Mai

美味しいメニューはこだわりの手作り野菜から!
居心地が良くて・美味しくて・お財布にも優しくて・気軽に楽しめるのがビストロの定義?だとしたら、Quatre Plaisir はビストロの優等生! 気さくなシェフ、ムッシュ小澤とキュートなマダムのTOMOちゃんのあったかい笑顔も最高。 さてさて、お料理は・・・というと、これがなかなか本格的。ちょっとしたおつまみ系から本格的肉料理までグッとくるメニューが目白押しだ。 ←若鶏のグリル1260円 ↓ホホ肉の煮込み1580円
ナチュラルワインを求めてヨーロッパ中を駆け巡る、Club Passion du Vinのボス
居心地が良くて・美味しくて・お財布にも優しくて・気軽に楽しめるのがビストロの定義?だとしたら、Quatre Plaisir はビストロの優等生! 気さくなシェフ、ムッシュ小澤とキュートなマダムのTOMOちゃんのあったかい笑顔も最高。 さてさて、お料理は・・・というと、これがなかなか本格的。ちょっとしたおつまみ系から本格的肉料理までグッとくるメニューが目白押しだ。 ←若鶏のグリル1260円 ↓ホホ肉の煮込み1580円
こんなに枝葉が伸びました。
5月20日 のBLANC DE BLANC の丘、AVIZE。 最近10日間の温暖な気候で一気に枝葉が伸びている。 区画名LES GESTIS DE SOUSAの区画LES GESTISレ・ジェスティスの畑はOGERとAVIZEの堺にある畑だ。樹齢60歳の古木を0.40ヘクタール所有している。 4月の霜で40%の被害にあった。まだ時期が早いのである程度カバーできる。この畑からはBRUT RESERVEが仕込まれる。 畑で飲むシャンパンは最高だ! 日本にも2回来たことがある。本当に仲の良い夫婦だ。小学校からの同級生だった幼馴染だ。 『人生で一番大切なものは何ですか』の質問に間髪を入れず、 エリックは『『ミッシェルだ』奥さんの名前を挙げた。 ミッシェルも『エリックよ』』とニコッと笑った。
5月17日の土曜日、カーヴ・オージェが時々開く店頭試飲即売会が開催された。今日のテーマはローヌ自然派だ。ローヌを代表する自然派の大御所10社が集合した。壮観なメンバーが集まった。さすが人気専門店カーヴ・オージェならではのセレクションだ。勿論、企画したのはマーク・シバだ。自然派ワインの発展には絶大な力を発揮した男だ。先週もプリューレ・ロックで会った。自然派の試飲会にはどこでもいつでも参加している男だ。 当然、私とはいつも遭遇している。活力旺盛な男で全面にエネルギーが出ているので、ややクセのある男のように誤解されることが多い。でも話すと風貌とは似つかない繊細さをもった男である。そして真面目な人柄だ。醸造元から信頼されている。だから彼が号令をかけるとこれだけのメンバーが集まる。 土曜の昼の快適な買い物。 パリの自然派ワイン愛好家は幸せだ!これだけの造り手と話を聞きながら試飲できる。しかも気に入れば即買いができる。ニコニコしながらケース単位でワインを購入してた。 ケースを大事そうに車に積んでいる姿が印象的だった。
5月はフランスもゴ−ルデン・ウィ−クがある。 5月8日から12日まで休みの会社が多い。 その最終日12日にプリュ−レ・ロックにて2年に一度の飲んべ騎士団RINCE GUERLUTの認定式が行われた。 〜RINCE GUERLUTとは?〜 当主のアンリ−・フレデリック・ロックがお客さん、従業員、その他日頃世話になっている人達を集めて行う感謝祭のような式典である。格式ばったことの大嫌いなアンリはジ−パン・Tシャツ姿でわいわい楽しく飲んで食べて楽しもう、という会である。毎回5名ほどRINCE GUERLUTに認定される。 ゲルルとはブルゴーニュの方言で“良く飲み!よく食べる人!”を意味する。 アンリ−・フレデリックらしい命名で意訳すれば“飲んべ騎士団”がピッタリだ。 これに認定されると“鍬・クワ”(畑を耕すクワ)をプレゼントされるセレモニ−がある。
