PHILOSOPHY

私たちのナチュラルな思考と提案

2011年 RECREATION セミナー・レジュメ

1976年に渡仏して、34年間のフランスとの付き合い。ワインの仕事について28年の歳月が過ぎました。特に1998年にワイン商として現地法人をパリ設立して以来、12年間フランス中の葡萄園を飛び周るのが私の仕事です。この1990年からの20年間の変化はすさまじく大きかったと思います。過去から現在、そして未来へとワイン業界の流れを総括する時期に来ているのではと感じています。 フランスでは、10月11日に自然派ワインの父と云われたマルセル・ラピエールの死という大きな出来事がありました。師は醸造元として、一人間として、地球人として自然派ワインの尊さ、ワインのあるべき姿を多くの若き醸造家達に示してきた偉大なる人物でした。人間的にも偉大なる人物でした。 そのマルセルの死を契機にもう一度、マルセルの遺志を引き継いで自然派ワインの重要性を皆さんと共に再確認すると共に、我々ワインに携わる人間として、胡麻化しのない本物ワインとしての“自然派ワイン”の重要性を認識し合いたいと思います。 現場のフランスの状況、不況に悩む日本のレストラン業界、小売業界の状況を考慮しながら、どのように色んな問題を解決することが出来るかを、皆さんと共に考えていきたいと思います。 自然派ワインが誤解されている 1) ビオワインと自然派ワイン(VIN NATURE) について 1-1)多くの人がビオ・ワイン=自然派ワインと思っている間違い。 1-2)ビオ・ワインはすべて美味しいか?残念ながら90%は美味しくない。     普通の栽培ワインとほぼ同じ比率で美味しくない。 ビオ栽培はスポ-ツをやる為の基礎体力・筋肉を鍛えること、筋肉を付けて外見だけはイチロ選手と同じになること。でもイチローのような野球の技はできない。ビオ栽培は、スポーツをやる為の基礎体力を作ることに似ている。つまり美味しいワインを造る為の土台ができましたよ、というに過ぎない。 2) 美味しいワインを造る為の3つのポイント 2-1)収穫量を押さえること 2-2)発酵槽に入れる葡萄が健全なこと 2-3)収穫、醸造を慎重に細部まで気を配ること     清潔度、温度管理、ポンプなど荒々しいワイン器具を使用しない。(重力を使うワイン移動) その年の葡萄状態に合わせた醸造の選択 …

偉大なる醸造家マルセル・ラピエ-ルが我々に別れを告げた!

Marcel nous a quitte ! 世界中の多くの人々に勇気、ひたむきさ、シンプルさ、真っ直ぐさ、自然であることの大切さ、生きることの喜びを与え続けてきたマルセル・ラピエ-ルが我々に別れを告げた。最後の最後まで葡萄園に立ち続けた人生にピリオドを打った。60年間という濃縮したあまりにも早い人生だった。一ヶ月前までは元気に畑に出ていたマルセルだった。2010年の収穫が終わるのを待って、その2日後、10月10日にモルゴンを去った。 『マルセルには多くのことを教えてもらいました。人間としての厚み、深み、生き方、人に接する時の暖かさ、勿論、ワインについても多くのことを学びました。今思うと、彼の人生そのものがワインの要素になっている。ワインを通して人が集まり、その人生を楽しみ、人生に温かみを与えてくれる。まさにマルセルの人物そのものではないか。』 2010年8月18日撮影 この笑顔のシワに刻まれた深みが人物としての厚みを感じ、瞳の奥に暖かみが。 誰にこんな笑顔ができるのだろう! 多くを語らないマルセルは、常に行動で語っていた。 多くの悩める若き醸造家を真っ直ぐな方向に導き、その方向を自らの行動とワインで行くべき道を示してくれた。 我々のような外人ワイン関係者にも隔たりなくワインのあるべき姿の真実とプュア-さを教えてくれた。 ありがとう!マルセル!言葉では言い尽くせない感謝で一杯! GRAND MERCI! MARCEL ! 今世でのお役目、お疲れさまでした。 安らかに、おやすみください。 …

2010年すべての息吹が始まった!

