25
Oct

元祖自然派ラピエール家2014歓喜の収穫が完了

完璧な葡萄のみを発酵槽に!大成功! VIN NATURE ヴァン・ナチュル自然ワインの宗家といってもよいラピエール家の収穫が無事に終えた。9月4日に始めて9月25日に終えた。収穫人67人で22日間かかった。 67人を5グループに分けて別々の区画を収穫した。ベテラン組、超プロ集団組、ノーマル組3組,計5チームに分けた。 超プロ集団は10人で30人分のスピードで進んでいく。ベテラン組は選別作業が必要で難しい区画を担当した。 残りは例年の如くのノーマルな4つのグループとなった。これはマチュのアイデアだった。 これには理由がある。 マチュの秘策で災難を無事クリアー  今年は雹が3度、モルゴン村を襲った。ラピエール家の葡萄も逃れことはできなかった。その後にSUZUKIと呼ばれている虫も発生した。この虫は葡萄の皮に穴をあけて、そこから腐敗が始まっていく。 収穫直前の8月後半に入っ  て、マチュは葡萄園を観察しながらこの被害に気付いた。区画によっては、あまり待てない状況だった。 やや早めの9月4日に収穫を開始した。モルゴンの畑から始めた。腐敗から守る為だ。超プロ集団とベテラン組のスピードが必要だった。これが成功した。 幸いにも、14年は葡萄房の数は多めの方だった。選別作業(いい葡萄と悪い葡萄を区別したり、一つの葡萄房でも悪い分部だけを切り落とす作業)をかなり厳しくやっても、ある程度の収穫量を確保できた。問題は収穫に時間がかかることだった。22日間という時間がかかったけど結果的に本当に健全な葡萄だけを選んで発酵槽に入れることができた。災難を完璧にクリアーできた。   2014年のラピエール家の事実上の醸造長は長女のカミーユだ! 総監督にマチュ、収穫管理長にマリー マルセルが世を去って4年が過ぎた。自然派ワイン宗家として家族一丸となって前に進んでいる。長男のマチュが醸造責任者になってからの方が繊細さや上品さなどは一段とレベルアップしたと世界のファンよりの評価を得ている。 そのマチュも今年は醸造だけに打ち込む時間が取れなかった。  67人の収穫人の移動と時間プログラムの組み立てと管理も同時に担当しなければならなかった。 毎日、収穫が終わった夕刻に醸造元内にあるテーブルでは、その日の進み具合と次の日のプログラムの組み立ての作戦会議をやった。一年間の仕事の総決算の収穫を無事終わらせる為にファミリー、ベテランが一つになって事に当たっている。 今年の大きな変化と戦力となったのが長女カミーユの成長だ。 カミーユはソムリエの資格もとってロンドンやフランス国内のレストランで修業した。その後2年間ブルゴーニュのワイン学校で勉強。ワイン造りはマルセル生存中から一緒に経験してきた。 マルセル亡き後、マチュと二人で醸造を経験してきた。マチュも カミーユのテースティング能力と醸造センスには正直驚いていた。 マチュも今年のような特殊事情の機会にカミーユにやらせようと 決断。カミーユも責任をもってやってみたかった。 勿論、後ろにマチュの監督・援助があるのは当たり前だ。 そして、次女のアンヌがいる。根っからの明るい天然娘である。 そこに居るだけで周りが明るくなる雰囲気を持った女性だ。 時には収穫を、時には醸造を手伝って周りを盛り上げた。   マルセルが愛したコート・ド・ピィの丘を背に収穫するラピエール軍団 収穫は朝7時に始まって10時に休憩が入る。 醸造所に近い時は、醸造チームもやって来て一緒にカスクルット(間食)を食べる。 結構、朝から働いていると、お腹が空くので 皆チーズにパンにワイン。デザートにチョコレートそしてコーヒーもある。 全体を観ながら、収穫プログラムを組み立てているマチュも進み具合をチェックにやって来る。それによってプログラム修正を を考える。思うように収穫ピードが進んでいないようだ。 マチュは、恐らくあまり寝てないのだろ。2週間目ぐらいで顔が少しむくんできたような気がする。 中腰で葡萄を切って、立ち上がって移動する。スクワット運動で足腰がグロッキーになる。   ラピエール家の収穫は常にプラス・エネルギーと笑顔、そして厳格さ! 厳格な選別作業、葡萄の悪い分部を切り落とすことを徹底している。 葡萄房をとってから 悪い部分(傷んでいたり、腐りかけている部分)を切り落とす作業。 だから時間がかかる。 偶然に、繊細で美味しいワインはできない。 ここまで徹底して実行している例を、私は見たことがない。 何百社という醸造所の収穫を見てきたけど、ここまでの厳格さは存在しない。多分、世界一だと思う。さすがラピエール家だ。 葡萄園に設置された運搬用のケースに運び込まれてくる収穫葡萄を更に、ここでもベテランが監視の目を光らせて厳しく 選別している。 この選別作業は、マルセル生存時より厳しくなっている。ホントにワインが繊細に美味しくなっていると評価、その理由の一つはこの選別作業にある。   収穫・醸造・写真 […]

22
Oct

PUR NOUVEAU 天才肌のシリルと重戦車フロリアンの合体・ピュアー・ヌーヴォー

PUR NOUVEAU 天才肌のシリルと重戦車フロリアンの合体!ピュアー・ヌーヴォー   シリルの泉の如く溢れ出るアイデア、それを着実に実践・実行に組み立てていくフロリアン。最強の二人が合体した。 シリルが目指すのは、自然派ワインの祖、ジュル・ショーヴェ博士が実践してきたことを再現すること。 ジュル・ショーヴェ氏の実家はボジョレーのシャペル・ド・ゲーシャ村でワイン商を営んでいた。科学者としての研究の仕事と実家のワイン商としてのワイン造りも実践していた。 フランスの英雄大統領シャルル・ド・ゴールが自宅で飲むワインはジュル・ショーヴェ氏の造ったワインだった。 シリルのお父さんはジュル・ショーヴェ氏の隣村でレストランを営んでいた。マルセル・ラピエールを中心に自然派醸造家が集まる溜まり屋的な存在の店だった。 シリルは小さい頃から自然派の人達に触れていた。ある時、大人達の会話の中でジュル・ショーヴェ先生の話を聞いた。化学剤を使わず昔ながらの本物ワインを安全に造る方法を研究・開発して実践している話だった。   マルセル・ラピエールやジャンフォワヤールなどの醸造家たち皆がジュル・ショーヴェを師と仰いで尊敬していた。 シリルはジュル・ショーヴェのようになりたかった。 つまり、栽培家から葡萄を買って独自の方法で醸造していたワイン商としてのジュル・ショーヴェ氏の仕事に興味をもっていた。 PURの会社を設立する時、住所をジュル・ショーヴェ氏がいたシャペル・ド・ゲーシャ村にした程である。 限りなくピュアーにワインを造りたかった。だから、社名をPURピュアーとした。   屈強なポーランド人ファミリーによるPUR NOUVEAU収穫     二つのスタイルのヌーヴォー PURピュールでは今年14年は白ラベルと黒ラベルの二つのボジョレー・ヌーヴォーを醸すことにした。 シリルがここ数年蓄積してきた経験とガメイ品種の二つの側面をこのヌーヴォーで表現したかった。 普通の醸造家はヌーヴォーに関しては一種類しか造らない。ここがシリルの普通ではないところである。   1) 軽快で繊細な果実味・エレガントなヌーヴォー 一つ目はザ・ヌーヴォーのスタイル。つまり軽快で水のようにグイグイ飲めてしまうヌーヴォー。 爽やかで軽快と云ってもシッカリ果実味が乗ったスタイルにすること。単に薄いワインではないことが重要だ。 その為に、普通より収穫を遅らせて、より熟した葡萄を収穫したのである。単なる薄目の軽いワインにしたくなかったのである。 つまり、葡萄のポリフェノールをより熟させて収穫したのである。エレガントな薄めのタッチでも果実味をシッカリ表現したかったのである。   薄さと濃さの臨界点を知るシリルの芸術的センス 普通、葡萄が熟せば濃いワインになってしまう。 しかし、シリルの芸術的醸造センスの手法では濃くならない。 心地よい繊細な果実味だけをワインに表現できる。 収穫した葡萄を除梗なしで丸ごと発酵槽に入れて、一切  触らない。セミ・マセラッション・カルボ(MC)発酵でも普通と違うところは、ピジャージュを一切しないこと。   ピジャージュによる必要以上のタンニンや色素が抽出されることを避ける為だ。 大切なことはマセラッション(カモシ)の期間である。今までのシリルの経験が生きる。醸造家としての腕の見せ所。 シリルはこの時期は発酵槽に張りついて、テイスティングを一日に何回も繰り返す。このカモシをやめるタイミングが数時間遅れるだけでも、一挙にワインが濃縮してしまうポイントがある。そのピンポイントを見極めるテイスティング能力とセンスが天才的と云える。 ピジャージュを一切しないので、結果的にカモシ期間は普通よりもやや長くなる。今年は8日間だった。それでも、色は淡く、繊細な果実味が乗ったエレガントなスタイルになる。 決して濃厚なスタイルにはならない。その臨界点を知るシリルのセンスが光る。抜群に美味しいヌーヴォーだ。 2) 濃縮感があってミネラル感もある筋肉質なヌーヴォー 二つ目は黒ラベルの男性的なスタイル。ボジョレ土壌の花崗岩のミネラル感がキッチリのっているスタイル。花崗岩独特のスパイシーさがある。男性的と云っても決して粗々さがないフィネス・上品さを残したワインがシリルとフロリアンの狙いだ。 ここで特筆すべきは、除梗したことである。 セミ・マセラッション・カルボ醸造からくる果実味が強調し過ぎることを避ける為だ。 花崗岩質土壌で育ったガメイ品種の深いところで眠っているミネラル感をより表現したかった。 除梗してもフラージ(潰す作業)をしてない。一粒一粒の葡萄の実がそのまま入っている。まるでキャビアのようだった。空気とは触れない密閉状態のまま発酵、当初は,一粒一粒の実の内部でMC発酵と同じことが行われている。 つまり、皮の色素やタンニンなどが果肉の方に移動している。 これで控えめで過ぎることがない果実味を得られることになる。 そして、アロザージを3回ほど実施した。タンクの下部から抜き取ったジュースをタンクの上から、まるで花に水を撒くように優しく、どこまでも優しく撒くことである。 […]

21
Oct

BEAUJOLAIS の若きスター・活力溢れるDAMIEN COQUELET ダミアン・コクレ

2014は27歳ダミアン・コクレの完全独立の年 今、ダミアン・コクレのワインは世界中から引っ張りだこである。 特に、アメリカでは大人気である。 ダミアンは、モルゴン村の自然派の重鎮デコンブの長男である。 お父さんについて子供の頃から葡萄園に行って遊んでいた。 葡萄園が遊び場であった。 葡萄には子供の頃から親しんでいる。葡萄が友達のような感じである。 ワイン学校に行って、ブルゴーニュ自然派の名醸造家フレデリック・コサールのところで修業を積んだ。 フレデリックとは今でも、時々行き来して公私ともに醸造・人生の先生でもある。 そして、もう一人、ローヌ地方のBEAUMES DE VENISEのFERME ST-MARTINギー・ジュリアンのところでも修業した。 ダミアンにはお父さんのデコンブとフレデリック、そしてギー・ジュリアンの3人の先生がいる。どれも自然派の一流の醸造家である。 今、ダミアンは27歳、2007年が初リリースである。 今までは、お父さんの蔵の片隅で醸造していた。 今年から 独自の醸造所を借り自前の醸造蔵を設立した。完全独立を果たした。 2014年が本当の意味でコクレ醸造の出発となる。   (尊敬するお父さんのジョルジュと) モルゴン村の重鎮達より愛されているダミアン 子供の頃より醸造家になる事を決めていたダミアン。 16歳頃には自らすすんでお父さんの農作業を手伝っていた。そんな一生懸命な若きダミアンを見て村の重鎮たちはダミアンのことを親戚の子供のように可愛がった。 2007年にシルーブルの小さな畑を譲ってもらって造ったのが初リリ-スとなった。2009年には何とモルゴン村の誰もが欲しがっているコート・ド・ピィ(旧火山だった丘)の最高の区画、ジャン・フォワヤールとマルセル・ラピエールの隣の畑を4ヘ  クタールも任された。これでダミアンは独立を決意した。   ダミアン・コクレ2014年収穫   幾多に危機を乗り越えて最良の葡萄を収穫 2014年はダミアンにとっては色んなことがあった。 5月から6月までは完璧な気候だった。このままいけばボジョレーで 世紀の年と云われた2003年の再来か、と思われた。 しかし7月に入ると水不足状態になってきたところに、なんと36度という猛暑が3日間も続いた。 特にモルゴン村の猛暑が厳しかった。ガメイ品種はフランスの北の品種である。36度という熱に耐えられる品種ではない。 葡萄の皮が焼けてしまった。しかし、幸いにも乾燥していた為に 焼けた分部から腐敗することが全くなかった。乾し葡萄のように乾燥していった。 そして、モルゴン村には2度の雹が降った。特に標高が高い区画に降った。ダミアンも僅かにやられたが被害は最小限に抑えられた。 8月の冷夏では葡萄の熟成スピードが驚嘆的に遅くなった。 特に標高が高いところにあるダミアンの畑は、熟成が遅かった。 収穫時期の決定には、特に迷った。モルゴンでは例年最も収穫開始が遅いのはお父さんのデコンブと通例になっている。 今年はお父さんより2日遅い18日よりのスタートとなった。もう周りの蔵は殆ど収穫を終えていた。待ったお蔭で葡萄が良く熟して完璧な状態で収穫できた。       ダミアン・コクレ・ヌーヴォーは最高のバランスに!! 最初に収穫したのは勿論ヌーヴォー用の葡萄である。 待ったお蔭で果実味豊かで酸も残った。 自然派ヌーヴォーらしい透明感のあるスーと入る飲み心地になるだろう。   収穫・葡萄園写真    

18
Oct

ジャンクロード・ラパリュ最高の天候のなか最高の葡萄を収穫!

