13
Mai

5月上旬の葡萄畑状況−現場写真

5月上旬、ラングドック、ロ−ヌ、ブルゴ−ニュの葡萄園を走った。葡萄の生育状況を写真に収めた。 1-ラングドック-LUNEL 5月4日 撮影 3月、4月と温暖な春となった。 既に開花の準備ができている。 2−南ロ−ヌ 5月1日 撮影 南ロ−ヌ地方でも晴天のひが多い冬、春となった。既に、水不足が危惧されている。全体的に乾燥している。 ブルゴ−ニュ地方 ラングドック地方から所用で一挙にブルゴ−ニュへ跳んだ。 3-メルキュレイ MERCUREY –P.GUILLOTの畑 5月6日 撮影 南フランスから比べるとかなり遅いが、例年並の生育とのこと。 4-ムルソMEURSAULT 5月6日 撮影 5−ヴォルネVOLNAY 5月6日 撮影 6-ポマ−ル POMMARD 5月6日 撮影 7-アロクス−コルトン ALOXE CORTON 5月6日 撮影 8-ペルンナン・ヴェルジュレス PERNAND VERGERESSES(PAVELOTパヴロの畑)5月6日 撮影 標高の高さ、信じられない脅威の剪定の短さ !! ワインの品質は畑で決まる !! 美味しいワインは美味しい葡萄から造られる。 美味しい葡萄には、適切な土壌と農作業をする人間の“志”が必要だ。人間の志を観るには“剪定”を見れば一目瞭然だ。 数あるブルゴ−ニュの蔵元でここまでの短い剪定は、あまり見られない。ここまで剪定が短ければ収穫も極度に少ない。 品質に勝負を賭けている“志”が表現されている。 パヴロは凄い !! 9-オ・コ−ト・ドゥ・ボ−ヌ HAUT COTE DE BEAUNE (ジブロGIBOULOT)5月6日 撮影     ジブロの剪定も短い !剪定に2種類あり。 10-ヴォーヌ・ロマネ村(プリュ−レ・ロック)5月6日 撮影 CLOS GOILLOTEクロ・ゴワイヨットの畑 11- ヴォーヌ・ロマネ村VOSNE ROMANEE-ロマネ・コンチROMANEE CONTI 5月6日 撮影

