7
Jan

2013年は自然派ワインが次元の違う世界へ突入する

12年における自然派ワインの広がりは実に大きいものだった。もう自然派ワインという範疇を超えて一つのワインのスタイルとして認知されてきたと云った方がよい。 つい最近までは自然派ワイン専門ビストロやレストランなど狭い世界で限られた人達の中でしか飲まれなかった時代だった。 そして数年前からミッシェラン三ツ星レストランや3年連続世界第一位レストランになったデンマークのNOMAなど、テースティング能力があり視野の広いソムリエがいる一流店が自然派ワインを扱うようになっていた。 12年はその枠がさらに拡大して、“品質重視”をポリシーにおくビストロやレストランが率先して自然派を扱い出した。 それを期に、今まで無視し続けていたワイン雑誌が一斉に自然派ワインを取り上げて称賛しだした。ワイン評論家も自然派ワインを高得点で評価しだした。 自然派ワイン(VIN NATURE)と云う言葉を使わずテロワール・ワインとしての“造り”の違いを評価している。 自然派ワインがフランスから世界へ輸出が拡大 12年は蔵元から世界に向けての輸出も大きな広がりを見せた。北欧諸国・ノルウェー・スエーデン・フィンランド、そしてデンマーク、さらにドイツなどへの広がりが著しかった。そしてワインのうんちく文化の国・イギリスが自然派に動きだした。 12年5月にロンドンで盛大に自然派ワイン見本市が行われた。そして何と言ってもアメリカが自然派ワインに本格的に目覚めたという感じだ。 12年は多くの自然派醸造家がアメリカまで市場開拓に行っていた。 アジアの大国、中国へも自然派ワインの輸出が始まった。上海には自然派ワイン専門のフレンチ・レストランも既にあり結構繁盛している。 まだ僅かではあるが韓国、台湾、シンガポールにも自然派ワインが輸出されだした。 3年前までは、フランス国内のコアな自然派ファンと日本輸出が自然派醸造元を支えてきた、と云っても過言でない時代があった。 この自然派ワインの広がりを見るに、自然派ワインの発展に全精力を費やしてきた我々にとって心から嬉しさが沸いてくる思いである。 13年はさらに大きく伸びることが予想される。 自然派ワインの造り手が急増している 造り手の状況も、大きく様変わりしているのを感じる。 自然派が初期から数年前までは、特別な人達が個別に自然な造りを孤立して造っていた時代。マルセル・ラピエールを中心にグループが形成されてきた。 そしてワインライターのシルビー・オジュロやカトリーヌ・ブルトンがデーヴ・ブテイユという自然派ワイン見本市を開催して以来、孤立していた自然派ワイン醸造家同士の横の繋がりが一挙に増えた。 ディーヴ・ヴテイユに匹敵する大きな見本市、ル・ヴァン・デ・ザミ、ヴィニ・シールキュスなどが近年形成されていった。 その他にもディーヴ・ブテイユ系の横の繋がりからフランス全土の各地方の気の合った醸造元同士がグループを結成して、約30箇所でミニ・自然派見本市開催されるようになった。 例えば、シェ・アン・シェ・ロートル(シャブリにて開催)、ボージョレーヌ(ボジョレ)、ルミーズ(ローヌ)、フェスティヴァル・ドゥ・ヴァン・ナチュール(ラングドック)など他多数あり。 こんな具合に、ほぼ2週間ごとに、どこかで自然派ワイン見本市がフランス中で開かれている。こうした継続的な見本市で自然派ワインに目覚めるファンが着々と増えている。 この様な見本市で知合った醸造家同士の情報交流のお陰で自然派ワイン全体の品質もますます高上しているのも見逃せない。 こうした活発な自然派ワイン見本市に影響されて、自然派醸造家がフランス全土で増えている。 13年は新しい波 ヌーヴェル・バグがやってくる! 新しいスタイルの自然派が発生している。 今までのディーヴ・ブテイユ系から分派していった小さなグループではなく、彼らとは直接的に全く接点のない若手醸造家達が増えている。 あるいは反ディーブ・ブテイユ的な自然派醸造家も増えている。自然派ワインの元ファンだった人達が転職で醸造家になる人も多い。 また、今まで農協に属していた人達が、農協を辞めて独立する人達も急増している。 彼らの共通点は比較的年齢が若いこと、自然が好きで、地球を汚すような作業をしたくないと考えている若者達。彼は気張ることなく普通に栽培も醸造も自然にやることを最初から決めている。 今までの自然派グループとは全く縁がなく、ディーヴ・ブテイユ系は何となく自分達とは違うなと違和感を感じている人達。 デイーヴ・ヴテイュ系のいわゆる自然派グループもメンバーが増えすぎてこれ以上メンバーを増やせない状況になっている。 若手醸造家から見ると、『何かチョット閉鎖的で、有名自然派醸造家もいて、チョット近寄りがたく、堅苦しい。』と思っている若手も多い。 今までの自然派醸造家とは全く違ったアイデアでワイン造りに取り組んでいるグループが誕生している。 その中の一つを紹介すると、南フランスのニーム近辺で、小さな新人醸造家がグループを組んで素晴らしい自然派ワインを造り上げている。 素晴らしく美味しくて、価格も安く、アルコール度数も比較的低くスイスイ入ってしまうワインのスタイルを造り上げている。彼らは云う『昔、フランス人が1日2リッター程、飲んでいた頃のワインのスタイルを復活させたいんだ!』つまり、アルコール度数も低く、その割に果実味も乗っていて、さわやかさもあって、まさに水代わりにグイグイ飲めた時代のワインのスタイルを狙っている。しかも『価格は誰でも買えるように安くなくてはダメなんだ。』と言い切る。 美味くて、グイグイ飲めて、自然で、安い、と4拍子揃った自然派ワインを目指している。 このメンバーを引っ張る3人、トップはMONT DE MARIEモン・ドゥ・マリーのテェリーだ。元コンピュウーター技師だった。 安くする為に徹底した経費管理をしている。栽培を完璧にビオ、アルコール度を低くすること、心地よい果実味を残すこと、自然酵母でSO2を瓶詰時に少々、必要なしと判断した時は無添加。旨い! グイグイ!自然!安い!4拍子揃ったこの夢のようなワイン造りに賛同して一緒に行動するのは、MAS LAU・マス・ローのローラン、VALLAT D’EZORTヴァラ・デゾルのフレデリックだ。 この彼らのワインは間違いなく自然派の動きに一石を投じるヌーヴェル・バグになるだろう。応援したい。 13年も世界の困難な経済状況をモノともせず伸び続けるだろう! 世界的経済不安の中、12年も爆発的に市場を広げた自然派ワイン。 特に欧州の経済は困難を極めている。そんな状況下をモノともせずに、造る方も、売る側も伸びているのは、明らかに理由がある。 人々の価値観の変化が着実に進んでいるのを証明している。最近の若手醸造家の動機として、『地球を汚すような栽培はしたくない!』という言葉に象徴されていると思う。 20代、30代の人達にとって、地球の存続、生態系の存続への不安は意識下のところで深く刻み込まれている。昨年の年頭レポートで述べた、『カルチャー・クリエーティヴ層の人達が急増中』の実態がさらに進んでいると思う。人々がモノを消費したり、食べたりする為に購入する際の価値観が大きく変化している。ただ美味しいだけでは購入しない。 どんな栽培をして、どんな造りをしたのか、トレサビリテが益々重要性を帯びてきたと云う事だと思う。単に有名だったり、評価が高いだけでも購入しない。 地球にやさしい造りの本物度が要求されている。ワインの世界には、宣伝・広告費に莫大な費用を費やす企業化した超有名銘柄もあり、そんなワインは中国、ロシアに代表される国々で問題なく売れていくだろう。美味しいから売れているのでなく、超有名であることに価値がある世界の商財だ。自然派ワインはあくまで農産物である。 有名無名に関係なく畑で造られるものなのである。経費の殆どは畑に費やされる。どんなに贅沢に経費を使って、ブルゴーニュなどの高い土地代を考慮しても一本3万円を超えることはない。 […]

9
Jan

2012年厳しい社会情勢の中、自然派ワインはどうなる?