  これ以上の品質の収穫は存在しない!! 毎年、最も早く収穫を開始するジャンクロード。 今年も自然派仲間の中では最も早く収穫を始めて最も早く収穫を終えた。ボジョレーは9月の13日より2日間だけやや天候が崩れた。しかしジャンクロード・ラパリュだけは快晴天気のうちにすべての収穫を終えた。 しかも朝は12度前後と涼しく、早朝に収穫した葡萄は冷やさずにそのまま直接に発酵槽に入れることができた。これは大きなメリットになる。 午後は真夏日のように28度前後まであがって実に気持ち良く収穫できた。 7月中旬の猛暑と雹、7月後半から8月の冷夏と曇り空、葡萄の成長が一挙に遅れていて、どうなるか?と心配していたが、8月の後半より記録的な晴天が続き葡萄が理想的な状態で熟した。  『この葡萄で最高のボジョレーを造らずにはいられない!ウィOui !!ヌーヴォも期待してね!』 ジャンクロード・ラパリュ     ボジョレーテロワール探究家!  独自の世界を走るジャンクロード・ラパュ   一歩も二歩も先に出ている飛びぬけた探究心 こんなにガメイの可能性をあらゆる方面から追求している醸造家はいない。 ジャンクロード・ラパリュは今、ヨーロッパ中のワイン愛好家、プロフェッショナルが最も注目している醸造家の一人である。 ジャンクロードは語る、 『1995年からワインを造りだして、今年で19年目になる。ここ数年でやっと大切なことが分かりかけてきた気がする。ワイン造りは年に一回しかできないからまだ、たったの19回しかやっていない。毎年、葡萄が違うし、自生酵母の状態もちがう。最近、発酵中の“匂い”でワインの状態がつかめるようになった。液体が 何を必要としているか、何をしなければいけないか、判るようになった。』    独自で研究をしながら辿り着いた独自の自然醸造 1995年、ワインを造りだした頃は自然な造りではなかった。自分の顧客もいないし ゼロからの試行錯誤の出発だった。最初は造ったワインをネゴシアン(ワイン商) に売っていた。モルゴン村には自然派の偉大なるマルセル・ラピエールがいた。 でも、控えめでシャイな性格のジャンクロードは、長い間、直接に門を叩くことなく独自で自然なワイン造りを研究しながら造っていた。 これが逆にジャンクロードの独自の発想を育てていった切っ掛けになったのである。 歴史にもし?は存在しないけど、ジャンクロードがもし彼らの教えを受けていたら 今のジャンクロードはないだろう。勿論、数年後には自然派が拡大した頃に自然派グループに参加する事になり、マルセル・ラピエールにも薫陶をうけて、色んなことを学んだ。そして誰よりもマルセルを尊敬している。そんなラパリュの最近の造りは、今まで存在しなかった全く違うボジョレーの世界を我々に提供してくれている。素晴らしいボジョレーのテロワールの可能性を楽しめる。今ではジャンクロードの独自性に世界中が注目していると云っても過言ではない。   ジャンクロードの独自性は優れた試飲能力と仮定発想からくる   類稀な試飲能力 ジャンクロードの試飲能力には定評がある。あのロマネ・コンティ醸造のプリムール内輪での試飲時にも招待されて意見を聞くメンバーにも入っている。 自分が畑仕事でやった事、醸造時にやった事を確実に試飲レベルで確認できる能力を備えている。何か特別な香り、味覚を発見した時、畑作業レベルや醸造作業まで遡って確認できている。 子供のような素直な発想 ガメイ品種を遅摘み(ヴァンダンジュ・タルディヴ)で収穫して発酵したらどうなるだろう?ガメイ品種を最高に濃縮感ある造りをしたらどうなるだろう? ガメイをまるで水のような透明感のある超ピュアーにするには?どこまで可能なのだろう。ガメイを土カメの中で醸造・熟成したら、どんなワインになるのだろう? こんなワインをすべてガメイ品種で造ってしまっているのがジャンクロードなのだ。   1-アルマ・マテール ALMA MATER  ガメイ品種をカメの中でマセラッション・カルボニック醸造させたワイン。   2―タンタシオンTANTATION ガメイ品種をどこまでピュアーに造れるのだろう? 繊細に、上品にどこまで可能なのか?への挑戦。   3-ラン・デュ・メルル 他のキュヴェのガメイを収穫終了後、数週間 超完熟状態まで待って収穫して仕込んだワイン。濃縮感タップリのガメイ。時にはvin doux naturelのような風味。   […]

7
Oct

クリストフ・パカレ2014収穫が晴天の日に完了

2014年も色々ありましたが最後の結果良しに終わりました。 9月の初旬からの晴天続きがすべてを逆転する痛烈なヒットで終わりました。 8月の中旬ではまだ青い葡萄がチラホラとあり、熟すには相当な時間がかかり そうな状態だった。それが9月に入って天候がガラリとかわりミルミルうちに 葡萄がまっ黒に日焼けする如くに熟成していった。 強烈暑さの気温ではなく26度前後の優しい太陽でゆっくり熟したので、ポリフェノールが上品に熟していった。優しいタンニン、果実味と程々の酸を残しながらの理想的なバランスの葡萄が収穫された。 アルコール度数は11.5度から12度の優しいボリューム感でグイグイ飲めてしまうスタイルとなるでしょう。  『いやー今年も色々心配したけど、こんなに素晴らしい葡萄が収穫できたよ。 自分にとっては狙っていた最高のスタイルのワインになりそうだ。』とクリストフ 2014年も完璧な葡萄を収穫! もうバンザイ!としか云いようがない!!   マルセル・ラピエールと親しかったドゥニ氏が応援に! 今年も去年に引き続き強力な助っ人がクリストフ・パカレにやってきた。そうあのムスカデのマーク・ペノの兄弟でもあるドゥニ・ペノ氏である。 若き頃、フランス・ソムリエコンクールで第二位となり、三ツ星の ロブションのシェフに認められソムリエとして働いていた。ロブションがロンドン出店時は立ち上げから安定期までシェフソムリエとして活躍した。 今はプロ画家として活躍中、マルセル・ラピエール醸造所の天井の絵はこのドゥニー氏が描いた。 ドゥニー氏のテースティング能力は定評がある。その彼がクリストフを選んだ。クリストフは多くのプロ中のプロに選ぶボジョレの典型になりつつある。ドゥニーの助言で更にレベルアップするだろう。   14年クリストフ・ヌーヴォは凄い!! 9月の快晴続きで本当にまっ黒になった。まさにガメ・ノワールと云われるにふさわしい、まっ黒で完璧に熟した葡萄が多かった。 クリストフ・パカレは常に収穫に自ら立ち合い 葡萄の状態をチェックしている。 ここまで完璧に熟したガメは珍しい。 まさに歓喜のバンザイ!!だ。 今年のクリストフ・ヌーヴォを飲み逃すな!! 収穫風景                         2014年ボジョレ・ヌーヴォー・発酵中を利く  収穫後5日目の蔵ではグツグツと何万億という天文学的数の自生酵母が働いている。今年の自生酵母は元気が良い 発酵スピードが例年より早い。 ヌーヴォーの場合は出荷日が決定しているので早い方が助かる。特に日本行は飛行機まで決定しているので遅滞する事が許されない。 予想どうりの果実味がタップリでいて、酸もあってフレッシュ感抜群のスタイルだ。それにアルコール数も11度後半になるだろう。 アッ!!と云う間に一本が空いてしまう。グイグイいける飲みやすさと心地良さ抜群のヌーヴォーだ! 自然派ど真ん中クリストフ・パカレ・ヌーヴォ2014年を飲み逃すな!!