13
Mai

十字軍が出発した街VEZELAYヴェズレ−

〜1979年世界遺産認定〜 〜丘の斜面には葡萄園が復活〜 ブルゴ−ニュ最北端のシャブリやトネ−ルに近い歴史ある敬虔なる教会の街ヴェズレ−である。小高い丘の頂上にバジリック・サント・マドレ−ヌ大聖堂がある。丘の斜面には葡萄園がある。 1800年初期まではディジョンからパリまで葡萄園で埋め尽くされていた。特にヴェズレ−近辺は見渡す限りの葡萄園が広がっていた。1860年ごろヨ−ロッパに広がったフィロキセラ害虫によってヨ−ロッパ中の葡萄園が全滅した。 その後、アメリカ産の台木にヨ−ロッパ産の葡萄木を節木することで多くの葡萄園は復活したが、ここヴェズレ−の葡萄園は復活することなく他の農産物が栽培されていた。やっと最近、M. MONTANET 〜 モンタネ氏の努力によって葡萄園が少しづつ復活されて、AOCが認められることになった。 〜歴史の街〜 最初に教会が造られたのは861年 。ジェラ−ル伯によって修道院がつくられ、以後、ベネディクト派によって丘の上にセント・マドレ−ヌ聖堂が造られた。マグダラ・マリア聖遺物があるということで、さまざまな奇跡を起こしたとされて、以後中世ヨ−ロッパにおける重要な役割を演じることになった。多くの巡礼者が訪れることになり、サンティアゴ・デ・コンポステ−ラの巡礼路に組み込まれた。 〜十字軍の出発地〜 第2回十字軍(1147-1149)の遠征ヴェズレから聖地エルサレムまでの出発点ともなった。また第3回十字軍(1189-1192)にはフランス王フィリップ2世、イギリス王リチャ−ド1世などが出発したのもここヴェズレ−からだった。 〜美しい中世に街がそのまま〜 メイン通りサン・テチェン通り 丘の下からセント・マドレ−ヌ聖堂に向う小道がこの街のメイン道路だ。道の両サイドにレストラン、みやげ物店、パン屋、ワイン屋など面白い店が立ち並んでいる。 お勧めレストラン   道行く修道僧 〜フィリップ2世が、リチャ−ド1世が、数々の歴史的人物を見てきた大聖堂〜 小道を登りつめるとマドレ−ヌ大聖堂がある。   聖堂の内部ではミサが行われていた。 サンチャゴ・デ・コンポステレへ向かう巡礼の旅 この日、若者のグル−プが巡礼の旅に出発するセレモニ−をやっていた。ここヴェズレ−が巡礼の旅の出発点であるからだ。ヴェズレ−から全長約1690KM。約2ヶ月半は掛かる。フランス語では、サン・ジャック・ドゥ・コンポステルと云いサンジャックは帆立貝を意味する。巡礼者は帆立貝の貝殻を首から吊るしている。巡礼者の証明の一つだ。 民宿も特別扱いしてくれる、との事。 〜丘の頂上から見渡す景色は素晴らしい!〜 〜幾つかのお勧めスナップ〜 〜歴史と人、現在と人、宗教と人、自然と人、ワインと人〜 半日この中世の街を探索した。色んな事を考えながら歩いた。 『あの十字軍がここから出発したんだ』 『フランス王ルイ17世もこの道をある歩いたんだ』 『ノルマン族に壊されたこともあるんだ』 教会と云えども権力と戦争に明け暮れたヨ−ロッパの歴史と人間模様を想像した。そして当時のワインの事を。 天気も晴天とあって実に美しかった。 〜ヴェズレ−のお勧めワイン〜 ドメ−ヌ・ド・ラ・カデット DOMAINE DE LA CADETTE ロマン派 !! モンタネ氏  世界遺産のヴェウレを葡萄園で覆い、ワイン有名産地への復活 !! なかなかの苦労人である。モンタネ氏はジュラ地方出身であり、地元の人ではなかった。いわゆる、よそ者のモンタネ氏が18年目前に地元の農民を説得して農業組合カーヴ・ドゥ・ヴェズレを立ち上げた。若い頃、葡萄収穫に時々やってきていた彼はこの風光明媚な土地を限りなく愛していた。愛したのは土地だけではなかった。この地に育った女性カトリ−ヌさんと結婚した。 この地の古文書を調べたモンタネさんは、ある事実を発見した。それは1800年代の中頃までは、この地は葡萄園で覆われていたのである。ブルゴ−ニュワインの一大有名産地の一つだたのである。つまり、フィロキセラ害虫で葡萄園がほぼ全滅という被害の前は、ワインの産地としてのヴェズレが有名だった、事実を発見したのだ。30歳になったばかりの若きモンタネ氏は、ここに我が人生を賭けるロマンを発見したのである。再びこの地をワインの名産地に復活させる ! そして、近隣の酪農農家や昔葡萄園だった地を所有している農民への説得に駈けずりまわった。よそ者のモンタネ氏の事を素直に聞く人はなかなかいなかった。 モンタネ氏は決意した。銀行を説得して借金をしてまず農協を立ち上げてしまうこと。 彼の熱意に負けて賛同する農民が数人現れた。1991年正式に農協カ−ヴ・ヴェズレは成立した。 当時、必死の形相でPARISのレストランやワイン屋に売り込みに来ていたのを知っている。失敗は許されなかったのである。私はその当時からの付き合いだ。 モンタネ氏 第2の転機 追求心の強いモンタネ氏はやはり、本物のワインを造らなければ、真のヴェズレワインの復活はありえない と確信する。ブルゴ−ニュのプリュ−レロックやパカレそしてマルセル・ラ・ピエ−ルの存在を知り、将来はこれだ、と悟る。農協の葡萄園をビオに改善し、造りも自然な造りに改良していこうとした。ところが農協の組合員から反対案が提出された。やはり自分が“よそ者”であることを再認識させられた出来事だった。しかし、もう彼は後に戻る気は無かった。組合長でもあり、自分で立ち上げた農協を出なければならない状況になってしまった。この10年間の努力は何だったのだろう ? 悩んでいる時期に、ロックからの独立を考えていたフィリップ・パカレと出会う。パカレの独立に合わせて自分も独立する決意意を固めた。 そして、パカレに自然なワイン造りの指導をしてもらうことにした。ドメ−ヌ・カデットの誕生である。 パカレ独立が、挫折感のあった農協の事を気持ちよく将来に向けて割り切る切っ掛けになってくれた。僅かな自社畑と借り畑を持ってカデットが立ち上がった。それからも紆余曲折があったが多くの協力者や仲間を得てやっと現在がある。 […]