予想される激動の2012年が始まった朝、地中海に浮かぶ初日の出(撮影:伊藤) 自然派ワインを愛する皆さん、新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 私は毎年、この初日の出を拝むために年末年始は地中海の街ラ・グランドモットに滞在する。2012年1月1日、ここ地中海は快晴に近い晴天だった。 気温は何と百数年ぶりの暖かい小春日和だった。テレビでは19度と公表、でも街のレストランのテラスでは25度にもなっていた。本当に気持ちの良い日だった。でも、地球は大丈夫かな?とやや心配になってしまう。 あらゆる分野で世界の激動が予想される2012年の門出には穏やかすぎる小春日和の元日だった。 しかし、ここヨーロッパは正月そうそうまさに激動の金融危機が動きだしている。この12年に入って1ヨーロが100円を切る安値を記録して、その後も更新が続いている。 ギリシャを筆頭にイタリアでも崩壊的な厳しい経済状況下にある。それを救おうとしているフランス、ドイツ大国も決して楽な状況ではない。金融市場のみならず資本主義社会システム自体が行き詰ってきているのを多くの人が感じている。 もう一つ、自分だけ、自社だけ、自国だけの儲けを第一に追及した人間社会の超エゴが造りだした地球環境の悪化。 2012年の元日に象徴されるような温暖化など地球環境の悪化による人間も含む生態系存続の危機を多くの人達が認識するようになった。 厳しい社会情勢の中、なぜか爆発的に人気が伸びている自然派ワイン そんな厳しい社会情勢の中、ヨーロッパにおける自然派ワイン市場をみるに、販売、伝搬が急激に伸びている現実がある。 まるで、この厳しい社会情勢が追い風になっているのではと思わざるをえない状況がある。フランスのワイン屋での自然派ワインの売上が急激に伸びている。 自然派ワイン専門ビストロは連日超満員の活況。自然派ワインは決して安くはない。グランクリュと比べれば安いけど、一般的には知名度の割には高い方である。 だから、安いから売れているのではなく、消費者が明らかに意志を持って選んでいるのである。昔あったスタイルのボルドーワインを中心にしたワインバー、ワインビストロは跡形もない。ミッシェランの三星レストランも自然派ワインを普通のワインの如くリストアップしているところが多くなった。2010年、2011年と二年連続レストラン世界1位に選ばれたNOMAのワインリストの中心は自然派ワインである。 だから、もう自然派ワインは品質的にも味覚上から見ても立派にワイン業界の中心に成りつつあるように思う。これは偶然ではない。 明らかに社会情勢や地球環境の変化が、人々の社会生活の価値観を変えているのに違いない。貧困層が増えている反面、ワインを飲める層の人達のライフスタイルが激変してるのを感じる。 カルチャー・クリエーティヴ層の人達(文化的創造性を持つ人々)が急増中。 社会的権威への不信感、危機感が人々の価値観、ライフスタイルを変えている 今までの社会的権威への不信感、そこから発生してくる危機感が人々のライフスタイルを明らかに変えている。今までの社会システムの最もお堅いはずだった銀行が、不健全な世界金融システムの中の泥沼に入りこんでいる。世界中の真面目に仕事をしている人々の生活をひっくり返してしまうような状況を造り上げてしまった。極度のエゴの塊のような人間達(今の自分だけ、今の自分の会社だけ、今の自分の国だけ儲かればいい)の組織が造り上げてしまった地球環境の悪化。世界的科学者、国も勧めていた原発も不安定きわまりない存在であった事実。 この不幸な事実が世界の人達に与えた影響は計り知れなく大きいことなのである。 ドイツでは原発全面廃止を決定した。あらゆる分野で普通の人が普通に生活することを不可能にしてしまう程の現実を見せつけられてしまった。 カルチャー・クリエーティヴと云われる層が急増中 今までの権威であった人達、国、社会システム、経済システムへの信用性の失墜、不信感がライフスタイルの変化を余儀なくした、と云った方が妥当かもしれない。 今までは革新的な人達が警告を発していたが、今度は普通の人達が実際に自分の生活スタイルの中に健全なものを取り入れて生活を開始したということだと思う。 この層の人達が今、急増してる。世界の有識者の組織、世界賢人クラブではこの層をカルチャー・クリエーティヴと呼んでいる。どんな人達かというと、今までの権威が発表したこと、認めたことを盲信しない人達。 自分で調べて納得いくまで本当のところを追及する。そして、極力、それが自分の為、他の人のため、国の為、世界の為、地球の為に良いかの判断基準を持っている良識人の層だとのことである。 彼らの特徴は、今までのような革新的な人達と違って、他人を自分と同じ考え方に転向させようとするようなことはめったにしない。 むしろ自分自身の個人的成長を心がけることを好む、と云うようなライフスタイルの人達のようです。だから目立たない存在ではあるが、ものごとの本質を見たり、洞察する人達が確実に増えているようです。 世界賢人クラブの調査では先進国では28%ほど割合に達するようです。私はもの凄い多い数値だと思う。 例えば消費に関しても、今までのように、外的な権威が認めていたものを盲信することなく、自分達の尺度がありものの本物度とか、消費する際の、自分や他の人や、他の生態や地球などへの影響なども考慮しながら生活するライフスタイルを自己実現的に実践している人達のようです。 ワインを消費できる層であるカルチャー・クリエーティヴの人達がワイン消費時の基準が変化しつつある。 このカルチャー・クリエーティヴの層がワインを買う時の事を想像してみよう。彼らは、単なる業界権威の決めた事など盲信するはずもない。 金メダル、グランクリュ格付け、業界雑誌すらも盲信することはないだろう。何故なら、今までの最高権威の人達の一部が現在の厳しい社会・地球環境を創りあげてしまったのだから。 今までのやり方を続ければ自分も含めて世界、地球をも継続できないことを彼らは感じているからだ。例えワインを買う際でも、自分自身の自己実現ライフスタイルとして、自分だけのメリットでなく、他への影響、地球や生態系の継続に繋がるもの求めていくだろう。ワインの本質を見ようとする人達が増えていくのは素晴らしいことだ、と思う。ヨーロッパにおける自然派ワインの急人気は当然に成るべくして成ったなと思う。この流れは止められないし、自然派ワインがワインの世界の中心になっていく区切りがこの2012年かなと位置づけられると思う。 自然派ワイン人気の急上昇の流れは、日本でも既に始まっている。 当然、日本でもこの流れは既に始まっている。昨年11月に東京のワインビストロ祥瑞経営者の勝山晋介さんが主宰した自然派ワインイベント“FESTIVIN”に何と1500人程の多く自然派ファンが集まった。今、ワインイベントでこんなに人を集められるのは自然派ワイン以外にないでしょう。私は素晴らしいことだと思う。世も捨てたものでもないな、と心から思う。 自然派ワインは人に天と地のエネルギーとゆとりをもたらし、地球にも優しく微生物にもやさしい本物だ 自然ワインの多くは本物だ。 人、地球の土壌、宇宙からの光、葡萄木などが一致協力して一本のワインが出来上がる。金儲けだけを考えてしまうと農作業経費を減らす為、除草剤や殺虫剤を撒いてしまう。地球が汚れて微生物も死んでしまう。 勿論、自然派は撒かない。化学肥料も撒かない。だから葡萄の数が少ないだけに旨味の濃縮した葡萄が収穫できる。根っ子は養分を求めて地中深く伸びてミネラル分を運んでくれる。 だから潮っぽい旨味やワインの背骨となるミネラル感をワインに与えてくれる。根っ子が地中深く入り込んでいくと葡萄木が健康でパワフルになって葉っぱに活力があり、宇宙の光(主に太陽)をしっかり受けてとめて光合成をやりながらプロテイン、宇宙のメッセージやエネルギーが一杯詰まった果肉や果皮を創ってくれる。美味しい果実味やタンニンをワインの中で表現してくれる。 自然派を造る人は、やはり農業だから素朴な人、質素な人、誠実な人、元気な人、繊細な人、明るい人、健全な人が多い。 今の自分だけの利益のみを追求する人は殆どいない。2012年は自然派ワインが自然な流れで、世界の多くの人達に幸をもたらす大飛躍の節目年となるだろう。 伊藤與志男 CLUB PASSION DU VIN PARIS PARISにて

25
Mai

我が人生を変えた生産者Le Casot des Mailloles ル・カゾ・デ・マイヨル

数年前に初めてここル・カゾ・デ・マイヨルのワインを飲んだことが、自然派ワインの世界に身をおきたいと思うようになったきっかけだった。自然派ワインの経験値が低かった当時の私にとって、ジズレヌとアランの二人が作り出すワイン(記憶では、当時初めて飲んだ一本はSoula V)の力強さ、いくつものスパイスが混ざり合ったような複雑さ、はこれまで経験したことの無い衝撃的なもので、自分の舌と記憶に深く刻み込まれることとなった。このワインに出会った当時は、自然派どころかワインとはまったく無縁の業界に身を置いており、Soula Vに関しても当時から通い詰めているパリの自然派ワインブティックCrus et Découvertesのオーナーであるミカエルに勧められるがまま購入した一本だった。ところが、結果的にはまさにこのSoula Vこそが私の人生の方向性を大きく変更し、決定付けた一本だったと言える。それ以来、パリにいながらも時折、試飲会などでル・カゾ・デ・マイヨルのワインを口にする機会(訪問の一週間前にもカーヴ オジェでの試飲会にジズレヌがいらっしゃっていて、2010年の各キュヴェを試飲させていただいたところだった)には恵まれていたものの、いつかこの土地を訪れて、彼らのワインをより直接的に、よりよく理解したいと思うようになった。 そして、この度ついにその機会に恵まれたのだ。 お客様のラングドックおよびルシヨン地方巡りに同行した折に、途中から一行と離れてひとりバニュルス・シュル・メールの街に残った。その日は、楽しみでなかなか眠ることができず、翌朝のアランとの待ち合わせに備えて、待ち合わせ場所である醸造所の下見に行った。醸造所は、自然派ワインバーや酢のショップが並ぶ街の中に位置していた。 待ち合わせ時間の10時を少し過ぎて到着しても醸造所の扉は固く閉じたままだったが、写真撮影などしていると、ほどなくしてアランが登場した。ジズレヌにはパリの試飲会などでお目にかかる機会がこれまでにもあったが、アランとは初めてお会いすることができた。赤黒い鼻と、握手した時に感じたゴツゴツした大きな手が印象的な優しそうな人だった。 挨拶もそこそこに、早速アランの車に乗せてもらって畑巡りを開始。ル・カゾ・デ・マイヨルの畑は、海に近いバニュルス・シュル・メール (1ha60)と内陸のTrouillasトゥルイヤ (2ha、バニュルス・シュル・メールから40kmほど離れた平地に位置し、土壌は粘土砂質)に区分され、それぞれ地質も環境も全く異なる。今回は、アランに海に近いバニュルス・シュル・メール のいくつかの区画(主に古樹が植えられており、土壌はシストで乾燥質。このバニュルス・シュル・メールの畑からは現在、赤のキュヴェが3種類、白のキュヴェが1種類作られている。古樹は、同じ区画に複数の品種を植えている)をご案内いただいた。そして、さらに、バニュルス・シュル・メールの畑は、大きく分けて海沿いの区画と内陸の区画とに分かれており、以下、「海沿いの区画」と「内陸の区画」それぞれの特徴を記す。 地中海を見下ろす絶景のブドウ畑 海沿いの区画 Banyuls-sur-Merの畑のうちでとりわけ特徴的なのは海側の区画で、地中海を一望できる標高200メートルほどの高台の急な斜面に広がっている。畑の周囲はgarrigue(ガリッグ: 野生のハーブ等の低木草)が生い茂る環境で、歩いているだけで強いガリッグの香りが鼻腔をくすぐる。また、この区画のもうひとつの大きな特長は、陸側からの強風(tramontane : トラモンターナ)および海風にさらされていることである。これらの風がガリッグの強い香りをブドウ樹に吹き付け、ブドウに風味を与えるとのことである。また、何も遮るもののない日当たりのよいこの区画が2003年の猛暑に耐えることができたのは、海の近さと海風のおかげだということである。 内陸の区画 海からは少し離れた内陸の区画の特徴は、標高100メートルから350メートルまで様々な場所に区画が点在している(例えば、ゴディという区画は標高250メートルに位置し、古樹のなかでも樹齢の高い樹が植えられている。他には、標高300メートルに位置するグラタイユルや周囲の森によって淡水が確保されているためバニュルス・シュル・メールの畑のうちで最も水分に富み、涼しい区画であるシャタニエなどがある)ことである。海沿いの区画に比べて、土壌の乾燥度が低いため、岩盤が詰まって層を成しているシスト土壌を見ることができる。 「ワインは周りの環境全てによってできあがる!」 以上のように、今回はアランと共に3時間半かけてバニュルス・シュル・メールの畑を構成する海沿い、内陸の複数の区画を歩いた。ここのワインに感動を覚えて以来、初めて自分の目で土地、環境、生産者を自分の目で直接見ることができ、ここのワインをより多角的に理解できた気がする。アランと色々な話をする中で、印象的だった言葉をひとつ取り上げるとすれば「ワインは土壌だけでなく、周りの環境すべてで作られる」というものである。海側、陸側からの強い風、一面のハーブがその風によってブドウ樹に吹き付けられ、独特のアロマを備えるワインを生み出す。考えてみれば、土壌だけでなく、環境全体がワインを作り出すというのは当たり前なのだが、そうであるからこそ、こういった海に面した急斜面という稀有で過酷な環境を敢えて選び、その環境とブドウの魅力、ポテンシャルを十分に引き出しながら自然、個性的でかつバランスのよいワインを生み出すのは、並々ならぬパッションと努力が必要だろう。アランは数日後にロンドンへの出張を控えているという忙しい身でありながら、直前に予約を取り付けた私のために長時間に渡ってル・カゾ・デ・マイヨルのワインを生み出す環境について丁寧に説明してくださった。 最後に醸造所に戻って新しいヴィンテージの試飲をさせてもらった際に、古いヴィンテージのものを購入しようとしたが、在庫はゼロ。それもそのはずで年間生産量が8000-10000本しかないのだから。パリに戻った数日後に立ち寄った自然派ワインのブティックで残り一本のSoula Vを偶然にも見つけ、即購入し、家で堪能したのは言うまでもない。  およそ二年ぶりに味わったSoula Vは、スパイシーかつブルーベリーや黒スグリなど黒系の果実感をたっぷり備えた複雑なアロマを十分に維持しながら、それでいて繊細さを失わず、さらには二年前のそれよりも深みを増し、樹齢60年以上のグルナッシュ・ノワールが長期の熟成に耐えうるポテンシャルを備えていることを改めて認識できた。次回の訪問の際は、今回残念ながら時間切れでお話を伺うことができなかった醸造のポイントについて伺う予定である。