22
Sep

NICOLAS TESTARDニコラ・テスタール プリューレ・ロック醸造から独立10年

ボジョレのテロワールを真っ直ぐに醸す! 守・破・離の境地・努力の人ニコラ・テスタール ニコラ・テスタールの経歴は物凄いものがある。 超一流のブルゴーニュ醸造家・ジル・ジャイイェ、ロマネ・コンチのオーナー・アンリー・フレデリック・ロック、 天才醸造家フィリップ・パカレ、鬼才醸造家・フレデリック・コサールなどブルゴーニュを代表する醸造家と共に働き、教えを享けた。  その教えを忠実に守りながら熟練を積み、卓越したそれぞれの教えを統合して、それらのエッセンスを更に10年間の歳月をかけて実践を重ねて練磨して、それらを超えた、離れたところにニコラ・テスタール流という新たなる領域・調和を編み出した。最近のニコラのワインにはガメを超えた何かを感じる。 ボジョレの他の醸造家と明らかに違うのは、ブルゴーニュの銘醸土壌とピノ・ノワールを知り尽くしていること。そして何よりもピノ・ノワールとガメを愛している。ガメ品種とピノ・ノワール品種は兄弟品種である。まだ誰も挑戦してない事をニコラはやりたかった。ボジョレの土壌には花崗岩、石灰土壌とあり、明らかにブルゴーニュに匹敵するほどの銘醸土壌があり、ボジョレは世間から過少化評価されている、といつも思っていた。 5年間のプリューレ・ロック時代に醸造長としてヴォーヌ・ロマネ、クロ・ド・ヴージョ、シャンベルタン・クロ・ド・ベーズなど超一流ブルゴーニュ土壌でワイン造りをしてきた。  同じやり方でボジョレのテロワールの神髄を表現する仕事をライフワークにしたかった。ニコラは昔からガメ品種も好きで愛飲していた。特にマルセル・ラピエールを尊敬していた。プリューレ・ロック時代にちょくちょく顔をだして指導してくれた。 何故なら、アンリー・フレデリック・ロックのワイン造りの師はマルセル・ラピエールだったからである。ニコラ・テスタールのワイン造りの基盤は自然派の父マルセル・ラピエールからの直伝で成り立っている。 だからマルセルが一生をかけて表現してきたガメ品種にも特別の思いがあった。 ブルゴーニュ・ピノ・ノワールとボジョレ・ガメ、ニコラには共通の調和がある。ニコラが醸すボジョレ・ガメには、どことなくブルゴーニュ・ピノを感じさせる“調和”がある。偉大なる師達とは離れたところに、ニコラ独特の流派を確立した。   ニコラ・テスタール・2014年情報 ≪8月20日撮影、髪を切って14年収穫を待つニコラ≫ 楽しみなのは、そんな境地に達したニコラが醸す2014年のニコラ・テスタール・ヌーヴォである。 4,5,6月と理想的な天候が続き、開花まではすべてが順調だった。 葡萄木の成長具合も例年より10日間ほど早くすすんでいた。 7月に入ると更に晴天が続き、逆にチョット乾燥状態で葡萄成長に必要な水が不足する程だった。 7月中旬にはなんと36度を超す日が数日間もあった。 ガメ品種はピノと同じく北の葡萄なので、36度という猛暑には慣れていない。葡萄皮が焼けてしまった葡萄がでる程だった。 その上、雨が数か月も降らなかったので、完璧な水不足状態になった。皆が雨を欲しがっていた。 8月に入ると、今度は逆に雨と曇り空の日々が続く極端に涼しい天候に劇変した。北ヨーロッパからくる低気圧がボジョレ、ブルゴーニュ、ジュラ、アルザスなど北フランスに定着してしまった。 8月中は異例な冷夏が続いた。しかし、5,6,7月の晴天続きで葡萄成長が例年より10日ほど例年よりすすんでいた。それが例年並みに戻っただけでそれほどの悪影響は出ていなかった。 写真は8月12日の葡萄の色着き状況。この時期の葡萄は7色に輝き大変美しい。 1日太陽がでると色は劇変する。同じ葡萄園でも気の早いセッカチな葡萄はもう右のようにまっ黒になっているものもあった。 これだけ、色付き状態がかけ離れていると収穫日の決定が難しくなる。ニコラはこの時点で収穫は9月の中旬になるだろうと想定した。   ニコラ・テスタール・幾多の困難を乗り越えて歓喜の2014年の収穫!!   独立して10年間、腕を磨き続けてきたニコラ。 しかし、この4年間は雹など天候被害に連続してやられた。 2010、2011,2012年の3年間連続で雹被害にやられて収穫量が半減した。 昨年も冷害被害でやはり収穫量が少なかった。 その影響で、14年は経済的にも、精神的にも極限状態の日々が続いていた。従業員も雇えない状況、思うような農機具も新規購入できない。 お金の切り目が縁の切れ目と云わんばかりに、今まで付き合ってきた人達が次々と離れていった。 ニコラにとって14年は天より課せられた課題に直面にしながらも、一人で黙々と働いた一年だった。 心労から体調も崩して入院もしたこともあった。 8月の冷夏で今年もダメかと思っていたところに、9月の初旬より好天気が続いた。葡萄がミルミルうちに熟していった。 明るいカロールが本当に支えた2014年   ニコラがワイン造りに専念できるように他の問題はカロールが全面にわたって奔走して支えていた。 そして、今日の日がやって来た。 10年間、磨き続けてきた技を発揮することができる原料としての葡萄を収穫することができる。 収穫量も満足のいけるものになりそうだ。 今年のニコラのワインには色んな思いが込められている。 人間ニコラとカロールのエモーションが込められている。   14人の自然派ワイン好きが葡萄を狩る 9月15日より収穫を開始した。多くのボジョレの他の自然派蔵は一週間前より初めている。 ニコラの畑はやや標高が高いのと北風の通り道になっており、涼しいミクロ・クリマを備えている。葡萄が熟すのがチョット遅い。 St-Etienne-la-Varenneサンテ・チェーヌ・ラ・ヴァレン村の丘の反対側のラパリュ醸造の畑は暖かいミクロ・クリマを備えている。全く反対の性格クリマである。 草ボウボウの中に葡萄木があり、収穫は草を分けながら葡萄を探して採るという感じ。 8月の雨の多い天候で、草の伸びも早かったこともある。 また、水分を草が吸い取ってくれるので、葡萄果汁が薄くなる悪影響を防いでくれた。 […]

10
Juil

BRUNO SCHUELLER

ALSACE・自然派ワインの最先端を走り続けるDomaine Gérard Schueller*ドメーヌ・ジェラール・シュレール の Bruno Schueller*ブルノ・シュレール 強靭な精神力と追及心でアルザス・テロワールの神髄を明確にしてきた いつもアルザスの最先端を走っているブルノ・シュレールを訪問。先月は原因不明の下痢、高熱で入院していたブルノ。生まれて初めて2週間ほどアルコールを飲まなかったとのこと。強靭な精神力とパッションを持ち合わせたブルノも人の子だった。 でも今日は元気に迎えてくれた。 ブルノが出現するまで、アルザスでこんな風味のワインができるなんて誰も知らなかった。アルザスの土壌をピュアーに表現する醸造家がいなかったのでる。 アルザスにはビオ栽培の大家は多くいるのに、残念なことに醸造では色んなものを足したり、人工酵母を使用してしまうところが多かった。自生酵母のみで、SO2の使用を抑えた造りをする醸造家が居なかったのである。つまりリスクを負う勇気と理論武装がなく、まだ前例が少なすぎた時代だった。今は、自生酵母で発酵する事は自然派では当たり前のことになっている。しかし、その裏には、途轍もない努力と注意力と対応力を必要としている。ブルノのようなリスクを背負って新たな境地を切り開く醸造家が必要だったのである。ブルノは先駆者として大きな役割を演じてきた。 既成醸造学の概念を覆すブルノ醸造学 ブルノは机上の醸造学は信じていない。すべて自分で実践して確認した事を実行している。普通の醸造学の先生達が見るとエッ!と驚くようなワイン造りをしている。例えば、ブルノは樽熟成中にウイヤージ(注ぎ足し作業)を一切しない。ワインを樽の中に入れたら最後、液面が蒸発で目減りして樽内に空間ができてもそのままにしておく。醸造学の先生達が見ればとんでもない危険なこと。でもブルノのワインは酸化したり、オスになったりはしない。更に樽熟成中はスーティラージもやらない。昔、ブルゴーニュでやられていた樽を転がしてオリをワインに溶け込ます作業をちょっと前までやっていた。最近は600L大樽を使っているので、大きすぎて転がせない。 ブルノ『土壌が生きていて健全に熟した葡萄ばかりを発酵槽に入れればワイン自体にエネルギーがあるので大丈夫なんだ。健全に熟してないかったり、傷んだ葡萄を使ったり、色んな化学剤を使用するからダメになる。』 言葉では単純なことだが実行するのは難しいこと。果汁の持っている還元力と酸化のメカニズムをブルノは経験上で熟知している。 未知の世界を切り拓くブルノ・シュレールのお蔭で、アルザス自然派が急増中 ブルノが主催するアルザス自然派ワイン見本市が先月行われた。今、ここアルザスも新しい動きがでてきた。 アルザスにはブルノのように多くのリスクをおって自然ワイン醸造を実践して、良い実績を残している先駆者達が何人かいる。後に続く、後続の人達が安心して自然派の造りに挑戦できる土壌が出来上がっているアルザスも新自然派ワインが着実に増えている。 アルザスには栽培をビオでやって、醸造を普通にやってきた醸造家達が多く存在している。彼らが世代交代の時期にある。先代のビオ栽培で健全な畑を土台に、自然派のワイン造りに挑戦する若手後継者達が増えてきた。 これはフランス全土の傾向と云ってよい。 これはブルノのような先駆者がい たからである。危険な造りと思われていた自然派の造りを安心して挑戦できるようになった。つまり、自生酵母のみでの発酵でも問題なくワイン醸造ができること。SO2の添加なしでも健全で美味しいワインができること。しかも途轍もなく美味しいワインができ ることをブルノ達が身をもって証明してきたらからだ。アルザスにはビオ栽培者が多く土壌自体は健全な畑が多い。自然派が増える要素はすでに整っている。 世界中の一流レストランが自然派をメインにリストアップ ブルノのところには、デンマークのレストラン・ノマのソムリエがよくやって来る。ノマは世界のトップ・オブ・トップのレストランだ。ノマにとってもブルノのワインは大切な存在なのである。 ブルノのワインは来ないと買えないワインが多い。 極小量しか造ってないワインが蔵の中で眠っているのである。そんなワインを試飲する為に、世界中からソムリエ達がやって来る。やはり一流中の一流は違う。一流は一流を理解する。世界でトップと云われるには、何の世界も同じだ。トコトン追及した者同士には通じ合うものがある。   シュレール家はフランス革命の頃より200年ほど続く伝統がある ブルノの恐れを知らない燃えたぎる挑戦心のDNAはこの父さんのジェレールから引き継いだ。 シュレールの蔵はHUSSEREN LES CHATEAUXウスラン・レ・シャトー村にある。実に簡素で美しい村である。アルザスの第2の街コルマールから高速を下りて村に近づくと、この景色が現れる。山の上に3つの塔が村を見守るようにそびえ立っている。 その山の麓に村の教会の塔が見える。なんて美しいんだろう。ブルノの醸造所は教会のすぐ隣に位置している。昔は教会の一部の建物だったのだろう。シュレール家はフランス革命の頃より200年も続いている。 1958年までは農協に葡萄を売っていた。59年よりブルノのお父さんジェラールが自分で醸造をやるようになった。当時は農協組織が強力な時代、一匹オオカミのように農協を出て独立することは大変な時代だった。色んな邪魔が入ったに違いない。それを振り切って独立したジェラールには相当な勇気と自信があったに違いない。人のやらない事を次々と実行するブルノのDNAはこのお父さんから引き継いだのだろう。 今でも元気に畑に出ている。でも数年前のように、畑全体を管理するような動きはできない。 ブルノ『ここで、シュレールのワインを最も多く飲む消費者はジェラールだよ!だからこんなに元気なんだ。』 数年前のケンジローとジェラールの黄金コンビは最高だった。 数年前までは日本人の鏡さん(現ジュラ醸造家)とお父さんのジェラールがコンビを組んで畑仕事をやっていた。あのケンジローさんとジェラールは黄金のカップルだった。この二人が担当している時が、ジェラール家の畑が一番安定していた時期だったのではないだろうか 12、13年と異常気象で生産量が激小 この2年間のアルザスの異常天候で、2年続けて減収量が続いている。2012年は普通の年の30%、13年は50%しか収穫できなかった。 流石のブルノも厳しい状況になって来た。 14年は今のところは順調にきている。やや乾燥状態にあったが先週に雨が降って何とかクリアしている。2年連続の減収穫で売るものが少ない。しかし、ブルノは毎年、試作として色んな造りのワインを少量だが造っている。それらは1樽しかなかったりあまりにも少量なので販売してなかった。ブルノはそんな試作ワインの販売を決意した。 蔵に眠るお宝ワインを利く 多くの少量試作品が12年、13年の減収量を補う 12年産はもう販売するものがない。しかし、ブルノは毎年、色々な試作品を造っている。5年間も熟成中のものや、瓶詰してそのまま何年も販売せずおいてあるものもある その中に超お宝ものがある。それぞれの試作ワインはすべて限定醸造の少量もの。 Pinot noir Delitrium Trimens ピノ・ノワール・デリトリウム・トリメン 2010 お宝中のお宝!先日、レストラン・ノマのソムリエが来て。あるだけすべてを予約したワイン。Cuvee Helenne キューヴェ・エレーヌとPinot noir Bildstoeckle ピノ・ノワール・ビルシュトクレをブレンドしたワイン。 […]