10
Mai

アエラシオンは掌使いがイマドキ・・・

若いヴィンテージや、ちょっぴり個性の強い自然派ワインをより美味しくいただきたいとあれば、抜栓後に空気としっかり触れ合わせるアエラシオンがお役立ちの手。ドボドボ激しくデキャンタをするのが一番、という輩もあれば、フィリップ・パカレやマルセル・ラピエールのように物理学者が設計した運動エネルギーの法則に従ってワインが活性化するという、魔法のランプ風物体(オヴァリウス)を使う向きもある。もちろん、そのまんまが美味しいんだから・・・というご意見はごもっとも! そんでは、最近のパリの自然派大好きワインバーではどうか・・・っていうと。何にも言わなければボトルのまま出てくるパターンがほとんど。そんな中、昨年秋にオープンしたRacine(パリ2区メトロGRAND BOULEVARD駅近くのパサージュパノラマ内)でのひとコマ。ギャルソンにワインをオーダーすると、彼、ワインと一緒に一般には水用の口の大きいカラフを手に登場。「する?」と聞かれたので、「して」とお返事。ギャルソン君、一気にカラフに移すと、おもむろに掌で口をフタして振る振る・・・。あらあら、掌真っ赤。まあ、自然の摂理だけど。「どうぞ」なんて、さりげなく、そしてスマート・・・(もちろん掌は真っ赤のまま)。 いやあ、イマドキのアエラシオンは掌なんですなあ。

6
Mai

5月5日のロマネ・コンチの畑

昨日からボーヌに滞在しています。偶然ロマネ・コンチの畑の横を通りました。写真を皆さんに送ります。 本日は晴天24度という高い気温でした。     ちょうど馬で耕していました。   芽はこんな状態です。   3日前より温暖な晴天で一挙に芽ふき出てきました。

2
Mai

5月1日は、すずらんの花がフランス中に!

5月1日はフランス中、 ミュゲ(すずらんの花) が売られている。パリのメトロの出口でも、街角など到る所で路上販売されている。小さな花束にまとめてある。 まぎれもないフランスの風物誌の一つだ! 『幸福や愛をもたらす。』ということで買い物途中のお母さんや、お父さんが家に買っていく。 こんな特製売り場が路上に設置されている。 何故?ミュゲ(すずらん)の花か? ヨーロッパではミュゲの花は5月のシンボルとして古くから認められていた。花が鐘の形をしている為に、春を到来を鳴らして伝えてくれる花として知られていた。 春だけではなく、『新しいもの』や、『幸福』、『愛』をもたらしてくれる花としてのイメージに変化していった。 普通はこんな小さな花束にまとめられている。 5月1日は、FETE DE TRAVAIL 労働祭の日だ。 フランスでは祭日となる。                                         では、何故、5月1日か? チャールズ10世が1561年の5月1日にすずらんの花をプレゼントされて、大変気に入ったことから、宮殿の女性全員にすずらんの花を5月1日にプレゼントすることを習慣とした。 その習慣が現在のフランスの風物誌として今も残っている。 日本でもワインにすずらんの花を付けて提供したらいかがでしょうか。 ワインに幸せをプラスして。

2
Mai

今、フランスは新緑が美しい

フランスの公園、森が今美しい。 すべてが薄緑色で清々しい香りでいっぱいだ。 自然のすべてのものが動き始めた、という感じだ。 ずっとこのままでの状態でいてほしいけど、自然はけっして止まらない。 葡萄の木も同じだ。今は樹液が上っている。秋、冬が来ればまた下がっていく。根ッ子の中に入っていく。力を蓄える為に。 今はエネルギーに満ちている!あと、4か月で立派な葡萄を育てる。