8
Avr

頑張れ!ニッポン!!RECREATION JAPON  日本再構築 – PART 2

Domaine Roger Perrin*ドメーヌ・ロジェ・ペラン Depuis les tragiques évènements de la fin de semaine, je reviens juste au domaine aujourd’hui. Nous tenions à vous dire que nous avons pensé à vous, à vos connaissances, à la vie au Japon.Que ces quelques pensées vous accompagnent et soient un soutien dans ces moments difficiles.Bien cordialement. 『週末に起きたこの大惨事以来、私達は常に日本の皆様とその暮らし、私達の知人のことを心配し思っています。この困難な時こそ、一致団結した支援を考えています。愛情をこめて。』 Nathalie, Judith, Gilles […]

5
Avr

頑張れ!ニッポン!!RECREATION JAPON  日本再構築 – PART 1

今回の巨大地震に2万人を超える人達がお亡くなりになりました。心からご冥福を祈ります。 今、日本は戦後最大のピンチの中にいる。 被災地の災害に直接遭った人達には、生活の再構築に向けて元気な再出発を心より願っています。 今、世界中の人々が日本に注目しています。 今こそ、勇気と活力が必要な時はないでしょう。 常に、自然と共に生きているヴィニョロン(ワイナリー)にとって自然の偉大さ、ある時は非常なまでに過酷な現象をもたらすことをよく知っています。 今回の事象には、我が事のように痛みを理解しています。 こんな時こそ、天(宇宙)と地(地球)のエネルギーがたっぷり詰まったワインで元気を出して欲しいのです。そして、ヴィニョロン達のエネルギーも届いてほしい。 CPVでは長い時間が必要となる復興のために、じっくりと応援を続けたいと思います。 これからの再構築のためにワインをとうして力になりたいと思っています。 多くのヴィニョロン(ワイナリー)よりメッセージをいただいております。 ヴィニョロンの心も皆さんと繋がっています。 そして、元気の出るワインも何とか届けたいと模索しています。 日本を象徴する山、富士山のように、どっしり、ゆったり、美しい日本を再構築したい。 頑張れ!!日本!! 頑張れ!!東北!! Christine Commeyras / Domaine de l’Aiguelière*クリスティーヌ・コメラス/ドメーヌ・ド・エグリエール Je viens d’écouter les informations. Je suis très inquiète pour tout le monde. Je pense tellement fort à eux, toutes mes amitiés 『今ニュースを耳にしました。日本の皆様の状況が大変心配で、皆様の安否を毎日祈っています。友情をこめて。』 René Jean Dard/Dard et Ribo*ルネ・ジャン・ダール/ダール・エ・リボ Salut de l’Ardèche où on pense […]

18
Mar

フランスから日本へのエール・メッセージ

日本の皆様、 あまりにも言葉が足りませんが、今の日本の状況を見ていると、本当に心が痛みます。 フランスのテレビでも、ずっとずっと日本のニュースばかり流れています。 恐ろしい映像がずっと流れています。 家族や友達、知り合いなどを失ってしまった方のインタビュー、子供達の泣いている姿、言葉を失う位悲しい映像が流れています。 自然の力を目の前に、何て人間は小さな生き物なんだろうと思います。 この状況を目の前にした人々、彼らの恐怖や悲しみは、その場を経験していない私には想像できない位苦しいことだと思います。彼らの気持ちを考えると、涙が出てきます。 まだ連絡が付いていない方々、バラバラになったまま合流出来ていない方々が沢山いると思います。それでも信じる事を諦めないで、大切な人が無事である事を心から祈っています。 頑張って立ち直ろうとしている日本人達。 少しでもいいから前に進んで行こうという姿勢。 その姿はとても誇らしく、世界中が日本人の強さ、冷静さに関心しています。世界中が今の日本から力を貰い、そして生きていこうという心の強さ、そして諦めない心の強さを見習おうとしています。 フランスから、沢山の生産者から日本の皆様にメッセージが届いています。 心温まるメッセージ、勇気付けられるメッセージ、日本人の強さに心を打たれたと言うメッセージ、遠い場所からでも皆応援しています。繋がっています。 何かをしたい、どうにかして力を貸したい。そんな思いが溢れるメッセージです。 どうか、フランスからの応援が少しでも皆様に元気、勇気、希望を与えて、未来に繋がっていきますように。 言葉では全然足りないですけれども、どうかこの苦しみから皆様が早く立ち直れる事を祈っています。 どうか早く皆様が、そして日本がまた明るい日々を暮らせるよう心から祈っています。 パリ事務所、スタッフ全員から カトリーヌ・ベルナール(ラングドック)の幼い息子から、こんなメッセージが届いています: 『日本人は強いから大丈夫だよ。また新たな津波が来ても、絶対に立ち向かえるようになるよ。日本の島を船に変身させて、サーフィンのように、大きな波の上を超えられるよ。きっとだよ。』 Christine Commeyras / Aiguelière*クリスティーヌ・コメラス/エグリエール Je viens d’écouter les informations. Je suis très inquiète pour tout le monde. Je pense tellement fort à eux, toutes mes amitiés. Laurent Miquel*ローラン・ミケル C’est avec une grande émotion que nous […]

24
Fév

2011年 RECREATION セミナー・レジュメ

1976年に渡仏して、34年間のフランスとの付き合い。ワインの仕事について28年の歳月が過ぎました。特に1998年にワイン商として現地法人をパリ設立して以来、12年間フランス中の葡萄園を飛び周るのが私の仕事です。この1990年からの20年間の変化はすさまじく大きかったと思います。過去から現在、そして未来へとワイン業界の流れを総括する時期に来ているのではと感じています。 フランスでは、10月11日に自然派ワインの父と云われたマルセル・ラピエールの死という大きな出来事がありました。師は醸造元として、一人間として、地球人として自然派ワインの尊さ、ワインのあるべき姿を多くの若き醸造家達に示してきた偉大なる人物でした。人間的にも偉大なる人物でした。 そのマルセルの死を契機にもう一度、マルセルの遺志を引き継いで自然派ワインの重要性を皆さんと共に再確認すると共に、我々ワインに携わる人間として、胡麻化しのない本物ワインとしての“自然派ワイン”の重要性を認識し合いたいと思います。 現場のフランスの状況、不況に悩む日本のレストラン業界、小売業界の状況を考慮しながら、どのように色んな問題を解決することが出来るかを、皆さんと共に考えていきたいと思います。 自然派ワインが誤解されている 1) ビオワインと自然派ワイン(VIN NATURE) について 1-1)多くの人がビオ・ワイン=自然派ワインと思っている間違い。 1-2)ビオ・ワインはすべて美味しいか?残念ながら90%は美味しくない。     普通の栽培ワインとほぼ同じ比率で美味しくない。 ビオ栽培はスポ-ツをやる為の基礎体力・筋肉を鍛えること、筋肉を付けて外見だけはイチロ選手と同じになること。でもイチローのような野球の技はできない。ビオ栽培は、スポーツをやる為の基礎体力を作ることに似ている。つまり美味しいワインを造る為の土台ができましたよ、というに過ぎない。 2) 美味しいワインを造る為の3つのポイント 2-1)収穫量を押さえること 2-2)発酵槽に入れる葡萄が健全なこと 2-3)収穫、醸造を慎重に細部まで気を配ること     清潔度、温度管理、ポンプなど荒々しいワイン器具を使用しない。(重力を使うワイン移動) その年の葡萄状態に合わせた醸造の選択 3) 自然派ワインについて 3-1)普通に自然なワインの第一号  フコー家のクロ・ルジャールのような 人びと、人間国宝級の人達 3-2)自然派ワイン(VIN NATURE)の発祥、マルセル・ラピールの登場、 どんな経緯で? ラピエール系自然派の3大特徴 1-土壌に微生物が生きていること 2-仕込み直後のSO2は無添加(酸化防止剤としての亜流酸) 3-自生酵母で発酵 *グラップ・アンティエール(除梗なし)のセミ・マセラッション・カ ル ボニック醸造 4)自然派ワインの伝播について   (フランスの自然派ワインの伝播の歴史から学ぶこと)   開発者  ジュル・ショーヴェ   実践者  マルセル・ラピエール   販売者  ジャン・ピエール・ロビノ 以後多くの若手が誕生して、各地方に伝播、組織が出来ていった。 醸造家からワイン商 ― 輸入者 ― 小売店 ― レストランから消費者まで繋がる重要性 5) 宇宙的規模の本物志向の時流 この宇宙の中で、人間だけが独立して存在している訳ではない。すべての事象が関わりあって繋がって、物や生き物が存在しているという事実。ワインは多くの事を教えてくれる。何故なら宇宙とも地球とも人間とも関わって一本ワインが成り立っているからです。 6) CLUB PASSION DU VINの2011年の具体的活動について  (販売者への全面的な援助運動の強化) 日本における多くのジャンピエ-ル・ロビノ的な販売者を強力に遠方援助を実施(チラシ作成など) フランス醸造元見学、  醸造家を日本に呼んでの交流(販売援助) などを強力に進めていく。 セミナーの核心の部分レポート記事を次ページより記載します。長い文になりますがお許しください。 BIOワインとVIN NATURE(自然派ワイン)について ビオワイン=自然派ワイン、これは大きな間違いで大きな誤解を招いてる元凶となっている。 今、日本でBIOワインとVIN NATURE(自然派ワイン)が同意語のように使われている。 どうも腑に落ちないところが多々あって困っている人達が多いと思う。 […]

12
Oct

偉大なる醸造家マルセル・ラピエ-ルが我々に別れを告げた!