27
Mai

GREGORY・GUILLAUME * 地質学・鍾乳洞研究家からの転身、静かに燃えるグレゴリー・ギオム

新しい自然派醸造家が生まれやすい南アルデッシュ地方 南ローヌ河右岸のアルデッシュ地方が今面白い。ここには自然派の原点的存在のドメーヌ・マゼルのジェラールド・ウストリックがいる。若手への援助・アドバイスを含めて親身になって面倒を見てくれる。そしてもう一人、中堅的存在のレクラパスのジェローム・ジュレもいる。ジェロームは皆の兄貴的存在でより細かなアドバイスをしてくれる。この二人のお蔭でここアルデッシュ地方には新人醸造家か多く誕生している。  年に一度 “自然派ワインの真夏の祭典”アルデッシュ自然派ワインの大見本市と夕べを開催する。日中は試飲会、夕べは豚の丸焼きを分かち合い、朝まで、食べて飲んで歌って踊ってのお祭りを開催している。この祭典のお蔭でパリのワイン屋、ビストロ、世界中の自然派ワインバイヤーもやって来る。若手ワインの買い手も直ぐに見つかるシステムができている。 マルセル・ラピエール系の自然派ワイン造りを継承 そんな若手の中でも群を抜いて高品質なワインを造るのがこのグレゴリー・ギヨムである。研究者としての追及心や物事の分析能力がワイン造りに生かされている。グレゴリが初めて自然派ワインを飲んで感激したのは、自然ワインの軽快な果実味だった。まるでブドウジュースのようにグイグイ飲めてしまうワインに感動したのだった。グレゴリーは、マルセル・ラピエール系の自然派の造り、除梗をしない葡萄房(グラップアンチエール)をそのまま発酵槽に入れる、セミ・マセラッション・カルボ醸造の典型的な自然派のスタイルをそのまま継承したのである。グレゴリーは自分なりの工夫をして灼熱の南の太陽を上手に調整してより果実味があって、より軽快で葡萄ジュースのようにグイグイ入ってしまうビュバビリテー最高のワインを醸すことに情熱を燃やしている。   ジェローム・ジュレとの人生を変えた出会い シャンパーニュ地方出身のグレゴリーがここアルデッシュ地方にやって来たのは、この地方の古い石灰岩盤の下に鍾乳洞系の洞窟が多く存在しているからで、洞窟研究者として調査・研究にやって来たのである。ある時、鍾乳洞の中で醸造家ジェローム・ジュレに出会う。人間的にも素晴らしいグレゴリーとは即家族同様の付き合いを始めた。この地方の人達の飾らない純粋な人間的な付き合い方にシャンパーニュ地方のギヨムは感動した。そして、ジェローム・ジュレの造ったワインの美味しさに驚愕した。自分が今まで飲んでいたワインとは全く違う美味しさに驚いた。それと同時に興味がわいてきた。ジェロームにお願いして醸造元で働くことにした。もともと研究者だったグレゴリーは自然派のワイン造りにのめり込んでいった。 山奥に標高の高い畑を手に入れた。 11年にアルデッシュ地方の山奥にビオ栽培の畑をやらないかと提案があった。標高が300mと高い。軽快な酸を狙うグレゴリーには絶好の条件だった、即断した。ジェローム・ジュレのところで学んだことを自分なりに改良したいところが既に沢山あった。 グレゴリは、より果実味を強調させながら、同時に酸を落とすことなく、そこにピュアーなミネラル感、さらに軽めのアルコール度数でバランスをとることを追及したかった。標高が高いことは最高の条件だった。 入手した畑の更に標高の高いところには、120年前フィロキセラの害以前は葡萄園だった段々畑が放置されて野生化している。グレゴリーはその段々畑も将来的には復活させたい。数百年前はローヌでも銘醸地として知られていたアルデッシュ地方の幻の畑である。 馬による農作業を開始 ピュアーさをより表現するには、徹底した自然栽培をする必要がある。スカッとしたミネラル感と酸をワインにもたらしてくれる。自然派独特の透明感がワインに表現される。その為には根っ子が地中深く伸ばして石灰岩盤のミネラルと水分を葡萄にもたらしてくれる必要がある。グレゴリは土壌を最大限にイキイキさせるには、馬での農作業が不可欠と判断。トラクターの重量で畑の土が潰されることなくより活性化する。 先人達の仕事を受け継ぎ土壌の“力”をワインに グレゴリー『自分の直接の先祖ではないけど、村の先人達が、栽培が困難な山を開拓してテラスと呼ばれる段々畑を造ってくれた。農機具がない時代には大変な作業だった。一生をかけて開拓した畑に違いない。それを引き継げる私達は本当に幸せなことだと思う。』 段々畑の作業は手間暇がかかって引き継ぐ人がいなかった。グレゴリーは先人達の仕事に敬意を持って復活させている。   日本の酒販店グループ・ESPOAのメンバーがグレゴリー・ギヨムにやって来た! エスポア・グループは全国に約100店ほどの酒販店がある。ワインを中心に自然で美味しい食品など『人にも優しく、地球にも優しい商品を提供する』 熱心な酒販店の集まりだ。 無名でも本当に佳い商品、美味しい商品を売ることに努力する酒販店グループである。当然、無名の商品を売るには数倍の労力が必要だ。 しかし、無名の商品を売る為に、お客さんとの接点を大切にして、“信頼”を得るためにあらゆる方面から最大限の努力をしているグループである。 ⇚ グレゴリの醸造所。村の空き倉庫を改良して醸造している。規模の大小   有名・無名では判断しない。ワインの中身、本物度で取引を決める。 自分の目でチェックしてない醸造元は販売しない。 ワインに関しては、自分達で訪問して畑が生きているか? 造り手の人間としての人柄は?  醸造方法も妙なものを使っていないか? どこまで自然で、何故美味しいのか? ただ美味しくするために地球を汚していなか?などを確認して販売している。毎年、仲間の誰かがフランスにやって来る。もう20年間も買付ツアーが続きている。レポートを全仲間に配布している。 新ミレジムをチェックするエスポア・メンバー 自然派は毎年ワインのスタイルが変わる。 毎年、新ミレジムが完成する5月に訪問して今年のスタイルをチェックして仲間に伝える。 造る人と売る人が共に生きる 醸造元にとっても、自分のワインを実際に販売している人達の意見を聞けるし、 自分のワインがどんな風に評価・販売されているか?を知ることができて、 安心すると同時に“共に歩んでいる”という勇気・やる気が出てくる。   まだ、ビン詰前の樽熟成中のワインが試飲できる。まだマロ・ラクティック発酵が終わっていないワインがどんなものか?も経験できる。 数か月後にはこのワインが自店に入荷される。 プロのワインバイヤー達がするような体験を、ESPOAメンバーはやってしまっている。こんな酒販店グループが日本に存在していることに誇りを感じる。 パリのワイン屋でも、星付店のソムリエでも実際に訪問に来る人は少ない。 電話で注文すれば、翌日には店に配達される。わざわざ遠いフランスまで来る必要はない。でも本当に大切な“商売”の神髄を忘れてしまっているのではないだろうか? 自分の売っている商品の中身を熟知して、信頼できる商品を自信を持って販売している小売店が、どれだけいるだろうか? 安いもの、売れやすいもの、有名なものばかりに手を出して価格競争に追われた商売に巻き込まれることなく、自信を持って売れる商品を提供して、お客さんの“信頼”を得ることができ、仲間とも情報を提供しあえるESPOAは凄い。 右から、東京のみどり屋さん、福岡の ナカムラさん、山口のやまだ屋さん、小松のもりたかさん、皆、自分の街では、ワイン愛好家から絶対の信頼を得ている一番店の人達だ。 皆、忙しい時間を割いてこのツアーに参加している。それぞれの店の得意分野が違う。商圏も違う。 このグレゴリーの13年産のワインを飲んで意見や感想が全くちがう。 このツアーでは本音で話し合える。この点がこのツアーの最も価値のある部分だろう。 例えば、小松の森高さんは、グラップ・アンティエール(除梗なし)のセミ・マセラッション・カルボニック醸造の自然派がやや苦手だった。でも福岡の中村さんは得意中の得意な分野。   L’EPICURIENエピキュリアンはグルナッシュ品種をセミ・マセラッション・カルボニック醸造で仕込んだ。 フレッシュで、果実味が全面に出ていて、葡萄ジュースのようなワイン。繊細なグレゴリーが工夫を重ねて、南でありながら軽快でグイグイ入ってしまう自然派の典型的なワインを造りあげた。 […]

14
Mai

YANN DURIEUX 伝統で化石になりそうなブルゴーニュに新風を吹き込むヤン・ドリュー

ヤンは10年間、プリューレ・ロックで栽培責任者として働いている。今も続いている。伝統で押し潰されそうなブルーゴニュで果敢に新たなブルゴーニュ・スタイルの革新に挑戦しているヤン・ドュリュー。 いい意味でも悪い意味でも膠着して動きようのない伝統のブルゴーニュで、“オヤ、こんなブルゴーニュが?”と多くの人が待っていた新しいスタイルの醸造家が誕生した。 ヤンは33歳、お父さんも醸造家である。しかし、除草剤、殺虫剤、化学肥料を使う普通の造り手。ヤンはそんなワイン造りをしたくなかった。まず、ブルゴーニュの一流畑がどんなものなのか、を知りたかった。人を介してプリューレ・ロックで働くことができた。 当時のロックはフィリップ・パカレが去って3年が過ぎていた。 ロマネ・コンチのオーナーでもあるアンリー・フレデリック・ロックが自ら陣頭指揮を執りながら、フィリップ・パカレの後継者としてのニコラ・テスタ-ルを醸造責任者として育てながら頑張っていた時代だ。 フィリップ・パカレは栽培も醸造も責任者としてやれる才能を持ち合わせていた。若手には二つの任務は重すぎる。アンリーは栽培責任者としてこのヤン・ドリューに目を付けた。真面目な性格、コツコツ黙々と働く姿、研究熱心な姿勢、そして何より強靭な体力が備わっている若者である。  そして10年の歳月が流れた。ヤン・ドリューは10年間もブルゴーニュの一流中の一流畑の栽培に集中できた。ヴォーヌ・ロマネのクロ・ゴワイヨット、シャンベルタン・クロ・ド・ベーズ、クロ・ド・ヴージョなどの一流畑を自分の手で10年間も栽培して学んだ蓄積がある。ある意味、ブルゴーニュのテロワールの栽培に関してはフィリップ・パカレ以上に経験を積んで、細部まで熟知したといってもよい。   ブルゴーニュ伝統を蓄積して、次元を超えたブルゴーニュへ!アッセンションへと導くヤン   ヤンはただ闇雲もニュースタイルを狙っているわけではない。 ブルゴ-ニュの神髄を熟知した上で、この伝統の中でまだ誰も挑戦した事がない死角・分野があることがヤンには見えている。  これは自分のような立場の人間しかできないことも解っている。途轍もない挑戦であることも解っている。 でも“自分がやらずして誰がやる?”  10年間、そうそうたる特級畑の栽培を実際に手がけてきて、特級畑の何たるかをわかった人間しかできない発想がある。 ヤンのお祖父さんも栽培家だった。数年前よりお祖父さんのオー・コート・ド・ニュイ地区の畑を引き継いで栽培・醸造をやって来た。もちろん、ロック氏の了解を得てプリューレ・ロックの醸造所内を借りてワイン造りも手掛けた。 ロックの葡萄とオー・コート・ド・ニュイ地区の葡萄を比較しながら醸造できた。 ヤンの目指すワインは“限りなくピュアなワイン” ピュアである為には、綺麗な酸、ミネラル、果実味、この3つのバランスが必要だ。ヤンが栽培を手がけているロックの特級畑が正にこの三者のバランスが傑出しているクリマを備えている。その何たるかを熟知している。   限りなくピュアーなワインへの探究!     ヤンはプリューレ・ロックでの10年間のミレジムの栽培に適応してきた。 強烈な太陽の年、強烈な湿気の年、結実が長期間に渡った年、生育が極端に早かった年、色んなミレジムでも栽培の対応次第で十分にバランスの取れた 葡萄を収穫して、酸、ミネラル、果実味の三者のバランスのあるワインを造りあげてきた。 ヤンは挑戦した。オー・コート・ドニュイの畑で栽培の工夫でどこまでのレベルのバランスが造りあげられるか? オー・コート・ドニュイは標高が400mと高い。酸は確保できる。土壌は基本的に粘土石灰質土壌、粘土質の土の部分の深さが違う。元海底であったロッシュ・メール(海の岩)と呼ばれる石灰岩盤がどの深さに位置するかでミネラル感の表現が微妙に違ってくる。  この三年間は特級畑の栽培とオー・コート・ドニュイの畑の栽培を同時にこなしてきた。そしてそこから収穫した葡萄をプリューレ・ロック醸造所の一角を借りて醸造した。偉大なる“気づき”がそこにあった。 ブルゴーニュの等級畑はワイン法で決められた絶対的なものだ。ヤンはそれに異論を挟むつもりは全くない。  しかし、特級畑に見合う栽培をされたことがない未知の畑がまだブルゴーニュの至る所に存在している。 ヤンは経験上でほぼ確信している。   早朝から夜まで心身ともにブルゴーニュの畑仕事に明け暮れるヤン     この3年間、特に昨年は早朝から深夜まで畑仕事に明け暮れた。寸暇を惜しんで働いた。 家に帰って寝て、早朝に起きて自分の畑を耕して、日中はプリューレ・ロックの畑を耕し、また夜は自分の畑を耕した。フランスは春から夏は夜10時まで明るい。日の出入りと共に働いた。いや今も続いている。ここまでブルゴーニュの土壌に心身が解けるまで浸かった人間しか見えない事がある。 ここ3年間でヤンがオー・コート・ド・ニュイの畑で栽培し醸したワイン達が世界中のブルゴーニュ・ファンを震撼・感動させた。真っ直ぐで、ピュアーで、エレガントの評価が多かった。まさに酸、ミネラル、果実味の微妙なポイントのバランス感覚だ。ロックとも違う、パカレとも違うポイントのバランスだ。もうヤン流のスタイルが出来上がっている。 ヤンは決意した。正式に醸造元を立ち上げた。 その名前はRECRUE DES SENSルクリュ・デ・サンス。 13年は醸造所付きの家を買い入れて大きな投資をした。今は醸造、熟成、瓶詰まですべて自前の醸造所でできるようになった。 そして13年はMOREY ST DENIS モーレイ・サンドニとGEVREY CHAMBERTAIN ジブリー・シャンベルタン村の90歳級の古木の畑を借りることができた。これはヤンにとっては清水の舞台から飛び降りるような賭けだった。ブルゴーニュのこの種の畑の賃借は膨大なお金が必要だった。ゼロから始めたヤンにとってはリスクが大きかった。   ブルゴーニュの等級格付けでは語り尽くせないワインが次々登場するだろう!     13年は12HL/Hしか収穫できなかった。狙った半分の収穫量だった。 […]