東銀座は歌舞伎座横、隠れ家的存在の「bistrot Vivienne」。CPVの試飲会で会った事のある方も多いはずの(スタッフ?に限りなく近い・・・?)あの笑顔がチャーミングなマドモワゼル・斉藤がオーナーのビストロだ。彼女がパリ時代、ギャルリー・ヴィヴィエンヌのワインショップで仕事をしていたことから、名付けたというこのお店、2008年3月のオープンとニュー・フェイスながら、すでに居心地の良い内装と本格的ビストロ料理が評判で、ランチ時には味や雰囲気にうるさいレディスたちで満席。カウンター席もあるので、おひとり様もゆっくりできて安心だ。ランチはコーヒー付きで¥1050〜¥1260。 ランチメニューの若鶏モモ肉のロースト レモン&タイム風味 こちらもランチのサーモンのフリット
5月15日、木曜、またもや教師と学生達のデモがフランス中で発生した。 教育部門での教師達の解雇、教育方針の改革を訴える人々。 4月16日に行われたデモから一ヶ月経った今、何がどう進化したのだろう? 『何も変わってはいないわ。ダルコスは何も言ってこない。』 『高校生達も、6月の試験があるからデモに参加している数はこの前に比べて少ない。』 そう答えるのはデモに参加していた小学校の教師、ソフィーさんとシャロットさん。 このデモに対し、大統領のサルコジ氏、又教育大臣であるダルコス氏はどう思っているのか? 第一に、ダルコス氏は発表した教育プログラムの改革を一切変えるつもりはないと伝えた。 又、サルコジ氏いわく『デモを行う教師達は48時間前に届け出る事。又デモが行われる日、子供達の世話をどうするか決める法律を作る。』 はたして問題はそこなのか? たしかにこの日、小学校教師のデモ参加率は46%から63%、高校教師は33%から55%という、半分以上の教師達が授業を行っていない。しかし小学生はさておき、高校生達も参加しているのだから、その教育プログラムの改革自体を考え直したらどうなのか? このデモは既に規模が大きくなっている。昨日、教育部門以外、公共団体(税関、テレに関係、刑務所部門)の人達も支援する為デモに参加した。 また日曜日に行われるデモ。学生達は試験や受験で忙しくなり参加率は下がると思うが、その分公務員達が関わり、さらにこの状態は悪化すると思われてる・・・ 統計 フランス全体 デモ参加者:30万人 公共団体 :250万人中2.5% ボルドー デモ参加者:1万人 教師:42.47% マルセイユ デモ参加者:3万人 トゥールーズ デモ参加者:1万人 ニース デモ参加者:7千人
〜5月13日 MEURSAULT DUPONT FAHN RAY MOND訪問〜 2006年が初リリ−スのデュポン・ファン・レイモン若手ブルゴ−ニュの期待のホ−プだ。既に、クロス・ロ−ド経由で日本に紹介されている。驚愕のレヴェルの高さに人気高騰。 今日は2007産を試飲すべく訪問。 2007年は既に樽から出して樹脂のタンクに移動されていた。 RM『あまり長く樽熟をしない方が良い、果実とミネラルが真直ぐに表現される。』 確りした自分の造りたいスタイルをイメ−ジしている。実に大切なことだ。 醸造所はまだ完成していない。1年前より建設中である。 RM『何とか、夏までは完成させたい。』 樽から出したばかりなので、樽もまだ立てて置きっぱなしになっていた。 RM『ムッシュ・ITO、先週ワインを樽からタンクに移動したばかりだよ。 まだアルコ−ル発酵も続いているし、中にはマロ発酵も終わっていないものもある。この段階でのテ−スティングはチョット難しい』 ITO『でも07年のポテンシャルを知りたいんだ。それなら判断できるだろ 。』 RM『OK, じゃ、はじめよう』 レ−モンはピペットを取り出して樹脂タンクに登りワインを取り出した。