モルゴンのマルセル・ラピエールの畑より 切り口から樹液が溢れ出ようとしている瞬間↓ 今年の冬は寒かった。ボジョレでもマイナス15まで下がった。これは葡萄栽培には歓迎すべき事だ。寒さが厳しいと葡萄園の病原菌も打撃を受ける。その年は病気の発生率が下がる。 さて、寒かった冬の間、樹液は根に向かってグラビテ重力の法則に従って下に向かっていた。今年は遅めの3月後半に樹液が浮力の法則に従って上に向かい出した。剪定した切り口から樹液が溢れ出てくる。 芽がミルミル内に膨らんでくる↓ ⇒ この芽が膨らんで葉っぱとなり、ここから枝も伸びてくる。 葉っぱが覆い茂り、太陽や宇宙の光を浴びてて、葉っぱが光合成をセッセと回転させる。地中深く伸びた根っこからミネラルを含んだ水分を葡萄木の体内に循環させる。宇宙とミネラルは同根だ。 そのエネルギーをいっぱい蓄えた葡萄房を5カ月後には造りあげてしまう。そして、土壌から生まれた酵母がワインに変えてしまう。 今年は3月中旬にも大雪が降るほど寒さが長く続いた。 あまりにもの寒さで地中の水分まで凍っていた。畑を耕す作業が出来ずに今年は畑作業がやや遅れぎみだ。 この1週間前より暖かくなってきた。一挙に作業を進めている。 氷が解けて土壌が緩んで、畑に入れなくまた時間を置かなければならなかった。 耕しながら雑草を地中にかき混ぜてしまう。土壌に負担がかからないように小型のトラクターで耕す。 そして、葡萄木と葡萄木の間に取り残された草がどうしても残ってしまう。 手作業で草取りをやっている↓ それを、取り除くには人の手でやるしかない。 手間暇がかかる仕事だ! すべては、自然酵母を土壌に育てて、健全な葡萄を造って、酸化防止剤を入れないワインを可能にする為だ。 簡単に自然派ワインと云うけれど、その為の日々の作業が普通の3倍もかかっている。 普通の農家は除草剤を撒くだけで耕す作業はやらない。楽な作業だ。でも失うものも多い。 …

2010年 CLUB PASSION DU VIN 年頭ご挨拶

地中海に浮かぶ初日の出 毎年、年末年始は地中海に面したLA GRANDE MOTTEで過ごす。最大の目的は心身を清浄・整えることだ。1週間、毎朝浜辺を走る。そして空手の基本と呼吸法、剣道の素振りをやる。誰もいない海は最高だ! 普段、遠ざかっている武道の動作をやることで精神と肉体を同時に整えられる。朝の海、波のそばにはエネルギーが溢れている。天と地を体感できる。宇宙のエネルギーを吸収する葡萄木の気持ちに近づける。 厳しさが予想される 2010年を乗り越える体力と鋭気を整える。そして、読みたかった本の読書にふける。 近年、出張が多く一つの場所に一週間もじっとしていることが普段はできない。私にとっては貴重な一時だ。 色んなことに思索を巡らすことができた。 世界環境問題と世界資本主義経済で揺れた2009年、何一つ解決することなく2010年に持ち越した。 CO2規制問題も世界のトップ政治家がコペンハーゲンに結集しながら実質的な地球維持の数値が得られないまま終了した。 このままの状態が続けば地球バランスの臨界点を超えて、地球上の生態系の維持が危ない状況になるのは確実だ。誰もが感じていることだ。世界のトップ政治家が集まって地球環境の事を話した事はそれなりに素晴らしい事実だと思う。しかし、生態系持続への環境造りには物足りない結果となっている。 しかし、大体この結果は最初から分っていることだ。世界のトップ政治家が集って話し合った結果を世界の人が認識できたこと自体が本当に素晴らしいことだと思う。 世界の人達が注目した。そして、世界の人達が“問題の核心”を感じることが出来たことだ。 “政治の分野では世界は変えられない”という事実。 “このままでは地球、人類も含めた生態系の存続が不可能になる” この二つの真実を皆が感じたことは大変意義があったと私は思う。 それは、現在の人間社会のメカニズムが“今、目の前の自分の利益、がすべてに優先されている”という事実、これは個人レベルでも、組織レベルでも、国レベルでも優先されていることが、改めて明確になった、ことだと思う。 2010年1月1日の満月 しかし、私は世を変えられると思っている。 …

丘の上の雲

ワインを愛する気持ちがこの仕事を選ばせたのか、この仕事に就いたからワインを愛するようになったのか、エメ・コメラスは50歳を越えた頃から半生を振り返ってはそのように哲学的な自問に対する答を探すようになった。 具体的な示唆があったわけではなかった。兄がボルドー大学の教授であったことも何処かで影響があったのかも知れない。 だが、彼がお金に不自由ない生活を確保し、余生のことを考え始める時期になってそのようなワインに対する特別な愛情が膨らんできたというのは運命というよりは宿命と呼んだ方がよいだろう。 エメは、ワイン生産地としては知名度の低いラングドック地方の農協組合長だった。 実直な人柄で、多くの人たちから信頼されていた。 安物ワインというレッテルも、数で勝負とばかりワイン最大消費国の底辺の礎を担うのだと自分に言い聞かせて来た。 ところが壮年期の真っ盛りに、ふとこれで良いのだろうかと考えるようになった。 それは、このラングドックという土壌に日々暮らす者として、また誰よりもワインを愛する者として、この故郷の土壌が持つだろう無限大の可能性に挑戦したいという願いが心の扉を叩くからであった。 底辺から頂点への挑戦。 もしかしたら、ずっと以前から分かっていたことなのかもしれなかった。 それなのに無理矢理心に蓋を落としていたのは、矢張り生産者たちへの遠慮があったからであろう。 エメが考える高品質への挑戦は、即ち生産量の激減と結びつくからであった。 しかし自分の大いなる夢を現実化させることこそがラングドック地方の発展を牽引する原動力になると確信したエメは、一軒一軒農家を説得することを決心した。 エメの説得は、徒労に終わった。 初めから結果は容易に想像出来たのだが、それでも自分の意見をぶつけたかったからだ。 彼が提案した内容は、例えば一本のブドウの木から摂れるぶどうの房をこれまでの平均30房から8房程度に減らしてテロワール(土壌の風味)を凝縮するとか、除草剤は一切使用せず雑草駆除は人間の手で行うとかであった。 安いワインを大量に売り捌いて生計を立てていたラングドック地方の造り手たちにとって、この提案は正気の沙汰ではなかった。 何故なら、生産量は約四分の一に減少し、それにも増して人件費は増える。 量り売りが一般的なラングドックのワインでは想像も出来ない贅沢なやり方であったからだ。 しかしエメは徒労と知りながらも、毎日農家を訪問しては説得して廻った。 …