3
Mai

« MONT DE MARIE モン・ド・マリー » 美味しくて、アル度も軽くて、自然で、安いと4拍子揃った夢のワイン

夢のワインを造るティエリー・フォレスティエール 今フランスでも話題になっている醸造元 MONT DE MARIE – モンド・マリー訪問。畑仕事の邪魔にならないように夕方に訪問をした。もう日焼けした顔、畑仕事で鍛えた逞しい体、満面の笑顔で畑から戻ってきた。 ティエリーは自然派ワインの大愛好家だった。しかし近年、価格が高くなってきていることに危惧していた。『やはりワインは誰でも買える価格であってほしい。』 ティエリーは高等ビジネス学校を出てインタナショナル・ビジネスをコンピューター・システム使って管理・アドバイスする仕事をパリの一流企業で働いていた。 『自分でワインを造ろう!』 ティエリーはグイグイ飲めてしまうスタイルのワインが好きだった。目指すワインもそんなワインだ。 100年程前、フランス人が年間80L以上飲んでいた時があった。その頃のワインはアルコール度数が10~11度ぐらいしかなかった。ワインが13度というのが慣例になったのはつい最近のことだ。昔、ラングドック地方はアルコール度数が10~11度というワインを大量に造っていたのである。こんなワインを北フランス、北ヨーロッパにドンドン出荷していたのである。   アラモン品種の100歳級の古木 昔はまだ機械もなく、勿論コンピューターもない時代の人々の労働はすべて体を使って働く肉体労働の時代だった。労働者達が仕事をしながら、また終わってからゴクンゴクンと水代わりに飲めるワインが必要だった。 当時のワイン造りは、まだ農薬も化学肥料もない時代の話である。勿論、人工酵母もない時代の話である。つまり今風に云えば自然派ワインだったのである。   アルコール度も11度前後と低く軽くて飲みやすいビュバビリテー最高のワインが多かった。酸が残っているし果実味の乗った実にバランスのよいワインだったようである。その頃のラングドックの品種はアラモン、サンソー、カリニャンそしてアリカントなどが主力品種だった。シラー、グルナッシュ品種などは少なかったのである。  歴史は繰り返す。 そして今、軽くて、グイグイ飲める飲みやすいワイン、つまりビュバビリテーの高いワインの需要が増大している。昔は肉体労働で疲れた体を癒す為にグイグイ飲んだ。今もそれに似ている。ティエリーはコンピュター技師でもあり頭脳を使う仕事をしている人だった。でも昔の肉体労働に匹敵するほどハードな労働であった。そんな体を癒してくれるのは、グランヴァンのように濃淳豊満なワインのスタイルではなかった。 軽めでグイグイ飲めてしまう美味しいワインだった。だから自然派ワインの大ファンだったのである。 自分でワインを造ろうと決意したのは、“自分のようにパリのオフィスで頭脳を使って働く人達も、現在のスピードの速い時代はまさにハードな肉体労働そのものだった。軽快でグイグイ飲めて優しく体に沁み渡っていくようなワインが必要だった。しかも価格も比較的安いワインを必要としている。”といつも感じていたからである。 ワインは誰でもが手に入るような価格でなければと思っていた。 ティエリーは調べた。まず安く造るには土地代の安いラングドックだろう。探していた時にニームの近くのソヴィニャルグ村にたどり着いた。アラモン、サンソー、カリニャンの古木が沢山残っている地域だった。ソヴィニャルグ村はローヌ地方とラングドック地方の中間に位置していて、忘れらている葡萄栽培地区でもあった。AOCも存在しないまるでブラックホールのような場所だった。栽培されている品種もその昔、ラングドックが全盛期だったアラモン、サンソー、カリニャンなどの古木が今でも栽培されていた。流行から取り残されていた地区だったのである。 ティエリーはこのアラモン、サンソー、カリニャンなどの古木に注目した。   まだ、誰も追求しなかった境地への“気づき”と“挑戦” アラモン、サンソー、カリニャン品種 まさにこの三つの品種が昔のラングドックワインを支えていた品種だった。アラモンもサンソーも大粒で果肉に水分を多く含んでいる葡萄品種だ。どんなに熟しても濃縮するまでにはいかない。アルコール度数も上がることがない。 それでいて果実味はしっかりある。食用として食べても水分があるのでバランスのよい味わいのある品種だ。   濃いワインが高級ワインだという近年の価値観では受け入れられない品種だった。フランス中の醸造家が濃いワインを目標に造り出した近年は、ラングドックからも姿をけした品種だった。グルナッシュ、シラーなどに植え代えられていった。さらに近年ではカベルネ系、メルローなどのボルドー品種に植え代えられてほぼ完璧に姿を消した。 完璧に姿を消したかに思われていたが、ラングドックでもマイナーな地区ではそのまま慣習的に栽培されていたのである。これがフランス文化の奥深いところである。すべてが一色に染まってしまう事がない文化である。 ラングドックでも表舞台の地区が存在している。つまり濃いワインが全盛期だった90年代に広大なラングドックの中心である、コトー・ド・ラングドック、ミネルヴォワ、コルビエールなど表舞台からこれらの品種は姿を消した。 しかし、ラングドックでも北風をもろに受けて、葡萄が熟さない涼しいマイナーな地区がいくつか存在している。何故マイナーかと云うと、濃いワインを造るのに適さないからである。最初から濃いワインを造る事を諦めているのである。だからアペラッションも何もない。そんな地区にこの“お宝”の品種アラモン、サンソー、カリニャンが残っ ているのである。   ティエリーとスヴィニャルグ村と絶滅しかけた品種(アラモン・サンソー)が新たな仕掛け ティエリーが見つけたSOUVIGNARGUEスヴィニャルグ村にはアラモン、サンソー、カリニャンの世界遺産級の古木が残っていた。 村の中心から高台に緩やかな斜面を登っていくと北斜面にアラモン、サンソーの古木が元気に生息している。 『俺たちの時代が再びやって来た!』と云わんばかりだ。 ティエリーは最初にこの畑を見て一目惚れした。『すべてはここだ!この畑が俺を待っていてくれた。』 ティエリーは偶然に安く美味しい自然なワインができることは思っていなかった。今は畑、品種、土壌、ミクロクリマ、不動の分部は手に入った。しかし、安く するには仕事の効率化を徹底的にやらなければ“安い”ワインはできない。自然栽培、ビオをやることは必要不可欠だった。農薬や化学肥料での効率化は頭から考えていない。 自分の労働時間を最大限に畑の農作業に集中することしかなかった。ティエリーは徹底調査して決意した。 普通の醸造家は訪問者などお客の接待にかなりの時間を費やしている。意外と知られてない事実だ。有名になればなるほど畑にいけない程の訪問客がやって来る。もう一つは、試飲会やサロンなどへの参加の為にもかなりの時間を費やしている。 テイエリーはこの二つを徹底的に省くことにした。 顧客も大口の取引しかしない方向をめざした。小口の顧客対応をやっていると時間ばかりとられることなる。 シールクスのみの一回だけに参加。後の残り時間はすべて畑に集中することにした。   畑を購入して10年の歳月が流れた。土壌がイキイキしている 2004年から始めて10年の歳月が過ぎようとしている。ティエリーと志を同じくする仲間も同じ村に集まってきた。 畑もやっと自分でも納得のいく剪定や畑仕事ができるようになった。自分の畑のこと,各区画の土壌の能力の事が数倍も良く理解できるようになった。土壌もイキイキして生きているのを感じる。 砂質マルヌ土壌の特殊ミネラル感 マルヌと呼ばれる泥灰岩質土壌の偉大なエネルギーとワインに与えるミネラル感の特著もよく分かってきた。 […]

25
Déc

自然派ワイン界のレジェンドRENE JEAN DARDがもうすぐ来日!

パリ在住のダール・エ・リボ・ファンが ガールド・ローブに大集合!     自然派ワインの業界で今、飛ぶ鳥を落とす勢いのパリのワインビストロ“ル・ガールド・ローブ”で自然派ワインのレジェンドとも云えるダール・エ・リボのルネ・ジャンを招いて試飲・ディナーを開催した。 ルネ・ジャンはちょん髷姿で登場、江戸時代の町医者“赤ひげ”を思わせる風貌だ。ここパリでもルネ・ジャンの人気は根強く深い。本当に1980年代から自然派ワインを造っているダール・エ・リボはまさにレジャンドと云ってよい。多くのファンに支持されている。 超人気のガールド・ローブはもう夕刻の6:30にはほぼ満員状態になる。100%自然派ワインのワインバーである。普段は簡単なつまみ、生ハムセット、チーズセット、ビオ野菜セット、田舎パン、クロック・ムッシュなどをつまみながらワインを飲むスタイル。   生ハムもチーズも当たり前のものではなく、それぞれが工夫されていて、どれも大変おいしい。ルーブル・リボリに位置していて、芸術家が多いマレ地区にも近い。夕方は仕事を終えたビジネスマンや女性同士でも気軽に一杯ひっかけにやって来る。 隣の人とも気軽に話せる和やかな雰囲気が店内に流れていて、実に心地よい。陽の気が充満している感じ。   今夜は店の奥に小さなテーブルを設けて7時から8時までの一時間だけ、すべてのお客さんへのフリーテースティングの時間を設けた。パリ中のダール・エ・リボのファンが集まって来た。ここでは今、売り出し中の3つのワインを試飲、説明。 最初にクローズ・エルミタージュの白、“K”カリエールを試飲。クローズ・エルミタージュ地区では白ワインといえばマルサンヌ品種90%以上が普通。でもルネ・ジャンはマルサンヌ品種はほとんど使わない。つまりルーサンヌ品種100%の白。 11年は遅熟の年だった。ゆっくり熟した分、色んな成分もよく熟すことができた。そしてきれいな酸が残った。ダール・エ・リボのワインの特徴である超軽い微発泡が酸と調和してより爽やかさを強調している。ウーン・・美味い。洗練度が高い。 赤はクローズ・エルミタージュのDES BATIES デ・バティ11年を試飲。ルネ・ジャンのお父さんが植えた60歳のシラー品種100%。花崗岩土壌からくるミネラル感がタップリ。やはり軽い微発泡があって酸を伴った果実味と合わさりフレッシュで心地よい。 サン・ジョゼフ赤11年。11年は遅熟の年で普段より軽め目のバランスで仕上がっている。透明感があって、果実味がフレッシュで気持ちよい。一般女性客がこのサン・ジョゼフを試飲して一言『軽いワインね』と評価するほどスーット入ってしまう。 ルネ・ジャンはちょっとショック。。。『13度近くアルコールはあるのに軽いとは?サン・ジョゼフだぜ!』とちょっと不満そう。   店頭試飲が終わり第二弾は、地下の特別サロンに降りて、コアなダール・エ・リボ ファンを16名だけ集めて食事と古いヴィンテージワインを楽しむコースだ。この会への参加申し込みは、出した瞬間に満員となったそうです。パリでもダール・エ・リボのファンは多い。 流石にフランスの自然派ワイン愛好家、質問も鋭いことを聞いてくる。 客『SO2の使用はどのくらい?』 ルネジャン『年よって違うよ。入れなくてもよい状況の時はゼロの年もある。普通は瓶詰時にちょっとだけ入れる。SO2を入れない事を目的にしている訳ではないんだ。目的は美味しいワインを造ることだよ。よく自然派の醸造家でSO2を入れない事を強調し過ぎる人達がいるけど、ちょっとおかしいと思っている。決して目的ではない。』 客 『あなたのワインはいつもガス(超微発泡)を感じると思うけど、これでいいですか?』 ルネジャン『それは普通です。これは先程の質問とも関係して いるんですど、私は醸造中一切SO2(酸化防止剤)を使わない。その代りにアルコール発酵で自然に生じたガス(CO2)を残すことにしているんです。何故ならガスは酸化防止剤の役割をしてくれるからです。』   このソワレの企画はガールド・ローブの店長ASAMI(メキシコ生まれのパリ育ち)だ。この9月から店長になって張り切っている。連日の超満員状態の繁盛ぶり。ルネ・ジャンが持参してくれたミレジム・ワインを次々と開けてくれた。 まずは黄金色の液体がグラスに注がれた。ウーン、色だけ見るとかなり年代が古そうだ。しかし香りはまだ若々しさを感じる。口の中にいれるとまだガスが僅かに残っている、それに綺麗な酸がプラスされて超爽やかな風味に覆われた。でもこの深みはただものではない。 。 。。。なっなんと!サン・ジョゼフ・白2000年だった。なんて爽やかさがこんな形で残っているんだろう。もう13年も過ぎているのにこの若々しさ!一同感激と驚き。ルネジャン『エルミタージュやサン・ジョゼフは本当は白ワインの方がポタンシエルがあるんだ。』 今夜は、当ガールド・ローブのオーナーが自らワインに合わせて料理を作ってくれた。このサン・ジョゼフには鯛のカルパッチョ、鯛の刺身風のもの。よくこんなに新鮮な鯛を見つけたものだ。まだ爽やかさタップリのサン・ジョゼフ白は鯛の白身の旨味に、熟成によって洗練されたミネラルの旨味に驚くほどピッタリだった。(赤いのは根野菜のベットラブの絞り汁)   次はエルミタージュ白05のマグナムが開けられた。ルーサンヌ品種。ルネ・ジャン『エルミタージュもよく赤ワインの事ばかり話題になるけど、本当は白の方が偉大なワインなんだ。特にルーサンヌが良く熟した年、まさにこの05なんかは世界に誇れる偉大な白なんだ。』 ホタテのカルパッチョ、軽く表面を焼いてある。力強さと爽やかさが共存するミネラリーなエルミタージュ05に料理の方が合わせてくれた感じ。   クローズ・エルミタージュ赤、04,06が出された。なんてクリアで透明感のあるミネラリーなワインなんだろう。濁りワイン・臭い自然派ワインの象徴だったダール・エ・リボの進化は自然派ワイン全体の進化と共有している。 前を歩いている人がいない世界、地平線をゼロの段階から切り開いてきたルネ・ジャンとフランソワ・リボの職人芸の含蓄した技、味わいには、何とも言えない深みを感じる。   ASAMIの完璧な温度管理とサービスでダール・エ・リボのワインの真価を楽しませてもらいました。 自然派ワインこそ提供するタイミングや温度で何十倍も美味しさを発揮する。ダール・エ・リボのパリ在住ファンも大喜び。   パリ在住の熱狂的ダール・エ・リボのファン     皆、大喜びでした。中にはどうしても現地に行きたくてダール・エ・リボ醸造まで訪問しているファンも何人かいました。造り手を前に古いヴィンテージを飲みながら楽しめるのはファンにとって最高の喜び。ルネ・ジャンも嬉しそうでした。 一番嬉しそうだったのは、企画者のASAMIだった。いつも店に来てくれるお客さんと大好きなルネ・ジャンを招いてのソワレは格別なひと時だった。この大成功のソワレの最後にポロっと嬉し涙を流したASAMIは幸せそうでした。 ルネ・ジャンはあまりこの様なソワレには参加することはない。大好きなASAMIの頼みとあっては断れなく今夜の会が成立。この会のお蔭で私も知らなかったダール・エ・リボを再発見した部分も多かった。素晴らしい一期一会でした。この二人に感謝!       自然派ワインは長期熟成にも問題なし!   […]