「飲んで美味しい、自分で納得できるワイン」がセレクトの基準という“ムッシュ長島”は、メゾン・ブリュレ大好きでボルドー大学DUAD出身、長島酒店の若き2代目。彼はその片腕、コンビエファンの“ソムリエ佐藤”氏と共に、今や静岡の自然派ワインを引っ張る、新進気鋭の酒屋さんだ。 畑を移動中のムッシュ長島 スーツでキメタ!ソムリエ佐藤氏 このお店の心地よさはまず、安心できる品揃えとスタッフ。日本酒もワインも自分たちが大好き、という造り手の思いが伝えられるこだわりのセレクトと、優しい説明でついつい長居の常連さんも・・・。そして、何よりすごいのがフットワークの軽さ! 日常業務に加えて、毎月第3水曜には市内のビストロで「ヴィオニエ」と称した1日ワインバーを開き、月1回は長島ワイン道場で勉強会、さらに事務所でのワインサロンを月1回、3ヶ月に1回はレストランでワイン会、それに加えて年数回の静岡日仏協会との協賛イベント、出張ワインパーティの請負、出張セミナー、フランス買い付けツアー・・・などなど。もちろん自らもあちこちの試飲会に出向き、新たなワイン探しにも積極的。 試飲会にはドミニク・デュランも! 静岡訪問にご機嫌なグリオット! エマニュエル・ジブロのワイン会で となれば、レストラン関係からの信頼も厚いのは当然、その上優しい雰囲気のムッシュとキュートなソムリエ氏には、それぞれ絶大なるサポーター(もちろん女性ファンも!)もいっぱい!ワインを買うのはもちろんのこと、イベントに参加するもよし、とにかく一度、訪ねてみては? *ムッシュ長島お勧めワインは・・・ メゾン・ブリュレ コンビエ マルク・プノー ドミニク・ドゥラン エマニュエル・ジブロ グリオット ラパリュ ジャン・フォー カトリーヌ・ブルトン ゴビー カザル・ヴィエル etc. 長島酒店 静岡市葵区竜南1-12-7(静岡市立高校近く) TEL054-245-9260 FAX054-245-9252
5月上旬、ラングドック、ロ−ヌ、ブルゴ−ニュの葡萄園を走った。葡萄の生育状況を写真に収めた。 1-ラングドック-LUNEL 5月4日 撮影 3月、4月と温暖な春となった。 既に開花の準備ができている。 2−南ロ−ヌ 5月1日 撮影 南ロ−ヌ地方でも晴天のひが多い冬、春となった。既に、水不足が危惧されている。全体的に乾燥している。 ブルゴ−ニュ地方 ラングドック地方から所用で一挙にブルゴ−ニュへ跳んだ。 3-メルキュレイ MERCUREY –P.GUILLOTの畑 5月6日 撮影 南フランスから比べるとかなり遅いが、例年並の生育とのこと。 4-ムルソMEURSAULT 5月6日 撮影 5−ヴォルネVOLNAY 5月6日 撮影 6-ポマ−ル POMMARD 5月6日 撮影 7-アロクス−コルトン ALOXE CORTON 5月6日 撮影 8-ペルンナン・ヴェルジュレス PERNAND VERGERESSES(PAVELOTパヴロの畑)5月6日 撮影 標高の高さ、信じられない脅威の剪定の短さ !! ワインの品質は畑で決まる !! 美味しいワインは美味しい葡萄から造られる。 美味しい葡萄には、適切な土壌と農作業をする人間の“志”が必要だ。人間の志を観るには“剪定”を見れば一目瞭然だ。 数あるブルゴ−ニュの蔵元でここまでの短い剪定は、あまり見られない。ここまで剪定が短ければ収穫も極度に少ない。 品質に勝負を賭けている“志”が表現されている。 パヴロは凄い !! 9-オ・コ−ト・ドゥ・ボ−ヌ HAUT COTE DE BEAUNE (ジブロGIBOULOT)5月6日 撮影 ジブロの剪定も短い !剪定に2種類あり。 10-ヴォーヌ・ロマネ村(プリュ−レ・ロック)5月6日 撮影 CLOS GOILLOTEクロ・ゴワイヨットの畑 11- ヴォーヌ・ロマネ村VOSNE ROMANEE-ロマネ・コンチROMANEE CONTI 5月6日 撮影