30
Avr

2000年の風雪に耐えたポン・ド・ガールPONT DU GARD

1985年より世界遺産に認定 南ローヌとラングドックの境界線上にある。高速道路9号線をリヨンからモンペリ方面に南下する時、 ORANGEオランジの街を通過してNIMESニームの手前の23番出口で降りると10分でポン・ド・ガールだ。 自然派ワインでは エステザルグ農協 が最も近い。15分ほど車を飛ばせば南ローヌ自然派ではトップクラスの ドメーヌ・ド・ラングロール がある。 葡萄園の真っただ中にあるのが世界遺産ポン・ド・ガールだ。 3階建になっている。 紀元50年頃ローマ時代に建設されたものだ。高さ49m、長さ360mの水道橋である。使われた材質は 地元で採掘された石灰石のみ。使われている石の総面積は21000m3、重量にして50400tだ。 石切機械も、ブルドーザー、クレーン車もなく人間の力でどうしたらこんなに立派な橋が出来てしまうのだろうか?3−5年で数千人を動員して建設した、とのこと。設計者は不明だが水が重力で流れるように傾斜になっているとのこと。この建設にまつわるこの時代の背景や権力、動員された人間、色んな事を想像しながらポン・ド・ガールを歩いた。 ローマ時代は偉大だ! 〜 歴史  ニームNIMES住民への水確保 〜 このポン・ド・ガールはユーゼUZESからニームNIMESまで水を運ぶ為に建設された。 全長約50kmに及ぶ水路の一部である。紀元40〜60年頃に約15年間かけて造られた。 このニーム近辺は原始時代らか人間が住んでいた洞窟が多数発見されている。街はガロワ時代にはすでに存在していた。紀元前45年には20000人の人口があった大都市だった。都市を支える為にはどうしても 大量な水の確保が必要だったのだろう。 〜 ポン・ド・ガールを眺めながら食事ができる 〜 ゆっくり写真を撮りながら橋を渡ったらお腹がすいてきた。左岸から右岸に渡るとレストランがある。何と橋を眺めながら食事ができる。 予約 TEL-04-6637-5110 FAX 04-6637-5158  Commercial@pontdugard.fr 〜 近隣の自然派ワイン 〜 CAVE ESTEZARGUE エステザルグ          自然派としては価格も安いバランス派ワインだ。    日常飲む体にやさしいワインとしてお勧め!      Gres St-vincent — BMO               Grandes Vignes — 野村ユニソン Les bacchantes – ヴィレッジ・セラーズ L‘ANGLORE  ラングロール  自然派ワインの中でも繊細さ、フィネスでは 横綱格。ワインの味覚は小さいことの積み重ね。 繊細な心がないとここまでの風味はできない。  Les Traverses Sels d Argent Blanc Pierre Chaude […]

29
Avr

北イタリアの美しい街 MANTOVA

北イタリア・ルネッサンス中心の街 ヴィニタリー期間中はヴェローナのホテルはどこも満室、おかげでヴェローナより30k程南に行ったところにマントヴァという街に泊まることになった。何と美しい街なんだろう! ワインでは爽やかな微発泡のランブルスコの産地だ。ワイン街道にふさわしい街だ! ローマ時代から存在する街だ。3方を湖に囲まれた芸術と歴史にあふれた街だ。 また、北イタリア・ルネッサンスの中心にたった街でもある。 中心はエルベ広場 街の中心はPIAZA DELLE ERBE〜エルベ広場〜だ。エルベは草、名前の如く、野菜や果物の市場がたって活気溢れる広場だ。                             広場に隣接するラジョーネ宮も美しい。 エルベ広場を中心にサンタンドレア教会があり、レストランやアペリティフを楽しむカフェバーがある。 一日中ワインのテースティングで疲れた舌をビールで潤した。 広場に面したこの回廊沿いのカフェバーはツマミが豊富にカウンターにありフィリーでサービスできる。 この街角はどこを写真にとっても美しい。 さすがイタリアのセンスは違う。 壁の色が美しい マントヴァの街のもう一つの特徴は建物の壁の色が美しい。 黄色やレンガ色が入り混じって調和がとれている。 マントヴァの名所 ソルデッロ広場 ソルデッロ広場とエルベ広場を繋ぐ路地 カテドラル 18世紀に造られたビアンチ宮、屋根の上の盾が独特な形をしている。     