そこにしか照らない太陽

蔵元名:Gerard SCHEULLER et Fils 産地:アルザス地方 品種:ピノ・ブラン、リースリング、ピノ・グリ、トケイ・ピノ・グリ、ゲブルツトラミネール、ピノ・ノワール  コルマール市周辺には美しい街が点在していて、春から夏にかけて多くの観光客で賑わいを見せる。歴史的にドイツとの領土争いの渦中にあったこともあり、木材を部分的に使用した建築様式も色の使い方も生粋のフランス製ではなく、何処と無くロマンチックなメルヘンを感じさせてくれる。Husseren-les-Chateaux はコルマール市からほんの少し南にある村であるが、そんな観光地とは違いワイン畑に囲まれた小さな農村である。ブルーノはワイン蔵元を経営する父ジェラールの一人息子としてこの村に生まれ育ったが、少年時代のブルーノの頭の中はサッカーのことで一杯だった。ぶどうやワインは最も身近な物ではあったが、大した興味は持っていなかった。それは、ぶどう栽培への異常とも言える父親の拘りに戸惑いを感じていたからであった。ジェラールは朝早くから日が暮れるまで、一日中畑で作業をするのが日課であった。周囲の畑ではそんな者は誰一人居なかった。1970年代に入りフランスは農業の近代化を迎え、作業が高効率化され生産量の確保が約束されるようになったからだ。昔ながらのやり方を続けるのはジェラールだけだった。ブルーノは父親を尊敬していたが、明らかにジェラールより努力が少ない近所の蔵元たちが順調に企業として成長しているのに、我が家はそれ程でもないことに歯痒い空周りを感じていた。  ブルーノは勉強が苦手であった。幼い頃からサッカーや昆虫採集など、やり始めたら時間の経つのも忘れるほど没頭してしまう集中力があった割に、学校へ行くと何故か集中出来ないのだった。どうもブルーノは教科書で勉強するタイプの学者肌ではなく、自分で課題を見つけて研究する独創派のようだった。高校進学を考える際、ブルーノは漠然と農業学校進学を決断している。それは、一つの蔵元オーナーの一人息子として当然将来跡継ぎになるという程度の気持ちであった。しかし漠然と選択した農業学校が、ブルーノの人生を大きく飛躍させることになるのである。農業学校で学んだことの多くは、効率化と安定した量産を確保するための近代農業であった。それは、まさに父ジェラールが背中を向けてきたことであった。ブルーノはしかし、それに対して愛情も憎しみもなかった。ただ、事実として教科書と父親は全く別なものであった。ブルーノを考えこませたのは、どうして父親はそこまでして昔ながらの造り方に拘るのかということであった。少年時代、日が暮れてボールが見えなくなる寸前までサッカーをした後の帰り路、自宅へ急ぐブルーノは近所の蔵元たちが立ち話で父親の噂をしているのを聞いたことがあった。 「それにしても、あれだけ拘ったところで儲からなければ何にもならないじゃないか。」 「しかし、あの男が栽培するぶどうは確かに違う。俺の畑なんか同じ区画で奴の隣だというのにさ、収穫するぶどうの艶まで違うんだぜ。あっちは完全に熟してやがるんだ。」 「まあ、いいさ。俺たちは金儲けのために事業としてやってるんだ。近代農業になって以来、農作業はうんと楽になったし、収穫量もある程度見込めるようになった。ぶどうの出来、不出来で味も左右されにくくなった。まさに文明の力ってやつだよ。それに乗らない奴さんが変人なのさ。」 ブルーノは農業学校卒業の年の春休み、子供の頃偶然聞いたその話をふと鮮明に思い出した。そして普段は道から見るだけであった父親の畑を見に行った。思えば、父親の職場である畑へはそんなに足を踏み入れたことがなかった。そこは父親の聖域であったし、ブルーノを強要して連れ出したこともなかった。ただ、毎年収穫の時期にぶどうを担いでトラックまで往復する位であった。かくしてブルーノは父親の畑の前に立ち、愕然とした。目の前に広がる雄大なぶどう畑。その中には沢山の蔵元が所有する畑が混在し、一見は見渡す限り一枚のぶどう畑のように見える。しかし実は何十何百という所有者によって細分されていて、それぞれの境界線にはワイヤーや杭で印がつけられているのである。ジェラールの畑、そこは明らかに周囲のそれとは違っていた。いや、素人なら違いに気がつかないかもしれない。自分は農業学校で一通りぶどうの栽培からワイン醸造までを学習したから分かるのだろう。ブルーノはそう思った。しかしそれにしても・・。彼は勿論父親を尊敬していたが、それは父親としてであった。しかし男として、仕事人として父親がここまで凄いとはその時まで気がつかなかった。先ず剪定の短さが目に付いた。周りの畑では、一房でも多く収穫しようとして、剪定は出来るだけ長く残しているのに対し、ジェラールの畑では一本の枝に多くても二つしか芽が残っていなかった。これだけで収穫量は周辺の畑の三分の一から四分の一になってしまう。次は土壌である。綺麗に雑草が抜かれているその土壌は、まさにジェラールが毎日朝から晩までかけて手入れしたものである。