なだらかな丘になっている。 この丘の中に秘めている昔の鉱物群が我々に美味しい液体を毎年プレゼントしてくれる。 Côte de Py コート・ド・ピィ、何故、美味しい? ミネラル、鉱物、つまり土壌がモルゴンの一般的な土壌構成と違う。 3億年前の花崗岩を中心に、4億年前の黒灰色系硫化鉄ヴォルカニット・グリーズやノワールが混ぜっている。 激しく活動したエネルギーがミネラルに内蔵されている。 その土壌構成に合った微生物が生息している。 その微生物群の一部が自生酵母群であり、他のモルゴンのものとは同じではない。 自生酵母達がこの土地独特の風味を液体に転写してくれる。他とは違うのは当たり前! 太陽の当たり方も、風の流れも、平地のモルゴン区画とは全く違う。 360度に斜面を持ている。 突き詰めると実に面白いテロワールである。 ここには、 Lapierre ラピエール家 Jean Foillard ジャン・フォワヤール Petit Max プティ・マックス Damien Coquelet ダミアン・コクレ など、モルゴンを代表する醸造家が畑を所有している。 どの方角からモルゴン村に入ってきてもこのコート・ド・ピィの丘が見える。 その都度、モルゴンに来たな、と実感する。 何故か、私はモルゴン村が好きだ。 ボジョレに滞在する時は、いつもこの村に住み着く。 私のモルゴン村への愛着は、深いところでマルセル・ラピエールと重なっている部分がある。 この村に来る度に、この丘が“お帰り”と云っているように感じる。 マルセルはコート・ド・ピィの中腹に永眠している。

16
Août

驚くべき オリオル・アルティガスOriol Artigasのワインの魅力

自然派ワインビストロ・Brutalブリュタル もう、私もKishoもJunさんもまるで催眠術にかかったかの如くにオリオル・アルティガスOriol Artigasのワインに魅されてしまった。 私は仕事がらビストロにくると、色んな造り手のワインを試すのが普通。でも今日はそんな理性が働かなかった。 3本目は El Rumbero エル・ルンベロ Oriolオリオルさんが今借りている醸造所マス・ペリセールMas Pellisserの周りにある畑の葡萄を仕込んだもの。 花崗岩土壌に育つ17歳のメルローを、ダイレクトプレスしてブラン・ド・ノワールのジュースをとり、シラー品種とグルナッシュ品種を5日間マセラッション(カモシ)したものを、合わせて醸造したワイン。 メルローの爽やかさにシラー、グルナッシュの果実味、僅かなタンニンで、まるで水のように喉を通り過ぎていく凄い奴。 全く違う造りのワインやジュースを組み合わせて醸造するという発想の造りが凄い。 最近の若手の間で頻繁にやられている造り。今までの造り手にはなかった発想。 その昔、日本で新しい世代の事を“戦争を知らない子供達”と呼んだことがある。 この自然派新世代のことを、“マルセルを知らない子供達”と呼びたくなってしまう。 Marcel Lapierreマルセル・ラピエールは化学剤や人為的な妙なテクニックで化粧されたワインに対して、Vin Natureという言葉で表現した。 今の若手は、もうそのスタードは過ぎている。 自然が当たり前で、最初から次の段階のことを考えている。 こんな造りのワインに触れる度に、ある時代が物凄いスピードで進化しているな、と痛感する。 毎日、移動しながら色んなワイン、色んな造り手と出逢いながら、この自然派ワインの世界がどんな方向へ、どんな形になっていくのか、あれこれ思考しながら楽しめるのが最高に嬉しい。 豚とコシのある海藻を合わせてソーテした一皿にピッタリ、そしてほぼ生に近い牛に合わせた。 それは、もう格別でした。