28
Avr

桜 EN FRANCE

桜の花はここフランスでも美しい。 パリでは4月15から24日ぐらいまで桜が咲いていた。 私は桜が大好きだ。 パリではヴァンセーヌの森にある桜が美しい。ボジョレに行く途中に寄ったボーヌでも21日満開だった。

28
Avr

ラングドック4月の夏日

なんとラングドック4月26、27日は日陰で27度まであがった。当然、浜辺の炎天下では30度を軽く超える気温となった。土日と云うこともあってまるで夏の海水浴浜辺のようだった。 モンペリエに近いカルノンとグランド・モットの間の浜辺だ。 地球温暖化は単純ではない。 CLUB PASSION DU VINではフランスワイン産地の各地方の天気と気温をHPにて報告することにした。 地球温暖化が表面化している現在、ワイン造りには大変重要な要素となっている。 このHPで3月2日にすでに海水浴を楽しんでいる様子をお知らせしたことがある。しかしその後フランスに寒波が到来して4月初旬にパリ、アルザス、ジュラ、では雪が降った。 西南部地方では3月の温暖で芽がすでに出ていた為に霜被害にあったところもある。他の地方では冷春の為に、発芽が例年並みもしくわ遅くなっているのが現実だ。先週、ブルゴーニュ、ボージョレ、ローヌのぶどう園を廻って来たが、ブルゴーニュでは桜が今満開であり葡萄の目はまだ固かった。ボジョレでは少し出かかっている状況だった。さすがにローヌ地方では、すでに芽が立派になっていた。地球温暖化は実際には気温が上がったり急激に下がったりで複雑な現象となっている。 南ローヌ4月24日撮影

18
Avr

イタリア旅行 2008年

事務所から離れ、他の場所で仕事をするのはワクワクする。仕事はおもしろいが疲れるし、ちょっと生き抜きしたり新しい物を見る事は大切だ。先週私は伊藤さんと VINITALY や他の試飲会が行われたイタリアへ5日間の旅へ行く機会があった。 イタリアはフランスから近く言葉が似ているにも関わらず、雰囲気が全く違う。到着してから全てがピアノ・ピアノ(イタリア語でゆっくりという意味)だ・・・車の運転は別として(片手はクラクション、片足はブレーキという形がイタリア人の運転スタイル)、現地の人達はゆっくりと流れて行く時間を十分と味わっている感じだ。私はイタリア語が喋れないし、皆が言っている事は分からないからそう感じるだけかもしれないが、アルプスの反対側での方が平穏な生活を送っている様に思える。 イタリア人のファッションセンスはエレガントで抜群!特にサングラスが大好き!皆いつでもかけている:朝から晩まで、中でも外でも・・朝食の時も夕食の時も。ショーウインドーのマネキンまで黒いサングラスをかけている!もしかしてサングラス無しではイタリア人になれないのかも?! ワインに関して述べると(ちゃんと仕事もしてますよ!)自然派ワインの傾向が少しづつ取り入れられている。ブドウ畑やワインに対して健全な思想を持った興味深い醸造家達に出会ったし、イタリアには昔から伝わる各地域独特なブドウ品種が保存されている: ‐ピエモンではネビオロやバルベラ ‐サルデーニュではカニュラリ ‐シシリア島ではネロ・ド・アボラ 他にもマンモロ、コルテッセ、ガヴィ、ドルチェット、コロリノ、レフォスコ、マルバシア、サンジオヴェセ、インソリア、ミュラー・テュルゴー・・・この数多くの品種がイタリアワインに独特な特徴を与えてるのだろう。 とても驚いた事に、この国では白ワインは赤ワインと同じように醸造されていることだ。ブドウは何日から何ヶ月の間、粒の皮と同時に漬け込まれる。そうするとなんと酸化の特殊なアロマが香る意外な結果となる。また、赤ワインは木製樽が好まれている。私の好みとしては木の香りが少し強すぎるかも・・ 最後に、イタリア料理の美味しさは比べ物にならない。 イタリアがスローフード(www.slowfood.it)の国だって事も偶然ではない。 食品店、ハム屋、チーズ屋・・ショーウィンドーにはよだれが出そうな位美味しそうな品物が沢山・・・ 衝動買いしないようには強い我慢力が必要だ!! 各村に必ず見当たるのが家族で経営している『タラットリア』がある。ここではシンプルな地方料理が楽しめる(メニューには幾つかの料理しか無い)。店の中でもリラックスした雰囲気だ。お客さんは顔見知りで子供達は皆一緒に遊んでいる。こういうレストランでは家庭の料理が楽しめる。残念な事にフランスでは珍しくなってしまった。本当に残念だ・・・ 伊藤さんと楽しい出来事もあった。イタリア語が分からない私達は、あるレストランで注文した野菜風味パスタを待ちどうしく待っていたらビックリ!小豆のスープパスタのような物が運ばれて来た(ベネト地方の名物料理)・・・すっかり爆笑してしまった・・こういうハプニングも旅での楽しい思い出だ・・・              SANDRINE 翻訳 ASAMI  良かったお店・お勧めされたお店 Verone et ses environs ベローネと周囲 Al Carro Armato 〜 アル・カロ・アルマト Vicolo Gatto, 2/a Verone Tel 045 / 8030175 www.carroarmato.it (月曜休み) Ristorante Grippia 〜 リストランテ グリッピア Vicolo Samarinatana 3 37121 Verona Tel 045 8004577 www.ristorantegreppia.com (月曜休み) Antica Bottega Del […]