隣の畑を見てみれば、除草剤を撒いて少し経った頃なのだろう、雑草が農薬によって枯れ果てて一面がきつね色に蔽われていた。雑草は死ぬが、ぶどうの木は死なない程度の農薬というわけだが、そんな土壌で栽培されたぶどうがテロワールを健全に再現するはずがないと確信した。さらに細かい所を見れば、根っ子の太さが周囲に比べて太い。樹齢だけではない、生命力の違いが感じ取れた。専門家であれば、一目瞭然で地中に伸びる根っ子の長さが格段に違うことが分かる。ブルーノは、身体に電流が流れるような感覚を覚えた。それは、父親への尊敬の念や周囲への軽蔑から来るのではなかった。正誤の問題ではなく、純粋に「最高の素材」を使って「至福のワイン」を自分が仕立ててやろうという野心に駆られたのだった。ふと見ると、ジェラールが畑の真ん中付近からこちらを不思議そうに見つめていた。畑の中にしゃがみ込んで作業していたようで、ブルーノも気付かなかったのである。  その年の夏、農業学校を卒業したブルーノの挑戦が始まった。先ず最高級品質のぶどうが何故今まで特別なワインならなかったのかを研究することにした。そしてそれは存外容易に解明出来た。ジェラールのワイン醸造は、工夫というものが一切無かったのだ。それは喩えて言うなら、最高の素材で料理を作る際、そのままの姿で焼くか煮るだけのようなものであった。切り方を工夫したり、香草や調味料を凝ってみたり、燻製にしてみたりといった工夫がなかった。ブルーノの試行錯誤の日々は続いた。兎に角独創的なワイン造りを心がけた。例えばリースリングを亜硫酸無しで五年間熟成させたり、品種毎にノン・フィルターの実験をしたり、普通ならやらないことを試みた。当然失敗したワインは売り物にならない。陶器職人のように、納得の行かない作品は次々に捨てられた。何とか納得出来るワインが出来始めたのは、彼が醸造を手伝い始めて約10年が経過した1990年頃であった。手前味噌ではない、明らかに周囲の蔵元とは段違いのワインであった。やっと光明が射してきたシュラー家だったが、そこで大きな壁が立ちはだかったのであった。AOC協会である。AOCとしての認定を受けるため、全ての蔵元は毎年試飲検査に認められなければならない。その頃のシュラーのワインは何処よりも素材が優れている上に、その素材を何倍にも増幅させた膨らみが味にあった。AOCの意味は、地域色(テロワール)を忠実に表現することであるから、シュラーこそアルザスAOCの横綱といえるはずなのに、いくつかの品種で格下げされてしまうという屈辱を味わわされたのだった。明らかに卓越したワインを造っているのに、何故そんなことになってしまうのか。自暴自棄になりかけたブルーノを救ったのは、古くから付き合いのあるネゴシアン(ワイン買付業者)たちであった。通常格下げされたワインはその価格も著しく下がってしまう。しかしシュラーのワインの価値を知るネゴシアンたちは、AOCの等級に左右されることなく安定した価格でワインを買ってくれたのだった。そしてそういった気概のあるネゴシアンたちは、確実に販路を伸ばしてくれた。そういったネゴシアンたちは、AOC協会が農業改革以降、随分と変わってしまったと常に嘆いた。つまり、昔のAOCがテロワールを忠実に表現することを査定の条件にしていたのに対し、技術による品質と味の安定、つまり人の手によって調整された味を査定の条件に変えてしまったのである。行政がそうなると、自然的に蔵元たちは市民権を得るための最短行程を歩むようになり、如何にしてAOC協会に気に入られるか、すんなりパスするかという邪心ばかりが先行するようになり、その土地独特の味わいというものが薄れ、AOC毎に金太郎飴のような同じような顔(味)をしたワインが増える結果になった。ブルーノは、父ジェラールの生き様を思い、何があっても世間の流れに屈することなくアルザスで一番のワインを造り続けようと意を決した。  90年代の終わり頃になり、あるネゴシアンがシュラーのピノ・ノワール(LN012)の記事を地方雑誌に掲載したことがあった。「ロマネ・コンティより旨い」当時一本千円程度だったワインが、何十万円もするワインより旨いなんて、プロのネゴシアンが口にすること自体正気の沙汰ではなかった。それ以降、日本でも知る人ぞ知るワインになり、愛好家たちの間で取り囃されるようになった。昨今では瓶詰めと同時に完売してしまい、シュラー一家が飲む分さえ残らない始末である。喜びに浸るシュラー父子かと思いきや、意外にも彼らは落ち着いている。寧ろ、ブルーノは言う。「アルザスのテロワールは、リースリングやムスカ、ピノ・グリやゲブルツトラミネールなどの白ワインが主流。何故ピノ・ノワールだけが持て囃されるのか、理解出来ない。シュラーの一番の持ち味は白ワインなのに。」そんなブルーノがジェラールは誇らしくて堪らない。父子二人三脚の挑戦は、終わりが無い。算盤勘定の無い彼らの蔵元にだけ、アルザスの太陽が照っているような錯覚にさえ襲われる。