16
Août

バルセロナ自然派ワイン専門ビストロ …………………. Brutal ブリュタルは超満員

Memoire de l’Histoire de Vin Nature. Le premier bistro Vin Nature, L’Angevin. バルセロナの自然派ワイン・ビストロBrutalにいると、嬉しくなる。 本当に自然派ワインがここまで浸透してきたか、と感じる。 年配の人から若い人まで色んな年代の人達で賑わっている。 明らかに美味しい夕食と美味しいワインを飲みにわざわざここにやって来た人達だ。 今日も超満員だ。 自然派ワインの世界が、いままでとは全く違ったスタードに突入したのをヒシヒシと感じる。 ワインを飲みながら自然派ワインの歴史が頭に蘇って来た。 ★Histoire de Bistro Vin Nature, naît à Paris.★ ★自然派ワインビストロの歴史に思いを馳せた。パリだった★ 1989年にパリでJean-Pierre Robinotジャンピエール・ロビノが自然派ワイン専門ビストロ“ANGEVIN”アンジュヴァンをオープンしたのが初めだった。まだ、ほんの一部の人しかVin Natureという言葉すら知らなかった時代だ。 店の近所にフランスで最も権威のある新聞社Le Mondeの本社があったのも幸いした。 多くの記者、文化人が出入りして、本物ワインの造りを実践しているVin Natureの醸造家達の存在を世に知らしめた。 当時90年代はワインビストロと云えば、グランヴァンやロバート・パーカーが高得点をつけたワインを楽しむ場所だった。 物事の奥を追究するコアなワイン愛好家達は、化学物質を使って化粧をして味を調える一般的な有名ワインから離れて行った。 超コアなワインラヴァー達がVin Natureに興味を持ち始めた時代だった。 私も90年代に時々“ANGEVIN”アンジュヴァンに顔をだしてラピエールの年代ものをよく飲んでいた。 そして、今、フランスの自然派の中心醸造家達、マルセル・ラピエールをはじめ多くの醸造家達の集まり場所だった。 ここから、若手醸造家が自然派ワインに入ってきて、一挙に広がっていったのである。 それから約30年の歳月が流れてVin Natureがバルセロナでこんな風に、普通に飲まれる光景に出逢うと感慨深いものを感じる。。 ちなみに、そのJean-Pierre Robinot自身も今は出身地のロワール地方、Jasniersジャニエール村に戻って、醸造元L’ANGEVINを立ち上げてトビッキリ美味しいワインを造っている。 ロビノL’ANGEVINアンジュヴァンのCuvée Bistrologieキューヴェ・ビストロロジーは最高に美味しい!!

9
Août

真夏のヴァン・ナチュール見本市“BIM”ビム 翌日の遅めの昼食

翌日は、ゆるりと昼過ぎに集合して豚2匹の丸焼き。 この時期にこのメンバーが集まっては、そう簡単には終わらない。 丸2日間の夏祭り。     豚の丸焼きと云えば、マルセル・ラピエール生前中、7月14日に毎年行っていた、自然派ワインの夏祭りを思い出さす。フランス中から自然派ワイン関係者が集まってきて交友を深めた。 自然派ワインの発展に大きな役割を果たした行事だった。      ここに新たなチームが、新たに始めた。 若手醸造家達による、新たな時代の始まりか。 この輪は広がるだろう。     

8
Août

Changement de l’ Epistème de nature !! 新旧の地殻変動!!

次世代ヴァン・ナチュール見本市 “BIM” 自然派ワインの進展もここまできたか!と思うようなワイン見本市が南ローヌで開催された。 まさに、新旧の地殻変動が進行しているのを感じる。 マルセル・ラピエールから始まったヴァン・ナチュールの世界、その影響を直接享けた人達から次の世代へバトンが渡されようとしている。 アンチ・テクニックの発想から“自然・ナチュール”とう名を使ったマルセルの時代。 実質上、90年代初期から世にでて、約30年弱が過ぎようとしている。 当時、20代、30代だった醸造家達が、50,60代になっている。 彼らの息子達が働きだしている。 次に控えている世代は、“自然が当たり前”で敢えてナチュールと名乗る必要性を感じていない。 これから始める人達にとっては、もうアンチ・テクニックの発想は全く消えている。 BIMはそんな世代ばかりが詰まった未来を垣間見るワイン見本市だった。 そんな面白いことを主催するのは、この人、ヴァランタン・ヴァルスValentin VALLESだ。 先週末の7月23日に南ローヌNimesニームの街の近所で開催された。 23日の17時頃から始まって21時まではテ-スティング、それから皆で夕食、朝まで続くお祭りだった。 メンバーは若者ばかり。スペインの次世代の天才醸造家二人の参加。 この世代にもう国境はない。 ラングロールの次世代チボーとスペインのコスミックやマスペリのオリオルがもう繋がっている。