Marcel nous a quitte ! 世界中の多くの人々に勇気、ひたむきさ、シンプルさ、真っ直ぐさ、自然であることの大切さ、生きることの喜びを与え続けてきたマルセル・ラピエ-ルが我々に別れを告げた。最後の最後まで葡萄園に立ち続けた人生にピリオドを打った。60年間という濃縮したあまりにも早い人生だった。一ヶ月前までは元気に畑に出ていたマルセルだった。2010年の収穫が終わるのを待って、その2日後、10月10日にモルゴンを去った。 『マルセルには多くのことを教えてもらいました。人間としての厚み、深み、生き方、人に接する時の暖かさ、勿論、ワインについても多くのことを学びました。今思うと、彼の人生そのものがワインの要素になっている。ワインを通して人が集まり、その人生を楽しみ、人生に温かみを与えてくれる。まさにマルセルの人物そのものではないか。』 2010年8月18日撮影 この笑顔のシワに刻まれた深みが人物としての厚みを感じ、瞳の奥に暖かみが。 誰にこんな笑顔ができるのだろう! 多くを語らないマルセルは、常に行動で語っていた。 多くの悩める若き醸造家を真っ直ぐな方向に導き、その方向を自らの行動とワインで行くべき道を示してくれた。 我々のような外人ワイン関係者にも隔たりなくワインのあるべき姿の真実とプュア-さを教えてくれた。 ありがとう!マルセル!言葉では言い尽くせない感謝で一杯! GRAND MERCI! MARCEL ! 今世でのお役目、お疲れさまでした。 安らかに、おやすみください。 伊藤  PARIS

12
Avr

2010年すべての息吹が始まった!

モルゴンのマルセル・ラピエールの畑より 切り口から樹液が溢れ出ようとしている瞬間↓ 今年の冬は寒かった。ボジョレでもマイナス15まで下がった。これは葡萄栽培には歓迎すべき事だ。寒さが厳しいと葡萄園の病原菌も打撃を受ける。その年は病気の発生率が下がる。 さて、寒かった冬の間、樹液は根に向かってグラビテ重力の法則に従って下に向かっていた。今年は遅めの3月後半に樹液が浮力の法則に従って上に向かい出した。剪定した切り口から樹液が溢れ出てくる。 芽がミルミル内に膨らんでくる↓ ⇒ この芽が膨らんで葉っぱとなり、ここから枝も伸びてくる。 葉っぱが覆い茂り、太陽や宇宙の光を浴びてて、葉っぱが光合成をセッセと回転させる。地中深く伸びた根っこからミネラルを含んだ水分を葡萄木の体内に循環させる。宇宙とミネラルは同根だ。 そのエネルギーをいっぱい蓄えた葡萄房を5カ月後には造りあげてしまう。そして、土壌から生まれた酵母がワインに変えてしまう。 今年は3月中旬にも大雪が降るほど寒さが長く続いた。 あまりにもの寒さで地中の水分まで凍っていた。畑を耕す作業が出来ずに今年は畑作業がやや遅れぎみだ。 この1週間前より暖かくなってきた。一挙に作業を進めている。 氷が解けて土壌が緩んで、畑に入れなくまた時間を置かなければならなかった。 耕しながら雑草を地中にかき混ぜてしまう。土壌に負担がかからないように小型のトラクターで耕す。 そして、葡萄木と葡萄木の間に取り残された草がどうしても残ってしまう。 手作業で草取りをやっている↓ それを、取り除くには人の手でやるしかない。 手間暇がかかる仕事だ! すべては、自然酵母を土壌に育てて、健全な葡萄を造って、酸化防止剤を入れないワインを可能にする為だ。 簡単に自然派ワインと云うけれど、その為の日々の作業が普通の3倍もかかっている。 普通の農家は除草剤を撒くだけで耕す作業はやらない。楽な作業だ。でも失うものも多い。 除草剤で土壌の微生物も死んでしまう。だから土壌に健全な自然酵母が育たない。 だから、発酵時に人口酵母を使わざるをえない。 ただ自分の農作業を楽にしたいばかりに、微生物を殺して、土壌も死んでしまう。地球を汚してしまっている。ちょっと考えてもらいたい。50年前は除草剤は存在しなかったんですよ。 皆が自然派ワインを造っていたんですよ。 宣伝費に莫大な費用を費やしている醸造元諸君! 自然派ワインを批判する前に、この作業をきっちりやってください。楽をして金儲けばかり考えているのはやめましょ! 君たちが、何故、自然酵母が使用できないか? 何故、SO2(酸化防止剤)を少なくワイン造りができないか? すべては農作業の人件費用削減からきているもの、それだけの理由で地球や微生物を殺すのはやめましょう。 ワインを飲む愛好家の皆さんへ! 楽をして、金儲けばかり考えている醸造家のワインは、そろそろやめましょうよ! せめて、畑作業はきっちりやって、地球を汚していないワインを飲んでください。 その方が体に良いですよ! 何より、自然派ワインはもっと美味しいですよ!

5
Jan

2010年 CLUB PASSION DU VIN 年頭ご挨拶

地中海に浮かぶ初日の出 毎年、年末年始は地中海に面したLA GRANDE MOTTEで過ごす。最大の目的は心身を清浄・整えることだ。1週間、毎朝浜辺を走る。そして空手の基本と呼吸法、剣道の素振りをやる。誰もいない海は最高だ! 普段、遠ざかっている武道の動作をやることで精神と肉体を同時に整えられる。朝の海、波のそばにはエネルギーが溢れている。天と地を体感できる。宇宙のエネルギーを吸収する葡萄木の気持ちに近づける。 厳しさが予想される 2010年を乗り越える体力と鋭気を整える。そして、読みたかった本の読書にふける。 近年、出張が多く一つの場所に一週間もじっとしていることが普段はできない。私にとっては貴重な一時だ。 色んなことに思索を巡らすことができた。 世界環境問題と世界資本主義経済で揺れた2009年、何一つ解決することなく2010年に持ち越した。 CO2規制問題も世界のトップ政治家がコペンハーゲンに結集しながら実質的な地球維持の数値が得られないまま終了した。 このままの状態が続けば地球バランスの臨界点を超えて、地球上の生態系の維持が危ない状況になるのは確実だ。誰もが感じていることだ。世界のトップ政治家が集まって地球環境の事を話した事はそれなりに素晴らしい事実だと思う。しかし、生態系持続への環境造りには物足りない結果となっている。 しかし、大体この結果は最初から分っていることだ。世界のトップ政治家が集って話し合った結果を世界の人が認識できたこと自体が本当に素晴らしいことだと思う。 世界の人達が注目した。そして、世界の人達が“問題の核心”を感じることが出来たことだ。 “政治の分野では世界は変えられない”という事実。 “このままでは地球、人類も含めた生態系の存続が不可能になる” この二つの真実を皆が感じたことは大変意義があったと私は思う。 それは、現在の人間社会のメカニズムが“今、目の前の自分の利益、がすべてに優先されている”という事実、これは個人レベルでも、組織レベルでも、国レベルでも優先されていることが、改めて明確になった、ことだと思う。 2010年1月1日の満月 しかし、私は世を変えられると思っている。 人類はそんなにアホではないと確信している。 多くの人達がこれを機に大切な気づきに目覚めたことだろう。 人間は宇宙と深い関係を持っている。最近読んだ宇宙学者の本に人間は星のかけらからできでている。と書かれていた。宇宙が創成され、次々と元素が生成し、星が生成されて、銀河系が、太陽系が、地球が、微生物が、植物が、動物が、人間が造られて現在がある。 宇宙創成された時からの原子・元素レベルの記憶が我々の体には記憶されているのではないだろうか。 136億年の歳月の間には考えられない程の絶体絶命の困難を乗り越えて、奇跡としか言いようのないDNAと意思を持つ人間が現在いる。我々の体を構成している物質一つ一つが最小単位レベルの段階で宇宙とつながっている。 われわれ人間の意志の中にも多くの潜在意識が存在している。136億年の経験が記憶されている。本当に困難な状況に面した時、人間には物凄い能力が発揮される。と信じたい。 我々一人一人が行動を起こす以外に他の道はない。これは明白な事実だ。気づいた人達だけでもやるしかない。日常生活の世界で、宇宙のこと、地球のこと、人のことを考えながら、寝起きして、食べて、仕事をして行動することが必要になってきた。我々のこの意思が微生物にも、植物にも、地球、宇宙にも影響を与え、与えられているという認識が求められている。 今の自分だけの利益のみを追求する極度のエゴを発揮する人、会社、国を是正してもらえるような世の中に我々一人一人が意識をもって行動していくしかない。まず、自分自身を変えることから始めたい。 自分に関わるすべての日常の価値観から変えていかなければならない。 私は幸運にもワインの世界で働いている。ワインは農業だ。心ある農家の人達は自然の変化に敏感だ。 特に自然派ワインを造る人達はすでに自分の生き方から変えている人達が多くいる。 彼らの生き方、農業のやり方そのものが生態系継続可能なやり方だ。 彼らは畑に住む微生物達が他の地球上の生物や生態と関連性があり、地球の環境全体にも影響を与えていたり、与えられていることを知っている。もっと遠くは宇宙とも深い関係があることを理解している。 もし地球持続可能指数という数値があるとしたら100点満点中90点を超える生き方をしているのである。 彼らの造る葡萄は宇宙からの光のエネルギーを吸収して糖や葡萄果肉を造りだしてしまう。そんな葡萄から造られたワインの中には宇宙のメッセージが詰まっている。土壌からは地球のメッセージも詰まっている。 そんな天と地のメッセージがつまった自然派ワインを広めることで、多くの人達が大切な気づきに目覚めてくれると思う。自分の一隅を照らしたい。そしてワインの世界の一隅をも照らす事が出来る人間でありたい。