Gパンのシンデレラ

蔵元名:Domaine de la Sénéchalière 産地:ロワール地方(ナント地区) 品種:ムロン・ド・ブルゴーニュ(ムスカデ) ムスカデというワインは昔、ブルゴーニュ地方で造られていました。ぶどう品種の名前から見てもそのことは容易に想像が出来ますよね。それが後にロワール地方の方が適した土壌だと考えられるようになり、今のムスカデになったのです。しかし一つ残念なことは、多くのムスカデ生産者たちに逸品を目指す志しが見られず、安物量産ワインを造るのだという割り切った空気が漂っていることです。しかしドメーヌ・ド・ラ・セネシャリエールのマーク・ペノ氏は違いました。「繊細さではモンラッシェにも負けない!」真顔でこんなことを言う生産者はムスカデ地区にはペノ一人しかいません。そしてそんな拘りの芸術家は商才に恵まれないものだから、経営は常に不安定で、一時は会社更生法が適用される始末。でもそんなペノの才能を信じ続ける最愛の奥さん(ヨレーヌさん)と愛娘(カレルさん)に支えられてマークは自分の信じる路を突き進むことになりました。 ペノの拘りは想像を遥かに超えていました。ムスカデで拘りといえば、通常SUR LIE(シュール・リー)と呼ばれるもので、これは醸造中に出来たぶどうや酵母の死骸の澱(LIE)をそのまま底に残した状態で、アルコール発酵後から最低でも収穫の翌年3月末まで熟成させるものです。これをすることで瓶詰め直前までその状態を維持し、最も旨みである澱から最後の最後までエキスが溶け出すのです。でもペノはこれ以外に、NUITAGE(ニュイタージュ)という誰もやっていない製法を導入しました。これは夜中に極低温で一部発酵させるのですが、厳選された手摘みぶどうを炭酸ガスの充填されたタンク内に房ごと入れるのです。すると、ぶどう粒の細胞内でゆっくりと還元的発酵が始まるのです。温度12℃で約6時間、凡そ1晩かけて行った後(午前3時頃)に房の茎を取り除き、圧搾してアルコール発酵させるのです。茎ごとタンクに入れるというのは、とても勇気が要ることです。何故なら、普通は植物臭く、土臭くなるので除梗するからです。でもペノのぶどうは茎までも完熟させている自信があるので、風味を複雑にするという一環としてこのニュイタージュを丸々茎ごと6時間行うのです。この6時間という数字と深夜という時間帯に至るまでには膨大な時間と労力、費用を引き換えにしなければなりませんでした。こんな凄い手間暇かけたムスカデですが、ペノは一切コンクールには出品しません。ぶどうの完熟に拘る余り、ミュスカデコンクールのサンプル提出期限に間に合わないからです。でもそんな拘りを分かってくれるのは、家族とほんの僅かな人たちだけでした。ペノは口下手で商売も下手、ワインは中々売れませんでした。唯一の頼りは伊藤さんの日本への販売でした。 或る時、ペノはパリへ行商に行きました。ライトバンに何ケースか積んで、ワイン屋さんやレストランを訪問するのです。でも真剣にペノの話を聞いてくれる処は中々ありませんでした。口下手のペノは、初対面の相手へ言葉巧みに自分の気持ちを伝えることさえ儘ならなかったのでした。石畳の小路をライトバンで揺られながら、サンプルのワインを持って一軒一軒扉を叩きましたが、どうしてもサンプルを飲んでもらうまで行き着けません。矢張り一般的に安物量産ワインという認識を持たれているワインなので、余程のことでもない限り態々試飲するという気持ちにならないのです。「やっぱりコンクールに出して上位入賞するとか、AOC協会やネゴシアンと仲良くなったりしないと売れないんだ。」そんな考えが頭を過ぎりました。疲れ果てたペノは、最後の夜に自然派ワイン通が集うパリ20区にあるワインビストロへ客として行きました。ペノはその店へ行くのは初めてでしたが、そこのオーナーに偶々ワインが売れないことを相談したのでした。そのオーナーは、ペノの実直さに興味を示し、ワインがあるか聞きました。丁度近くにライトバンを駐車していたので、急いで何本か持って来、飲んでもらいました。無ろ過タイプで白濁りというユニークなムスカデでした。「白濁したムスカデか、珍しいな。初めてだよ。」そう言うとオーナーは一口飲んで、息を詰まらせました。(これがムスカデ?なんて繊細なんだ。まるでネクターじゃないか!) 「ラベルが貼ってないが、これは何という名前なんだ?」 「名前はつけていません。ムスカデです。」 「一本いくらだ?」 「○△フラン。」 「何?そんなに安いのか?今在庫は何本あるんだ?」 「○△本あります。」 「よし、全部買った!あっ、それからこのムスカデの名前だけど、俺が命名してやる。Chapeau Melon(シャポー・ムロン)がいい。」 こんな会話が交わされ、ワインは完売したのですが、それ以上に幸運であったのは、このレストランは有名なワイン屋のオーナーや味にうるさいパリジャン、パリジェンヌたちの憩いの場であったことです。この時からシャポー・ムロンは、ワイン通たちの間で名を馳せて行きました。フランス語でシャポーとは、帽子の他に脱帽という意味があり、ムロン・ド・ブルゴーニュ(ムスカデ)の脱帽というこれ以上ない賛辞だったのです。   …