9
Juin

Philippe PACALET Chez Bistro Simba ・・・・・・・・・・・フィリップ・パカレがビストロ・シンバへ

フィリップ・パカレはリヨンの石田シェフのレストランには時々顔を出している。 石田さんとフィリップはお互いにファミリーのような存在である。 共通点はマルセル・ラピエールだ。 石田さんにとってマルセルは家族以上の存在だった。 . 菊地さんは石田さんのレストランで修業したことがある。 懐の深い石田さんにとって菊地さんはファミリーの一人。 つまりフィリップにとってシンバはファミリーに逢いにくるようなもの。 . Vin Natureを通じて、こんな感じで世界中どこにでもファミリーが広がっていく。 この世界の根幹の哲学は“共生”である。 排他的な共生ではない。 自分達と違う考えの人、ワイン、もの、こと、を含めて、共に生きるということ。 微生物から宇宙まですべてが繋がっている。 批判と排他からは何も生まれない。共生からは多くのものが繋がっていく。 シンバに偶然に居合わせた人、わざわざフィリップに逢いに来てくれ人。 共に楽しむフィリップとモニカ。

4
Juin

自然派の申し子フィリップ・パカレが日本に!!       公開 試飲会、セミナーあり!!

これから、ワインの世界で生きていく人達へ、 フィリップ 『地球温暖化も含めて多くの変化がワインの世界に押し寄せている。現場で起きていることを、時間の許される範囲で、日本の皆さんに今の現状、対応方法、挑戦などをお話ししたいと思います。』 ★東京・試飲会、セミナーは6月6日(火)14:00より ホテルモントレ半蔵門東京都千代田区一番町23番1号 . ★九州・福岡・試飲会・セミナーは6月9日(木)14:00より ホテルモントレラ・スール福岡 福岡市中央区大名2丁目8番27号TEL:092-726-7111 . (その他にも小規模のものあり。) フィリップ・パカレ 1960年代、フィリップの母エリアン・ラピエールは息子のフィリップを実家のラピエール家に預ける。ワイン造りをやっていた祖父母と伯父に当たるマルセル・ラピエールと共に生活。 . 1984年にジュル・ショーヴェ博士と知り合う。 ジュル・ショヴェ先生とは? 『きれいな香りの美味しいワイン造りを研究』  香りの為に自生酵母で発酵を唱える、有効な自生酵母を生かす為に自然栽培、醸造中のSO2無添 加を主張。  SO2無添加による危険性を避ける為に、収穫葡萄を冷やす。  年月をかけて、土壌に由来する『きれいな香りの美味しいワイン造りを研究』した人物。 .  このような造りをジュル・ショーヴェ博士は、1970~80年にマルセル・ラピエールに伝授。  以後、マルセル・ラピエールはSO2添加なしの造りの試作に専念。 . 1985年にフィリップはマルセル・ラピエール氏と共にワイン造りを初めて経験。 . 1987年にマルセル・ラピエールは初めてMorgon Natureを造りました。その時、パカレも経験。 . 1987~1989年の2年間、ディジョン大学で勉強しながらも、ショーヴェ博士の研究に参加。      テーマは『自生酵母・リンゴ乳酸菌発酵、SO2無しの赤ワイン発酵について』 フィリップはこのような造りを学問的に立証。 . 1990年 フィリップはアンリー・フレデリック・ロックに乞われてDomaine Prieuré Rochドメーヌ・プリューレ・ロック醸造に入社。以後、数々のブルゴーニュ名門畑で、自生酵母・SO2無しの醸造を実践。 数年後、アンリー・フレデリック・ロックがロマネ・コンチのオーナーになる。 フィリップは当ドメーヌの名声を築いた多くの銘醸畑のワインの品質を造りあげた。 . 2000年に独立。幾つかのブルゴーニュ畑を借りてドメーヌを設立。 南フランスのCh-Puech Hautシャトー・ピュエッシュ・オにてコンサルタントとして醸造経験。 2年間、南の品種、南の土壌での自生酵母・SO2無しのセミ・マセラッション・カルボニック醸造を実践。 . 2010年以降、南フランス、ボジョレなど他の土壌での醸造に興味を持つ。     . 2015年、30年に及ぶ醸造の経験、特にブルゴーニュの繊細な深味ある銘醸畑とテロワールを醸造した手法で、他の地域の土壌への挑戦に大変興味を持つ。 . 特に、近年の温暖化現象の中で、ブルゴーニュの未来を探る為にも、暑い気候風土でのワイン造りに大変興味がある。 また、自分の原点でもあるボジョレのテロワールへの真の挑戦にパッションを注ぎ始めたフィリップ。    . フィリップは云う 『物事は常に進化している。有名になったり、評価されると多くの人は止まってしまう。止まったら最後だ。もう環境の変化に対応できなくなる。物事を文字で書いた時から、もう進化は始まっている。止まってはダメなんだ。』 『最近の地球温暖化の影響で、ことに葡萄栽培、醸造の世界は大きな進化が必要になっている。ここ過去5年間のブルゴーニュの変化は絶大なものがある。栽培も醸造も昔のままでは対応できなくなっている。 そんな変化を日本の皆さんとお話しできたらと、思う。』 『時間の許される範囲で、日本の皆さんに今の現状、対応方法、挑戦などをお話ししたいと思います。』