15
Mar

丘の上の雲

ワインを愛する気持ちがこの仕事を選ばせたのか、この仕事に就いたからワインを愛するようになったのか、エメ・コメラスは50歳を越えた頃から半生を振り返ってはそのように哲学的な自問に対する答を探すようになった。 具体的な示唆があったわけではなかった。兄がボルドー大学の教授であったことも何処かで影響があったのかも知れない。 だが、彼がお金に不自由ない生活を確保し、余生のことを考え始める時期になってそのようなワインに対する特別な愛情が膨らんできたというのは運命というよりは宿命と呼んだ方がよいだろう。 エメは、ワイン生産地としては知名度の低いラングドック地方の農協組合長だった。 実直な人柄で、多くの人たちから信頼されていた。 安物ワインというレッテルも、数で勝負とばかりワイン最大消費国の底辺の礎を担うのだと自分に言い聞かせて来た。 ところが壮年期の真っ盛りに、ふとこれで良いのだろうかと考えるようになった。 それは、このラングドックという土壌に日々暮らす者として、また誰よりもワインを愛する者として、この故郷の土壌が持つだろう無限大の可能性に挑戦したいという願いが心の扉を叩くからであった。 底辺から頂点への挑戦。 もしかしたら、ずっと以前から分かっていたことなのかもしれなかった。 それなのに無理矢理心に蓋を落としていたのは、矢張り生産者たちへの遠慮があったからであろう。 エメが考える高品質への挑戦は、即ち生産量の激減と結びつくからであった。 しかし自分の大いなる夢を現実化させることこそがラングドック地方の発展を牽引する原動力になると確信したエメは、一軒一軒農家を説得することを決心した。 エメの説得は、徒労に終わった。 初めから結果は容易に想像出来たのだが、それでも自分の意見をぶつけたかったからだ。 彼が提案した内容は、例えば一本のブドウの木から摂れるぶどうの房をこれまでの平均30房から8房程度に減らしてテロワール(土壌の風味)を凝縮するとか、除草剤は一切使用せず雑草駆除は人間の手で行うとかであった。 安いワインを大量に売り捌いて生計を立てていたラングドック地方の造り手たちにとって、この提案は正気の沙汰ではなかった。 何故なら、生産量は約四分の一に減少し、それにも増して人件費は増える。 量り売りが一般的なラングドックのワインでは想像も出来ない贅沢なやり方であったからだ。 しかしエメは徒労と知りながらも、毎日農家を訪問しては説得して廻った。 やがて一年の月日が経ち、賛同者は一人も得られなかった。何度も来るエメに対し、最初の頃は農協組合長として敬服して聞いていた農家たちも、仕舞いには愛想が尽きてしまい、そんなにやりたいのならば自分でやればいいではないかと言い出す者が出てくる始末であった。 エメは流石に落ち込み、長い間心の中の暗い淵を彷徨った。 しかしエメの愛すべき長所は、諦めた後は只管前向きに前進するというところであった。 農協組合長という名誉職を辞任するまでに長い時間は必要なかった。 誰も賛同してくれない以上は、自分でやり遂げるしかない。そう決意した翌週、エメは辞任した。妻も年頃の一人娘も、黙ってエメの決断を見守った。 それからというものエメは、金策と土地探しに明け暮れる毎日を過ごした。 そして1984年、ラングドックのブドウ畑を歩き回った後でエメが白羽の矢を射したのは、AOC コトー・ド・ラングドックで最も自然環境が良いといわれるモンペイルーの25ヘクタールのブドウ畑であった。 自分の持つ財産全てを抵当にいれ、銀行からお金を借りて購入した畑は、前のオーナーがブドウ造りに無頓着な人であったことが寧ろ幸いし、人の手が殆ど加わることのない荒れ果てた自然のままであった。 エメが最初にしたこと。それは一本一本の木に対して語りかけることだった。 彼は来る日も来る日も木に話しかけ、会話した。 見る者たちは怪奇の視線を送ったが、彼は畑の中で実に満足していた。 そうして体力の無い木や病弱な木、そしてやる気の無い木には謝りながら間引きしていった。毎朝日の出と共に畑へ行き、日没まで其処で過ごした。 雑草取りさえも、彼は誰にも手伝わせなかった。そうして3年もの間、エメは只管土壌と木の手入れのみに専心した。 漸くワイン醸造を手がけようとした頃、偶然エメと畑へ行った愛娘はその光景に自分の目を疑った。 そして醸造という格闘が始まった。 エメは、本当に美味しいワインの味というものは十人十色で意見が違うと信じ、地元でもワインの味に煩い者ばかり40人を集めて尊属のモニターとして契約し、シラー、グルナッシュなどの品種毎にどのような味が美味しく感じるかを意見させ、全てを網羅する味というのをそれらから逆算し、農作業から醸造までそれに見合うように調整しようと試みた。 勿論理論的な部分は実兄であるボルドー大学教授が活躍した。 二人三脚で行った試行錯誤のワイン造りは、完成するまでに3年間を要した。 つまり、土地を購入してから6年もの間、ワインは市場に出ることはなかったのである。 エメのワインは、地元モンペイルーでは瞬く間に名声を得た。 営業活動をする時間さえ惜しんで畑へ行くエメにとって、地元で買ってくれる人がいればそれでよかった。 しかしある日、ソムリエ世界チャンピオンのフォール・ブラック氏がラングドックへ来て昼食時に偶然エメのワインを口にする機会を得た。 そしてブラック氏はそのままエメに会いに行ったのである。家族に来訪を伝えると、エメは畑にいるという。 待たせてもらうと言えば、夜まで戻らないという。 仕方なしにブラック氏は自ら畑へ向かった。そこで彼は、衝撃的な光景を見た。 木が喜んでいる・・。木が尻尾を振ってエメらしき人物に寄り添っている。 そんな馬鹿なことが。ブラック氏は目を擦ってもう一度凝視した。 木は動かない。いや、動くだろうが、人間の肉眼ではその動きは見て取れない。 果たして木は固定されていた。 否、しかし木は矢張り喜んでいるように見えたのであった。 ブラック氏の後ろから、道案内について来たエメの娘がその光景を見て、自分が数年前に感じた驚愕を思い出していた。 ブラック氏がその後、公の場でエメのワインのことを賞賛した時の言葉が残っている。 「フランスを代表するワインだ。」 王様のブルゴーニュ、お妃様のボルドーでもない、名も無い南のラングドック地方。 […]

15
Fév

そこにしか照らない太陽

蔵元名:Gerard SCHEULLER et Fils 産地:アルザス地方 品種:ピノ・ブラン、リースリング、ピノ・グリ、トケイ・ピノ・グリ、ゲブルツトラミネール、ピノ・ノワール  コルマール市周辺には美しい街が点在していて、春から夏にかけて多くの観光客で賑わいを見せる。歴史的にドイツとの領土争いの渦中にあったこともあり、木材を部分的に使用した建築様式も色の使い方も生粋のフランス製ではなく、何処と無くロマンチックなメルヘンを感じさせてくれる。Husseren-les-Chateaux はコルマール市からほんの少し南にある村であるが、そんな観光地とは違いワイン畑に囲まれた小さな農村である。ブルーノはワイン蔵元を経営する父ジェラールの一人息子としてこの村に生まれ育ったが、少年時代のブルーノの頭の中はサッカーのことで一杯だった。ぶどうやワインは最も身近な物ではあったが、大した興味は持っていなかった。それは、ぶどう栽培への異常とも言える父親の拘りに戸惑いを感じていたからであった。ジェラールは朝早くから日が暮れるまで、一日中畑で作業をするのが日課であった。周囲の畑ではそんな者は誰一人居なかった。1970年代に入りフランスは農業の近代化を迎え、作業が高効率化され生産量の確保が約束されるようになったからだ。昔ながらのやり方を続けるのはジェラールだけだった。ブルーノは父親を尊敬していたが、明らかにジェラールより努力が少ない近所の蔵元たちが順調に企業として成長しているのに、我が家はそれ程でもないことに歯痒い空周りを感じていた。  ブルーノは勉強が苦手であった。幼い頃からサッカーや昆虫採集など、やり始めたら時間の経つのも忘れるほど没頭してしまう集中力があった割に、学校へ行くと何故か集中出来ないのだった。どうもブルーノは教科書で勉強するタイプの学者肌ではなく、自分で課題を見つけて研究する独創派のようだった。高校進学を考える際、ブルーノは漠然と農業学校進学を決断している。それは、一つの蔵元オーナーの一人息子として当然将来跡継ぎになるという程度の気持ちであった。しかし漠然と選択した農業学校が、ブルーノの人生を大きく飛躍させることになるのである。農業学校で学んだことの多くは、効率化と安定した量産を確保するための近代農業であった。それは、まさに父ジェラールが背中を向けてきたことであった。ブルーノはしかし、それに対して愛情も憎しみもなかった。ただ、事実として教科書と父親は全く別なものであった。ブルーノを考えこませたのは、どうして父親はそこまでして昔ながらの造り方に拘るのかということであった。少年時代、日が暮れてボールが見えなくなる寸前までサッカーをした後の帰り路、自宅へ急ぐブルーノは近所の蔵元たちが立ち話で父親の噂をしているのを聞いたことがあった。 「それにしても、あれだけ拘ったところで儲からなければ何にもならないじゃないか。」 「しかし、あの男が栽培するぶどうは確かに違う。俺の畑なんか同じ区画で奴の隣だというのにさ、収穫するぶどうの艶まで違うんだぜ。あっちは完全に熟してやがるんだ。」 「まあ、いいさ。俺たちは金儲けのために事業としてやってるんだ。近代農業になって以来、農作業はうんと楽になったし、収穫量もある程度見込めるようになった。ぶどうの出来、不出来で味も左右されにくくなった。まさに文明の力ってやつだよ。それに乗らない奴さんが変人なのさ。」 ブルーノは農業学校卒業の年の春休み、子供の頃偶然聞いたその話をふと鮮明に思い出した。そして普段は道から見るだけであった父親の畑を見に行った。思えば、父親の職場である畑へはそんなに足を踏み入れたことがなかった。そこは父親の聖域であったし、ブルーノを強要して連れ出したこともなかった。ただ、毎年収穫の時期にぶどうを担いでトラックまで往復する位であった。かくしてブルーノは父親の畑の前に立ち、愕然とした。目の前に広がる雄大なぶどう畑。その中には沢山の蔵元が所有する畑が混在し、一見は見渡す限り一枚のぶどう畑のように見える。しかし実は何十何百という所有者によって細分されていて、それぞれの境界線にはワイヤーや杭で印がつけられているのである。ジェラールの畑、そこは明らかに周囲のそれとは違っていた。いや、素人なら違いに気がつかないかもしれない。自分は農業学校で一通りぶどうの栽培からワイン醸造までを学習したから分かるのだろう。ブルーノはそう思った。しかしそれにしても・・。彼は勿論父親を尊敬していたが、それは父親としてであった。しかし男として、仕事人として父親がここまで凄いとはその時まで気がつかなかった。先ず剪定の短さが目に付いた。周りの畑では、一房でも多く収穫しようとして、剪定は出来るだけ長く残しているのに対し、ジェラールの畑では一本の枝に多くても二つしか芽が残っていなかった。これだけで収穫量は周辺の畑の三分の一から四分の一になってしまう。次は土壌である。綺麗に雑草が抜かれているその土壌は、まさにジェラールが毎日朝から晩までかけて手入れしたものである。隣の畑を見てみれば、除草剤を撒いて少し経った頃なのだろう、雑草が農薬によって枯れ果てて一面がきつね色に蔽われていた。雑草は死ぬが、ぶどうの木は死なない程度の農薬というわけだが、そんな土壌で栽培されたぶどうがテロワールを健全に再現するはずがないと確信した。さらに細かい所を見れば、根っ子の太さが周囲に比べて太い。樹齢だけではない、生命力の違いが感じ取れた。専門家であれば、一目瞭然で地中に伸びる根っ子の長さが格段に違うことが分かる。ブルーノは、身体に電流が流れるような感覚を覚えた。それは、父親への尊敬の念や周囲への軽蔑から来るのではなかった。正誤の問題ではなく、純粋に「最高の素材」を使って「至福のワイン」を自分が仕立ててやろうという野心に駆られたのだった。ふと見ると、ジェラールが畑の真ん中付近からこちらを不思議そうに見つめていた。畑の中にしゃがみ込んで作業していたようで、ブルーノも気付かなかったのである。  その年の夏、農業学校を卒業したブルーノの挑戦が始まった。先ず最高級品質のぶどうが何故今まで特別なワインならなかったのかを研究することにした。そしてそれは存外容易に解明出来た。ジェラールのワイン醸造は、工夫というものが一切無かったのだ。それは喩えて言うなら、最高の素材で料理を作る際、そのままの姿で焼くか煮るだけのようなものであった。切り方を工夫したり、香草や調味料を凝ってみたり、燻製にしてみたりといった工夫がなかった。ブルーノの試行錯誤の日々は続いた。兎に角独創的なワイン造りを心がけた。例えばリースリングを亜硫酸無しで五年間熟成させたり、品種毎にノン・フィルターの実験をしたり、普通ならやらないことを試みた。当然失敗したワインは売り物にならない。陶器職人のように、納得の行かない作品は次々に捨てられた。何とか納得出来るワインが出来始めたのは、彼が醸造を手伝い始めて約10年が経過した1990年頃であった。手前味噌ではない、明らかに周囲の蔵元とは段違いのワインであった。やっと光明が射してきたシュラー家だったが、そこで大きな壁が立ちはだかったのであった。AOC協会である。AOCとしての認定を受けるため、全ての蔵元は毎年試飲検査に認められなければならない。その頃のシュラーのワインは何処よりも素材が優れている上に、その素材を何倍にも増幅させた膨らみが味にあった。AOCの意味は、地域色(テロワール)を忠実に表現することであるから、シュラーこそアルザスAOCの横綱といえるはずなのに、いくつかの品種で格下げされてしまうという屈辱を味わわされたのだった。明らかに卓越したワインを造っているのに、何故そんなことになってしまうのか。自暴自棄になりかけたブルーノを救ったのは、古くから付き合いのあるネゴシアン(ワイン買付業者)たちであった。通常格下げされたワインはその価格も著しく下がってしまう。しかしシュラーのワインの価値を知るネゴシアンたちは、AOCの等級に左右されることなく安定した価格でワインを買ってくれたのだった。そしてそういった気概のあるネゴシアンたちは、確実に販路を伸ばしてくれた。そういったネゴシアンたちは、AOC協会が農業改革以降、随分と変わってしまったと常に嘆いた。つまり、昔のAOCがテロワールを忠実に表現することを査定の条件にしていたのに対し、技術による品質と味の安定、つまり人の手によって調整された味を査定の条件に変えてしまったのである。行政がそうなると、自然的に蔵元たちは市民権を得るための最短行程を歩むようになり、如何にしてAOC協会に気に入られるか、すんなりパスするかという邪心ばかりが先行するようになり、その土地独特の味わいというものが薄れ、AOC毎に金太郎飴のような同じような顔(味)をしたワインが増える結果になった。ブルーノは、父ジェラールの生き様を思い、何があっても世間の流れに屈することなくアルザスで一番のワインを造り続けようと意を決した。  90年代の終わり頃になり、あるネゴシアンがシュラーのピノ・ノワール(LN012)の記事を地方雑誌に掲載したことがあった。「ロマネ・コンティより旨い」当時一本千円程度だったワインが、何十万円もするワインより旨いなんて、プロのネゴシアンが口にすること自体正気の沙汰ではなかった。それ以降、日本でも知る人ぞ知るワインになり、愛好家たちの間で取り囃されるようになった。昨今では瓶詰めと同時に完売してしまい、シュラー一家が飲む分さえ残らない始末である。喜びに浸るシュラー父子かと思いきや、意外にも彼らは落ち着いている。寧ろ、ブルーノは言う。「アルザスのテロワールは、リースリングやムスカ、ピノ・グリやゲブルツトラミネールなどの白ワインが主流。何故ピノ・ノワールだけが持て囃されるのか、理解出来ない。シュラーの一番の持ち味は白ワインなのに。」そんなブルーノがジェラールは誇らしくて堪らない。父子二人三脚の挑戦は、終わりが無い。算盤勘定の無い彼らの蔵元にだけ、アルザスの太陽が照っているような錯覚にさえ襲われる。