〜1979年世界遺産認定〜 〜丘の斜面には葡萄園が復活〜 ブルゴ−ニュ最北端のシャブリやトネ−ルに近い歴史ある敬虔なる教会の街ヴェズレ−である。小高い丘の頂上にバジリック・サント・マドレ−ヌ大聖堂がある。丘の斜面には葡萄園がある。 1800年初期まではディジョンからパリまで葡萄園で埋め尽くされていた。特にヴェズレ−近辺は見渡す限りの葡萄園が広がっていた。1860年ごろヨ−ロッパに広がったフィロキセラ害虫によってヨ−ロッパ中の葡萄園が全滅した。 その後、アメリカ産の台木にヨ−ロッパ産の葡萄木を節木することで多くの葡萄園は復活したが、ここヴェズレ−の葡萄園は復活することなく他の農産物が栽培されていた。やっと最近、M. MONTANET 〜 モンタネ氏の努力によって葡萄園が少しづつ復活されて、AOCが認められることになった。 〜歴史の街〜 最初に教会が造られたのは861年 。ジェラ−ル伯によって修道院がつくられ、以後、ベネディクト派によって丘の上にセント・マドレ−ヌ聖堂が造られた。マグダラ・マリア聖遺物があるということで、さまざまな奇跡を起こしたとされて、以後中世ヨ−ロッパにおける重要な役割を演じることになった。多くの巡礼者が訪れることになり、サンティアゴ・デ・コンポステ−ラの巡礼路に組み込まれた。 〜十字軍の出発地〜 第2回十字軍(1147-1149)の遠征ヴェズレから聖地エルサレムまでの出発点ともなった。また第3回十字軍(1189-1192)にはフランス王フィリップ2世、イギリス王リチャ−ド1世などが出発したのもここヴェズレ−からだった。 〜美しい中世に街がそのまま〜 メイン通りサン・テチェン通り 丘の下からセント・マドレ−ヌ聖堂に向う小道がこの街のメイン道路だ。道の両サイドにレストラン、みやげ物店、パン屋、ワイン屋など面白い店が立ち並んでいる。 お勧めレストラン 道行く修道僧 〜フィリップ2世が、リチャ−ド1世が、数々の歴史的人物を見てきた大聖堂〜 小道を登りつめるとマドレ−ヌ大聖堂がある。 聖堂の内部ではミサが行われていた。 サンチャゴ・デ・コンポステレへ向かう巡礼の旅 この日、若者のグル−プが巡礼の旅に出発するセレモニ−をやっていた。ここヴェズレ−が巡礼の旅の出発点であるからだ。ヴェズレ−から全長約1690KM。約2ヶ月半は掛かる。フランス語では、サン・ジャック・ドゥ・コンポステルと云いサンジャックは帆立貝を意味する。巡礼者は帆立貝の貝殻を首から吊るしている。巡礼者の証明の一つだ。 民宿も特別扱いしてくれる、との事。 〜丘の頂上から見渡す景色は素晴らしい!〜 〜幾つかのお勧めスナップ〜 〜歴史と人、現在と人、宗教と人、自然と人、ワインと人〜 半日この中世の街を探索した。色んな事を考えながら歩いた。 『あの十字軍がここから出発したんだ』 『フランス王ルイ17世もこの道をある歩いたんだ』 『ノルマン族に壊されたこともあるんだ』 教会と云えども権力と戦争に明け暮れたヨ−ロッパの歴史と人間模様を想像した。そして当時のワインの事を。 天気も晴天とあって実に美しかった。 〜ヴェズレ−のお勧めワイン〜 ドメ−ヌ・ド・ラ・カデット DOMAINE DE LA CADETTE ロマン派 !! モンタネ氏 世界遺産のヴェウレを葡萄園で覆い、ワイン有名産地への復活 !! なかなかの苦労人である。モンタネ氏はジュラ地方出身であり、地元の人ではなかった。いわゆる、よそ者のモンタネ氏が18年目前に地元の農民を説得して農業組合カーヴ・ドゥ・ヴェズレを立ち上げた。若い頃、葡萄収穫に時々やってきていた彼はこの風光明媚な土地を限りなく愛していた。