18
Avr

VOYAGE EN ITALIE 2008

C’est toujours motivant de sortir du bureau. Le travail quotidien même s’il est intéressant peut être sclérosant et il est important de prendre l’air, de voir des choses nouvelles. La semaine dernière j’ai eu la chance de partir 5 jours en Italie avec Monsieur Ito pour participer à VINITALY et autres dégustations parallèles. L’Italie est proche […]

17
Avr

学生・教師達のデモ

4月16日(火) 昨日4万人の学生や教師達がパリでデモを行った。 先週木曜日に行われたデモでは、学生と中高校の教師3万5千人もの人達が集まり、昨日は小学校の教師も加わり、すでに4万人もの人となった。 日に日に規模が大きくなっていくデモ。教育大臣、ダルコス氏の教育プログラム改革を訴える人々。 レピュブリック広場からナシオン広場までぞろぞろと長く続くデモの列 一体何を訴えているのか? 第一に、教育部門での教師達の解雇。現在フランス教育界では1万1200件の雇用の削減が予定されている。という事は各クラスの生徒数が増える、様々な授業が無くなる、生徒数が少ない専門学部がまたもや改革される。 第二に、教育方針の改革だ。様々な街の教師達いわく: 『50年前に戻った感じだ。小学1年生に敬語を押し付けるなんて無理。』 『この教育方針は生徒達の能力を下げる一方だ。考える力を与えずに、知識を詰め込ませているだけだ』 『小学2年生に割り算を教えるなんて無理がある』 又、ダルコシ氏は土曜日の朝の授業を無くし、学校が終わった後勉強が苦手な生徒の為に補習授業を行うと言う。 この言葉に対し教師達は 『学校の通常授業の後、更に授業を足す事は、疲れやすい子供の為に良くない。通常の授業時間内で色々考えなければならない。』 高校生達も負けてはいない。皆持っている大きなはり紙にはこう書かれている: 『高校は企業ではない』 『僕たちの先生、クラス、専門部を返せ !』 『僕たちは学校に行かない、ダルコスは終わりだ』 何年か前に起きた教育方針ででも、全く似たデモが行われた。当時何万人もの生徒が何週間にも亘ってパリの街を独占した。その結果、当時の教育大臣は自ら改革を取り消す事になった。 学校の入り口にはごみが積もれてあり、生徒達は皆外で叫んでいる。 今回はどんな結末になるのか?いづれにしても、5月15日、18日、24日にまたもや新たなデモが計画されている。