30
Avr

★パシオン心斎橋店のラスト営業日について★

FERMETURE DU BISTRO – PASSION ET NATURE (OSAKA) 長年のPASSION営業お疲れさまでした。 関西の自然派の世界を築きあげた出城でした。 今はすっかり関西自然派の“型”が出来上がり、出城の役割から次の世界を 築き上げる新たなチャレンジャーとして変身していくのでしょう。 数えきれな思い出があり、それらの写真と共に、PASSIONに関わったすべての人に 御礼を申し上げます。 本当にお世話になりました。 これからも、自然派ワイン、よろしくお願いします。 今は亡きマルセル・ラピエールもお邪魔しました。 フィリップ・パカレが、フィリップ・パカレとモニカさんも ジェローム・ジュレが、フィリップ・ジャンボンが オリヴィエ・クザンが、ヴィエイユ・ジュリアンヌのジャンポールが、 エリアン・ダロスが、ジャンピエール・ロビノとセナさん 、エルヴェ・スオ、セバスチャン・リフォが カトリーヌ・ブルトン、エドワード・ラフィットが、あのダール・エ・リボのルネ・ジャンも 藤田社長、松井さん、本当にお世話になりました。有難うございました。Merci!! あのマルセル・ラピエールもお邪魔しました。    フィリップ・パカレも。        フィリップ・パカレとモニカさんも               ジェローム・ジュレも          フィリップ・ジャンボンも              オリヴィエ・クザンも        エリアン・ダロス、ジャンピエール・ロビノ、セナ / エルヴェ・スオ、セバスチャン・リフォも      カトリーヌ・ブルトン、エドワード・ラフィットも    あのダール・エ・リボのルネ・ジャンも          ヴィエイユ・ジュリアンヌのジャンポール・ドーマン ドミニック・ドランも                   そして、私もお世話になりました          藤田社長、松井さん、本当にお世話になりました。有難うございました。