愛したのは土地だけではなかった。この地に育った女性カトリ−ヌさんと結婚した。 この地の古文書を調べたモンタネさんは、ある事実を発見した。それは1800年代の中頃までは、この地は葡萄園で覆われていたのである。ブルゴ−ニュワインの一大有名産地の一つだたのである。つまり、フィロキセラ害虫で葡萄園がほぼ全滅という被害の前は、ワインの産地としてのヴェズレが有名だった、事実を発見したのだ。30歳になったばかりの若きモンタネ氏は、ここに我が人生を賭けるロマンを発見したのである。再びこの地をワインの名産地に復活させる ! そして、近隣の酪農農家や昔葡萄園だった地を所有している農民への説得に駈けずりまわった。よそ者のモンタネ氏の事を素直に聞く人はなかなかいなかった。 モンタネ氏は決意した。銀行を説得して借金をしてまず農協を立ち上げてしまうこと。 彼の熱意に負けて賛同する農民が数人現れた。1991年正式に農協カ−ヴ・ヴェズレは成立した。 当時、必死の形相でPARISのレストランやワイン屋に売り込みに来ていたのを知っている。失敗は許されなかったのである。私はその当時からの付き合いだ。 モンタネ氏 第2の転機 追求心の強いモンタネ氏はやはり、本物のワインを造らなければ、真のヴェズレワインの復活はありえない と確信する。ブルゴ−ニュのプリュ−レロックやパカレそしてマルセル・ラ・ピエ−ルの存在を知り、将来はこれだ、と悟る。農協の葡萄園をビオに改善し、造りも自然な造りに改良していこうとした。ところが農協の組合員から反対案が提出された。やはり自分が“よそ者”であることを再認識させられた出来事だった。しかし、もう彼は後に戻る気は無かった。組合長でもあり、自分で立ち上げた農協を出なければならない状況になってしまった。この10年間の努力は何だったのだろう ? 悩んでいる時期に、ロックからの独立を考えていたフィリップ・パカレと出会う。パカレの独立に合わせて自分も独立する決意意を固めた。 そして、パカレに自然なワイン造りの指導をしてもらうことにした。ドメ−ヌ・カデットの誕生である。 パカレ独立が、挫折感のあった農協の事を気持ちよく将来に向けて割り切る切っ掛けになってくれた。僅かな自社畑と借り畑を持ってカデットが立ち上がった。それからも紆余曲折があったが多くの協力者や仲間を得てやっと現在がある。 […]
今、フランスの田舎は菜の花が満開で美しい。 ブルゴ−ニュでは葡萄園と菜の花が競っている。 菜の花畑が黄色のジュ−タンのようだ。
〜自然な葡萄−土壌−地球を次の世代に〜 ここ数年、世界各地において地球温暖化、異常気象による被害が顕著化しており、“環境問題”というのが、 日本をはじめ世界各国のキーワードになってきているのは、皆様も意識されていることと思います。 フランスぶどう栽培者における環境問題は、すでに切実な状況となっており、2002年の南仏地方をおそった大雨、洪水、2003年の多くの死者を出した猛暑、そして2007年のような、初夏のような春から、 いきなり冷夏にと、今までの経験では対応のできない、予測不可能な極端な天候がぶどう栽培者を悩ませています。地球温暖化の影響により、収穫の時期も年々早くなり、葡萄栽培に適した区画も、平地から、涼しい 標高の高い区画へ移行しつつある地域もあります。このままでは、フランスにおける葡萄の分布図にも影響があるかもしれません。だからこそ、自然派生産者たちは、祖先から引き継いだ偉大な土壌(テロワール)を子供たちの世代にきれいなまま渡せるように努力をしているのです。土壌=地球を汚さないように。 しかし、ワインにとって、大切なことは、美味しいこと、自然な栽培だからといって、不味ければ それは意味のないものです。美味しくて、さらに自然、まだまだ少数ですが、そのような生産者 達が続々育ってきております。