自然派ワインの父 ジュール・ショヴェ

ワインという名にふさわしいワインを造ることに、一生を捧げた人 パリがドイツ軍の占領下にあった時、ロンドンで『私がフランスだ!』と云放ったあの偉大なるフランスのド・ゴ−ル大統領が毎日飲む日常ワインとしていたのが、ジュル・ショヴェ氏の造ったボジョレだった。偉人は偉人を知る。 ネオポ−ル氏 『ショヴェ博士は“ワインという名にふさわしいワインを造ること”に、一生を捧げた人です』 人間として、学者として、醸造家として多くの人に尊敬された人物の“人となり”を色んな本に書かれた文章や、記事を集めて、また人の話を聞いて連載をしたいと思います。 まず、第一回は1981年にインタヴュ−を受けた時の記事を抜粋して、そのまま載せたいと思います。ショ−ヴェ氏が亡くなったのは1989年、その約10年後にインタヴュ−のテ−プがショ−ヴェ氏の弟のところに送られてきた。スイスの醸造家でもありワイン研究家でもあるケセルリング氏とのインタヴュ−の生テ−プでした。そのテ−プを基に一冊の本が出版されました。その抜粋記事を数回に分けて掲載します。ショ−ヴェ氏の人となりが浮き彫りにされています。 〜ジュル・ショヴェ氏 と ケセルリング氏 との 対談 N°1〜 どうしてこの仕事を選んだか? ケセルリング氏 — ショヴェさん、どのようにして、この仕事を選んだのですか? ショヴェ氏 — 周りの環境と共に、自然にです。 ケセルリング氏 — あなたの父親……? ショヴェ氏 — そうです。私の曽祖父、祖父、父に渡ってです。 ケセルリング氏 — しかし、以前、ベルリンでワインの勉強をしたことは無いですよね…? ショヴェ氏 — いいえ、全く。後で… 後になってからです。当然、本来の学業(化学)を終了した後、この職業(醸造栽培者)を学び始めました。それから、ワインに興味を持ち、疑問を抱き始め… かなり深くまで研究するようになりました。 ケセルリング氏 — それは、天性? それとも、父親の死後からですか? ショヴェ氏 — いいえ、私がワインの幾つかの病気について疑問を持ち始めたのは、父が亡くなる前からです。知人達と資料を検討しても、根拠のある解答が得られなかったので、さらに深く研究は進みました。いろんな面を検討していくうちに、大変奥深くまで追求するようになりました。 ケセルリング氏 — しかし、バカロレア(高卒兼大学入学資格)終了後、更にワーバーグ氏のところで勉強したんですよね? ショヴェ氏 — そうです。バカロレアの後、独学しました。 ケセルリング氏 — どうして、ベルリンのワーバーグ氏のところへ行ったのですか? ショヴェ氏 — ああ、それはですね、以前、私はリヨン大学理学部の生化学研究室で勉強していました。そして、疑問に思った問題の解答を探究しようとした時、このリヨンの研究室に行ったんです。数年、ここにいましたが、どうも納得がいかず、不十分だったので、ベルリンへ行くことにしたんです。 ケセルリング氏 — それで、ベルリンでの研究課題は? …

2009年頭ごあいさつ、世界が動く!ワインが動く!