13
Avr

B.B.Bボジョレ試飲会の源泉Beaujoloise ボジョロワーズ

La Source de Salon a Vin Beaujolais-BBB,Beaujoloise 流石、自然派ワインの発祥の地と云ってよいボジョレ。 良い形で自然派ワイン、ビオワイン、一般ワインの共存ができている。 マルセル・ラピエール生存中に始まったボジョロワーズ試飲会。 マルセルのアイデアは、自然派、ビオ, 一般ワイン醸造家が普通に共存する形を造りたかった。 マルセル・ラピエールの指示でこの3人が実践部隊として動いた。 Christophe PACALET, Cyril ALOZO , Mathieu LAPIERRE 2008年当初は近隣のボジョレ、マコン、ブルゴーニュの自然派醸造家を集めて小規模でボジョロワーズ試飲会をやっていた。 回数を重ねて段々と認知されて、フランス中、ヨーロッパ中からプロ・バイヤーも集まるようになった。 数回目から、ビオ醸造家、一般醸造家も誘って、ボジョレワイン全体のワインサロン形態をめざした。。 自然派ワイン醸造家 - Beaujoloise ビオワイン醸造家  ― Biojolaine 一般醸造家     - Beaujolart 三つのグループに別れて、頭文字をとって、Salon B.B.Bとして、ボジョレワイン全体を盛り上げるワイン・サロンに進展してきた。 このBBB形態アイデアの源泉はマルセル・ラピエールにあったことを忘れてはならない。 特に、栽培方法も醸造方法も違うけど、Vigneron ワイン造り手として一緒に共存するアイデアを打ち出したのである。 人間として、考え方の違いを認め合うことの重要性を“形”にしたこの発想は流石マルセル・ラピエールなのである。 いつも遠くを見ていたマルセル・ラピエール。

30
Mar

『林真也君、日本は君に任せたよ』マルセル・ラピエール

林真也 * Hayashi Shinya/ラ・ピオッシュ * LA PIOCHE 世界で最も自然派ワインを美味しく飲ませる男 林さんの修業時代に不思議なことが幾つかありました。 2010年、林さんとボジョレを訪問中に、あのMarcel Lapierre*マルセル・ラピエールが天国にめされました。 旅行を中断して、マルセルを天国に送る一連のセレモニーに私と一緒に参加したのが林さんでした。 世界中からマルセル、自然派ワインを愛する人達がモルゴン村に集まった。 その中に、この林さんがいたのです。 自然派を造りあげたマルセルの最後のセレモニーに出席することになった日本人(日本から来た)が林さんだった。 マルセルをお墓に納めた夜、ラピエール醸造所で発酵中の一つのタンクを絞った。 マルセルを愛した世界中の人達に混じって、マルセルを天国に送るパラディを飲んだのも林さんだった。 その時、一緒にいたロビノさんとの写真です。 マルセルから『林君、日本は君に任せたよ!』と云われたのではないだろうか。 マルセルが亡くなって一番悲しんだ日本人は、LYONの石田シェフ。 次の日は、石田さんのレストランに行って、一緒にマルセルを偲んで一杯やった林さん。 (石田さんの店には、いつもマルセルの写真が貼ってある) 林さんの自然派ワインへ“愛”は運命的な絆を感じる。

16
Jan

AKIとPassion et Natureで飲むラピエールのワインに感動

私が行った時はまだヌーヴォの解禁のすぐ後だったので、マルセル・ラピエールのヌーヴォーを頂きました。 今日は、CPVの大阪スタッフのAKINORI石川君と一緒。 Akinoriはマルセル・ラピエール醸造で一年間修業して、マルセルからAkiの呼称で愛されていた。 マルセルの最期を見とどけてマルセルの埋葬の夜、 世界中から多くの人が集まった。 AKIはその時、研修中だった。 10年産のマールを圧搾機にかけてパラディと呼ばれる液体を絞り、集まった多くの人達に飲んでもらい、マルセルをパラディ(天国)へ送った男でもある。 今、AKIはマルセル意志を継承して自然派ワインを広める仕事をしている。 そんな男AKIと新大阪でマルセル・ラピエールのヌーヴォーを飲んでいるとは偉大なワインの縁を感じざるをえない。 ヒロヨさんご馳走様でした。有難う。