今回は、これらのワインを取り扱うインポーター8社が集結、試飲会を 開催します。まずは自然派がどうの、と論ずる前に一度飲んでみてください。 私達も、ワインを通じて、葡萄−土壌−地球に関わっています。 出展インポーター:BMO株式会社(片岡物産株式会社 /ヴィレッジ・セラーズ株式会社)、オリゾン、 野村ユニソン株式会社、豊通食料株式会社、ディオ二—株式会社、モトックス株式会社、株式会社 JALUX、 株式会社イーストラインLa Vigne事業部、伊藤忠商事株式会社 記 ■日時:2008年6月11日(水)PM12:00〜PM5:00 (受付AM11:45〜) ■ 場所: ホテルモントレ ラ・スール福岡2F ヌーヴォ 福岡市中央区大名2−8−27 TEL :092−726-7101 http://www.hotelmonterey.co.jp/lasoeur_fukuoka/ <市営地下鉄「天神駅」1番出口すぐ> ■ 定員: 200名(フリーティスティング) (会場準備の為事前にFAXにてお申込みください) ■ 参加費用:無料 お問合わせ先:CLUB PASSION DU VIN 竹下まで TEL:03-5565-5880 FAX:03-5565-5886 E-Mail:passion@basil.ocn.ne.jp
若いヴィンテージや、ちょっぴり個性の強い自然派ワインをより美味しくいただきたいとあれば、抜栓後に空気としっかり触れ合わせるアエラシオンがお役立ちの手。ドボドボ激しくデキャンタをするのが一番、という輩もあれば、フィリップ・パカレやマルセル・ラピエールのように物理学者が設計した運動エネルギーの法則に従ってワインが活性化するという、魔法のランプ風物体(オヴァリウス)を使う向きもある。もちろん、そのまんまが美味しいんだから・・・というご意見はごもっとも! そんでは、最近のパリの自然派大好きワインバーではどうか・・・っていうと。何にも言わなければボトルのまま出てくるパターンがほとんど。そんな中、昨年秋にオープンしたRacine(パリ2区メトロGRAND BOULEVARD駅近くのパサージュパノラマ内)でのひとコマ。ギャルソンにワインをオーダーすると、彼、ワインと一緒に一般には水用の口の大きいカラフを手に登場。「する?」と聞かれたので、「して」とお返事。ギャルソン君、一気にカラフに移すと、おもむろに掌で口をフタして振る振る・・・。あらあら、掌真っ赤。まあ、自然の摂理だけど。「どうぞ」なんて、さりげなく、そしてスマート・・・(もちろん掌は真っ赤のまま)。 いやあ、イマドキのアエラシオンは掌なんですなあ。
フランスで最も美しい街の一つに数え上げられ、世界遺産でもあるヴェズレ 5月3日、4日の2日間、巡礼の町ヴェズレイ、正確には隣村のST-PEREにて自然派試飲会が開かれた。 ブルゴ−ニュのボ−ヌからパリ方面に高速6号線を1時間ほど走り、シャブリの手前25番出口を下りると30分ほどでヴェズレイに着く。試飲会場はドメ−ヌ・カデットのあるサン・ペ−ル村で行なわれた。 典型的なフランスの牧歌的な雰囲気を備えた風光明媚な村だ。人口300人、村の中心にゴシック調の教会がそびえている。その隣にドメ−ヌ・カデットがある。主催者はカデットの当主 ムッシュ・モンタネ氏である。 DOMAINE CADETTE ロマン派 !! モンタネ氏 紹介 世界遺産のヴェウレを葡萄園で覆い、ワイン有名産地への復活 !! なかなかの苦労人である。モンタネ氏はジュラ地方出身であり、地元の人ではなかった。いわゆる、よそ者のモンタネ氏が18年目前に地元の農民を説得して農業組合カーヴ・ドゥ・ヴェズレを立ち上げた。若い頃、葡萄収穫に時々やってきていた彼はこの風光明媚な土地を限りなく愛していた。愛したのは土地だけではなかった。