15
Jan

Gパンのシンデレラ

蔵元名:Domaine de la Sénéchalière 産地:ロワール地方(ナント地区) 品種:ムロン・ド・ブルゴーニュ(ムスカデ) ムスカデというワインは昔、ブルゴーニュ地方で造られていました。ぶどう品種の名前から見てもそのことは容易に想像が出来ますよね。それが後にロワール地方の方が適した土壌だと考えられるようになり、今のムスカデになったのです。しかし一つ残念なことは、多くのムスカデ生産者たちに逸品を目指す志しが見られず、安物量産ワインを造るのだという割り切った空気が漂っていることです。しかしドメーヌ・ド・ラ・セネシャリエールのマーク・ペノ氏は違いました。「繊細さではモンラッシェにも負けない!」真顔でこんなことを言う生産者はムスカデ地区にはペノ一人しかいません。そしてそんな拘りの芸術家は商才に恵まれないものだから、経営は常に不安定で、一時は会社更生法が適用される始末。でもそんなペノの才能を信じ続ける最愛の奥さん(ヨレーヌさん)と愛娘(カレルさん)に支えられてマークは自分の信じる路を突き進むことになりました。 ペノの拘りは想像を遥かに超えていました。ムスカデで拘りといえば、通常SUR LIE(シュール・リー)と呼ばれるもので、これは醸造中に出来たぶどうや酵母の死骸の澱(LIE)をそのまま底に残した状態で、アルコール発酵後から最低でも収穫の翌年3月末まで熟成させるものです。これをすることで瓶詰め直前までその状態を維持し、最も旨みである澱から最後の最後までエキスが溶け出すのです。でもペノはこれ以外に、NUITAGE(ニュイタージュ)という誰もやっていない製法を導入しました。これは夜中に極低温で一部発酵させるのですが、厳選された手摘みぶどうを炭酸ガスの充填されたタンク内に房ごと入れるのです。すると、ぶどう粒の細胞内でゆっくりと還元的発酵が始まるのです。温度12℃で約6時間、凡そ1晩かけて行った後(午前3時頃)に房の茎を取り除き、圧搾してアルコール発酵させるのです。茎ごとタンクに入れるというのは、とても勇気が要ることです。何故なら、普通は植物臭く、土臭くなるので除梗するからです。でもペノのぶどうは茎までも完熟させている自信があるので、風味を複雑にするという一環としてこのニュイタージュを丸々茎ごと6時間行うのです。この6時間という数字と深夜という時間帯に至るまでには膨大な時間と労力、費用を引き換えにしなければなりませんでした。こんな凄い手間暇かけたムスカデですが、ペノは一切コンクールには出品しません。ぶどうの完熟に拘る余り、ミュスカデコンクールのサンプル提出期限に間に合わないからです。でもそんな拘りを分かってくれるのは、家族とほんの僅かな人たちだけでした。ペノは口下手で商売も下手、ワインは中々売れませんでした。唯一の頼りは伊藤さんの日本への販売でした。 或る時、ペノはパリへ行商に行きました。ライトバンに何ケースか積んで、ワイン屋さんやレストランを訪問するのです。でも真剣にペノの話を聞いてくれる処は中々ありませんでした。口下手のペノは、初対面の相手へ言葉巧みに自分の気持ちを伝えることさえ儘ならなかったのでした。石畳の小路をライトバンで揺られながら、サンプルのワインを持って一軒一軒扉を叩きましたが、どうしてもサンプルを飲んでもらうまで行き着けません。矢張り一般的に安物量産ワインという認識を持たれているワインなので、余程のことでもない限り態々試飲するという気持ちにならないのです。「やっぱりコンクールに出して上位入賞するとか、AOC協会やネゴシアンと仲良くなったりしないと売れないんだ。」そんな考えが頭を過ぎりました。疲れ果てたペノは、最後の夜に自然派ワイン通が集うパリ20区にあるワインビストロへ客として行きました。ペノはその店へ行くのは初めてでしたが、そこのオーナーに偶々ワインが売れないことを相談したのでした。そのオーナーは、ペノの実直さに興味を示し、ワインがあるか聞きました。丁度近くにライトバンを駐車していたので、急いで何本か持って来、飲んでもらいました。無ろ過タイプで白濁りというユニークなムスカデでした。「白濁したムスカデか、珍しいな。初めてだよ。」そう言うとオーナーは一口飲んで、息を詰まらせました。(これがムスカデ?なんて繊細なんだ。まるでネクターじゃないか!) 「ラベルが貼ってないが、これは何という名前なんだ?」 「名前はつけていません。ムスカデです。」 「一本いくらだ?」 「○△フラン。」 「何?そんなに安いのか?今在庫は何本あるんだ?」 「○△本あります。」 「よし、全部買った!あっ、それからこのムスカデの名前だけど、俺が命名してやる。Chapeau Melon(シャポー・ムロン)がいい。」 こんな会話が交わされ、ワインは完売したのですが、それ以上に幸運であったのは、このレストランは有名なワイン屋のオーナーや味にうるさいパリジャン、パリジェンヌたちの憩いの場であったことです。この時からシャポー・ムロンは、ワイン通たちの間で名を馳せて行きました。フランス語でシャポーとは、帽子の他に脱帽という意味があり、ムロン・ド・ブルゴーニュ(ムスカデ)の脱帽というこれ以上ない賛辞だったのです。   それから暫くした或る日、漸く経営も安定し、ワイン造りに精を出すペノに途轍もない朗報が寄せられました。7月14日はフランス革命記念日、大統領は毎年この日に有力者を招いてガーデンパーティーを催します。そのパーティーには必ずワインが振舞われますが、その歴史は常にグランヴァンばかりでした。それが2003年7月14日、その歴史は変わりました。シャポー・ムロンに白羽の矢が刺さったのです。ドレスなんて着たことのない田舎の娘がジーンズを穿いたまま貴族のパーティーに紛れ込んで、偶然居合わせた王子の心を射止めたと言っても過言ではないような事件でした。これは偶々ガーデンパーティーの宴会責任者があるレストランでシャポー・ムロンを口にしたことがきっかけでした。ペノがエリゼ宮に配達に出向いた帰り際、厳重な警戒態勢の下で強面の警官に止められ、何やら詰め寄られていました。記念の配達に同伴したニシは中へ入れてもらえなかったので外で1人待っていましたが、ペノの身に何が起こったのか不安でたまりませんでしたが、笑みをこぼしながら戻ってきたペノから話を聞いて肩を撫で下ろしました。「シャポー・ムロンは何処へ行けば買えるんだい?」ニシとペノは子供のようにはしゃいで抱擁しあいました。凸凹したパリの小路をライトバンで駆けずり回っても売れなかったペノのワインが、今や大統領のパーティーで使用されることになるなんて想像もしなかったことです。でもペノは相変わらず飄々としてにこにこ笑っています。「シャポー!」ニシはそう叫ぶと、被っていた帽子を太陽に向けて放り投げました。