6
Mar

2週間ぶりのPARIS

一昨日3月3日の節句の日に首都PARISに戻っ来た。 高速道路A6号線でパリの南からペリフェリックと呼ばれている環状線に入り、ポルト・サンクルの出口で降りセ−ヌ川沿いにある道路でパリ中心に向った。 私はこのセ−ヌ川沿いの道が好きだ。パリに帰る度にこの道を走る。パリ15区の近辺にはセ−ヌ側の中洲に自由の女神像がある。 そしてホテル街を過ぎるとパリの象徴であるエッフェル塔が見えてくる。 ああパリに戻ったな!と心身ともに自覚する一瞬だ。 風光明媚な牧歌的、野性的なフランス田舎からパリに入ると、やはり都会独特の緊張感が心身に走る。 たまにパリに戻るのもいいものだ。 ただ、葡萄園の香りがないのがやや淋しい。         〜 伊藤 PARISより 〜

4
Mar

夏日の地中海より食のLYONへ移動

3月2日(日)地中海の街、 グランド・モット(GRANDE MOTTE)より食道楽の街、LYON に一挙に移動。昼間の夏日を最大限に楽しんで、心残る地中海を背に午後6時ごろ太陽の高速道路呼ばれるA9号線を車で飛ばしてPM9時にLYONに到着。 私が住んでいるのはPARIS。でもPARISに滞在しているのは月に10日間ぐらいである。 2008年に入ってまだ2週間ぐらいしかPARISに滞在してない。 2月、3月はワイン見本市や試飲会が各地方で開かれるのでドサ周りが多くなる。 見本市で地方に行けば、そのままパリに帰るのはもったいない。近所の醸造元を訪問することになる。 動けば新しい醸造元がまた発見でできる。そこにまたドキドキするようなワインとの出会いがある。 今、人生が楽しくてたまらない。ワクワクする思いが止まらない。 素晴らしく美味しい新発見のワインが竹の子のごとくドンドン出ているのである。 今まで付き合ってきた古参の醸造元も訪問するごとに、新しいワインをドンドン試作している。 彼らは本当にクリエ−ティヴである。今回も出会う度にウーンと唸ってしまった。 こんなに美味しいワインを日本の皆さんに紹介せずにはいられない。 それでも、時々パリに帰らないと仕事が溜まってしまう。 地中海から一挙にパリはキツイのでLYONに一泊。そのついでに明日の朝はボジョレの今、ホットな男、シリル・アロンゾに訪問しようと思っている。 まだ、LYONの街に行ったことのない人の為に、撮ったスナップ写真を添付。夜景がきれいな街だ。

3
Mar

地球温暖化?南フランスは既に海水浴

3月2日、今日は日曜日モンペリエに近いGRAND MOTTEという地中海沿いの街、浜辺の光景だ。 3月初旬というのに浜では25度という気温だった。 気の早い家族連れやカップルが水着姿で日光浴と云う、この時期としては例外的な光景だ。 昨日、ルシオンの自然派醸造元クロ・ドリジンヌへ行った時、『植物の成長が約一か月早くなっている』と云っていた。 ブドウ木も既に樹液が剪定した切り口から涙のように流れていた。 本当に地球は大丈夫だろうか?ちょっと心配になってしまう。 フランスで約3万人の死者を出した2003年の猛暑の年でも3月にこんな光景は見られなかった。 2008年はどんな年になるのだろう? 伊藤   グランモットの海岸より  

3
Mar

フランスぶどう園にインデアンのろし火か?

この季節のフランスぶどう園では至る所に見られる牧歌的風景だ。勿論インデアンののろし火ではない。 1月から3月にかけてブドウ木の剪定が行われてる。剪定した枝を畑で燃やしている煙だ。 このブドウ枝を燃やた炭火でEntrecote 牛肉を焼くと最高に旨い。 この剪定は、樹液が流れだす直前頃に剪定するのが一番良いとされている。樹液が外側に流れだすので枝の切り口から病原菌が入り込む心配が少ない。 寒い時期の剪定は辛いものがある。特に北風が吹いていると体の芯まで冷えてしまうキツイ作業だ。 だから、あまり寒くならない12月頃にやってしまう日和見ぎみの醸造元が多い。