この地に育った女性カトリ−ヌさんと結婚した。 この地の古文書を調べたモンタネさんは、ある事実を発見した。それは1800年代の中頃までは、この地は葡萄園で覆われていたのである。ブルゴ−ニュワインの一大有名産地の一つだたのである。つまり、フィロキセラ害虫で葡萄園がほぼ全滅という被害の前は、ワインの産地としてのヴェズレが有名だった、事実を発見したのだ。30歳になったばかりの若きモンタネ氏は、ここに我が人生を賭けるロマンを発見したのである。再びこの地をワインの名産地に復活させる ! そして、近隣の酪農農家や昔葡萄園だった地を所有している農民への説得に駈けずりまわった。よそ者のモンタネ氏の事を素直に聞く人はなかなかいなかった。 モンタネ氏は決意した。銀行を説得して借金をしてまず農協を立ち上げてしまうこと。 彼の熱意に負けて賛同する農民が数人現れた。1991年正式に農協カ−ヴ・ヴェズレは成立した。 当時、必死の形相でPARISのレストランやワイン屋に売り込みに来ていたのを知っている。失敗は許されなかったのである。私はその当時からの付き合いだ。 モンタネ氏 第2の転機 追求心の強いモンタネ氏はやはり、本物のワインを造らなければ、真のヴェズレワインの復活はありえない と確信する。ブルゴ−ニュのプリュ−レロックやパカレそしてマルセル・ラ・ピエ−ルの存在を知り、将来はこれだ、と悟る。農協の葡萄園をビオに改善し、造りも自然な造りに改良していこうとした。ところが 農協の組合員から反対案が提出された。やはり自分が“よそ者”であることを再認識させられた出来事だった。しかし、もう彼は後に戻る気は無かった。組合長でもあり、自分で立ち上げた農協を出なければならない状況になってしまった。この10年間の努力は何だったのだろう ? 悩んでいる時期に、ロックからの独立を考えていたフィリップ・パカレと出会う。パカレの独立に合わせて自分も独立する決意意を固めた。 そして、パカレに自然なワイン造りの指導をしてもらうことにした。ドメ−ヌ・カデットの誕生である。 パカレ独立が、挫折感のあった農協の事を気持ちよく将来に向けて割り切る切っ掛けになってくれた。僅かな自社畑と借り畑を持ってカデットが立ち上がった。それからも紆余曲折があったが多くの協力者や仲間を得てやっと現在がある。 マルセル・ラピエ−ル達がやってくれたことを自分も再現したかった。 ここでモンタネ氏、この自然な造りを協力してくれた仲間と若き醸造家たちへの協力援助の意味を含めて今回の試飲会を企画した。そして、多くの地元の人達にもこのフランス各地方から集まってくれた本物ワインの自然派を理解してもらうチャンスにもしたかった。モンタネ氏にとっては、この試飲会には3つの目的が含まれていた。 そして、自分の息子にも自然派の人達と触れ合って貰いたかった。 参加者15醸造元元 最年長格のドミニックドゥラン、モンタネ氏の心の友でもある。指導者的存在にも関わらず、ひょうきんな言動で笑わせてくれるム−ドメ−カ−。 シャブリでいち早く自然派を実現した。ド・ム−ルのオリビエ。ドミニック・ドランの弟のようにドランに密着していた。 いつも元気で明るく美しいカトリーヌ・ブルトン。07産はメト−ド。シャンプノワを試作中。常に新しい挑戦を怠らない。フランもますます磨きがかかってきた。 ロ−ヌ地方からはマゼルがロ−ヌ中部をの雄、明るい妹さんが参加。柔らかい性格が周りの人をホットさせてくれる貴重な存在。 ダール・エ・リボと共にロ−ヌ初期自然派を造りあげた偉大な故グラムノンの息子、マキシム。お父さんの大物DNAを発揮させて欲しいグラムノン参加。 ロワ−ル地方サンセ−ルに彗星の如く現れて一挙に超人気サンセ−ル初の自然派を実現した男。誰もが待ち受けていたサンセ−ル。セバスチャン・リフォ。 