26
Nov

AUX AMIS 丸山チーム来仏レポート第二弾! VALETTE編

“ミネラル”のチャンピオン・PHILIPPE VALETTEへAUXAMISが訪問 プイィ・フィッセの急斜面の畑にて   オザミメンバー憧れのフィリップ・ヴァレット・プイィ・フィッセの畑 昨夜、ボジョレのフルーリー村に泊まった。ロマネッシュ・トラン村を通って国道6号線をマコン方面に北上した。9人乗りの小型バスを運転しているHIROTOと途中で離れてしまった。アッと思っているとしっかりヴァレットの蔵までたどり着いていた。収穫を終わったばかりのヴァレットは気持ちよく我々を迎えてくれた。 各オザミ店で大評判のヴァレットだ。各メンバーもヴァレットの高品質と価格のバランスには驚いていた。何としてもこのヴァレットを訪問したかったメンバーだった。   10年ぶりの再会 HIROTO とPHILIPPE 10年前、ラングドック地方のカルカッソンヌ城の町で会って以来だ。その時はスローフード協会主催の試飲会がワイン屋で開催されていた時だった。フィリップもブルゴーニュ代表として参加していた。HIROTOはフィリップと腕相撲をして遊んでいたのを覚えている。意外にもHIROTOが全勝していた。   白ワイン専門のスペシャリスト 92年より自然栽培をしている。ビオ機関にも登録している。 フィリップはワイン造りの大切なことの95%はブドウ園での仕事だと考えている。土壌中の微生物を生かすことが最も大切なことだと言い切る。ヴァレットのワインは実にパワフルでミネラル感にあふれている。すべてはこのフカフカに耕された畑で作られる。 特にここ3年ほど前から酸とミネラルのバランス具合が上品になってきた。ヴァレットのシャルドネはピューリニー・モンラッシェとミュルソの中間的なバランスだ。本当にミネラリで潮っぽく、パワフルで美味しい白ワインだ。白ワインに一点集中している。   フィリップとバティストの兄弟効果が全面に! <白ワイン醸造に集中するヴァレットにとって大切な樽。 すべてのワインは樽発酵・樽熟成する。1年間の樽熟成のあと一年間のコンクリート漕熟成、この2年間の熟成の後、瓶詰される。 パワフルから上品に進化しつつあるヴァレット! 数年前より弟のバティストがドメーヌに加わりさらに畑仕事が充実してきた。パワフルなイメージのヴァレットの白ワインに酸と上品さが加わってきた。ビオ栽培も20年の歳月が過ぎて、やるべきタイミングでやるべき作業をキッチリやることで根っこがしっかりと石灰岩盤に入り込んで来たのだろう。   ヴァレットのワインを大好きなオザミチーム、フィリップの 一言一句をノートにとって記録している。 このワインに対する姿勢がオザミのあの雰囲気を作り上げている。つまりオザミ店に入ったら自然とワインを飲む雰囲気が流れている。   いろんな質問を畳みかけるHIROTO。 質問に真剣に答えるフィリップ。   畑と醸造所見学のあとはテイスティングだ。 ちょっと寒いけど、プイィ・フィッセの畑が見える庭にて試飲開始。一挙にヴァレットのワインを試飲できる機会は貴重な体験になる。特にまだ日本に輸入されていないワインも多い。   テイスティングの一部 MACON-VILLAGE マコン・ヴィラージ2011 この価格にして、この品質は凄い。潮っぽいミネラル感がすばらしい。 シャルドネの果実の旨味がミネラルと酸のバランスでひきたっている。 ヴァレット独特の真っ直ぐなシャルドネ。   MACON –CHAINTRE VV マコン・シャントレ・ヴィエイユ・ヴィニュ 2010 この醸造元がある村シャントレの急斜面にある畑。標高300M,石灰質岩版の土壌。 10年という一年多く熟成しているので、すべてが柔らかく感じられる。芯はミネラル感が ピシっとしめていてくれる。この柔らかさを備えた潮っぽさはお寿司や刺身に合うだろう。   VIRE-CLESSE 2010 ヴィレ・クレッセ このシャントレ村から約30キロ離れたところに畑がある。やく12年前に買い取った。 50歳のシャルドネ、粘土石灰質土壌、地下の深いところは石灰岩盤だが、地表には柔らかい […]

1
Nov

2013年ヌーヴォー情報第七弾! -DAMIEN COQUELET-

ボジョレー自然派・新世代を担うダミアン・コクレ2013年収穫     新世代のトップグループを走るダミアン・コクレ ボジョレーの自然派・新世代ダミアン・コクレは、今や自然派の重鎮的存在になりつつあるジョルジュ・デコンブの長男である。 ワイン学校を出た後、ブルゴーニュの醸造元で研修、その後はずっとお父さんのヌヌーン(ジョルジュのあだ名)の下で自然派醸造の修行をし、2007年に独立して、DOMAINE DAMIEN COQUELETドメーヌ・ダミアン・コクレ醸造を立ち上げた。   元火山だったコート・ド・ピィの丘に畑を確保 いきなりモルゴンの醸造家の誰もが欲しがる区画“COTE DE PYコート・ド・ピィ”の丘に4ヘクタールもの畑を確保できた。しかも、ジャン・フォワラールやラピエール家の畑の隣に位置している好立地だ。 太古の昔火山だった山が、永い年月を経て風化してなだらかな丘になっている。小山のコート・ド・ピィ区画はボジョレーの中でも特殊な土壌、ミクロクリマを備えている。他の地区と同じように花崗岩が風化して砂状になった砂が基本土壌。その中に青シストが含まれている。このシストが他ではない独特のミネラル感をもたらしてくれる。   自分の理想のスタイルを追い求めるダミアン・コクレ     リスクを最大限にとる決意をしたダミアン   ダミアンのガメイのバランスの取り方はお父さんのデコンブのスタイルに似ている。しっかりした骨格と豊富な果実味、それと同時にシャープな酸を残す実にオウトツのある透明感抜群のスタイルである。 ここも4,5,6月の寒い春の影響で葡萄の育成が遅れていた。8月になってもヴェレーゾン(色づき)が遅れて進まなかった(Aの状態)。9月に入った段階で通常なら真っ黒(Dの状態)になるのが普通、ところが今年は9月中旬になってもまだ色が薄い(B、C)状態だった。   ダミアンは自分のスタイルであるしっかりした骨格のある果実味にできるだけ近づけたかった。例年のようにはいかないのは分かっていた。近所の醸造家たちはCとDの中間レベルの状態で皆収穫を始めていた。しかしダミアンは待った。お父さんのデコンブは10月3日に始めた。ダミアンはそれでも動かなかった。お父さんより2日遅い10月5日に収穫を開始した。もう多くの醸造家は収穫を終わっていた。   Vサインを出したダミアン 収穫開始よりずっと見守っていた。収穫されてくる葡萄の状態を自分なりに分析していた。2時間ほど経って収穫葡萄が良い状態であることを確信した。限りなく例年に近い状態で収穫できた。   ダミアンの収穫風景     二人の強力な助っ人 ダミアンの収穫は親友のリシャール(右)が毎年応援にやってくる。 幼馴染みであり、オートバイ仲間でもある。ダミアンの趣味はオートバイのツーリングとモトクロスである。いつもこのリッシャールと一緒だ。   そして、トルコ人のマリオ(あだ名)は自分のトルコ人仲間をグループで引き連れてこの収穫にやってくる。マリオ・グループは収穫だけでなく、剪定の時期や耕作の時期もダミアンを手伝っている。だから、ダミアンの畑を知り尽くしている。 このマリオは、お父さんのデコンブ醸造の仕事をもう20年前から手伝っている。だからダミアンがまだ子供の時から知っている。もう家族のような存在だ。ダミアンも安心して畑仕事を任される。畑仕事の超プロ職人だ。   愛犬のカボットもいつもダミアンについて畑にやってくる。 ダミアン 『2013年のヌーヴォーの為に最高のリスクをおいながらも、ほぼ狙ったとおりの葡萄を収穫できました。これで日本の皆さんにとびっきり美味しいヌーヴォーを造ります。』        

