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『タベルのハチミツ』と呼ばれるラングロールのワイン!
・・・・・・・・・・・・・・・ストーリー・オフ・エリック・ピファーリング・・・・・・・・・・・・・・・・ エリックの物語は70年代初期、彼がまだ10歳の頃に始まりました。彼の父はガール市に在るキャランサックの町で整備士として働いていました。ある日、屋根裏から妙な音が聞こえ、覗いてみたところ、蜂が屋根の下に巣を作っていたのです! エリックの父は蜂に興味を持ち、直感的に巣を保存する事にしました。その数ヵ月後、彼は自分の会社を手放し、養蜂家になろうと決心しました。これがエリックが学んだ初仕事です。 『蜂は集中力と平静を学ぶ学校のようだ。彼らにとって、気候、機嫌、環境、感覚、全てが大事なのだ。彼らにとって毎日が全く違う。人間は蜂達をコントロールできないが、共に歩んでいく事は出来る。ブドウ木と同じだ。人間が参加することは可能だが、指導する事は不可能だ。又、養蜂はワインの勉強にもなるんだ:アロマや勢いを感じ取る・・・私は幼い頃からハチミツと花の香りを常に感じているんだ。』 30年経った今、エリックのワインにはその豊富な香りが漂ってきます。 彼のグルナッシュは穏やかに繊細に育てられ、 そして数々のキュベはまるでブルゴーニュのピノのような感覚です。 テール・ドンブル*Terres d’Ombre、 ピエール・ショード*Pierre Chaude、 ル・シュマン・ドゥ・ラ・ブリューヌ*Le Chemin de la Brune、 レ・トラヴェルス*Les Traverses・・・ シルヴィー・オジュローさん曰く、 『エリックのワインはタベルのハチミツのよう』なのです! 『まるで南仏のボジョレーだ』と他の批評家も発言しています。 『初めてマルセル・ラピエール*Marcel Lapierreのモルゴン*Morgonを飲んだとき、本当に衝撃的だった。彼、そしてジャン・フォアラール*Jean Foillardbは天才だ!』 20年前、エリックは祖母が所得していた4ヘクタールの葡萄園を引き継ぎました。そして更に3ヘクタールを後から購入。2007年ワインは彼にとって、ドメーヌ・ドゥ・ラングロール*Domaine de l’Anglore (Angloreとはオック語でトカゲという意味)の5年目のヴィンテージとなります。 ブドウ木に付いては全て奥さん、マリー*Marieの父から教わりました。 元ブドウ栽培者はエリックに伝統的な教えを伝えたのです。 『50年代と同じ栽培方法を教わった。対処方法はボルドー液のみ。今、この栽培方法を 世間は« ビオ »と呼ぶ。しかし昔はこの栽培の仕方が通常だったんだ。ロゴが無くても、自然と代々と継がれていったものだった。私はこのシステムを様々な形で延長した。ワインにフィルターを掛けなかったり、出来る限り亜硫酸は添加しないなど。時には少し戸惑うようなワインが出来上がるけれど、私はそれが好きなんだ。』 ・・・・・・・・・・・エリックはまさに « ナチュール »な職人なのです。・・・・・・・・・・・ 『1998年、親友であるジャン・フランソワ・ニック*Jean-François Nicq−フラール・ルージュ*Foulards Rouges−と私はワイン造りを始めた。この時ちょうど狂牛病が大問題になっていた時期なんだ。ワインの生産者側として、商品の危険や品質に付いて、政治に付いて、自分のワインに付いて、造り方に付いて、何日間も話し合っていた。そしてどのように新しい考えを持った醸造家達を広める事が出来るかなど。私達はルシヨンのロイック・ルール*Loic Roure −ドメーヌ・デュ・ポシーブル*Domaine du Possible、エドワード・ラフィット*Edouard Laffitte−ドメーヌ・ル・ブ・デュ・モンド*Domaine Le Bout du Mondeや、アルデッシュのジェラルド・ウストリック*G érald Oustric−ドメーヌ・デュ・マゼル*Domaine du Mazelなどの造り手と共に、世間とは違うワイン醸造法を学びました。』 ・・エリックは反抗的で情熱的で空想的なのです。それはエリック自身も認知しています。・・ […]