13
Jan

自然派ワインの父 ジュール・ショヴェ

ワインという名にふさわしいワインを造ることに、一生を捧げた人 パリがドイツ軍の占領下にあった時、ロンドンで『私がフランスだ!』と云放ったあの偉大なるフランスのド・ゴ−ル大統領が毎日飲む日常ワインとしていたのが、ジュル・ショヴェ氏の造ったボジョレだった。偉人は偉人を知る。 ネオポ−ル氏 『ショヴェ博士は“ワインという名にふさわしいワインを造ること”に、一生を捧げた人です』 人間として、学者として、醸造家として多くの人に尊敬された人物の“人となり”を色んな本に書かれた文章や、記事を集めて、また人の話を聞いて連載をしたいと思います。 まず、第一回は1981年にインタヴュ−を受けた時の記事を抜粋して、そのまま載せたいと思います。ショ−ヴェ氏が亡くなったのは1989年、その約10年後にインタヴュ−のテ−プがショ−ヴェ氏の弟のところに送られてきた。スイスの醸造家でもありワイン研究家でもあるケセルリング氏とのインタヴュ−の生テ−プでした。そのテ−プを基に一冊の本が出版されました。その抜粋記事を数回に分けて掲載します。ショ−ヴェ氏の人となりが浮き彫りにされています。 〜ジュル・ショヴェ氏 と ケセルリング氏 との 対談 N°1〜 どうしてこの仕事を選んだか? ケセルリング氏 — ショヴェさん、どのようにして、この仕事を選んだのですか? ショヴェ氏 — 周りの環境と共に、自然にです。 ケセルリング氏 — あなたの父親……? ショヴェ氏 — そうです。私の曽祖父、祖父、父に渡ってです。 ケセルリング氏 — しかし、以前、ベルリンでワインの勉強をしたことは無いですよね…? ショヴェ氏 — いいえ、全く。後で… 後になってからです。当然、本来の学業(化学)を終了した後、この職業(醸造栽培者)を学び始めました。それから、ワインに興味を持ち、疑問を抱き始め… かなり深くまで研究するようになりました。 ケセルリング氏 — それは、天性? それとも、父親の死後からですか? ショヴェ氏 — いいえ、私がワインの幾つかの病気について疑問を持ち始めたのは、父が亡くなる前からです。知人達と資料を検討しても、根拠のある解答が得られなかったので、さらに深く研究は進みました。いろんな面を検討していくうちに、大変奥深くまで追求するようになりました。 ケセルリング氏 — しかし、バカロレア(高卒兼大学入学資格)終了後、更にワーバーグ氏のところで勉強したんですよね? ショヴェ氏 — そうです。バカロレアの後、独学しました。 ケセルリング氏 — どうして、ベルリンのワーバーグ氏のところへ行ったのですか? ショヴェ氏 — ああ、それはですね、以前、私はリヨン大学理学部の生化学研究室で勉強していました。そして、疑問に思った問題の解答を探究しようとした時、このリヨンの研究室に行ったんです。数年、ここにいましたが、どうも納得がいかず、不十分だったので、ベルリンへ行くことにしたんです。 ケセルリング氏 — それで、ベルリンでの研究課題は? ショヴェ氏 — ワインにおいて、鉄が存在する場合としない場合での微生物の成長の違いを知ることでした。ワインが鉄を含まなくなった時、ワインのミコデルマ細胞も増大しなくなることが観察されました。この時点で中断し、ここで、鉄の役割は何かと考えました。 ケセルリング氏 — その微生物の成長において…… ショヴェ氏 — そうです。つまり、この微生物は好気性であるため、そのエネルギーを活発にし成長させる、酸素伝導体の酵母に鉄が作用したという訳です。当時、ベルリン研究室では、鉄基、お呼吸色素について、かなり詳しく研究していたので、私は、さらに追求し続けました。 ケセルリング氏 — どんな種類の鉄ですか? ショヴェ氏 — ヘマチン鉄です。血液やヘモグロビンの中に見られる鉄です。これは、異常に複雑な鉄で、テトラピロール鉄(ピノール4基鉄)と呼ばれるもので、生きた生物や動物や植物の中に見られることから、自然界に一貫性が存在することを知りました。 研究について ケセルリング氏 — では、2番目の質問です…… 研究の準備についてですが… どんな準備をしたんですか? ショヴェ氏 — ともかく研究! 随分深く研究しました。研究室でも、当然、仕事でも… 生じる事を理解しようとしました。いいですか、これは研究なんです。準備と言われてもわかりません。ただ、非常に研究勉強したことだけはわかっていますが…それだけです… ケセルリング氏 — 多分少し、簡略かもしれませんが、これは、化学者のための要約紹介ですから、もう少し具体的にこの質問に答えて下されば… ショヴェ氏 — 私は、化学を沢山勉強しました。生態学も沢山勉強しました。物理学も、その他にも。あらゆる全ての科学に興味があったんです。 ケセルリング氏 — そうですね。当然、ワイン醸造学と言えば、いろんな全てのことが絡んできますからね… ショヴェ氏 — 科学すべてにです。 ケセルリング氏 — ちょっと、うわべをかじって… ショヴェ氏 — ちがいます… 上辺をなでることが、全部を知ることではありません。一般的基礎知識がなければいけません。ワイン醸造学を始めるには、多くのことを知らなければなりません。沢山のことを知る必要があると思いますが、わたしは、多くの知識が無かったので、大変勉強しなければなりませんでした。 ケセルリング氏 — しかし… わかりません… 全ての分野を勉強し準備する時間などありませんから、良く考えて選択する必要がありますね。 ショヴェ氏 — 良く研究しなければなりません。 ケセルリング氏 — そうは言っても、ともかく、その都度その都度選択して行かなければ。 ショヴェ氏 — ええ、その通りです。選択しました。醸造学を始めるのに、他の科学分野を沢山勉強しなければなりませんでした。それだけです。 何がそんなに魅了したか? ケセルリング氏 — わかりました。では、3番目の質問をしたいと思います。魅惑です… ショヴェ氏 — 《研究するにあたり、何がそんなに私を魅了したか?》と言う質問ですね。 ケセルリング氏 — 有触れた質問なので、私が言う前に見抜かれてしまいました。(笑)そんなに私的なことでなければ…  ショヴェ氏 — 研究… 何の研究でですか? ワインの研究ですか? ワインを説明するために行った研究ですか? わかりません。でもこれだけは確かです。私を魅惑したものは、ワインです。明確です!しかし、ワインの他に、とりわけ生物学に魅了されたようです。生物学はワインであり、ワインは生物学です。どちらでも好きなように取って下さい。しかし、私は、この2つを少し混同しました。ワインを醸造するためのワイン研究が、微生物学者の研究であることは確かです。生物学者の研究です。そして、これを理解したいならば、生物学を深く勉強する必要があります。それで、私は、生物学を勉強している内に、生物学に魅了されたんです。わかりますか? ケセルリング氏 — つまり、ショヴェさんは、仕事において、研究の関心が自然な興味につながり、嬉しく思ったんですね。 ショヴェ氏 — ええ、そう、そう、そうです。ワインが、私を生物学へ導いたと思います。 ケセルリング氏 — その逆ではないんですね…? ショヴェ氏 — いいえ、とんでもない!先ず最初に、ワインが私を生物学へ導き、それから、生物学をかなり詳しく研究するようになったんです。けれども、ワインから離れずにです。つまり、常にワインがそこにあることを見失わずに、生物学を勉強し続けました。そして、ワインを理解するために、学んだ事を使うようにしました。しかし、ここではっきり言えることは、私がまだまだワインをわかっていないと言うことです。 ケセルリング氏 — それは、決して到達しない目標だと思います。あえて考えようとは思いませんが… ショヴェ氏 — 確かに。まだまだ発見すべきことは沢山あります。 ケセルリング氏 — もっと大変複雑な… ショヴェ氏 — ええ、もちろん… ケセルリング氏 — 私にとって、生物学は、常に創造の表現です… ショヴェ氏 — その通りです。 ケセルリング氏 — 今朝、話したことですが、大宇宙の創造よりも遥かに複雑かもしれないと言うことですね。そして、同じ位… いや、さらに魅力的なのは、小宇宙かもしれないと言うこと… ショヴェ氏 — それは、もっと遥かに魅力的なものだよ… […]

5
Jan

2009年頭ごあいさつ、世界が動く!ワインが動く!