地中海に浮かぶ新春朝日 世界が大きく動いている。特に08後半の世界経済の変化は誰も予測できない程の激変だった。 資本主義経済の調整機能がマヒ化しつつある。各国が大量の資金を投入しても今までのようには効果が表れない。経済分野に限らず資本主義を基盤にしたシステムがあらゆる分野において調整不可能な側面が表面化しつつあるのを肌で感じるようになってきた。 世界が進化しようとしている。人類史上最大の進化が必要になってきたように思う。人間自身が造り上げたシステムが独り歩きして、その人間自身を苦しめようとしている。 しかし、今でもそのシステムを動かしているのは個々の人間であることに変わりはない。でも人間の調整が利かなくなってしまった。 正に、今、一人一人の人間が自分の生き方や価値観を進化させなければ人類の歴史そのものを絶滅させかねない時期が到来したのを誰もが感じているのではないか。 つい最近までは、大きくなりすぎた世界システムの中で、自分一人が動いたところで何になる、と自己の無力感を皆が感じていた。しかし、もうそんな事を言っている場合ではないことを多くの人が実感している。 地球・人類の命運がかかっている、皆の子供たちの未来がかかっている。 09年は人間の内面進化の時代の始まりだ。 資本主義・自由主義の悪い面ばかりが表面に出てしまった現在、利益第一主義、自分だけ儲ければのエゴ・利己主義の行き過ぎが現在の状況を造り上げてしまった。すべてのものとの共生、調和が必要だ。 150億年の宇宙システムの歴史に比べれば、今の人間が創り上げた経済システムなどちっぽけな存在だ。 45億年の地球の歴史からみても塵のように小さなシステムに過ぎない。 我々人間が変えられない理由は存在しない。 量子物理学からみても人間の意志の力は偉大であることが述べられる時代になった。物事の生成に人間の意志力が大きく関与できそうである。 深いところで気がついた人間がそれぞれの分野で本気で取り組んでいくしかない。 ワインの世界も大きく動いている 私が関わっているワインの分野も大きく動いている。 フランスいや欧州では今AOCが大きく変わろうとしている。良き方向に進化してほしい。ワインの本質的要素を守るべき本来の方向に動いてほしい。 これがなくてはワインではないという本質的要素をほとんど備えていないワインが氾濫してしまっている。 外観と味覚だけは整えて、土台を手抜きしてる偽ワイン、化粧ワインが多すぎる。外観や味覚は氷山の一角だ。本当に大切な部分は水面下に沈んでいる80%の土台の部分だ。土台がメチャクチャな手抜きワインがいかに多いことか。水面下の土台の部分が確りしたワインが本物だ!つまり我々の云う自然派ワインだ。 …

TERRA MADRE 2008 – SLOW FOOD * テラ・マドレ2008-スローフード

CARLO PETRINI PRONE LA DECROISSANCE * カルロ・ペトリーニ氏、減少を絶賛する « Il est criminel que les gouvernements aient réussi à trouver 2 000 milliards d’euros …

有機栽培の協会組合、エステザルグへようこそ!- Cave des vignerons d’Estezargues

ローヌ河南部の町、アヴィニョンの南西側に位置しているエステザルグ協同組会。この地区の土壌質は略粘土 ・砂利質、そして多様な品種のブドウが栽培されています。その為、ボリューム感と骨格がしっかりとしたワインが造られる地区として有名です! エステザルグは1965年、10件の生産者が力を合わせて構成した協同組会です。皆さんの畑の面積を総合すると、何と450ヘクタールもあるのです!しかしここからがこの組会の特別な所!化学肥料や除草剤を一切使わない自然栽培と、収穫されたブドウの特徴を壊さない自然醸造方がモットーです。 『ドメーヌごとに収穫と醸造を行い、各区画の土壌の特徴を最大限に引き出す事を目標としている。醸造の間、亜硫酸は一切添加しないため、ブドウ果汁が空気に短時間触れるだけでも酸化の原因となってしまう。だからなるべく素早く作業を進めていかないといけない。』こう語るのは、エステザルグの組合会長、Denis Deschamps*ドニ・デシャンさん。彼は2004年から一人でこの巨大な組織の会長として全ての作業を厳しい目で監視しています。一人でこの座を務める前には、今はDomaine Le Bout du Monde*ドメーヌ・ル・ブ・デュ・モンドとして独立したEdouard Laffitte*エドゥワード・ラフィットさんと供に働いていました。 協同組会での醸造所はまさに工場です!入った瞬間、あちこちで様々な作業を行っている従業員達で賑わっています。最初に目に入ったのは、やはり真直ぐと続くタンクです。 コンクリートタンクは容量260L、デキュヴァージュは手作業。ステンレスタンクは容量300L、そして重力の法則でタンクから木樽へと流れていきます。 『自然酵母は低い気温でなければ発達しません。ですから赤ワインは、略3週間もの間、タンク内でアルコール発酵を行います。そして、タンニンをまろやかにする為、木樽で6ヶ月間から18ヶ月間の間熟成させます。白ワインの場合は6ヶ月間タンクと樽での熟成、ロゼに関しては、6ヶ月間のタンク熟成です。そして瓶詰め前に、自然と含まれているガスを抜きます。ワインを瓶内に入れ、コルクで蓋を閉めてから、よりまろやかさを引き出す為、再び13度で瓶内熟成を行います。』 10件ものドメーヌを集めて醸造しているのでワインの種類は10種類以上! 今日試飲したのは・・・ キュべ・レ・グランド・ヴィーニュ・ロゼ 08 *Cuvée Les Grandes …

SLOW FOOD – TERRA MADRE

DU 23 AU 27 OCTOBRE 2008 – TURIN – ITALIE 2008年10月23日〜27日 − トリノ − イタリア « qui sème le rêve récolte l’utopie » Carlo …

葡萄の木の菌類病:オイディウム、ミルディウー、ロットブラン、ブラックロット

Situation climatique en 2008 : Après un hiver plutôt doux, les vignobles français (toutes régions confondues) sont très largement arrosés …

Vive! la Belle Famille!!! 素晴らしき家族万歳!