30
Oct

2013年ヌーヴォー情報第六弾! -NICOLAS TESTARD-

ピノを知り尽くしたNICOLAS TESTARDニコラ・テスタールがガメイを収穫   一時期のプリューレ・ロックを支えた実力派 ニコラはあのプリューレ・ロックで2005年まで醸造責任者としてアンリ・フレデリク・ロックのもとで5年間も活躍していた。あのフィリプ・パカレとも僅かな時間ながら共に働いていた。 2005年にロックを卒業後、ボジョレーにやって来た。 2008年に独自の醸造ドメーヌを立ち上げた。 ガメイ品種をまるでブルゴーニュ特急畑のピノのように育てあげ、ヴォーヌ・ロマネのように世話して造り上げたニコラ独特のガメイ・ボジョレーだ。どこかにピノを感じる。 ☟ ロック時代のニコラ2005   仲の良いおしどり夫婦     ニコラには強力な助っ人がいる。そう妻のカロルである。 カロルはパリの名門ワイン屋カーヴ・オジェで、店長のマークの片腕的存在で長年活躍していた。カーヴ・オジェ時代にプリューレ・ロックにテイスティングにやって来た時に、この二人の運命の出会いがあった。 カロルのワインと料理に関する知識と実力は凄いものがある。特に試飲能力は抜群の感覚を持っている。 彼女は、ボジョレーに引っ越してきた時、フルーリー村に自然派ワインビストロを開店した。料理シェフ兼経営者として勤め、それは大人気のビストロだった。子供ができ時間がなくなってレストランを、惜しまれて閉めた。   日本初登場!ニコラ・テスタール・ヌーヴォー 我々が気合を入れて収穫しました!     今年から自分の醸造蔵の名前のヌーヴォーを造ることを決意した。その為ブルイィ地区にあるサンテチェン・ウイヤード村に畑を準備しブルゴーニュ特級畑のごとく世話をしていた。 4.5.6月の不天候と寒さの影響で遅れていた成長。特にこの畑は予想以上に葡萄の生育が遅れていた。 8月中旬に私が訪問した時にはまだヴェレーゾン(色づき)が始まったばかりだった。ヌーヴォーに間に合うか、やや心配していた。 他の自然派仲間より1週間遅れて収穫を行った。結果的にはその後の好天に恵まれ、こんなによく熟して健全な葡萄が確保できた。   かなりレベルの高い品質のガメイを確保 ニコラにとって最高のバランスの葡萄が収穫できた。思わず笑みがでる。 初めての畑だったので、葡萄の熟すスピードを読み切れていなかった。8月の後半の晴天と猛暑が手伝ってグングン熟成が進んだ。熟成が進んだだけでは満足しないニコラ、色だけはコクなったけど酸が残り過ぎていたので、1週間遅らせたのが幸いした。ニコラが狙ったとおりのバランス、強すぎないアルコール、ミルランデール化した葡萄から果実味の濃縮感、心地よい酸、上質のピノ・ノワールを思わせるバランス感覚。まさにニコラの得意とする領域だ。  日本初上陸のテスタール・ヌーヴォーは2013年今までのヌーヴォーの概念を覆すだろう!   幾多の難関を乗り越えて10月2日、収穫開始     ニコラの収穫人は平均年齢が若い。収穫しながら冗談を飛ばし、大変賑やかで明るい収穫雰囲気だ。 醸造所で皆は、あのカロルの料理が食べられる。勿論、ニコラのワインとともに。収穫人にとって忘れられない一週間となるだろう。 ニコラにとって2013年は多くの出来事が起きた  今年はニコラにとってあまりにも多くのことが起きた。まず、ニコラのメインの畑が雹の被害に遭い、ほぼ壊滅状態となる。そんな中、醸造所と自宅を引っ越さなければならない状況に。しかし収穫直前の夏に、幸いにも醸造所付の新居を見つけることができた。そこは標高600mのHAUT BEAUJOLAISオー・ボジョレー地区、最高の畑も見つけた。収穫直前の夏に無事引っ越しを終了。しかし新醸造所の準備が間に合わず、今年までは以前のところを使用せざるをえなかった。   2013年は諸々の困難を乗り越えての収穫だった 収穫中も色んなことが連続で起きたが、すべて起きることをプラス発想で乗り越えて前に進むニコラ・テスタールを応援したい。   醸造所に到着   プリューレ・ロック時代と同じ方法 細心の注意意を払って葡萄を醸造所に運ぶ。 醗酵槽へ入れるのはベルトコンベアーで上まで上げて、重力で落とし込む。 ニコラは葡萄園の収穫から葡萄が醗酵槽に入るまですべての段階の現場に自分が立ち合わなければ気がすまない性格。 SO2(酸化防止剤)を入れない自然派醸造の基本 自然派醸造の基本中の基本は、健全な葡萄しか醗酵槽にいれない。プリューレ・ロック時代に徹底して教え込まれたことを忠実に実行している。 まさに、ブルゴーニュ・グランクリュのごとくに ガメイを醸すニコラ・テスタールがここにいる。   清潔な醸造所 […]

29
Oct

2013年ヌーヴォー情報第五弾! -JEAN-CLAUDE LAPALU-

ボジョレーの新リーダー J-C LAPALU ジャン・クロード・ラパリュ13年収穫 ワインは“人”が第一! 今、フランス醸造家で人物を一人挙げろと云えば即、この人ジャン・クロード・ラパリュを指名する。 *仕事に対する追及心 *トコトン実行する行動力 *人間としての信義を大切にしている *やることをやった後の人間的温かさ *許容力の広さと深さ 多くの若手醸造家がラパリュを慕って集まってくる。   ラパリュの2013年 毎年、自然派醸造元の中では最も早い収穫をするラパリュ。 今年は9月27日、ほぼ自然派の仲間と同時期に始めた。 ラパリュの畑はブルイィ山に守られて普通は早く熟す。今年は1980年以来の遅い収穫となった。やはり4,5,6月の寒い春が原因で3週間、葡萄の成長が遅れた。開花時の不天候で結実が不安定となって、ミルランデール化した葡萄が多い。そして、8月に畑の一部に雹が降った。しかしその後、乾燥が続いたことで幸い雹が当たった部分も乾燥して腐ることがなかった。 今年は結果として大変に健全な葡萄を収穫することができた。ミルランデール化した葡萄はラパリュにとっては大歓迎だ。ミルランデール葡萄は濃縮したジュースが搾れるからだ。 『今日収穫した葡萄はヌーヴォーにする予定です。アルコール度数は低めですが果実味は深みがあるタイプになるでしょう。何より傷んだ葡萄が少なく大変健全な葡萄が収穫できた。この葡萄で日本の皆さんを驚かせたい!グイグイいけるタイプでありながらラパリュ独特の深みを楽しめるヌヴォーを狙いたい。楽しみにしていてください。』ラパリュ   元気100倍のラパリュ大好き人間ばかりが集まった収穫チーム     乗りのよい知性派グループ ラパリュの収穫は若手が多い。 毎年、ワイン好きの大学生が来るのに 今年は収穫時期が遅れた為、大学の授業が始まってしまった為に参加できなくなったメンバーが多い。 ラパリュの収穫期間は1週間と短いので近所のリヨン大学の学生や醸造家の卵や、ラパリュのワインをこよなく愛している若者達が集まった。 ラパリュ大好き人間ばかりが集まった。 仲間同士という感じの温かい雰囲気が漂っている。       食用葡萄の収穫のようなカジェット(箱 収穫された葡萄は底の浅い籠、ロマネコンティより浅い箱で醸造所まで運ばれる。収穫してから醗酵槽に入るまで葡萄が重量で潰れるような危険はゼロ。ここまで気を配っている醸造家は見たことがない。こんな小さいことの積み重ねがラパリュ・ワイン独特のきめの細かい上品さをかたち造っている。             2013年 ラパリュ醸造の初収穫の葡萄が蔵に到着   ラパリュ醸造はブルイィ山の麓、AC BRUILLYの区域にある。北ボジョレーのクリュの中でも最も葡萄が熟すのが早い区域にある。すべては元火山だったブルイィ山のエネルギー・パワーのお陰だ。北からの寒い風を遮ってくれる。 13年、初葡萄到着に感動しているラパリュ 『2013年の初収穫葡萄がラパリュ醸造所に到着した。 何年もやっていることだが、この最初に収穫した葡萄が醸造所に着いた時は感動するものです。一年の農作業の過程が頭をよぎる。そして、最初の醗酵が始まるまでは ドキドキするものです。』   たかが葡萄の運搬、されど運搬! ラパリュの凄いところは、葡萄栽培から瓶詰めまでのすべての工程を細かく細分して、ここまでやるか?という手間暇をかけて細心の注意を払ってやってしまっていることだ。ロマネ・コンティでもここまではやっていない。   食用葡萄ケースに入った葡萄を丁寧に醸造所内に素早く入れる。早朝の温度が低い時に収穫した葡萄は直接、醗酵槽に入れる。午後の温度が上がった時の収穫葡萄は冷蔵庫にいれて一晩冷やす。ベルトコンベアーで醗酵槽の上から重力で落とし込む。   普通はポンプを使用して醗酵槽に荒らしくいれる。この時に折角の葡萄が傷ついてしまう。ポンプを使えば時間も人手も掛からない。しかし偶然に上品なワインはできない。 […]

28
Oct

2013年ヌーヴォー情報第四弾! -GEORGE DESCOMBES-

デコンブは最後まで収穫を待ってボジョレー中で最も遅く収穫   10月2日、デコンブのヌヌーンは重い腰をやっと上げた。 自然派の仲間達が次々と収穫を始めた先週もデコンブはジット動かなかった。自然派でない普通の醸造家はもう2週間前より収穫を始めている。彼らは熟度が足りなくともドサット砂糖を入れて補糖(シャプタリザッション)をするから危険を冒して待つ必要がない。自然派は最大限まで葡萄が熟すまで待つ。決して精神的に楽なことではない。 先週は晴天が続き待った甲斐があって葡萄の熟度が上がった。 しかし、今日を境に天気が崩れそうな雲行きになってきた。 もう待てない。デコンブは昨夜、収穫人に明日早朝に収穫開始の合図をだした。   まだ、太陽が昇らない7:10には葡萄園に到着。 深い霧がかかっていることも手伝ってうす暗い葡萄園だ。 霧の中で収穫のゴーサインが落とされた。まるで戦場のような朝靄だ。デコンブが見守る中、収穫人は一斉にハサミの音を鳴らし始めた。 多くを語らないデコンブは、自分のこの遅い決断が果たして正解だったのかまだ確信をしていない。じっと収穫されてくる葡萄を確かめている。何度も何度も食べて葡萄の熟度状態を確認しているデコンブのヌヌーン。 着々と葡萄が収穫されて集まってくる。   デコンブのワインは常に濃縮感を感じられる。だからデコンブは自分のこのスタイルを貫きたかった。この時期に一週間待つというのは一種の賭けのようなところがあった。待ったからと云って天候が良くなるという保証は全くない。この間に災害に遭うこともありうる。厳しい顔のヌヌーンの表情は理解できる。   望んでいた良質の葡萄を確認 自分が望んでいた葡萄の状態を確認できるのには少し時間がかかった。次々と健全な葡萄が収穫されてきた。思わず顔の表情もゆるんできた。 今朝のランシエ村の畑は、今年のデコンブ・ヌーヴォー用の葡萄だ。毎年、デコンブのヌーヴォーはどこよりも力強さがある。デコンブのこのスタイルを待つお客さんの為にも忍耐強く待った甲斐があった。偶然にデコンブのスタイルが出来上がっているわけではない。危険を承知の上でジット動かない忍耐が必要だった。 マルセル・ラピエールとは深い関係 マルセルとは深い関係を持っていたデコンブ。ヌヌーンは若いころ瓶詰機械をトラックに積んで各醸造元に行って瓶詰めを行う仕事に就いていた。 ある日、マルセル・ラピエールの醸造所から依頼があって瓶詰めをしていた。その時、マルセルのワインを飲んで体中に衝撃が走った。 『こんなワインを今まで飲んだことがない。こんなに体に自然に溶け込んでいくワインが存在するのか?本当に感動したんだ。』とデコンブ。 即、デコンブはマルセルに弟子入りをした。いずれ先祖が持っていた畑を引き継ぐつもりだった。数年後に醸造元ジョルジュ・デコンブを設立した。   自然派の次世代を着々と育成 今日は二男のケビン(20歳)とコンビの収穫だ。もう4年もお父さんについて一緒に自然派ワインを造っている。もう一人前と云って良い。 今年から、ケビンもお父さんから畑を分けてもらって独立する予定だ。 長男のダミアンは既に5年前に独立している。 着々と自然派の次世代を育てているデコンブだ。 自然派の基本・徹底したトリアージ(選果作業) 今日は収穫の初日だ。収穫人に収穫のやり方、特に葡萄の傷んだ部分を 切り落とすトリアージ作業の徹底を教え込んでいるケビン。 マルセルからデコンブそして次世代のケビンまで自然派ワイン醸造の根幹の部分、『健全な葡萄しか醗酵槽に入れない』は徹底して受け継がれている。手間暇がかかるけど絶対に必要な作業だ。   トラックまで運ばれてきた葡萄を更に入念にチェックし傷んだ葡萄や不健全な葡萄を取り除いている。雑菌は醗酵槽に入ってから繁殖すると ワインが台無しになってしまう。   最高のヌーヴォー用葡萄を天から贈られたデコンブ   3時間ほどでトラックが満載になった。期待したおりの葡萄を収穫できた。 今年のデコンブ・ヌーヴォーは期待できそうだ。他の醸造家より1週間遅くまで待っての収穫は正解だった。ここまで完璧に近い葡萄は、こと13年では少ないだろう。   2013年最高の葡萄を確保 デコンブ・ヌーヴォー用の葡萄は このメンバーで収穫しました。 4,5,6月の寒い春が続き、葡萄成長が3週間も遅れた。 1980年ぶりの遅れだった。 ベテランの域に入ったデコンブにとってもあまり経験のない事だった。 『素晴らしい素材を天から贈られました。これで日本の皆さんに喜んでもらえるようなヌーヴォーを造ります。』デコンブ  