もう一つ、誰もが待ち受けているロワ−ルの産地、プイイ・フュメにやっと本格的自然派セバスチャン・リフォと大仲良し、初リリ−スがもうじきビン詰めされる。 地元シャブリの大物新人誕生初リリ−スから真っすぐな自然派シャブリを実現したパット・ルのト−マ・ピコ。既に独自のスタイルのシャブリを楽しませてくれる。 トーマ・ピコの友人でもありトネ−ル地区出現した北ブルゴ−ニュの期待新人着々と進んでいくタイプ。DOMAINE WARTELドメ−ヌ・ワルテル、オリヴィエ・ワルテル。 夜は夜中まで懇親会、および情報交換。ム−ドメ−カ−のドミニック・ドランが盛り上げる。 嬉そうなモンタネさん 情報交換 モンタネさん後継者 モンタネさんのお母さんも嬉しそう
1.パカレさんの選別基準(葡萄供給者、葡萄の品質)? 葡萄は次の基準によって購入しています : 樹齢45年以上の葡萄 ピノ・ノワールとシャルドネに関しては、素性の良いものを選別。(クローンなどではなく、マサル式選別によって植樹されたもの) 化学物質などが使用されていない葡萄畑であること。 私達考える自然栽培方法(有機栽培)に賛同、理解してくれると。 2.醸造において一番気をつけていること? 全てが重要でありますが、毎年変わるヴィンテージを正確に表現するために、そのヴィンテージに対応した醸造を行うことが大切です。 3.地球温暖化の影響? 気候:1988年以降収穫日は温暖化の影響で年々早摘みとなっています。例えば、20年前は10月が収穫時期だったのが、今では10月に収穫が行われることはありません。又2003年から更に温暖化が加速、一段と収穫日が早まっています。2007年の収穫などは8月に行われてもおかしくはなかったでしょう。 葡萄の木:重要な問題です。例えば、ピノ・ノワールはそのテロワールを十分表現する為には冷涼な気候が必要です。ですから、この温暖化の影響で、私達の知っているピノ・ノワールの特徴が変化していく可能性があります。 土壌の中の生命:とても暑い春の終わりから夏は土壌を肥沃にする。ただし気温が暑すぎると、ぶどうを育て、ワインを発酵させる、自然酵母や微生物が脱水症状になってしまい、土壌の生命が弱ってしまうので、土壌を耕すことはしない。(ぶどう畑の草を取り除かない)
大阪名物のひとつ、串揚げといえば「ソースの2度付けは禁止やでェ」のイメージ。されど、かの法善寺横町の「Wasabi」はそれを超えたマジカルな串揚げの店だ。2003年の法善寺横丁の火災を乗り越えて、翌年1月に再開、未だに人気の予約の取れない店として有名でもある。 オーナーのマダム今木はフレンチの経験があり、串揚げといっても、その具材は季節感や繊細さに溢れていて、野菜の間にリエットがはさまれていたりなど、さまざまなアレンジが施されている「フレンチ串揚げ」ともいえるもの。当然、ワインにはピッタリ。もちろん、シャンパーニュで通すのもいい感じ。 しっかり食べるなら、おまかせのSABIコースがおすすめ。前菜と野菜、20本前後の季節感に溢れた串揚げ(途中でストップもOK)、締めのお茶漬けまたは稲庭うどんにデザートという按配で大満足!ワインは自然派もあれこれあって、相談すればお勧めを選んでくれる。その他、串揚げ12本のコース、アラカルトもあり・・・。串揚げのイメージが刷新されること請け合いのとびっきりのお店! Wasabi 住所:大阪市中央区難波1-17 電話:06-6212-6666(要予約) 営業時間:17:15〜21:30 不定休 1F:カウンター席10席 2F:テーブル席6席
昨日からボーヌに滞在しています。偶然ロマネ・コンチの畑の横を通りました。写真を皆さんに送ります。 本日は晴天24度という高い気温でした。 ちょうど馬で耕していました。 芽はこんな状態です。 3日前より温暖な晴天で一挙に芽ふき出てきました。