6月中旬より、蔵元訪問をはじめ、早1ヵ月。訪問蔵元数30軒、走行距離は6000Kmを超えた。 どこを回っても今年のフランスの天候は厳しい。昨年同様雨が多く、晴れたかと思えば、また、雨。 ベト病で、今年の収穫量は激減しそうだ。 そんな中、自然派の生産者は極めて明るい! ぶどう畑に行くと、ほとんどぶどうの実がなく、これで 本当にワインができるのか、こちらが心配になるが、もともと収穫量も低く、自然栽培にて根っこが 深く地中に伸びたぶどうのポテンシャルは、厳しい年でも十分発揮できそうだ。 今回の蔵元訪問で、いつものごとくヴィニョロン達の熱いパッションはもちろん感じたが、もっと強く感じたのは「家族愛」。私達とのランチには、子供もおじちゃんもテーブルを囲んで、家族全員で歓待してくれた。  子供たちは、親の仕事に対して敬意を持ち、また、おじいちゃん達は、いまだ元気にぶどう畑を耕している。 ぶどうは、100年草、先祖代々引きつがれてきたものだ。みんな、そのぶどう畑を残してくれた先祖に感謝し、 また、次の世代にテロワールを残そうとしている。 そんな「家族愛」がワインの中に入っている!  Vive! La Belle Famille des Vignerons! ]       まさにみんな明るいひまわり家族!

5月上旬の葡萄畑状況−現場写真

5月上旬、ラングドック、ロ−ヌ、ブルゴ−ニュの葡萄園を走った。葡萄の生育状況を写真に収めた。 1-ラングドック-LUNEL 5月4日 撮影 3月、4月と温暖な春となった。 既に開花の準備ができている。 2−南ロ−ヌ 5月1日 撮影 南ロ−ヌ地方でも晴天のひが多い冬、春となった。既に、水不足が危惧されている。全体的に乾燥している。 ブルゴ−ニュ地方 ラングドック地方から所用で一挙にブルゴ−ニュへ跳んだ。 3-メルキュレイ MERCUREY –P.GUILLOTの畑 5月6日 撮影 南フランスから比べるとかなり遅いが、例年並の生育とのこと。 4-ムルソMEURSAULT 5月6日 撮影 5−ヴォルネVOLNAY 5月6日 撮影 6-ポマ−ル POMMARD 5月6日 撮影 7-アロクス−コルトン ALOXE …

自然派ワインには地球のメッセ−ジが詰っている

長期出張からやっとパリに戻った。 VINI JAPON参加の為に3月12日にパリを出発して、16日から22日の一週間はVINI JAPON23日から30日の一週間は、シリル・アロンゾ氏が来日してセミナ−・試飲会を実施、31日に パリに戻り、衣服を取り替えて2日にはVINITALY参加の為にベロ−ナ入り、そして昨日やっとパリに戻った。ホームべ−ジへの書き込みが中断している。 日本でのセミナ−・試飲会を通しても、ヴィニタリ−のOF会場で実施されている自然派ワイン試飲会に 参加しても、この自然ワイン潮流は益々盛況に進展していることを実感できたと共に大きな喜びを感じている。 私は動きながら考え、実行するタイプの人間だ。実際に現場に行って自分の目、肌で、5感で感じて、各現場の人達と話して色んなことを決断、実行してきた。 その意味でも今年2008年にはいって行った場所とあった人達は素晴らしかった。 醸造元、ソムリエ、インポ−タ−、酒販店、その他ワインに関わる人達と直接逢って、ひと時を共に過ごして感じたことは、この自然派ワインを広めることは、全地球的に考えても、いや宇宙的視野に立っても、実に重要であり、やりがいのある仕事だと責務すら感じている 自然なワインを飲むことによって、地球の歴史、宇宙の歴史を無意識の内に感じ取ることができる。 たかだか50万年の歴史しかない人類が45億年の地球の歴史を変えてしまおうとしている。 すべてのことが関わりあって調和が取れている地球を一部の人間がバランスを壊してすべての生物に影響を 与えようとしている。 我々の体も色んなものの調和で健康がなりたっている。水、酸素、各種ミネラル、光、熱、微生物、色んなものの調和で生のメカニズムが作動している。 ワインも同じだ。自然なワインの中には、地球のメッセ−ジが詰っている。 地球のメッセ−ジをもっと多くの人に聞いてもらいたい。                  2008年3月 VINIJAPON 2008年4月 VINITALY …

Le monde selon Monsanto 〜 モンサントによる世界

Un jour Olivier Cousin m’a donné un badge « OGM, j’en veux pas » Je l’ai mis sur le revers …

フランスぶどう園にインデアンのろし火か?

この季節のフランスぶどう園では至る所に見られる牧歌的風景だ。勿論インデアンののろし火ではない。 1月から3月にかけてブドウ木の剪定が行われてる。剪定した枝を畑で燃やしている煙だ。 このブドウ枝を燃やた炭火でEntrecote 牛肉を焼くと最高に旨い。 この剪定は、樹液が流れだす直前頃に剪定するのが一番良いとされている。樹液が外側に流れだすので枝の切り口から病原菌が入り込む心配が少ない。 寒い時期の剪定は辛いものがある。特に北風が吹いていると体の芯まで冷えてしまうキツイ作業だ。 だから、あまり寒くならない12月頃にやってしまう日和見ぎみの醸造元が多い。