地中海に浮かぶ新春朝日 世界が大きく動いている。特に08後半の世界経済の変化は誰も予測できない程の激変だった。 資本主義経済の調整機能がマヒ化しつつある。各国が大量の資金を投入しても今までのようには効果が表れない。経済分野に限らず資本主義を基盤にしたシステムがあらゆる分野において調整不可能な側面が表面化しつつあるのを肌で感じるようになってきた。 世界が進化しようとしている。人類史上最大の進化が必要になってきたように思う。人間自身が造り上げたシステムが独り歩きして、その人間自身を苦しめようとしている。 しかし、今でもそのシステムを動かしているのは個々の人間であることに変わりはない。でも人間の調整が利かなくなってしまった。 正に、今、一人一人の人間が自分の生き方や価値観を進化させなければ人類の歴史そのものを絶滅させかねない時期が到来したのを誰もが感じているのではないか。 つい最近までは、大きくなりすぎた世界システムの中で、自分一人が動いたところで何になる、と自己の無力感を皆が感じていた。しかし、もうそんな事を言っている場合ではないことを多くの人が実感している。 地球・人類の命運がかかっている、皆の子供たちの未来がかかっている。 09年は人間の内面進化の時代の始まりだ。 資本主義・自由主義の悪い面ばかりが表面に出てしまった現在、利益第一主義、自分だけ儲ければのエゴ・利己主義の行き過ぎが現在の状況を造り上げてしまった。すべてのものとの共生、調和が必要だ。 150億年の宇宙システムの歴史に比べれば、今の人間が創り上げた経済システムなどちっぽけな存在だ。 45億年の地球の歴史からみても塵のように小さなシステムに過ぎない。 我々人間が変えられない理由は存在しない。 量子物理学からみても人間の意志の力は偉大であることが述べられる時代になった。物事の生成に人間の意志力が大きく関与できそうである。 深いところで気がついた人間がそれぞれの分野で本気で取り組んでいくしかない。 ワインの世界も大きく動いている 私が関わっているワインの分野も大きく動いている。 フランスいや欧州では今AOCが大きく変わろうとしている。良き方向に進化してほしい。ワインの本質的要素を守るべき本来の方向に動いてほしい。 これがなくてはワインではないという本質的要素をほとんど備えていないワインが氾濫してしまっている。 外観と味覚だけは整えて、土台を手抜きしてる偽ワイン、化粧ワインが多すぎる。外観や味覚は氷山の一角だ。本当に大切な部分は水面下に沈んでいる80%の土台の部分だ。土台がメチャクチャな手抜きワインがいかに多いことか。水面下の土台の部分が確りしたワインが本物だ!つまり我々の云う自然派ワインだ。 自然派ワインの概念も今は独り歩きして単なるビオワインと勘違いされている。本物ワインを他のワインと区別するシステムが存在していない。 ワイン教育機関も何十年も前に書かれた書物やワイン法を教科書に化石のようなワイン知識を教えている。 現実のワイン界はドンドン進化している。いろんな新しいものが泉のごとく湧き出ている。 世に出ているワイン知識の老朽化は深刻な問題だ。まるで流れのない貯水池の澱んだ水のようなワイン知識をコンコンと湧き出る生きた水“有源の井水”のような知識に変えていかなければならない。 AOCの現状、グラン・クリュの現状、売ることばかりを考えたマーケティングワインの増加、現実を直視するだけでも多くの知識を得られるはずだ。 葡萄栽培、ワインの造りも様々なやり方や知識が湧き出ている。 現状のワイン常識では本当に良いものと、悪いものとの区別判断ができないシステムとなっている。 これは地球の為にも、消費する人間にとっても実に大切なことである。 ワインの本質的要素を備えた正しいワインを、悪玉ワインとごちゃ混ぜにせざるを得ないようなシステムは変えなければならない。 人の生き方と同じで、本当に良いものと悪いものの区別判断ができなくなって来ている。正しいものを正しいと言えない世の中なんて、断固として変革させていかなければならない。 本物ワインは天、地、人のシンフォニーだ 世に存在するすべてのものは、お互いに関わって調和がとれている。 醸造家は土壌に住む微生物とも共生しながらワイン造りをしている。ワイン販売者も仕入先とお客さんとの間で共生しながらやり繰りしている。醸造元が仕事を楽にするため除草剤や殺虫剤を大量に捲けば土壌にすむ微生物が死んでしまい、自生酵母が育たなくなってワインができなくなってしまう。 ワイン販売者も自分の利益ばかりを第一に考えて仕入先をいじめたり、お客さんに高く売りつけていてはいつかは破たんがくる。 醸造家から飲み手までそれぞれがお互いに関わって調和がとれて一つのシンフォニーができあがる。このシンフォニーがワインの世界だ。 クラブ・パッション・ド・ヴァンは醸造家、発掘者、輸入者、酒販店、レストラン、消費者のそれぞれが出す素晴らしい個性溢れる音をより調和がとれるようにそれぞれの情報・知識を流し、すべての音がまとまった素晴らしいシンフォニーとなるように2009年より新たな活動を開始していきたい。 1−小売業、レストランに携わる人達を対象にしたワインツアーを企画。 2−本物ワインを造る醸造家を日本に招き、小売業やレストランとの接点の機会をより増やしたい。 3−本物ワイン販売を積極的に取り組んでいる小売業、レストランへのより積極的援助の実行。 4−一般愛好家への本物ワインに関する正しい知識・情報の提供。 5−本物ワインの試飲会の企画。 今までとは違った切り口で取り組んでいきたい。 本物ワインには宇宙、地球のメッセージが詰まっている 今現実にフランス・欧州で起きている現場の動きを伝えながら“有源の井水”のよな生きたワイン情報を提供することによって、正しいことを正しいと云える健全なワイン業界の形成に微力ながら寄与でいればと願っています。 佳き人が造る佳きワインを、佳き人たちの手によって、佳き飲み手まで送り届けるシステムを造りたい。佳き人とは、人間として大切な部分を守りながら、エゴに走ることなく、すべてのものが関わりあって調和された世界を考えることができる人である。“利は義の和なり”を実践できる人である。 本物ワインには、天、地、人のメッセージが詰まっている。 本物ワインを通して、天、宇宙、地球の叫びを聞いてもらいたい。 佳き人たちのメッセージも感じてもらいたい。 ワインで世を変えることができる。 私は確信しています。 燃やせ!!PASSION!!燃えろ!!PASSION!! 伊藤與志男

17
Nov

TERRA MADRE 2008 – SLOW FOOD * テラ・マドレ2008-スローフード

CARLO PETRINI PRONE LA DECROISSANCE * カルロ・ペトリーニ氏、減少を絶賛する « Il est criminel que les gouvernements aient réussi à trouver 2 000 milliards d’euros pour aider les banques alors qu’ils ne trouvent pas l’argent pour sortir des millions de personnes de la famine » Voici les premiers mots de Carlo Petrini dans son discourt d’ouverture. 『政府は銀行へと2兆ユーロもの資本援助をしている。しかし何千万人もの人を飢饉から助ける予算が無いなんて、それはあまりにも許しがたい。 』カルロ・ペトリーニ氏のスピーチはこのような言葉から開始した。 Le ton […]

14
Nov

有機栽培の協会組合、エステザルグへようこそ!- Cave des vignerons d’Estezargues

ローヌ河南部の町、アヴィニョンの南西側に位置しているエステザルグ協同組会。この地区の土壌質は略粘土 ・砂利質、そして多様な品種のブドウが栽培されています。その為、ボリューム感と骨格がしっかりとしたワインが造られる地区として有名です! エステザルグは1965年、10件の生産者が力を合わせて構成した協同組会です。皆さんの畑の面積を総合すると、何と450ヘクタールもあるのです!しかしここからがこの組会の特別な所!化学肥料や除草剤を一切使わない自然栽培と、収穫されたブドウの特徴を壊さない自然醸造方がモットーです。 『ドメーヌごとに収穫と醸造を行い、各区画の土壌の特徴を最大限に引き出す事を目標としている。醸造の間、亜硫酸は一切添加しないため、ブドウ果汁が空気に短時間触れるだけでも酸化の原因となってしまう。だからなるべく素早く作業を進めていかないといけない。』こう語るのは、エステザルグの組合会長、Denis Deschamps*ドニ・デシャンさん。彼は2004年から一人でこの巨大な組織の会長として全ての作業を厳しい目で監視しています。一人でこの座を務める前には、今はDomaine Le Bout du Monde*ドメーヌ・ル・ブ・デュ・モンドとして独立したEdouard Laffitte*エドゥワード・ラフィットさんと供に働いていました。 協同組会での醸造所はまさに工場です!入った瞬間、あちこちで様々な作業を行っている従業員達で賑わっています。最初に目に入ったのは、やはり真直ぐと続くタンクです。 コンクリートタンクは容量260L、デキュヴァージュは手作業。ステンレスタンクは容量300L、そして重力の法則でタンクから木樽へと流れていきます。 『自然酵母は低い気温でなければ発達しません。ですから赤ワインは、略3週間もの間、タンク内でアルコール発酵を行います。そして、タンニンをまろやかにする為、木樽で6ヶ月間から18ヶ月間の間熟成させます。白ワインの場合は6ヶ月間タンクと樽での熟成、ロゼに関しては、6ヶ月間のタンク熟成です。そして瓶詰め前に、自然と含まれているガスを抜きます。ワインを瓶内に入れ、コルクで蓋を閉めてから、よりまろやかさを引き出す為、再び13度で瓶内熟成を行います。』 10件ものドメーヌを集めて醸造しているのでワインの種類は10種類以上! 今日試飲したのは・・・ キュべ・レ・グランド・ヴィーニュ・ロゼ 08 *Cuvée Les Grandes Vignes Rosé 08 グルナッシュ、シラー、サンソーのアセンブラージュ・ワイン とてもフルーティーな一品!グルナッシュのまろやかさにシラーのフルーツ感、そしてサンソーの繊細さを最大限に表現した、爽やかでに飲みやすいワインです。 サンソーとグルナッシュはアルコール発酵が発生しにくい品種。そこでシラーと混ぜ合わす事によって、アルコール発酵が起きやすくなるのです! キュべ・レ・グランド・ヴィーニュ・ブラン 08 *Cuvée Les Grandes Vignes Blanc 08 クレレット50%、ヴィオニエ50% 9月25日に収穫されたブドウは、3週間18℃にてアルコール発酵されたもの。 まだマロラクティック発酵は始まっていないので少し酸味が強い!この第二次発酵が終了したら、スティラージュ(澱引き)を一回行い、自然と澱が樽底にたまるのを待つのです。 白い花やピーチなどの爽やかなアロマに、ハチミツの甘い香りが混ざっている、繊細で飲みやすいワインと仕上がるでしょう! ドメーヌ・デ・バキャント 08*Domaine des Bacchantes 08 グルナッシュ30%、シラー70% 『バキャント』とは酒神バッカスを祈るパーティー、『バカナール』で、バッカスの為に踊る女性達を示しています。 このキュベもアルコール発酵は終了したが、マロラクティック発酵がまだ行われていない状態です。その後、8ヶ月間樽で熟成し、スティラージュを行う予定です。ですがもうすでにレグリスと香草のアロマや、黒フルーツ(シラーの特徴)の香りが凄い!しかも14℃の熟成度で収穫されたブドウなので、とても骨格がしっかりとしていて豊富なワインと仕上がるでしょう!  ラ・グルナッチャ 08*La Grenacha 08 グルナッシュ100% アルコール発酵は終了したが、マロラクティック発酵がまだ行われていない状態で試飲。この品種はマロラクティック発酵が一番起きにくい品種です。何故かと言うと、グルナッシュの高い熟成度とリンゴ酸の少ない量が原因だそうです。しかもアルコール度数は14℃以下、そして樽内の気温は20℃と、全てが整った状況でなければマロは始まりません・・・けれどもドニさん曰く『このキュベはもうすでにフルーツの香りとタバコの葉やコショウのスパイシー感が強い。マロが終了したら、より柔らかくなって、バターのようなとろみが出て来るんだよ!楽しみだ!』ですって! キャランチエンム・ルジサン 08*40ème Rugissants […]

11
Oct

SLOW FOOD – TERRA MADRE

DU 23 AU 27 OCTOBRE 2008 – TURIN – ITALIE 2008年10月23日〜27日 − トリノ − イタリア « qui sème le rêve récolte l’utopie » Carlo Petrini (fondateur de Slowfood) « 夢の種をまく者はユートピアを刈り取る » カルロ・ペトリニ(スローフードの創立者) Pour celles et ceux qui ne connaissent pas le mouvement Slow Food, je vous invite à visiter le site スローフードをご存じない皆様、是非次のサイトを見て下さい www.slowfood.com et www.terramadre.info Le 23 octobre prochain s’ouvre […]