24
Oct

2013年ヌーヴォー情報第三弾! -CYRILL ALONZO-

2013年もヌーヴォーはALONZO NOUVEAUにお任せください!  繊細でエレガントなスタイル 今年はレニエ村の美しい丘陸地帯にある畑を確保しました。9月28日、シリル・アロンゾが狙っている理想的なバランスのヌーヴォーを収穫しました。 つまりアルコール度数もタンニンもあまり濃縮しすぎない繊細でエレガントなヌーヴォーのスタイルです。   シリル・アロンゾのガメイ哲学 アロンゾのヌーヴォーは他では絶対に見られない特徴がある。シリルにとってガメイ品種はやや軽めのエレガントで繊細なところに最高のエキリーブル(調和)があること。濃縮し過ぎても、薄すぎてもダメなのである。 まるで上質なピノ・ノワールのようなバランス感覚がシリル・アロンゾの狙いであり、ガメイ哲学である。   上質なテロワールと栽培の達人が必要 その為に必要な上質なテロワールと自分の土壌を知り尽くしたビオ専門の栽培家、フレデリックと巡り合う。フレデリックの家系はこの地で1794年より葡萄栽培をやっている。9代目の当主だ。220年間もずっと自然栽培をやっている。このヌーヴォー用の畑の平均樹齢は60歳で中には100歳級の古木も含まれている。   ボジョレーの典型的な花崗岩土壌。古木の根っこはこの花崗岩の岩盤に深く入り込んでいてミネラリーな透明感ある果汁がとれる。 そして、この地は廻りの街を見下ろすほどの高台にある。標高350mほどある。ポリフェノールは熟してもアルコール度は低く、酸が残りやすい。狙いどおりのテロワールだ。   老いも若きも混じった元気でチームワークのよい収穫人達が集まった!   この活力が自生酵母をも元気にするだろう! この活力が自生酵母をも元気にするだろう! 収穫人は元気なのが良い。できれば健全な人達が良い。この元気さがワインの中にも入って行くからだ。 ここの収穫人は遠くからの若者と地元のベテランが入り混じって仲良くやっている。 中には77歳で30年以上も収穫をやっているおじさんもいる。   徹底したトリアージ選果作業 収穫された葡萄が次々と荷台に運び込まれる。運びこまれた葡萄を慎重にチェックして、傷んだ葡萄や不純物を取り除く選別作業を徹底して やっているアロンゾとアドリアン。 時々、収穫された葡萄を食べてチェックしてみることも大切だ。 皮のタンニンや種の熟度は自分の歯で噛みしめて見ないと分からない。 分析では分からない部分だ。   流石、自然栽培歴が長いベテランのフレデリックだ。この難しい2013年に完璧な葡萄を育て上げた。萄園を歩いて観察したが、腐っていたり傷んだ葡萄がほとんどない。 『見たかい!この完璧な葡萄。 これでエレガントで美味しいヌーヴォーを日本の皆さんに造ります』 シリル・アロンゾ   自信に満ちたシリル・アロンゾ やっと最良の栽培パートナーを見つけたシリル・アロンゾ。 今年ほど収穫された葡萄をみて喜んでいるシリルを見たことがない。 それにこの自信に満ちたシリルの顔をみてください。 今年のヌーヴォーはアロンゾ・ヌーヴォーに決まりでしょう! 特にコカ・ヌーヴォーをお見逃しなく!    

22
Oct

2013年ヌーヴォー情報第二弾! -LAPIERRE家のヴァンダンジュ-

自然派の元祖・ボジョレーのラピエール家が2013年の収穫を開始! 今年も世界中から若者が集まって来ました。9月26日に開始した収穫。ほぼ30度近い真夏日の快晴の天気だった。 約半分の収穫人は毎年参加のベテラン・メンバー。色々心配された13年もやっと収穫にたどり着きました。 このエネルギーの塊が自然派ワインの中心だ! このエネルギーがラピエール家のワインの中に伝わっていく。 毎年来ているベテラン組が新人を教育しながら収穫が進んでいく。今年も収穫は葡萄の品質を見極める選別眼が必要だ。体力的に厳しい労働を励ましあいながらパワフルに進めていく。 3女のアンヌを中心にベテラン・メンバーも気勢を上げた。 これから2週間から3週間の厳しい肉体労働をする合宿メンバー仲間だ。 お互いに励まし合いながら、元気に、楽しく、確実にやってほしい。 収穫の総指揮官・マリー・ラピエール 今年もラピエール家のブドウ園での収穫指揮はお母さんのマリーが担当。それを3女のアンヌが補助している。約60人の収穫人を4グループに分けて収穫をしている。葡萄園の炎天下では30度を超す暑さ、昼食後の収穫はこの二人が気合を入れる。 2013年 初ジュースを聞くマチュ・ラピエール 醗酵槽に葡萄丸ごとを入れて下からジュースを抜き取って試飲する醸造担当のマチュ。マルセル・ラピエール亡きあとを見事に引き継ぎマルセルより美味しいワインを造る、と世界中から認められているマチュ・ラピエールだ。   2013年は収穫が例年より2~3週間も遅れている。4.5,6月の寒くて雨が多く、曇りがちな長い春が原因だ。開花時期が既に3週間も遅れた。しかも同じ畑でも一挙に開花することなく3週間に渡って徐々に開花していった。 同じ葡萄木の房でも開花が長期間に渡って行われたので葡萄の熟度が平均していない。収穫の決断が難しい年だ。マチュ・ラピエールは同じブドウ園を2回に渡って収穫することを決意した。葡萄の状態を見て臨機応変に対応が必要だ。 一回目の収穫では、a-良く熟している葡萄、b-あと2週間も耐えられそうにない葡萄を収穫して、2週間後の良く熟した頃にもう一度2回目の収穫にやってくる。b-の葡萄はVDPワインに回す。収穫人の選別眼が重要になる。   13年もラピエール家では厳格なトリアージ(選別作業)を実施 ラピエール家のトリアージ作業は間違いなくNO1の厳しさ。トリアージとは腐った葡萄や傷んだ葡萄を取り除くこと。また葡萄の悪い部分を取り除く作業のこと。葡萄全体がダメな場合は切り落す。一部の場合はその悪い部分を取り除く作業。下部を切り落とす。 ラピエール家はトリアージ作業のチャンピオンだ。繊細で上品で透明感があるワインは偶然にはできない。葡萄の一粒一粒を丹念に検品しながら悪い部分を切り落とす。こんな時間がかかる作業を徹底しているのがラピエール家だ。途轍もない手間暇のかかる作業だ。 今年も膨大な時間をトリアージに割いている 50人の収穫人全員が葡萄の一粒一粒を検品、切り落とし作業(トリアージ)を行っている。ここまで徹底しているのは、フランス中で見たことがない。 ロマネ・コンティより厳格なトリアージだ。 マチュ・ラピエールはお父さんのマルセルの教え『健全な葡萄のみを収穫』を更に徹底しただけ。   13年は比較的このような健全な葡萄が多い。昨年は腐った葡萄が多かった。収穫人にとっても、こんな美しい葡萄にハサミを入れる時の快感は格別だ。今年の特徴は葡萄木の生育が2,3週間遅くなり収穫も遅れた。しかし、最終的に品質上は良年といえる。 今年もミルランダージが多い 13年の特徴はミルランダージ化した葡萄が多いこと。ミルランダージとは開花時の天候不良の為、1房の中でも開花が同時に行われなく、結果として大きい粒と小さな粒が混じった葡萄房が形成されること。果皮の面積に比較して果汁が少ないので濃縮したワインができる。結果的に品質的には良年となる。   収穫時の3人の大切な役割 1-運び屋 2-トリアージ専門屋 3-ムードメーカー屋 収穫時には、葡萄を採る人とポルトゥール(運び屋)がいる。ポルトゥールとは収穫人が採った葡萄を籠に入れる。その籠を葡萄園の端に準備してある箱まで運ぶ人のこと。運びながら葡萄の品質をチェックする。悪い葡萄が籠に入っている場合は収穫人に選別作業のやり方・基準を教え込む。大切な仕事だ。 だからベテランが担当する。かなりの重労働である。1日に運ぶ重量と歩く距離は半端ではない。屈強な体力も必要だ。   ポルトゥールが運んできた葡萄を更に再度、葡萄の品質を検品して悪い葡萄粒などを取り除く作業(トリヤージ)をする人がいる。この部分はベテランの人がやる大切な仕事。彼女はオランダ人でもう13年前から毎年収穫にやってくるベテランだ。 項目ラピエール家 3女のアンヌ 一日の終盤になると、体力的に疲れて精神的にも参ってくる。誰かが歌を歌ったり。ジョーダンを飛ばして、気分を抑揚させる必要がある。ムードメーカーが必要だ。ボーとしてくると注意力が緩慢になって悪い葡萄を収穫してしまう。夕方は要注意だ。たったチョットしたことで、一年の畑仕事が台無しになってしまうからだ。   2013年の状態をあらゆる角度からチェックするマチュ・ラピエール マルセル・ラピエールが残した大切な宝 マチュ・ラピエールにはお父さんのマルセルが30年間、書き残した収穫・醸造記録がある。突然に美味しい自然派ワインはできない。父から息子へ、代々の栽培・醸造記録が蔵の歴史である。その歴史があって今がある。 マチュは記録を調べていると。今年は2006年と2007年の中間的な葡萄の状態・品質に似ている。流石マルセルだ。かなり詳しく記録していました。マチュにとって、その年にマルセルがどんな醸造をやったか、大変なヒントになる。マチュは13年の醸造のシミュレーションを展開できる。 2013年は幾つかの難関を越えながらも結果としてかなり高品質になる可能性を秘めている。解禁日が決まっているヌーヴォーは早く収穫しなければならないので軽めのグイグイタイプ。通常ワインは収穫を遅らせて葡萄を十分に熟成させて収穫ができる。 その意味では今後、収穫中の天候状態が13年の品質に大きく左右することになる。   収穫も4日目、着々と葡萄が醸造所に運び込まれてくる。収穫を始めてから28度の夏日が続いている。葡萄の熟度が日に日に上がっている。このまま晴天が続けばかなり高い品質のワインとなる。この天候の中、ポリフェノールが順調に熟成している。 レセプション係の大切な役割だ 醸造所に運び込まれた葡萄を細かくチェックして糖度などを記録しておくレセプションの専門家をラピエール家では設置している。   次々と運び込まれる葡萄をチェックして、収穫された葡萄園区画と収穫責任者の名前を記録しておく。 どんな事が起きてもトレサビリテを 追及できるようになっている。   収穫した葡萄を一晩冷蔵庫で冷却 温度が涼しい午前中に収穫した葡萄は、ダイレクトに醗酵槽に入れても問題ない。気温が上がった午後に収穫した葡萄は雑菌が繁殖しやすいので。畑に設置してある冷蔵庫に一晩、入れて冷やす。酸化防止剤を混入しない自然派の造りには重要なことだ。この作業も今となってしまえば、単純なことだけど、一昔前は、まだ醸造中に雑菌が繁殖したり、お酢になってしまったタンクが多かった。特に酸化防止剤(SO2)などをあまり使用しない醸造の場合には多かった。この方法は自然派醸造を研究していたジュル・ショーヴェ博士が考案・実証してマルセル・ラピエールに伝えた作業だった。今は世界に伝わっている。 […]